きつねうどん
きつねうどん 銀神月美
その日は夕日がとても綺麗な日だった。平日あまり客足のない僕の店に可愛らしいお客が現れた。黄味がかった薄い焦げ茶をした長髪。しなやかな肢体。くりくりおめめ。僕の店に現れた少女は、背格好から判断して齢十三歳くらいの少女であった。
僕の店は郊外の山にあり、桜や紅葉を目当てに春秋には多くの客が訪れる。しかし、それも休日の話しであり、平日は立地の所為で客足は殆どない。
彼女は小さな店内を見渡すと、夕日に照らされている角の席に座った。その一連の所作はまさに淑やかという言葉がぴたりと当て嵌まる。
「いらっしゃい」
僕がお茶を運ぶと、彼女は軽く会釈をした。近くで見るとその顔にはまだ幼さが残っている。しかし、彼女の物腰を鑑みると実際の年齢よりも高く見える。僕が戻ろうとした時、彼女は小さな声で、
「あのう、きつねうどんを下さい」
それから彼女は常連となった。一週間に一回は必ず店にやって来て――それも夕方に――そして決まってきつねうどんを食べる。絶対に他のものを食べることはなかった。だから、彼女に対しては注文を取らずにきつねうどんを持っていくようにしていた。
一度彼女にどうして他のものは頼まないのか訊いたことがある。それに対して彼女は、
「私、きつねうどんが大好きなんです」
そう言って美味しそうに麺を啜る。その時の彼女はとても幸せそうな顔をする。
それほどまでに自分の打つうどんを気に入ってくれていると、こちらも大変に嬉しくなる。
僕の店がある山には神さびた神社がある。それなりに歴史もあるようだが、地元の人しか――それも滅多なことがない限り――参拝客はいない。それでも春と秋には行楽序に参拝する人が多い。
毎朝僕は長い石段を登り、その神社へお参りに行く。商売繁盛を祈願する為だ。その神社に祀られているのはお稲荷様だが、神様であることに違いはないから、それほど問題はないと思う。それに近所であるから、挨拶がてらという意味も含まれている。
それが功を奏してか、ここ最近は売り上げが伸びている。それに可愛らしい常連も獲得した。
彼女が来てから六年ほど経って、突然ぱたりと彼女が店に来なくなった。その所為か普段の生活に華がなくなってしまったような気がする。僕としては再び彼女が美味しそうにうどんを啜る光景を見たかった。
僕は彼女が来店するのを待った。その心持はどこか恋をしたようなものであったと思う。恋人を待ち続けて約束の場所でずっと待っている、そんな感じである。
そうして半年近くが過ぎ去ろうとしていた。
「いらっしゃ……い」
彼女は突然に現れた。彼女はこれまでのように角の席に座り、そしてきつねうどんを注文した。
太陽はその姿を地平線の彼方に隠していき、それとともに空も紅から紺へのグラデーションを変化させる。茜色に染まった店内にいるのは、僕と彼女だけであった。普段は狭く感じられる空間が無限に広がっているように感じられる。その空間にうどんを啜る音だけが響く。それは無機的な連続ではなく、どこか有機的な鼓動のように思えた。
時間までもが無限にあるかのようで、しかし彼女の食べるうどんは徐々にそして確実に減ってゆく。彼女食事を見ていた僕は不安に駆られた。彼女がここできつねうどんを食べることは、普遍に繰り返されることだと僕は考えていた。けれども、この半年という月日は、その普遍的な日常を破格するものであった。それ故に僕は彼女に話し掛けたのだった。
「ねぇ、ここ最近顔を見なかったけど、どうしていたんだい? 何か病気でもしていたのかい?」
「……」
僕の質問を受け、彼女は箸を持つ手を止めた。
「いや、別に強要している訳じゃないから。答えたくないのなら、無理に答える必要はないよ」
彼女の反応を見て、まずいことを訊いてしまったと悟った。いくら不安だったからといって、他人を――常連客であったとしても――詮索するのは余り好ましくない。僕はそのまま店の奥へと下がろうとした。
「……私、遠くへ行くことになったんです」
行く足を止め振り返る。視界に入った彼女の顔は何となく悲しげな表情をしていた。どうやら野暮なことを訊いてしまったようだ。
「そうか、それは寂しくなるね……」
そして沈黙が店内を支配する。それと同時に気不味い空気が漂い充満してくる。彼女にとってこれがここでの最後のきつねうどんになってしまうかもしれない。それなのにこんな雰囲気では折角のきつねうどんがまずくなってしまう。ここは一つ何かしらの策を講じなければなるまい。そう思った僕は、
「済まないね、僕はこんなことしか出来ない」
そう言って食べ掛けのうどんに揚げを一枚足した。そうして今精一杯出来る笑顔をしてみせた。
――くすっ。
どうやらその様子が可笑しかったのか、彼女は思わず吹き出した。そして彼女自身も笑顔になって、
「ありがとう御座います」
再びうどんの啜る音が響いた。
帰り際に彼女は近くに来ることがあったら、またうどんを食べに来ると言い残した。僕は店の前まで見送り、彼女の姿が見えなくなるまで名残惜しそうに佇んでいた。あのうどんを啜る音が聞けなくなると思うと、本当に寂しくなる。
「……?」
店に戻ろうとした時、僕は頬に何かが当たったような感触を覚えた。上を見上げると、それは空から降っていた。僕の頬だけでなく、木々にも地面にも店の屋根にも降っていた。
「狐の嫁入りか……」
文芸部部誌に掲載されたものです。許可を得ているので問題はないはず。それにしても、きつねうどんが食べたくなります。あの汁を吸ったお揚げが何とも言えないのですよね。




