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怪奇!知らない世界の人々  作者: ずび
第七話 くだん
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7−終 これからの雪町家

 夜中の二時ともなると、流石に全員眠っていた。ユリアンと雹裡は起こしたのだが、霧濁だけは雹裡に止められてしまった。曰く「役に立たないから寝かしておけ」である。

 最早ただの砂利場と化した枯山水の庭先で、ユリアンと雹裡はまじまじと食い入るように口裂け女の顔を覗き込んだ。照れたように口裂け女は顔を伏せ気味にしている。ユリアンはもう慣れているのだろうか何も言わないが、雹裡は露骨に気持ちの悪そうな顔をしたので、薫は彼の足を踵で思い切り踏みつけた。


「貴方、遠慮の無さがユリアンから移っちゃいませんか?」

「失礼な。我はもっとオシトヤカですぜ」

「どう言う意味よ、それ」

「それは兎も角として」


 雹裡は腕を組んで嘆息する。

 口裂け女は枯山水の大きい石に足を揃えて座っており、両手は膝の上に乗せて、まさしくオシトヤカに座っている。注目を浴びて落ち着かないのか、時折指を突つき合っているのがなんともいじらしい。容姿こそ怪物のそれだが、仕草がいちいち女らしかった。

 苦笑するしか無い。口裂け女と言う妖怪は噂でしか聞いた事のない雹裡だったが、女子供を襲う悪鬼羅刹のイメージが粉々にされてしまった。


「これはある程度、警戒に値すべき事ではあると思います」


 雹裡は煙草に火をつけながらそう言った。


「白澤様の言葉を忘れた訳ではないでしょうね」

「貴方、あの場に居なかったでしょ」

「壁に耳あり障子に目ありと申しますでしょう?」


 慇懃な礼をしてみせた雹裡。顔を上げると、表情は至って真剣なものに戻っている。


「宇宙人に連れ去られて戻ってこられた『土産』はとても希少です。そして『土産』の全ては、必ずと言っていい程連れ去った連中に何かしらの『土産』を持たせている。林檎農園のジジイの知識しかり、貴方の超能力しかり。この妖怪の脳味噌に妙な金属チップが埋め込まれている可能性は否定できませんよね」

「……口裂け女さんも、私みたいな超能力使えるようにってこと?」


 口裂け女は薫の言葉に首を激しく横に振り回した。超能力なんてまっぴらごめんだと言わんばかりであり、薫はその様子を見て少しだけショックを受けた。地面にのの字を描き始める薫を見下ろしながら、未だ眠そうに目を擦るユリアンが欠伸をした。


「で、どうするのだね、ヒョーリ? 彼女自身は何もされていないと言っとるようだぞぃ」

「それを鵜呑みにして良いのは我が家じゃ白水だけだ」


 煙草の煙を煙突のように盛大に吐き出した雹裡は、火を携帯灰皿に揉み消した。


「出来るなら白澤様に相談したい所だが、白水があの調子なんで、それは無理ってもんだ。だからしばらくは、目の届く所に置いておこうと思う」

「……どこに?」

「元々コイツは、妖山市近郊をうろついていた妖怪ですし、妖山市に返してやるのが筋ってもんでしょうね。それでいいですか?」


 口裂け女は小さく首肯した。顔にかかった髪を軽くかきあげるその爽やかな仕草は、完全に二十代半ばの新人OLである。


「……と言う訳だ。彼女は空峰さんに面倒を見てもらうとしましょう。連絡は私から入れておきます」

「分かった。ありがとう、雹裡さん」

「礼には及びません。これも我々の大切な仕事です」


 話は済んだ、とばかりに雹裡は足早に母屋に帰っていく。ユリアンも軽く手を挙げて、それきり薫達には背を向けて歩いて行ってしまった。残されたのは、薫と口裂け女だけだった。


