7−10 紫煙漂う作戦会議
雪町雹裡と土玉ユリアンが白蝦蟇神社に戻ってきたのは同時刻、午前十時の事であった。誰も居ない神社の縁側にだらしなく寝転がっていた所を二人の男に見られた薫は、慌てて飛び起きて居住まいを正したが、もう遅かった。
「ほう、白ですか。色気ゼロですねぇ」
「Whiteとは良い趣味しとるね。我はそう言うの好きやで」
二人とも何が、とまでは言わなかったが、薫は今日ミニスカートなんてものを履いてしまっていた事の後悔と、油断し切っていた事への自分への憤怒で胸が一杯だった。雹裡は眉間に皺を寄せて黒鉄のような冷たい眼差しを、ユリアンは相変わらず南国帰りのような陽気な微笑みをそれぞれ薫に向けていた。
「……お帰りなさい」
薫は顔を赤くしてそう返した。しかし二人ともただいまとも言わず、揃って応接間の座布団に座り、同時に疲れ切った溜め息を吐いた。息の長さまで同じだったのだが、その吐息の理由には大きく違いがあるようであった。
「超疲れたんですぞ。まさか列島最北の地まで吹き飛ばされるとは思いもしなんだ」
「涼しかった?」
「走ってきたからHotHotデスネー」
ユリアンは赤い顔で荒い息を吐いていた。財布をこの家に置き忘れてきてしまったせいで、ここまでは己の足のみで戻ってきたらしい。チョークが無ければ本当にのたれ死んでいたカモ、とは彼の弁だ。疲れたのでしばらく休む、と言い残し、ユリアンは応接間から立ち去っていった。どこの部屋に向かうつもりなのか、と思ったが、迷いない足取りを見るにこの家の間取りは完全に把握できているらしい。
止めないでいいのだろうか、と雹裡の方を見たが、雹裡は首をやんわりと横に振る。寝かせてやれ、と言う事だろう。
「……白水ちゃん、どうだったの?」
「元気そうでしたよ。しばらくは静養に努めて貰いますがね」
そう言って雹裡はもう一度、盛大に溜め息をついた。若干息がタバコ臭い、と思ったら雹裡は袂からオイルライターと煙草、携帯灰皿を取り出し、手慣れた仕草で火をつけた。一気に三分の一も煙草をチビらせたかと思ったら、また溜め息。副流煙を思い切り吸い込んだ薫は咳き込んだ。
「しかし……困ったもんだ」
雹裡は苛立たしげに煙草を灰皿に押し付け、早々に二本目を取り出し、また火をつける。薫は既に雹裡から三メートルは距離をおいていた。
「勢いとは言え……面倒な啖呵切っちまったぜ……クソがっ……」
「……あ、荒れてる。めちゃめちゃ荒れてる、この人。ちょっとユリアン、ユリアーン? 助けてー?」
*
時間は、雹裡が白水の髪の毛を梳かし終えた後まで遡る。雪町霧濁が現れたのはその直後であった。チノパンにゴルフシャツと言う、休日のお父さんスタイルの色黒の老人は、点滴が刺さっている白水の腕を見て病室に駆け込んできた。
「白水! おお、白水や! 大丈夫か? 痛くないか?」
白水の左腕をとって、有名陶芸家の逸品を触る手つきで愛おしげに撫で付ける。
「お前が倒れたと聞いてもう心配で心配で……」
「白水は大丈夫っすよ、親父」
白水は胸を張って、父親を慰める。霧濁はうっすら目に涙さえ浮かんでいた。年を取って涙腺が弛まってしまったのだろう。既に椅子から立ち上がって、ベッドの脇に退いていた雹裡はそう見当をつける。
その後も霧濁は白水の頭を撫でては微笑んで、腕を撫でては悲しんで、と安定しない情緒を見せていた。白水の入院に一番動揺しているのは、恐らく彼であった。気が気でないのだろうか、霧濁は落ち着かない様子で尋ねる。
「それで、白水や」
「はい?」
「今こんな事を聞きたくはないのだが、仕事の方は……」
霧濁は御機嫌取りの苦笑いで手を揉んだ。一番聞きたかったと言わんばかりである。白水が少し悲しげに目を伏せたのをみて、霧濁は慌てて取り繕う。
「あぁ、いや違うんだ白水。ただ、まだウチにはあの超能力者とか何とか言っとる女がおってな。まだ依頼を終えていないのに帰れる訳が無い、ぶっ倒れたくらいでなんだ、早くしろと、こう言っておるのだ」
悔しそうな笑顔を浮かべながら語られる霧濁の饒舌な弁論に、雹裡は激しく憤った。
あの女がそこまで陰険な事を思いつく訳がねぇ、でたらめを言いやがるこのジジィ。
雹裡は視線で白水に合図を送る。信じるんじゃないぞ、と。だが、白水はそれを突っぱねていた。彼女にも分かっている。霧濁の言葉が嘘である事は。しかし白水は、父親の言葉に反駁しようとはしなかった。
霧濁は更に続ける。
「もう、ほんの少しだ。……あと少しだけ、頑張る事は出来ないかい?」
