二章
詩織が食堂を去ってすぐ後に、ぼくはまたしても声をかけられた。振り向くと、背の低いショートカットの女の子が立っていた。
「へっへー」
後ろにいた女の子は、してやったりというような笑みをうかべていた。
「望月くん、今の人知り合い?」
笑っている少女を見て、ぼくはクラスメイトの一人だったことを思い出す。でも、名前が出てこない。大学のクラスなんて基礎演習のときぐらいしか意味をなさない。ただ、笑いあって話すような間柄ではなかったのは確かだ。
「えっと・・・。同じクラスの人だよね。大橋さんだっけ?」
意を決して話してみる。誰だっけ?と聞くのは失礼かと思い、聞き覚えのある名前を挙げてみる。
「違うよ。適当に名前でっち上げないでよ。あたしは河合美鈴。あんまり喋ったことないし、知らなくてもしょうがないけどね」
「ああ、そうだったね。で、何の用?」
「うん。ちょっと私とおしゃべりしない?」
美鈴ちゃんはそう言いながら、ぼくの隣の席に座る。嫌だといっても引き下がりそうになかった。
「何を?」
「実は私ね。クラス全員友達になろうキャンペーンやってるんだ」
「は?」
思わず聞き返してしまった。今、なんて言ったこの子。
「だから、クラスのみんなと話して仲良くなろうって。もう、望月くん以外は全員と話したんだけどね。望月くん、授業終わったらすぐ教室から出てっちゃうし、話すチャンスが無くてね。で、今日は早めにお昼ご飯食べようと思ったら、なんたる偶然!望月くん発見!ってね」
だんだんこの子と関わったことを後悔してきた。いや、無理矢理関わらされたのか。
美鈴ちゃんは「へっへー」と最初に見せた笑顔をまたうかべる。
「望月くんが当たりだったんだねー。うん。なんかそんな雰囲気でてるもんねー。」
美鈴ちゃんはニヤニヤしながらよくわからないことを言い出した。
「何のこと?」
「ああ、ごめん。ヘヘへ。実は私ね。さっきの木刀の女の人と望月くんの話聞いちゃったんだ」
!!聞かれていた!
思わず驚いてしまったが、ぼくは無理やり平静をよそおう。
「殺人鬼探すんだってね。さて、ただの大学生であるはずの望月くんが殺人鬼を探す必要があるのはなぜでしょう?」
ぼくは何も言わなかったが、美鈴ちゃんはかまわず続ける。
「私の答えは、望月くんはただの大学生じゃない!事件解決のために動こうとしている正義のヒーローってとこかな」
「あたり?」
「全然違うよ。ぼくはただの大学生だ」
まったく、ぼくも詩織も油断しすぎだ。いや、こんなことに首をつっこもうなんて奴が大学にいるなんて思ってもなかったからだけど。
「ふっふー」美鈴ちゃんはうれしそうに笑った。
「あくまで、白を切る気なんだ。別にそれでもいいよ。私が勝手に望月くんの身辺を嗅ぎまわるから。こうなった私は止められないよー。もう、私の興味は望月くんに固定されちゃってるんだからね」
「どうして、殺人鬼の事件に関わろうとするの?」
「・・・別に殺人鬼じゃなくてもいいんだけどね。今までの学校生活に飽き飽きしてたの。大学なら、いろんな人がいるし面白いことに首つっこんでる人もいるかなって思ってさ。もし、そんな人がいたなら私も混ぜてもらおうって。そんな楽しそうなこと一人でするなってさ」
美鈴ちゃんはそこで少し間を置き「思ったとおり、一人いた」と僕を指さした。
その言葉を聞くか聞かないかのうちにぼくは逃げ出した。逃げるが勝ちだ。これ以上この子に関わるのはまずい。走って走って走りまくった。そのまま家まで走って帰った。事件解決まで大学にも行けないな。午後の授業はサボるしかない。