「……クーちゃんの家って、もう河童も住んでるんだよね。これからも段々居候が増えて、賑やかになってったりするかも」


 口裂け女が声を押し殺したような笑い声を上げた。とてもおかしそうだ。


「って言うか、覚えてる? クーちゃん。私と一緒に居た男の子」


 首肯。


「しばらくその家にお世話になるみたいだけど、不安とかある?」


 少し躊躇った後、首肯。


「クーちゃんに嫌われてるかも、って心配なの? 襲いかかったから?」


 首肯。


「そっか……大丈夫だよ。私がちゃんと言って聞かせておく。クーちゃんの家に住むんなら、私も遊びに行けるしさ。いつでも会えるよ」


 薫が胸を張ってそう言うと、小さな笑い声が返ってきて、二人は互いに微笑み合った。わだかまりも何もない、ただの友人との語らいがそこにあった。と言っても、語っているのは殆ど薫だけであるが。


「まぁ……それよりなにより」


 薫は改まって、口裂け女の方に向き直った。口裂け女も薫に真っ直ぐな視線を向ける。


「おかえりなさい」

「…………」


 口裂け女は、とても小さい声を発した。その声は極々小さい、まさしく蚊の鳴くようなか細いものであった。しかし薫はそれを正確に聞き取れていたらしく、満足げに笑みを浮かべた。

 何があったのかは、分からない。何があるのかも、分からない。

 しかし今はただ、再会出来た喜びを。空の彼方から帰還した、一人の妖怪に祝福を。薫は久しぶりに訪れた幸福と言うものを、存分に噛み締めていた。




  *




 八月十二日、午前十一時。内科病棟の一般病室の最奥の窓際のベッドで、白水は酷くつまらなそうな、ムクれた表情で眼下を横切っていくバイパスをせわしなく走る車の群れを眺めていた。

 なにせ、する事が無い。あまりにも暇。暇で仕方がない。

 趣味にする程読書も好きではないし、漫画や携帯ゲームの類いも白水は殆どやらない。趣味と言えるものが彼女には殆ど無いのだ。この齢にして、やはり白水は典型的な仕事人間である。現に胃に穴が空く事態にあってさえ、心配なのは己の身体よりも、薫達が一体どうなったかである。

 父親から既に「雹裡がなんとかする」と伝えられてはいるのだが、以来白水の元に家族からの連絡はない。テレビでも見て気を紛らわそうかとしても、この時間はテレビ番組も面白くない。同病室の患者さんが話好きであったりもしないし、看護婦も医者も無愛想とくれば、白水としてはひたすらに雹裡か父親が現れるのを待つしかなかった。

 もしかして学校の誰かが来たりしないかな、と言う淡い期待もあるにはあるが、そもそも白水の入院を知っているだろうか。知る訳もない、と白水は自嘲しながらまた眠れぬ昼寝でもするかと眼を閉じると。


「元気ないね、白水ちゃん」


 背後から聞き覚えのある声がして、白水は振り返って、丸い目を見開いた。入り口の近くでユリアンと薫が小さく手を振っているではないか。


「アネキ! ユリアンの兄貴も!」

「声、ちょっと大きいよ白水ちゃん」

「うぉっと、すまねっす、皆様方」


 周りの患者達が、ニコニコと微笑ましげに白水を見つめていた。白水は恥ずかしげに俯いて、薫とユリアンを小さく手招きする。見舞客用の椅子は丁度二つあったが、二人とも座ろうとはしない。


「ほんのちょこっと、様子見に来ただけだから。その様子だと、お腹はあんまり痛くないみたいね」

「……お薬切れるとちょっと痛いけど、今は大丈夫っす」

「そう……お兄ちゃんが、家事を一通り終えたら見舞いに来るってさ。あのはかどりようだと、すぐに来るんじゃないかな?」

「そうなんすか!」


 白水の機嫌が良くなったのを見計らって、薫はユリアンに合図を送る。ユリアンが、片手に下げたビニール袋から小さな箱を取り出した。


「ん? これ、なんすか?」

「お見舞いの品よ。胃潰瘍って、何が食べられるのか分からなかったんだけど……」


 そう言って薫がビニール袋から取り出したのは、果物のゼリーである。もも、洋なし、パイン、マンゴー……カラフルなカップゼリーがこれでもかと言う程に、大量にあった。入院期間はそれ程長くないのだが、少し買い過ぎではないだろうか。一日一個では賞味期限が切れかねない。


「今更だけど、ゼリーって大丈夫?」

「……オッケーって聞いてるっす」


 白水は小さくそう返した。薫は「それは良かった」と備え付けの冷蔵庫にゼリーを詰め込み始める。十個を超えたあたりから白水は数える事を止め、ただしゃがみ込んでゼリーの配置を考えている薫の頭頂部を眺めた。


