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怪奇!知らない世界の人々  作者: ずび
第八話 肝試し
97/123

8−6 案内人の二人

 バスは、林道のど真ん中にポツリとまるで文明の忘れ物のように木々に紛れて佇む憂山自然公園前バス停に滞り無く到着する。

 料金を払い終えた小森は一番最後にバスを降りる。辺りには人工の灯りが一切無く、背の高い杉に囲まれたこの山道の、夏とは思えぬ日照量の低さに少し面食らった。

 振り返ったがらんどうのバスの運転席で、女の運転手は小森の視線に気がついたのか、胸の前で小さく手を振っている。返す間もなくバスのドアは閉じてしまい、バスはエンジン音と排気ガスを残して、さっさと去ってしまった。


「……なんだったんだろ」


 結局バスの電光掲示板の妙な表示は幻覚だったのか何なのか、小森を始めとした乗客の全員が認識を曖昧にしたままである。少し考えれば、それ程大勢の人間が同時に同じ幻覚を見るなどまず有り得ないのだが、それに思い至るには時間が短過ぎた。

 憂山自然公園前のバス停小屋は、長年の風雨に晒され続けた、古びた木造だ。そしてその屋根の上に、抹茶色の甚平を着込んだ男とも女とも取れるような少年が、頭の上に生えている大きな猫耳をひょこひょこと軽く動かしながら、堂々と胸を張って立っているではないか。

 少年は腰に下げた瓢箪の水筒から中身を一口煽った後、呆然と見上げている衆人を安心させるかの様に、朗らかに笑った。


「皆さん、ようこそいらっしゃいました!」


 甲高い声はその場に居た全員に漏れなく届く。少年がなにかしら動作をする度に、その頭上の耳はまるで神経が通っているかの様に動いてみせた。視線が怪訝なものに変わっていくのをその少年は面白がっているようで、柔らかかった微笑みは、いつの間にかイタズラ少年のそれに変わっていた。


「屋根の上から失礼します、空峰天心と申す者です。今回の肝試し大会の主催者、空峰雲海の弟です。本日はこんな遠い所まではるばるわざわざ肝試しをする為だけにやってきて頂いた事に、驚きと共に深い御礼を申し上げます」


 深々と頭を下げた天心に釣られて、何人か……主に小学生と思しき背の低い子供達が、思わずお辞儀を返す。

 空峰。雲海の弟であるらしい。そう言えば雲海が、兄弟が居ると言う話をしていたなと小森は思い出していた。穏やかな性格だと聞いていたが、中々どうして肝が据わっている……ように感じられる。


「どうも、どうも、ご丁寧に。ところでどうやら人数が少し足りない様ですが……」


 バスから降り立った人数はおよそ四十超程度でしかない。何度も数え直す天心だったが、やがて諦めたように一つ大きく頷いた。


「このバスを逃すと、もう帰りのバスまでないんですがね。当日ドタキャンと言うことにしましょう!」


 朗らかにそう言ってのけた天心は、その場で大きく飛び跳ねてクルリと前宙を決めながら、屋根の上から降り立った。華麗な着地と同時に僅かに沸く感嘆の声。気を良くしたらしい天心はもう一度その場で軽く前宙を決めて、得意げにポーズまで決めている。

 そして腰の瓢箪水筒からもう一口中身を飲み込んだ後、少し赤い顔で愉快そうに大声でひとしきり笑った。


「さぁさ、みなさん! 僕に着いてきて下さい、ここから会場までご案内致しますよっ!」


 楽しそうに笑う天心は、身軽に山道のガードレールに飛び乗った。

 ひとたびバランスを崩せば急斜面を真っ逆さまだと言うのに、天心は碌に警戒心もないのか、サーカスの曲芸のようにその上を踊るように駆けていく。鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をした一同であったが、我に返ったものから順に天心を追いはじめた。

 跳ね回る天心は明らかに常時の彼では有り得ぬ程のハイテンションぶりであったのだが、そんな事実を知る人間はこの場には居合わせていない。しきりに彼が中身を煽る瓢箪水筒に詰め込まれた液体が如何なるものであるかも、誰も……天心さえも、知らない。

