day1 - 2
不定期に更新します。
小説を書くのは初めてなので至らないところがあるかと思われます。便所の下らない落書きと思って読んでいただければ。
one day
もし、自分の寿命が幾何もなかったら。
日本の医療モノのドラマや海外のアクション映画で取り上げられそうなテーマである。
やはり日常の生活から遊離したような現場でそれは語られるものであり、フィクションの域を出れば専門家のみが支配する紙面上に逃避していく。
死の門である病院の病棟に行けば、そこは既に自由と能力を剥奪された後の世界で、人は管に繋がれたまま諦観したり達観したり、あるいは正気を失い、意識すらを失う。それは、病院が今まで生活していた世界と違う世界であるからして、彼らは価値観を院内の世界に順応させる。
何が言いたいかというと、一般的で陳腐な生死観や人生観だなんて、所詮健常者の『たられば』でしかないという事だ。追い詰められれば人は変わるというが、俺もそのように思う。
死を意識しない生死観や人生観など腑抜けているし、死を意識すれば現代人は世の営みを恐れる。人格形成の時期に、殺される人間を見ることもなく自然と死ぬ人間を見ることもないからだ。当然の事でもある。死んだ肉体を見ている時間より、生きた肉体を見ている時間の方が圧倒的に長いのだ。
『人は生きていくもの』
皆そう思っている。けれども終わりが見えた途端に手の平を返し、死んでいくと訂正する人も多いのではないだろうか。
俺が、そうだった。
――――。
床に敷いた万年床から俺は目を覚ます。
昨日は早くに寝てしまったからか、目ざまし時計の短針は4時を指していた。
「まぶしい……」
カーテンは開けっぱなし、電気は点けたまま。雑然としていてどこか陰鬱な俺の部屋。目覚めの爽やかさからは程遠く、自重を支えていた尻が痛い。
俺は右手の甲を見た。
「夢じゃなかったのか……」
そこには7つの赤い点が刻まれている。シャープペンシルでつつきまくれば出来そうなミミズ腫れにも似た点だ。
それは、つい昨日の事だった。
……俺は理系の大学生で、学内での成績は別段悪くない。だが人とのコミュニケーションが苦手で、大学生活はあまり楽しくなかった。
地が卑屈なのも手伝って、クラスで孤立し昼食をトイレの個室で取ったりしていた。
趣味は近所の風俗街巡り。金がかかる。それに輝くような情熱を傾けられる趣味でもなく、のれんをくぐってしまった2度目からは好奇心と興奮を失い、劣情と虚しさを持て余していた。
有り体に言えば、『人生に飽きてきた〜』とでも呟きたくなるような生活だったのである。大学生らしい勘違いと世は言うだろうが、それはそれだ。
とにかく、昨日もそんな日常を消化する事に辟易しながら習慣で風俗街に足を向けていた。
「お兄さんお兄さん」
風俗街といえば社会的に害悪であるようなイメージが付きまとうが、それはもちろんその通りで、悪質なキャッチや料金以上の値段を請求する店、病気を持った嬢や叩けば埃の出る経営者がどっかりと居座る土地であることに間違いはない。本来ならひょろりとした体躯の若者である俺は場違いである。
「ちょっと見ていきませんか」
当然風俗営業以外の目的を持った人物も現れるし、気弱そうな人物、特に俺のような若者を世の暗部に誘い込もうとするべく、雑居ビルや路地裏が手ぐすねを引いて待ち構えている。
「せめて振り向いても良いでしょう」
「……」
ただ、今日俺に声をかけた少女は、どう見てもハタチの俺より若く見えた。それが風俗のキャッチであろうと薬の売人であろうと追いはぎの片棒であろうと、このネオンちらつく夕方に似つかわない清廉な導き手だと思ったのだ。
俺は足を止め、斜め後ろの彼女に向き直って見下ろした。
「何だ」
「こんばんは」
「……こ、こんばんは」
「驚かないでくださいよ」
まさか普通に挨拶をされるとは思っていなかった。彼女は緊張を解いたように笑うが、俺は心の中で警戒を強める。
「退屈そうな顔をしていましたね」
「……」
それに初対面の小娘に踏み込まれて少しでもいらっとしなかった訳でもない。
「怖い顔をしないでください」
「退屈な日々を、終わりにしてみませんか」
彼女は俺を正面から見上げた。彼女は線が細く、色白で滑らかな肌とスッと伸びた長い睫毛が印象的だった。可愛いと言われている評判の風俗嬢よりも、抱いて、愛でたいと思う程。
その感情と遊離するようにいっそう強まった警戒心が俺を不思議な気分にさせた。
「何の勧誘だ」
「それは、その」
「宗教か。薬か。出会い系のサクラか」
「違います」
俺は通行人の邪魔にならないよう道路脇に移動する。彼女も同じように付いてくる。彼女はワンピースの裾を直し、一呼吸置く。
「これからお家に帰って何をするんですか」
「……」
頬を張られたような心地だった。
何もしない。ご飯を作って、シャワーを浴びて、ウェブを見て、飽きて、寝る。
「いや……」
「言えない事ですか?」
胸を張って彼女に言える事ではない。なるほど。退屈な日々だ。俺を揺り動かす勧誘である。
「何もしない」
「そうですか」
「なあ」
「はい」
「退屈な日々を終わりにするって、どういう事なんだ?」
「退屈だから、日々を終わりにする。という事です」
彼女は商品を説明するかのように、事もなげに言う。しかし俺は息を呑んだ。
「自殺の勧誘か」
「ちょっと近いです」