ぼくの住んでいるアパートは木造三階建て。昔ながらの和風建築というと聞こえがいいが、実際は今にも倒壊しそうなボロアパートだ。ただ、そのため家賃は破格。ぼくのような貧乏学生にはぴったりなところだ。人が生きるには起きて半畳寝て一畳あればすむらしいから、四畳半もあれば豪華すぎるくらいだ。ぼくの家は二階にあるのでアパートの外側に取り付けられているこれまた壊れそうな階段を上がり自分の部屋に入る。
「早かったわね、月」鍵を開けドアを開けるといかにも生意気そうな少女が部屋の真ん中に座っていた。ぼくの部屋の隣に住んでいる霧咲亜矢ちゃんだった。亜矢ちゃんは十三歳。中学校一年生で、今はやりのひきこもりを生業としている。普通の引きこもりと違うのは自分の部屋にひきこもるのではなく、アパートにひきこもっている。さらに言えば、家の中にいるにもかかわらず、いつも中学校の制服を着ている。なので、ぼくの部屋にいても何もおかしくはない―なんてことはない。ぼくの部屋には確か鍵がしてあったはずだ。
「なんでいるの?」
「暇だったから、泥棒ごっこ。思ったよりはやく帰ってきたのね」
睨まれた。なぜ、自分の部屋に不法侵入している奴に睨まれなければならないんだ。相変わらずの性格の悪さだ。なぜ、この性格でひきこもりをしているのかぼくには理解できない。外に出たら、性格がガラっと変わる内弁慶タイプだったりして。
「あっそう。じゃあ、どうやって入ったの?鍵がかけてあったはずだけど」
「鍵開けしたに決まっているでしょう。泥棒しているのだから」
恥じらいも無く答えやがった。最近の遊びは進歩してるんだなあ。鍵開けまで出来るとは知らなかった。その才能をもっと他のことに生かしてほしいものだ。
「月はどうしたの?まだ、帰ってくるような時間じゃないでしょ」
「ぼくはさぼりだよ。ちょっと、講義受ける気分じゃなくなったから早引きしてきたの」
「なにそれ。授業はちゃんと出なきゃ卒業できないわよ」
「引きこもりに言われたくないね」
「それもそうね」亜矢ちゃんは表情を変えずに言った。
「で、なんか盗んだの?」
「盗むものなんてないじゃない」
そのとおり。ぼくの部屋にあるものといったら、本と冷蔵庫ぐらいだ。冷蔵庫の中に多少の食べ物ぐらいは入っているが、そんなもの盗んでも仕方ないだろうし。
「ぼくの部屋に何も無いのは知ってただろう。何回か入ったことあるんだから」
「だから、遊びですむのよ」
「いや、何も無いところだって不法侵入は成立するよ」
「でも、月は私を警察につきだしたりしないでしょう」
「今度やったらつきだすよ」
「それはそうと、せっかく帰ってきたのだから、私と遊びなさい」
命令かよ。
「言っただろ。疲れたから帰ってきたんだよ。さらに、疲れるようなことしたくないね。遊びたいのなら、素直に中学校行けばいいだろ」
「ふーん。そんなこと言うの。そんなこと言うのなら私にも考えがあるわ。このアパート中に私が月にいたずらされたって言いふらしてあげる」
「かわいい女子中学生とむさい男子大学生とどっちを信じるかしらね」
脅迫にでやがった。やっぱり、亜矢ちゃんは扱いづらい。
「わかったよ」亜矢ちゃんなら実際言いかねないだけに、ぼくは従うほか無かった。美鈴ちゃんのことといい、流されやすいな、ぼく。
亜矢ちゃんと夕方まで遊び、疲労はピークに達していた。最近の中学生の遊びはこんなにも激しいのだろうか。テレビゲームばっかりやってるという認識を改めなければ。亜矢ちゃんはあまり疲れてはいないようだった。まだ、遊び足りないという感じだったが、ぼくが限界を迎えていたので、今度遊ぶ約束をして帰ってもらった。ぼくは、亜矢ちゃんが帰ってすぐに倒れるようにして眠った。
