極東の魔王 その2
―――――――――闘技場は砂埃に覆われていた。
数分経つと、ようやくキメラの身体が見えてきたが、何かあったのだろうか、痛がるような唸る声が聞こえた。
観客がざわつく。
「おい！あれ見ろ！」観客の一人が立ち上がり、指を差す。
その先には…………
「すげえ。あの速さで避けやがったっ！」
ヨハンネも目を細めて確かめてみると、キメラの背中に彼女が立っていた。
背中にいる羊はぐったりとしている。
「う、嘘？いつの間に攻撃したの？！」と彼は驚きを隠せない。
女剣闘士がキメラの背中から飛び降りる。
そして距離を取った。
どうやら、まだ仕留めていないようだ。
（この人、常人じゃない……）
キメラが思い出したかのように怒り狂い、女剣闘士の方に振り返ると、鋭くなっている鉤爪で襲いかかる。
蛇になっている尻尾は彼女を噛み付こうと仕掛けていた。
相手が一体のようで、そうではない。
神経を尖らせていないと、隙をつかれる。
しかし、彼女はそれをギリギリで右側や左側に避け、時に飛び込み、時にバク転までもした。
まさに紙一重。
少しでもタイミングを外せば、首を喰いちぎられ、引き裂かれる。
彼女は一度も動きを止めず、避け続けていた。
ヨハンネは違和感を感じていた。
（なんだろう…余裕のように見える…）
彼女の行動は彼から観たら、まるでキメラと遊んでいるかのように思えたのである。
他の観客は息を呑んで、祈っている者も居れば、白熱して応援する者も居た。
そして次に尻尾の蛇が噛み付こうとした時、キメラの身体がぐらつた。
どうやら先ほどの背中の羊が斬られたのにもかかわらず、無理に動き回ったせいのようだ。
動き回ったお陰で出血が酷くなり、一瞬だけふらついたみたいだった。
女剣闘士はそれを見逃さなかった。
右側に避けると迷うことなく、キメラの腹部に軽快な動きで踏み込む。
そして勢いよく剣を突き出し、腸をえぐる。
それに激痛に見舞われたキメラはもがきながら倒れ込み、暴れまわる。
その拍子に彼女の手から剣が離れたが、おまり驚く様子ではなかった。
と言うより、あえて、手放したようにみえた。
すると観客席からある言葉が声に上がった。
「やれ！やれ！やれ！やれ！」と剣闘技の仕組みを知っている観客らが口を揃えて言う。
どうやら＂とどめを刺せ”ということのようだ。
彼女はそれに答えるかのように刺さったままの剣をキメラの腹部から引き抜き、獅子の頭に剣を突き立てる。
そして大きく振りかぶっり、キメラの脳天を突き刺した。
キメラの呻き声が途絶える。
血しぶきが噴き上げ、彼女を深紅いろに染め上げた。
その光景の一部始終を見たヨハンネはあまりの衝撃に胃の奥から何かが込上げてきた。
普通はこの時点で勝者は自分の腕前を自慢したがるのだが。
彼女は違った。
突き刺した剣を抜くと、血を払い落とし鞘に納めると、そそくさと入ってきた入口から、自分の足で帰り出したのである。
するとなぜか足を止めて、観客席の所を見上げる。
「ん？あの人、どこを見ているのかな？」
ヨハンネが女剣闘士を見つめ返すと彼女はまた歩き出した。
「いや～今日は驚いたなぁ～。まさかキメラ相手に数分で終わらすとは。たまげたもんだ」といいながらダマスがヨハンネの背中を何度も叩いた。
「痛いよ。確かに凄いね。あんなのを余裕で倒すなんて。騎士でも無理じゃないの？」
ヨハンネは騎士団以外で魔獣を倒す人を見たの初めて見た。
にしても、彼女は綺麗だったなぁ。
黒い髪がとても美しかった。
そして、どこか悲しそうだった。
（一人、孤独に闘う黒髪の少女……あれ？どうしたんだろうか。僕の胸がおかしい）
ヨハンネは自分の胸を抑えた。
（何かが胸の奥で詰まった感じがする……）
「おいヨハンネ？明日もあるそうだから観に行こうぜ」
「あ、う、うん。そうだね」と素っ気ない返事をするのであった。