「見舞いは嬉しいけど、あんまり来て欲しくなかったっす」

「そう言うと思ったわ」


 唐突な言葉を、薫は予想していたかのように素早く返す。


「白水が不甲斐ねぇせいで、アネキは結局知りたかった事を、何にも知れなくって……」

「それなんだけどさ」


 薫がゼリーを詰め終えて、白水を見上げた。ニヤニヤと含み笑いを浮かべている。隣のユリアンも、爆笑を押さえ込んでいるのが見え見えだった。白水は怪訝な顔を作る。一体何が面白んだろうか。答えは薫の口からすぐに語られた。


「取りあえず、何とかなったよ。目的は果たせた。貴方のお兄さんのおかげ……って言ってもいいのかどうか分からないけどね」

「はぁ? なんすか、そいつぁ」

「貴方は何も心配要らないよ。本当にありがとう、白水ちゃん」

「え、え? 結局どう言う事なんすか?」

「言ってもいいけど……貴方に、本当に知る勇気はあるの?」


 ウインクまで決めた薫だったのだが、対する白水は鳩が豆鉄砲を喰らった時の表情と寸分違わない。隣のユリアンも思わず吹き出してしまった。


「……ちょっと何言ってんのかわかんねぇっす」

「ごめんごめん、何となく言っておきたかっただけ。詳しい話はお兄ちゃんから聞いてよ。兎に角、ありがと」


 薫は満面の笑みで白水に深々と頭を下げた。ユリアンも軽く会釈をする。白水は頭上にクエスチョンマークが浮かんでいるのが見えてくる程に困惑した顔をしている。薫とユリアンは、しかし白水の疑問を最期まで紐解いてくつもりはないらしく、早々に白水に背を向けてしまった。


「アネキ、もう行っちゃうんすか?」

「うん。貴方のお兄ちゃんもお父さんも、もう直き来るしね」

「別に、一緒に居ても良いじゃないっすか」

「ちょっと用があるから、私達も行かなきゃならないのよ。ごめんね」


 薫は頑なだったし、ユリアンも同意見のようだった。寂しそうな顔で俯く白水に、薫は振り返って優しく声をかけた。


「また会いましょ。そのうち遊びに来る。だから治療、頑張ってね」

「じゃあの、ハクスイ。またそのうち来ますさかい。はよ元気になって下さいやー」


 軽く手を振って、二人は驚く程あっさり、未練なく病室から去っていった。白水が止める間もなかった。

 再び、静寂が訪れる。

 しかし、すぐに病室の扉の向こう側に男の姿を認めた白水は、頬を綻ばせた。

 兄貴だ!

 今日はいつものような狩衣ではなく、半袖のYシャツとジーンズと言う、至ってラフな姿だった。雹裡は真っ直ぐに脇目も振らずに椅子に座り、嘆息した。


「丁度、入れ違いだったな」

「もう少し早く来れなかったんすか?」

「こっちにも色々あるんだ。庭先の掃除、境内の掃除、親父と俺とユリアンと香田の飯の用意、洗濯……全部やって、この時間だ。褒めてくれても良いくらいにゃ働いてる筈なんだがな」

「うぅ。白水がぶっ倒れなきゃ」


 落ち込む白水の口を、雹裡が優しく指で押さえた。しかし顔は少し険しい。


「それは言うなよ。今までがお前に頼り過ぎだったんだしな。親父も今頃は久しぶりの仕事に汗流してるだろうさ。最も、暴れるくだんの調伏なんて……垂れてんのは冷や汗か小便か、そんな所だろうけどな」

「……あんまり洒落にならねぇと思うンすけど」

「大丈夫だよ。あのタヌキ親父が死ぬもんかい。あと数日、くだんが死ぬまではウチで面倒見なきゃならねぇんだし、それでくたばってちゃ世話ねぇぜ。それよりも見舞いの品、妙に沢山貰ったらしいが……ちゃんとお礼は言ったか?」