「……うす。気合い入れるっす」
不安そうな顔が急激に綻んだ。満面喜色の笑みは、いっそ清々しい。
「そうか! やはり、白水はいい子だ。すまないな、お前に無理をさせるようで」
「全くだよ、親父」
雹裡は我慢の限界を感じ、うんざりだと言いたげに口を開いた。雹裡が口を開いた事で白水が雹裡を見上げ、そこで初めて霧濁は自らの息子と目を合わせた。今ようやくその存在に気がついたかのように。
霧濁の表情が引き締まる。猫撫で声が一変した。
「……お前、こんな所で何をしている」
「可愛い妹の見舞いだ」
「まぁいい。それよりもお前は、あの超能力者の様子を見張っていろ。家に一人で置いてきてしまった。物が盗られんとも限らん」
「あのよぉ……そう思うなら、親父はどうして出てきたんだよ」
「白水の大事だぞ? 儂が側におらんでどうする」
「そんなに不安なら追い出してから鍵かけりゃいいだろうが」
「そこまで頭が回らなんだ。それより、早く行け」
それきり霧濁は白水の方に向き直って、にこやかな表情で良い子良い子と言いながら優しく頭を撫で付けた。霧濁の身勝手な言葉に、雹裡は頭痛を覚えた。
鼻から彼に何かを期待していたりはしなかった雹裡なのだが、これが自分の父親だと思うと情けなくて仕方ない。そして、その情けない親父に反抗しない白水も情けないし、言われっぱなしの自分も情けない。
なんとも情けない一家だな、と自嘲してから、雹裡は白水を睨みつけた。
「おい、白水」
「へ?」
素っ頓狂に声を上げた白水。その頭の上に乗っている霧濁の腕を強引に払ってから、雹裡はその脳天に拳骨を見舞った。完全なグーでなく、他の指から中指だけを若干浮かせた形の拳だ。手の甲側から見るとタマネギや栗のような、奇妙に歪んだ拳なのだが、鋭く尖った中指の第一関節に打点が集中するので、平手や拳に比べて打撃範囲が狭い分、その殴られた一点がとてつもなく痛む。
握りに力が入らないので本格的なダメージを与えなければならない取っ組み合いの喧嘩には向かない拳だが、一度痛めつけるだけの軽い打撃としてはとても効果的である。白水はつむじをその拳で殴られた。突然の予期せぬ痛みに絶句して、両手で頭を抱えてうずくまり、震えている。
呆然としていた霧濁が吠えた。
「何をしているかっ! このおおうつけものがっ!」
「白水、俺との約束が早速破られてしまったみたいだが」
雹裡は喚く霧濁を無視して、白水の顔を覗き込んだ。
「仕事が辛かったら言えって言ったろうが」
「で、でも……」
「言い訳すんな。また殴るぞ。今度は手加減無しだ」
雹裡は中指を浮かせた拳を白水に見せながら、更に小声で囁く。
「成長期の子供のつむじってな、殴っちゃいけないって言われてるんだが……理由は知ってるか?」
「痛いから……?」
「身体の成長ホルモンってなぁ、つむじから分泌されてるんだ。だからここを殴って分泌腺が潰れると、ホルモンの分泌も止まって、成長も止まる」
面白いぐらいに白水の顔色が青ざめていく。
「そんな……う、嘘っす! でたらめに決まってるっす!」
「嘘じゃねぇ。じゃ、逆になんで大人は子供の頭をいい子いい子って撫でるか知ってるか? あれは、頭を撫でて成長ホルモンの分泌腺を刺激してるんだよ。適度な刺激でホルモンの分泌を促して、愛しい我が子の成長を助けているんだ」
「え……そう、なんす、か……?」
勿論、迷信である。根拠等どこにもないし、そもそも成長を司る大事なホルモンの分泌腺がそんな危なっかしい場所にある訳ないのだが、兄があまりにもペラペラとつっかえなく語るので、白水はすっかり信じ込んでしまった。だから慌てて、兄の凶手から自分の脳天を両手でかばう。
「た、頼むから兄貴、止めて下せぇ! 白水にはナイスバディでカッコ可愛いお姉様になるっつぅ輝かしい夢があるんす!」
「そうか。じゃ、素直にならなきゃな?」
「う……うぬぬぬぬぬ」
白水は元々頭が回る方ではない。一方雹裡は、スラスラとでたらめを言える程度には冴えた頭を持っている。口先で勝てる筈が無かった。白水は諦めて、父親の方に上目遣いで、ベッドの布団で顔を目の下まで隠しながら、蚊の鳴くような声で呟いた。
「白水は……お仕事、ちょっとだけ休みたいっす」
「そ、そう……か」
そう言われた霧濁の複雑な、形容し難い表情を雹裡は死ぬまで忘れられそうにないと感じた。怒っていたし、嘆いていたし、苛立っていたが、必死の作り笑いで全てを覆い隠そうとしている。その努力だけは尊敬に値する、と雹裡は素直に感服した。