「ちょっと近いって……。それは危険なのか」
「死にます」
俺は額に手を当て、天を仰いだ。頭のおかしい娘と関わってしまったのかと思うが、彼女の瞳は普通である。人を弄ぶような目もしてなければ自我が曲がるほど何かを盲信している様子もない。騙されるようなつまらない話にはならないだろう。
俺のその直感を信じたい。
「話だけ、聞かせてもらっても良いか」
「嘘だと思っていますか」
「そう思わないために聞きたい」
「秘密にしておきたい事もあるので、ここでは話せません」
彼女はあるビルを指差した。
「事務所へ来ていただけませんか。30分もかからないと思います」
…………。
その事務所とやらは狭くて、テレビで時々見る質屋のような様相をしている。違うドアから入っていった彼女が反対側の机に出てきた。
「他に人はいないのか」
「いますけど、声をかけた人が最後まで説明をするのが決まりですから」
机に電卓がある。
「料金はかかるのか」
「無料です。ただ諸事項ありますので、説明を聞いて頂ければ」
俺は促された客用の椅子に座る。怪しげな神棚でもあるかもっと胡散臭い事務所かと思っていたので、拍子抜けだ。
「さて、説明してもらおうかな」
「はい」
彼女は開口一番こう言った。
「お兄さんの命をこちらで買い取らせて頂きます」
……。
思考が硬直した。異常性癖者の餌食になるのかと思い付いた。
「もちろん、こちらでお兄さんを殺すわけではないです」
「当たり前だ。逃げるぞ」
「まあまあ。最後まで聞いてくださいよ」
俺は少女の話を聞いた。要約するとこうだ。
・俺の身体にある処置を施し、寿命を右手から放出させる身体にする事
・寿命が7日で尽きるペースで放出されるという事
・右手が生き物に触れている際、その生き物の寿命が伸びるという事
・5秒手が触れると約3時間半寿命が伸びるらしい
・ただ、7日間の間に販売員(彼女の事だ)の持つ装置に寿命を渡すと、時間に応じて翌朝に多額のお金を受け取れるという事
・7日間、現金を第三者に直接譲渡する事を禁ずるという事
・この契約を一切黙秘する事
俺はそんな馬鹿げた話を、それでも真剣に聞いていた。
「……疑わないんですか?」
「証明のしようがないだろう。疑ったって仕方ないじゃないか」
「そうですね」
「それで、どうしますか? 退屈な顔の生活に戻るか、お金と命を周りに配る一週間を過ごすか」
「お金と、命を……」
「そうです。お金を使えば周りは潤いますし、命を周りに分け与えればお兄さんも未練や罪悪感、無力感から解放されるのではないのかと」
彼女は抑揚のない口調でずいぶんな事を言う。いくら事実であれ、多少はかんに障る。
「お前なあ」
「あ、申し遅れました。私は販売員の村川明日香と申します」
「村川さん、さすがにそういう事言われると傷つくなあ」
「命を捨てたがる方というのは、そういう人が多いですから」
「……」
「皆さん、最初はそう言いますよ。けれど、お金にも社会貢献にもならない余生を鬱屈して過ごすより好きな事をして誰かに貢献しようとは思いませんか?」
悪魔の囁きにも聞こえる声。夢魔の誘惑にも聞こえる声。いずれにしろ天使の声には聞こえないが。
「7日間は好きにしてくださって構いません。お金を使って親孝行しても良いですし、お世話になった方を長寿にしても良い。豪遊の限りを尽くしても良いですし、犯罪を起こしても構いません。残念ではありますが、早々に自殺をしても私は咎めませんよ」
「滅茶苦茶だな」
「けれど、普通では絶対に味わえない7日間です」
村川には俺が揺れている事が分かっているのだろう。ベタ推しするようでもなく、しかし自信ありげに俺に語る。
「……いかがですか」
瞳を閉じれば、ポツポツと顔が浮かぶ。
飲んだくれで最低の父親。
無口で厳しいだけの母親。
もう半年会っていない悪友。
いつの間にか他の男に乗り換えていった初めての女。
やたら気持ち良くしてくれるお気に入りの風俗嬢。
その他、なりかけで放置した大学の友人かぶれ。
何か成すこともなく。
何か守るものもなく。
誰かに認められることもなく。
それが、俺の余生である事を否定できるのか。
「なお、この話をしてしまった以上は脳に処置をしてから帰ってもらう事になります」
「げ。話を聞くだけじゃなかったのか」
「いえ、そうですよ。ただ、この事に関して記憶喪失になってもらうだけです」
「それじゃあ」
「お兄さんの選んだ人生ですから。再び惑わせるような事は決して致しません」
「これっきりって事か」
「はい」
逃げ道を塞ぐが如く村川は言う。今を逃せばもう会う事はない、という訳だ。
「村川さん……」
「さて、どうしますか」
「お兄さんの命、どう使いますか」
――――。
そうして俺は自らの命を短く使い切る道を選んだ。
今にして思うと、俺には確かな力があるのだという事に気付く。生きているという事だけでもそうだし、人の寿命を延ばすという奇妙な力も得た。金銭だってどうやら工面してくれるらしい。小さくとも確かな力。
しかし、この命は6日後の19時42分に尽きる。そう、『人は死んでいくもの』なのだ。俺はこの身でそれを理解していこうと、受け入れていこうとしている。
五体は満足。身分も軽い。責任もない。思い入れも薄い。まったくもって、社会生活をする人間が迫る死と向き合うような体勢ではない。
だからこそ言える。俺はこれから純然たる生死と向き合って行くのだと。