翌日の土曜日、昼ご飯を食べ終え、ゆっくりしているとノックの音が聞こえた。ドアを開けると見覚えのある女の子が立っていた。具体的に言えば昨日の昼ごろに食堂で見た。
美鈴ちゃんだった。
「こんにちは」美鈴ちゃんは片手を上げて挨拶をしてきた。。
「なんでいるの?」
「だって、昨日望月くん逃げちゃうからさ。今日は休みだから、家まで事情聴取に来たの」
「じゃなくて、なんでぼくの家知ってるの?」
「ん?昨日、望月くんを追いかけて近くまで来たからね。でも、家がわかってから、午後の講義があるの思い出して学校まで帰ったの。望月くんもちゃんと講義受けてないと卒業できないよ」なんてことはなしに言う美鈴ちゃんだった。どんな体力だよ。
「そして、今日は休みだからとことん話を聞こうと思って家まで来たの」
「あっそ。じゃあね」ぼくはそう言ってドアを閉める。
「ちょ・・・ちょっと!」美鈴ちゃんは足を出してぼくの行為を遮ってきた。セールスマンかよ。
「このまま、黙って帰るわけにはいかないんだよね。話聞かせてもらうまで帰らないから」
「話すことなんて無いよ」
「ふーん。あくまで白を切る気なんだ。それならこっちにも考えがあるよ。ここで私が悲鳴を上げたらどうなるのかな。かわいい女子大生とむさい男子大学生どっちを信じるかな」
脅迫にでやがった!美鈴ちゃん、亜矢ちゃんと発想が一緒だ!でも、ぼくはそれに対する解決策をまだもっていなかった。悲鳴を上げられるわけにはいかなかったので、仕方なく美鈴ちゃんを部屋に招き入れた。
美鈴ちゃんは部屋に入るなり「うわっ」と言った。そして、しまったというような顔をして、その後には何も言わなかったが失礼な感想が入ってくることは間違いなかった。
「で、なにが聞きたいわけ?」
部屋の中央にあるテーブルに美鈴ちゃんを座らせて聞く。
「望月くんの正体」
「ただの大学生だよ」
「悲鳴上げるよ」
「望月くんさ、私を危険から遠ざけるためにとぼけてるんだったらお門違い。望月くんがいくら遠ざけても私は調べ続けるよ。やっと見つけた糸口だもん。そっちのほうが困るんじゃないの」
確かに中途半端に関わられるほうがよっぽど危険かもしれない。動きづらくなるし。そう思い、ぼくはさわりだけ話すことにした。ぼくは刑事の助手で殺人鬼を探す仕事を頼まれていると。事実は少し違うけど、これぐらいでちょうどいい。
「決めた!」ぼくの話を聞いて美鈴ちゃんは唐突に何かを決心したようだ。
「私もそれに参加する!望月くんの助手をやる!刑事の助手の助手だね!よろしく!」
「勝手にすれば」ぼくはすでに把握していた。この子に何を言っても無駄だということを。
「じゃあ、さっそく調査ね。殺人鬼の情報を教えて」
「知らない」
「悲鳴あげるよ」
「今度は本当に知らないんだよ。本当は今日、一之瀬って刑事に聞きにいくつもりだったんだけどね」
「よし、じゃあ聞きに行こう。レッツゴー」
「ちょっと待った。美鈴ちゃんも行くの?」
「当たり前じゃん。助手なんだから」
「でも、一応極秘事項だからね。部外者をいれるわけにはいかないんだよ。だから、ぼく一人で行く」
「駄目!私は助手だよ。部外者じゃないよ」
「・・・ったく」どう言っても美鈴ちゃんは引き下がりそうもなかった。
「仕方ない、電話してみるよ」
詩織がうまいこと断る理由をくれないかと思っていたが、詩織は意外にもすぐに承諾した。自分から危険に足を踏み入れようとする美鈴ちゃんに興味を持ったようだった。
「オッケーだってさ」美鈴ちゃんに告げる。
「本当?以外にものわかりいい人じゃん。刑事って偏屈なおっさんばっかりだって思ってたよ」
「あいつは気まぐれだからね」