8ー1 血の術
「どうして……」
日の光も碌に届かぬ薄暗い洞窟の中。坊主頭の少年が、震える吐息を吐き出していた。血に塗れた符を握りしめて、開いた右手の裂傷から吹き出す血を眺めながら。
「何なんだ、これは……!」
苦痛に歪む顔が水溜まりに写る。
右手に握った符……今しがた『閃け』と命令を下した霊符が、右手から溢れ出す血液を能動的に吸い取っていく。霊符が放つ筈の青白い光は、まさにそこに赤黒い血が混じったかのような、不気味な紫色に変わる。指が言うことを聞かない。握りしめた霊符が、離れない。
手放そうとしても、まるで霊符は指に噛み付いたスッポンの様に強烈に、そして母の乳を飲む赤子の様に貪欲に、雲海の血を啜り続けている。
もっと、もっと。血を寄越せと、霊符は生き物のように訴えかける。やがて霊符は真っ赤に染まり、霊符は目を潰さんばかりの眩い閃光を更に強く放つ。
術は、使えた。
だが血の流れは止まらない。霊符は少年の血液を吸い付くそうとしている。そして血を吸えば吸う程、放つ光は強くなっていく。
右手が、動かない。
「っだぁ!」
左手を伸ばし、ますます血を吸って光り輝く霊符の端を千切り取る。途端に霊符は、息の根でも止まったかの様に輝きを止め、長年日の光に晒された紙のように黄ばみ、崩れさっていく。
「……っはぁ、はぁ……ふううぅぅぅ……」
真夏の、風も吹かぬ浅く蒸し暑い洞窟の中だと言うのに、寒気が止まらない。額からは今更の様に、冷たい汗が吹き出す。右手からはとくとくと血が垂れ流れ続けているが、不思議と痛みが感じられない。
包帯をほどいてみると、塞がりかけていた筈の裂傷が再び大きく開いてしまっていた。
「どうしたもんかなぁ……」
雲海達空峰家が常用している術は、霊符に宿した己の式神に『言霊』を込めた命令を下す事で発動する。
霊符に宿る式神は、術者が吐き出した言葉に宿る『言霊』から力を得て、千差万別にその性質を変化させる。『燃やせ』と命令されれば火を灯す力を、『飛べ』と命令されれば空を飛ぶ力を、式神は手に入れるのだ。
式神は術者の言霊を、実際の現象へと還元する媒体と言える。
しかし……雲海が従える式神は、既にただの媒体と呼べるものではなかった。
肝心の式神が、言うことを訊かない。いや、そうではない。むしろ術の効力はかつてよりも余りある程に協力だ。だが、自分の……雲海の血を求めて止まないのだ。
言霊では足りぬ。
式神がそう訴えている。
言霊で得られる力だけでは足りぬ。血を。血を寄越せと、そう言っている。
塞がりかけていた右手の傷口を破り、そこから夥しい量の血液を吸い取って、術はますます強化されていく。
雲海が使役していた式神は、人間の血を求めるような凶暴な類いではなかった筈なのに。やはり、己の血液で紋を刻んだ霊符を用いたのがマズかったのだろうか。
坊主頭の男……空峰雲海は、貧血でフラつき始めた頭の中で、ひたすらに困り果ててしまった。