 道なりを十分程もかけてノロノロと上って行くと、その視線の先にやがて裏寂れた小さな門が姿を現す。底を抜けた先の無骨に切られた石階段の参道を上ると、ようやく朽ち果てんばかりに古びたの外壁の寺が控えめに佇んでいるのが見える。寺の前には、頭に手ぬぐいをバンダナのように巻いた紺色甚平姿の男と、その隣に佇む金魚柄の浴衣を着る細身の女が並び立っている。

 男の名は空峰雲海、女の名前は香田薫。

 並ぶ二人は服装も相まって、まるで兄妹の様にも……或いは若い夫婦の連れ添いにも見えて、小森は人知れず顔色を悪くする。一方で二人を発見して上機嫌な天心は、飛び跳ねながらその二人の隣に並んで、引き連れてきた肝試し参加者達に振り返り、愛想の良い微笑みを浮かべた。


「皆さんお待たせ致しました、到着ですよ!」


 分かり切った事を得意げに言い放つ天心は、再び腰に下げた瓢箪水筒に手を伸ばすが、横から伸びた雲海の腕が見事にそれをかっさらう。蓋を開けて中身の匂いを嗅いだ雲海は、呆れたように溜め息を吐きながら、天心に返す事無く思い切り振りかぶって薮の中に投げ捨てた。


「あぁ! なにすんのさ、お兄ちゃん! 折角夜恵さんに『緊張しなくなる気付け薬』を貰ったのに!」

「ありゃただの焼酎だ! 知らない人から物を貰ったらダメだと言っただろう馬鹿者!」

「いやいや知らない人じゃなくって夜恵さんに」

「お前が彼女の何を知ってるか! あそこまで頭の中身が見えない人間を知っている人とは言わん!」


 雲海は怒鳴りながら、天心の頭の上に乗っかった猫耳を奪い取った。言われた初めて気がついたのか、天心は驚きに目を丸くしつつ、突然飛び出たシャックリに肩を跳ねさせる。


「そ、そう言えばちょっと頭がフラフラするかも……っ!」


 フラついていた身体を突然固くして、天心は顔面を蒼白にし、口を両手で押さえた。すぐさま回れ右をした天心は寺の裏まで猛ダッシュで駆けていく。そのまま三十秒程待っても中々帰ってくる気配はない。

 雲海は自分も頭がフラフラすると言わんばかりに頭を抱えた。


「香田さん、悪いんだけど天心を見てきてくれるか? 出来れば水持って」

「ん、分かった」

「面倒だったら父さんに任せてもいいけど……」

「ううん、私が行くよ。それよりクーちゃんは……」


 訝しげなおよそ八十の瞳が二人に向いている。今最優先しなければならないのは、こちらであろう。無言で頷き合う雲海と薫。薫はそそくさと天心の背中を追いかけていき、雲海は一歩前に歩み出た。軽い咳払いとともに、雲海はその場の全員に聞こえるように、声のボリュームを上げる。


「お見苦しい所を失礼いたしました。いたいけな少年に飲酒を勧めた不貞の輩が身内に紛れ込んでいたようで。あとで私がミッチリと罰しておくので、どうか警察にはご内密に」


 少し冗談めかせて言ってみせた雲海だが、一人として笑うものはいなかった。と言うか、目の前で嘔吐寸前の中学生がいたら誰だって心配に思う訳で。雲海は心底、恐らくこの事態を招いた遠因である木鉤夜恵に憎しみを抱き、人知れず拳を握りしめる。


「気を取り直して下さい、皆さん。今でこそ、可哀想な僕の弟を心配する心の余裕がおありのようですが、間もなくそれも無くなりましょう。なにせ皆さん、わざわざこんな辺鄙な寺まで納涼という名の恐怖を味わう為にやってきたわけですからね」


 偽悪的に笑ってみせる雲海だったが、慣れない笑い方に顔が引き攣っている。やはり観衆はどのような反応を示して良いのか分からないようなポカン顔をしていて、雲海は少し顔が赤くなるのを自覚した。こんなことなら自分も夜恵から『緊張しなくなる気付け薬』を貰っておけば良かったかとまで思ってしまう。


「では! 早速ですが、肝試しのルールを説明したいと思います!」


 なりふり構っていても仕方が無いと開き直った雲海は、努めて楽しそうな声を出した。


「恐らく皆さん、今日ここには誰かしらに誘われた故にここに来たのでしょう。ですのでそのように打ち合わせた方々と一緒にコースを回って下さればそれで結構。二人だろうが三人だろうが、十人一組でも構いやしません。好きな人と好きにグループを組んで下さい」


