極東の魔王 その3
とある日の事。
ヨハンネは所用でプルクテスにある市街地へでかける為、馬車で移動していた。
この馬車は四人乗りで外は黒染めでつやが出ている。
彼はある事を考えていた。
プルクテスで行なわれている奴隷売買、闘技場での殺し合い。
彼はこの国の真の姿を知ってしまった。
これまで、経験した事のない出来事がこの国では起きていた。
彼は自分が平和ボケしていたのかもしれないと思う。
自分は親が商人だから人権は保障されるし食べ物も腹いっぱい食べれる。
(もしそうでなかったら、自分も彼女と同じ場所にいたかもしれない………)
おもむろに馬車にある窓から外を眺め、街の風景に目を送った。
整備されたこの街はとても治安が良く、賑やかで表を歩く者はみんな笑顔だ。
街中に国軍兵士や奴隷監視委員会がうろうろしているから、治安が良くなっているのだろう。
その景色は普段とかわらない何一つ異状などない。
だけど、ヨハンネにはそれが違和感を感じづにいられなかった。
(…ここの皆はとても優しくしてくれて、皆、笑顔で僕に接してくれる。でも、ここにいる奴隷たちは怒りや憎しみを抱えて生きているのだろうか………?)
近くを通り過ぎる奴隷たちは目が死人になっている。
敵意むき出しで睨みつけてくる者もいた。
今にも襲いかかって来そうだ。
あの日以来、街の見え方が、がらりと変わった。
(もう少し、早くきずけなかったのだろうか?)
それともこの光景が当たり前とでも言うのだろうか?
ヨハンネがこれまで読みあえげてきた書物には、この国が間違っているとは書いていなかった。
情報統制によって、思想の自由、集会の自由、外部からの文化、文学は一切、断ち切られていた。
世界はどうなのだろうか?
東の果てにあるシェール国もこの国と同じなのだろうか?
彼は世界にある書物を読めば、何かわかるかもしれないと考えた。
(……あの黒髪の子、今、何を思って生きているのだろうか……?辛くはないのだろうか?)
疑問ばかり彼の頭の中で浮かんでいて、気がどうにかなりそうだった。
彼は少し疲れた。
「ヨハンネ様?どうかされましたか」
隣に座っていた教育係でメイド長のロベッタがヨハンネを気にかけてきた。
「いえ。なんでもありません」
「そうですか。では、もう少ししたら港につきますよ」
「はい」
少し、進むと突然、馬車が止まった。
その勢いでヨハンネとロベッタは大きく揺さぶられ、前に引っ張られた。
「な、なんですか!全くっ!!」
ロベッタは馬車から降りたので、それに続いてヨハンネも降りる。
馬車の周りでは、人集りが出来ていて騒ついていた。
(どうしたんだろうか?)
馬車の前に行くと、女の子が倒れ込んでいた。
「えぇ〜い!お下がりなさい。ヨハンネ様の道を阻むとはなんたる事か!!」
ロベッタは横たわる女の子を無理やり立たせた。
「ご、ごめんなさい。転んじゃったんです。許して下さい」
その言葉にロベッタは我に返ったように冷静になる。
「お気をつけなさい。馬車は急には止まれないのですよ!そもも、道のど真ん中を横断するとは―」
怒りが収まらないロベッタは少女を叱る。
少女が泣きそうな顔をしていたので、見かねたヨハンネが止めに入った。
「もういいよ。許してあげて。ロベッタさん。悪気はなかったんだから」とヨハンネがその女の子に近づいて行った。
「…旦那様…お許しください」と頭を深々と下げる。
少女に恐怖で怯えるようにみえた。
無理も無い。
こういう場合、この子の運命は決まっている。
ヨハンネはその不安を和らげてあげようと笑って、汚れた服を手で払ってあげようとした。
しかし、とどこからか大声で叫ぶ者がいた。
人の壁の奥から、数人の男らが掻きわけて出てきた。
ヨハンネはその方向に目を向ける。
右腕に赤い腕章をつけていた。
奴隷監視委員会か。
まずい…
「旦那様、お怪我はありませぬか?」
「えぇ。僕は大丈夫です」
「それはなにより、安心しました。しかし……」
「この愚か者!」と監視委員の一人が女の子を平手打ちした。
女の子はそのまま、横に倒れた。
それと同時に野次馬から声が上がる。
「やっちまえ!」
「ほら、さっさと連れておゆきよ。こいつらは病原菌を撒き散らすんだから」
「汚らしい野良犬め!」
壮年の男が顎で部下に指示した。
部下の二人が女の子を引きずり、どこかに連れて行き始めた。
「ち、ちょっと、そこまでしなくても」
「いえいえ。彼らにはしつけをせねばなりません。あとの処理は我々にお任せ下さい」と礼儀正しく一礼した。
「処理って……」
(まるで、ゴミの扱いじゃないか……)
不服だった彼はその奴隷監視委員の男らを呼び止めようとした。
だがそれをロベッタに腕を掴まれ、左右に首を振る。
そのまま彼女に馬車に無理やり乗せられるのであった。
ヨハンネは馬車の中、自分の不甲斐なさに憤りを感じていた。
何もできなかった。
何もしてやれなかった。
あの場で、声を上げていれば、あの子は救われたかもしれないのに。
だが、それが出来なかった。
怖かった。
国という大きな権力に………
僕は屈したのだ………
==================================================================================================================
それから、キンブレイト邸に着くと、ヨハンネは自分の部屋に急いだ。
途中、ヨハンネの母親であるジュリエンタの横をヨハンネが通り過ぎて行った。
「あら、お帰りなさい?」と不思議な顔をする。
いつもなら、ただいまと、笑顔で言うのだが今日はそれがなかった。
彼には珍しく不機嫌な顔で、自分の部屋に駆け込んだのである。