陥落した東部
プルクテス国の闘技場では、昼飯が出る。
彼らにとって昼飯は唯一の恵み。
だが、全員がその飯に満足しているわけではない。
剣奴隷の男がため息をつき、クソ文句を吐く。
他の男も同じく、不満気な態度をとる。
毎日配られる配給はとても酷いものだ。
味の無いパンと水に近いスープ。
家畜の飼料のほうがまだましに思えるほどだった。
「くそ。毎日、毎日、ほぼ同じメニューを死ぬまで食ねえといけねぇかよ」と、言いながらもその剣闘士は食べ続ける。
これ以外に彼らの食糧はないから。
若い少年は、泣きながら食べている。
「――――はぁ。俺たちが豪華な料理にありつけるのは、死んだ時さ。神様があわれんで、沢山食わせて貰えるだろうよぉ」と皮肉のような言い方をする。
そんな風景の中、あとから来た剣闘士達から変わった話が出てきた。
「おいっ!おめーら聞いたか、東部が帝国に征服されたらしいぞ?」
「なーに言ってんだくそガキ?東部はだな、最強民族があるし、砂漠は広いし、そんな数日の間に落とされるはずがねーだろうがよぉ」
「それがよぉ、砦を攻撃する前日に東部をまとめる部族長らが、何者かによって全員暗殺されたそうだ」
「おい、おい、マジかよ、その話?」とさっきまで相手にしないような顔が真剣になり、身を乗り出す。
その噂話が横から横へと、リレーのように伝わっていった。
そして、当然、彼女の耳にも入ってきた。
話はかなり、大袈裟になっているようである。
帝国が狙うのは大陸全土とか、皇帝には影の組織があるとか。
しかし、彼女はそんな話を耳にしても、いつも通り反応を見せず、ただ黙々と食事を済ませていく。
彼女はそんな話よりも、ある事が気になって仕方がなかった。
それは、ヨハンネ事だった。
(私を買って下さったあの方は数多く見てきた主人とは違う……。あの人は純粋で、心が綺麗で、瞳の色はまるで、紺色に澄んだ海のようだった……私なんかの為にわざわざ闘技を毎日のように観に来てくれる)
彼女は、天井を仰ぐ。
(私は、早く彼のお側に行きたい……)
そんな感情は、初めてだった。
何かがしたい。
この高ぶる期待で、心を満たしたい。
そんな事を思う彼女は心の中はやはり一人の純粋な少女だった。
顔だけは感情を隠し、しけた顔をしている。
表情は災いの元。
相手に付け込まれる隙をつくってしまうから。
だから普段の彼女の威圧感は凄まじく、よく同じ協会の剣闘士に「その目つきはやめてくれ」と言われるほどだった。
だが、今日は少し様子が違った。
雰囲気は臨戦態勢が取れている隙のない戦士だが、瞳の奥にむずみずする心を解消してくれる期待感が秘めている。
そんなとき、看守官らが彼女に近づいて言った。
「お迎えが来たぞ。よかったな!」と吐き捨てるような言葉で彼女の肩に手を置いた。
荷物は何も無い状態で、手かせの跡が残った彼女は素足でペタペタと冷たい石廊下を渡り、石段を上がる。
そして、出口に向かうにつれて、太陽の光が強くなり、思わず目を細めた。
その先には一人の少年が立っていた。
(あっ彼だ……)
少年が彼女の姿を捉えると、爽やかに笑みをこぼす。
彼女の方は笑顔をつくれなかった。
「やぁ――ようやく君と会えたね。僕はとても嬉しいよ」
その瞬間、彼女の心の底にあった引っ掛かりが解けた。
むずみずした感覚がなくなった。
そして、何かに満たされた感覚になり、それが思わず言葉に出る。
「はい。ようやく、貴方様のお側に――――」
口には出さなかったが、一番最初に出会った時から自身は理由はわからないが、気になっていた。
ヨハンネから自分を買ったと言われた時、運命的な感情になっていた。
そんな事を思い出した。
「ん?」とヨハンネが驚いた。
いつも感情を見せなかった彼女が少しだけ、笑ったように見えたのだ。
ヨハンネが彼女に歩み寄り、辺りを見渡す。
何かを確認する素振りに黒髪の少女は不思議に思った。
そして、ヨハンネは黒髪の少女の右手を優しく掴む。
彼の温もりが身体に伝わる。
(これが…貴方様の温もり…)
「今日から君は僕の物だ。だから、僕は君を好きに使う。いいね?」
「…はい。ご主人様」
「君はとても綺麗だ。髪にツヤがあるし、肌も、顔も、すごく綺麗だ」とヨハンネはニコッと笑って彼女の頬を触った。
耳先に触れた彼のその言葉が全身に伝わり、彼女の心を揺らす。
「そんな事を言われたのは貴方様が初めてです」
「そ、そうなんだね。あーえっと……――――」とヨハンネは次の言葉を探していた。
視線が泳ぐ。
「――――そうだ!これからは、君に名前が必要になるよね?」
「私にですか…?」とヨハンネの目を見つめた。
「うん。実はずっと考えていたんだけど……。その、僕はネーミングセンスがイマイチだから……父上か、母上に頼んでみる」
それに黒髪の少女は顔を横を振った。
「私は、貴方様から名前を頂きたいです」
「えっ?!僕が?あははは…参ったな……」と頭をぽりぽりとかいた。
黒髪の少女はそれを見守るようにして、待っていた。
(私に名前をくれる……初めての主人に…)
「アリス、マリア、カヤ、ロザリオ、いや 、いや違う。彼女は女神のように例えるなら、ミ…ネ…ル…バ……ミネルヴァだ!君の名前は今日からミネルヴァだ」
「ミネルヴァ……?」彼女は一言つぶやくと空を見上げ、目を瞑る。
「…ダメだったかな?」と彼は心配そうな顔をした。
「いいえ。素敵な名前です」
「よかった」とつぶやいてヨハンネは胸を撫で下ろす。
少し間を空けて、改まって言った。
「ミネルヴァ!行こう僕の家へっ!!!」
ヨハンネが手を差し出した。
それをゆっくりとミネルヴァが掴み返事をする。
「はい。ご主人様」
そのまま二人は闘技場をあとにした。