 雲海が言い終わると、観衆達は共にやってきた友人達と顔を見合わせている。

 二人一組はやはりと言うか何と言うか、カップルが多い。その次に多いのが、男三人組やら女四人組やらの仲良しグループ。兄弟姉妹合わせて六人の大所帯も居た。かくして二十に満たない程のグループが出来上がり、やがて動きが止まったのを見て雲海は更に続ける。


「ルールは簡単です。ここから神社の東側にある山道を道なりに進んでいくと、祠が見えてきます。その祠の中にお札を置いてきましたので、一人一枚そのお札を手にして更に道のりに進んでいって下さい。この神社の南側の出口に繋がっていますので、それがゴールとなっています。……とまぁ、簡単に言ってのけはしましたが、決して容易な道ではありません。幾多の恐怖が皆さんの足を竦ませようと待ち構えているでしょうが、そこは肝試しですので。存分に皆さんの肝と心臓を鍛えてきて下さいな」


 雲海が言い終わった丁度そのタイミングで、寺の裏に回っていた薫が、ぐったりと草臥れた天心の肩を抱いて再び姿を現した。天心は意識も朧なのか、たどたどしい足取りで少し姿を現したかと思うと、またすぐに口を押さえて寺の裏に舞い戻っていく。薫はそれを追いかけようとしたが、雲海の視線に気がついて、渋々彼の隣に並び小声で耳打ちをする。


「天心君どうすんのよ?」

「もう放っとけ、自業自得だ。それより、ここからは君の仕事だぞ」

「……そっか」


 なら仕方ない、と割り切った薫は顔を上げて改めてこちらを見つめる視線に少し怖じ気づきながらも、軽く咳払いをした。そして浴衣の袖に手を突っ込むと、そこから明らかに入り切らない程の大量の小振りな柄付きの折畳提灯を取り出してみせた。それだけで小学生の少年少女などは目を丸くして拍手する。薫はかなり上機嫌に微笑んでいた。


「生憎肝試しコースは山道ですから、デコボコして危ないです。今から提灯を配りますので、皆さんくれぐれも転んでお怪我などしないよう、十分にお気を付けて下さいまし」


 一人一つの提灯を手渡していき、全員に行き渡った時、神部が提灯を覗きながら眼鏡を押し上げた。


「……灯はどうしたんだ? 提灯の中に蝋燭も立っていないようだが……」

「あぁ、安心して。すぐに点けるから。……それじゃ皆さん、提灯から少し顔を離して下さいね」


 行きますよ、と前置きをした薫は右手を軽く前に掲げて、軽快に指を鳴らす。たったのそれだけの動きが一体何の合図だったのだろうか。渇いた大きな音と共に、参加者達が持っていた提灯に突如緑色の炎が灯った。まるでマジックショーの佳境のような歓声が沸き起こり、ちらほらと拍手さえ聞こえる。薫はしてやったりとばかりに雲海にサムズアップする。どうやら既に大満足らしい。

 一方で神部は、冷静に提灯の中の炎を覗き込んでいた。

 澄んだ若草色のその不気味な炎は激しく燃え盛るでもなく、ただ蛍のようにぼんやりとした淡い光を放っている。蝋燭もなしに。試しに手をかざしてみると、かなりの高温をバラまいている。本物の炎だった。紙製の提灯が燃えないか心配になる。


「緑の火は、銅の炎色反応だったか……? いや、どちらにしろ火種が必要になる……」

「祥子ちゃぁん、細かい事は考えちゃダメだよぉ?」


 ニヤニヤ笑う薫を見て、相川は少し悔しさを覚えてしまった。なんだこの子ちょっとムカつくとしかめ面で薫を睨むと、薫は飄々と顔を逸らす。すぐに調子に乗る女である。やっぱり宿題は何があっても絶対に見せてやらないと相川は心に誓った。


「……さぁ、それでは皆さん、出発の準備は整いましたか?」

「もしもお気分が悪くなりましたら、大きな声で助けを求めて下さい。文字通り『飛んで』駆けつけますので」

「では、地獄の門から出発進行!」


 雲海の号令、そして恭しいお辞儀と共に、森からカラスの大群が喧しく鳴きながら飛び出していく。未だ蒼さの残っていた夕空が夥しい数の黒羽で真っ黒に染まり上がったその不安を煽る光景に、相川は既に背が冷たくなるのを感じていた。

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