「…………おろろ」


 そう言えば、言った記憶がない。白水の沈黙を否定と見た雹裡は、握り拳で軽く白水の頭を小突いた。痛みはない。猫パンチみたいな柔らかさだった。


「お前って奴は、本当に迂闊というか胡乱というか」

「……うむぅ」


 白水は反省しきりと頭を押さえて目を瞑った。雹裡は嘆息してから、勝手に冷蔵庫の中を見て、ぎっしりと隙間なく詰め込まれたゼリーの山を見て一瞬閉口してしまった。顔には呆れ果てたような苦笑が浮かんでいたが、手にはゼリーの容器とプラスチックのスプーンが既に握られていた。

 味はマンゴーである。


「まぁ良い。改めて、礼を言う機会が出来た。今度、遊びに行くか」

「了解っす……ってちょいと兄貴、そのゼリーは白水のじゃないんすか? 何で兄貴が真っ先に食うんすか?」

「テメェは腹に穴開いてんのに、こんなに食い切れるのか?」

「……どうぞ、お召し上がり下せぇ。貰いもんではありやすが」

「よろしい」


 そう言って雹裡はゼリーの蓋を開けたのだが、丁度その瞬間、雹裡のポケットの中の電話が震えた。この病院は院内での携帯電話の解禁しているのだ。しかし着信が鳴って、周りの患者達の目が集中する事には全く変わりない。雹裡は周りに頭を下げてから携帯電話を取り出し、ディスプレイに表示されている名前を見て顔を顰めた。

 相手は、雪町霧濁であった。


「あの馬鹿親父……一人じゃ無理だったみてぇだ」

「親父っすか?」

「あぁ。どうせ『早く助けに来んか! 儂が死んでも良いのか!』とか震えた怒鳴り声で抜かしやがるに違えねぇ」

「……出ないんすか?」

「出るまでもねぇだろ」


 辛辣な言葉を吐いている割に、雹裡の顔はにやけていた。昨日から、彼は随分笑うようになった。もしかして薫のおかげだろうか。聞いても答えてくれるかどうか分からないので、白水は今は忙しい雹裡にそれを聞くのを我慢した。


「兄貴、もしかして、親父に頼られて嬉しいんすか?」

「…………」


 雹裡は無言で、へらへらと笑う白水の頭に拳骨を落とした。照れ隠しだろうか。先程よりも威力は高い。頭蓋骨にじんわりと痛みが広がっていったが、嫌な気分はしなかった。

 白水が頑張らなくても、いや、白水が頑張れないからこそ、家族の絆がまた紡がれていく。今はまだまだか細いけれど……いつかまた、白水が夢見たような温かい家族が帰ってくる。白水はそんな確信を胸に抱いていた。

 だったら今は、大人しく入院しておこう。兄貴と親父、二人で頑張る様を見守ってやろう。


「じゃ、ちょっと行ってくる。終わったらまた来るからな」

「頑張ってね、兄貴!」


 妹の声援を背に受けて椅子から立ち上がった雹裡は、早足で病室から去っていく。

 再び静寂の訪れた病室。

 白水はふと、食事用のテーブルの上に乗っているマンゴーゼリーに目をやった。先程雹裡が開けて、食べずにそのまま置いて行ってしまったものだった。橙色の不透明のそのゼリーは、一見するとプリンのようにも、マンゴーそのものの果肉のようにも見える。要するに、美味しそうだった。

 マンゴーゼリーを見る度に思い出す。

 自分達家族が不和を起こしたのは、思えばあの時の兄妹のオヤツの取り合いが決定的な切っ掛けだった。


「……いつかのお返しっすね、兄貴」


 白水は悪戯っぽく笑いながらゼリーを一口食べ、独り言を呟いた。

 第七話「くだん」読了ありがとうございました。

 タイトル的には「白澤」との二択で迷ったのですが……より話の中心にくる妖怪を選びました。くだんと言うのは件という字を書く通り、半人半牛の妖怪です。生まれて数日で死んでしまう極めて短命な妖怪ですが、飢饉や空襲などの大凶事に関する様々な予言をすると言われています。また、くだんの絵図を見ればその凶事を回避できるとも言われ、人間にとっては非常に有益な妖怪であるとされています。

 もしも牛を飼っているご家庭が読者の中にいらっしゃいまして、件が産まれたと言う経験があれば、是非私に御一報を。


 本作品では少々乱暴な妖怪にアレンジされてしまっていますが……ご容赦下さいませ。

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