反逆の奴隷 その4
ヨハンネはため息をつき、肩を落として歩いていた。
それが気になったのかミネルヴァが尋ねた。
「ご主人様、何故、落ち込んでいるんですか?」
「いや、 何でもないよ」
「そう、ですか」
それでも、なにかおかいいと思った彼女は小首を傾げる。
ヨハンネは辺りが妙に騒がしい事に気が付いた。
ミネルヴァは街を知らないので普段とは違うこともわからないだろう。
街頭で誰かが演説している。
それが、別に問題とはいえない。
問題なのは、その内容である。
ヨハンネは思わず、足を止めた。
少し、開けた広場には人々が群がっていた。
ここに人が集まる様な店や出し物は無いはず。
それにも関わらず、人だかりが出来ているのだ。
その群がっている彼らの服装を見ると、ボロボロになった服や糸で縫い合わせた服を着ている。
靴は履いていない者の方が多い。
明らかに、奴隷などの身分層であるとわかる。
野太い男の声が響き渡る。
「―――――諸君っ!これは、我らが指導者のお言葉である。良く聞くのだ。我が同志達よ。今は耐えるのだ。耐え凌ぐのだ。来たる日に、“アレー”の名において、旗が掲げられるその時まで。兵力を、戦う力を蓄えよ。これを同志達に伝え広め、虐げられた者達の耳に届かせよ。準備が整えば、我が直々に演説をしよう」
(アレー?聞いた事ない名前だな。聖母とか、英雄とか、神とかにはそんな名前があったかな……?)
詮索するヨハンネを横目に、ミネルヴァは知っているよいな素振りをした。
それに気がついたヨハンネは、ミネルヴァに質問した。
「アレーとか言う人を知っているのかい?」
その言葉にミネルヴァは深く頷く。
「私が闘技場に入った最初の頃、そんな剣闘士がいた気がします」
「今は?」
ミネルヴァは記憶を思い出そうと、両目を左上に上げた。
「確か、北部にあるメソドリアとかいう国に買い取られたとか」
「メソドリアか。遠いなぁ」
メソドリアはプルクテスから山を四回ほど越える所にある。
ミネルヴァがヨハンネの服の裾を引っ張る。
「それより、早く帰りましょう。ここは危険です」
それにヨハンネも納得する。
「そうだろうね。僕の服だけ、浮いて見えるし……」
周りは演説に夢中で、彼の存在に気がついていなかった。
このままだと、王国兵が血走った目で剣を片手に弾圧しに来るだろう。
巻き込まれるのもご免だ。
ヨハンネはその場を後にし、キンブレイト邸へと足を運んだ。
―――――深夜。
ヨハンネはうなされていた。
まるで、悪魔に取り付かれたかのように。
息苦しかった。
一人、ベットの中で呻き声を上げる。
彼は夢を見ていた。
それは、綺麗で、鮮やかな清々しい夢ではない。
―――――――断片的な絵のように、頭の中に浮かび上がる。
プルクテスに帝国軍が隊列を組み、足踏みを鳴らしながら、ザッ、ザッ、ザッと進んでいる。
表情はどれも、怒っているかのような顔だった。
悲鳴が街中で聞こえる。
火の手が上がった。
熱い。
子供が泣き叫び、母親を呼ぶ。
「お母さん!!!!どこ!!?たすけて――――っ!!!」
同時に奴隷達が武器を手に持ち、貴族たちをこれでもかと、めった刺しする。
肉に刺さる鈍い音がした。
女、子供も例外なく、襲い掛かる。
自我を忘れたかのように、暴れ狂う。
狂喜する奴隷達の手には、剣ではなく農具だった。
キンブレイト邸も同様、松明が投げ込まれ、業火に包まれる。
庭が燃え、カーテンが燃え、馴染み深い物が、全て燃える。
そんな中、ヨハンネは、誰かに手を引っ張られていた。
無理矢理、走らされている。
そして、ダマスが教えてくれたあの秘密の場所にたどり着いた。
彼は自分の意思ではないのに言葉を発する。
まるで、自分が第三者のように思えた。
その発した言葉に先導していた者がピクリと反応し、手を離して振り返る。
それは、紛れもないミネルヴァだった。
全身、血塗れの彼女は、震える唇をへの字にし涙を流す。
そして腰に提げている長剣の柄を手にし、ゆっくりと鞘から抜いた。
脇を閉じ身構える。
そして走り込んみ、ヨハンネの懐に飛び込む。
彼女の長剣が胸を貫通した。
力を奪われたように彼女にもたれかかると。
口から込み上げて来た血を地面に吐く。
そんなヨハンネを彼女は剣を引き抜き、投げ捨てると、彼を抱き寄せた。
「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい」
念仏のように何度も、ヨハンネの耳元で謝っていた。
ヨハンネは口をゆっくり動かして、囁く。
「あり…がとう……君に……出会えて……良かった……よ――――」
息苦しさが酷くなる。
息が出来ない。
重たいまぶたをぱっと開ける。
「なんで、重たいの………?」
何者かと視線が合う。
「え?」
よくみるとミネルヴァの顔が目の前にあった。
「なんだ、ミネルヴァか……」
少しだけ、間が開いた。
「って?!え?!!なんで、僕の上に乗ってんの――――っ?!!」
「うなされていたので、心配になったのです」
「いや、だからって男の人に乗り掛かっちゃダメでしよ!」
(いろんな意味で…)
彼女は怒られた事に小首を傾げながら、彼から身体を起こし、ベットからスッと跳び降りた。
「………申し訳ありませんでした。ご主人様」と深々と頭を下げる。
「あぁ良いよ。別に……気にしてないから」と言いつつも、後から彼女の行為が、頭の中に広がると、心臓の鼓動が激しく、耳が熱かった。
(なんか…僕は…すごく、変態なのかもしれない……)
ヨハンネは呻きながら両手で顔を隠す。
(なにしているのでしょうか………?)と疑問に思いつつ、ミネルヴァはヨハンネに言った。
「―――――では、お掃除の方に戻らさせてもらいます」
そのとき、ヨハンネの頭によぎった事があった。
(昨日、ミネルヴァが剣術の稽古をするとか、言ってたよな……)
ヨハンネがさぎれなく、ミネルヴァを見ると、いつも通り、部屋を掃除していた。
(もしや、昨日の事、忘れているな!そうだ。そうに違いない)
ヨハンネはバレないように、毛布を顔まで覆い寝たふりをしようとした。
「ご主人様?起きて下さい。そろそろ剣術の稽古をします」
しかし、ヨハンネは鼻を鳴らして、寝たように見せかけた。
ミネルヴァはそれにイラっとしたのか、ベットの所まで飛び上がり、そのまま、ダイレクトにヨハンネの腹を踏みつける。
「ごふっ」
「起きましたか、ご主人様?」
「はぃ……起ぎまちたぁ……」
無駄に高かった天井がミネルヴァにとって都合が良いつくりだった事に気がつかされたヨハンネだった。
「あら、二階で大きな音がしましたわね?」
グレイゴスが鼻で笑う。
「どうせ寝返りとかして、ベットから落ちたんだろう。いつもの事だよ」とグレイゴスは苦笑いしながら商会の資料を読みながら言った。
「そう、ですね、怪我ないといいけど」と心配したような顔で、天井を見上げるジュリエンタであった。