余裕の笑みを浮かべていた雹裡だったのだが、直後、霧濁に物凄い勢いで襟首を掴まれ、為す術無く病室の外まで引き摺られていった。そして廊下で看護婦達の怪訝な視線を気にしながら、雹裡は顔を真っ赤にして般若のように歪んだ表情の霧濁に面と向かった。
「貴様、どういうつもりだ……! 白水に何を入れ知恵したんだ……!」
「入れ知恵など、とんでもない。私はただ、たまには頑張っている白水さんの我が儘を聞いて上げても良いかな、と思っただけですよ。兄としてね」
「ぬぬぬ……面倒な事になった……!」
霧濁は足先でパタパタと廊下を叩く。今にも暴れだしそうな猛獣を押さえ込んでいるような気配さえして、雹裡は一歩身を引いた。
「依頼を途中で投げ出した等という噂が広まれば……影響が出る……確実に!」
「別に構わないでしょう。貯えは十分ありますし、今無理をする必要は」
「馬鹿が……! お前には大局が見えていないんだ! だからそんな無責任が言えるんだ!」
霧濁は今にも雹裡に掴み掛からんばかりに両手を上下に振った。食いしばっている歯からは、時折軋むような音さえ聞こえる。
「今相手にしているのは、市議会の連中と地場産業の小物ばかりだ。だがそんな所で終わってたまる物か! 白澤の知恵は、本来ならば国を治める為政者に使われて然るべきものなのだぞ! まだまだ上がある。上を目指せる力がある! 今が大事な時期だ。この雌伏の時期、如何なる不評悪評も流してはならない、大切な」
「あぁ、もう良い。分かったよ」
雹裡は手を突き出して霧濁を制止した。
「もう良いんだ。全部分かった」
「……何が分かったと言うんだ?」
「親父がどうしようもない馬鹿だって事だ」
雹裡は可能な限り冷たくその言葉を言い放ったつもりだが、全然足りない。父親に対する侮蔑の気持ちの全てを表現するには、この世の言葉の全てを尽くしても足りない。雹裡は本気でそう考えていた。
「貴様……親に向かって言うに事欠いて馬鹿だとぉ……!?」
「愚かな者には馬鹿って言ってやって分からせてやる。それが、私の優しさなのです」
仰々しく頭を足れた雹裡は、未だ憤懣やるかたない様子で地団駄を踏む霧濁を、一層冷たくねめつける。
「この入院は、白水に無理をさせ過ぎた代償だ。俺も親父も、アイツに頼り過ぎだ」
「だが!」
「自分の娘だろうが! それがぶっ倒れたのに親父はどうも思わねぇのかよ! いい加減目ぇ覚ませ!」
二人は睨み合う。相手を視線で殺そうとせんばかりに、歯を剥いて息を荒げて威嚇し続ける。霧濁の心に、雹裡の言葉は全く届いていなかった。実の息子の怒りを全く見ようとしていなかった。雹裡にはそれが分かってしまうのが、とても悲しかった。
父親を納得させる方法は、雹裡には一つしか思い浮かばなかった。
「……俺がどうにかしてやるよ」
「何だと?」
「親父がそこまで言うならしかたねぇ。この臭ぇ茶番劇に付き合ってやる。白水の代わりに俺がどうにかしてやる」
「馬鹿な……出来る訳がない」
霧濁は蔑むように鼻で笑い飛ばす。雹裡の額に一本青筋が浮かび上がったが、雹裡はそこで呼吸を落ち着ける。
「後で吠え面かくんじゃねぇぞ、このクソ親父が」
出来る限り冷静に吐き捨てた言葉の語尾には、雹裡が胸に秘めた怒りがしっかりと浮かび上がっていた。
*
「……ってな訳ですよ」
「はぁ……」
雹裡が事の顛末を勝手に話しだし、勝手に終えた頃、既に携帯灰皿の中は煙草の吸い殻で山が築かれており、部屋は障子戸を限界まで開けてもまだ紫煙が漂うような状態だった。
雹裡が煙草の箱を叩くが、既に中身は空である。雹裡が憮然とした表情で煙草の箱を握り潰したのを見て、軽く息が詰まっていた薫は胸を撫で下ろしたのだが、袂からもう一つ同じ銘柄の煙草の箱が出てきたのを見て流石に眉を歪めた。
「煙草」
「あ?」
「吸い過ぎ」
「あ、あぁ、申し訳ありませんでした。少し苛立っていまして」
部屋に漂う濃い煙を見て、雹裡は申し訳なさそうに軽く頭を下げてから、一度手を軽く叩き合わせた。それだけで手から猛烈な風が巻き起こり、暴風が煙草の煙を全て部屋の外に追い出していく。縁側にぶら下がっていた風鈴が激しく鳴った。
薫は、指で机を叩く雹裡がまた煙草をくわえたのを見て、軽く右手を挙げた。軽く指を捻って手前に引くと、くわえ煙草は雹裡の口から飛び出して薫の手中に収まった。
「服に臭い付くから、止めて欲しいんですけど」
「……」
立ち上がった雹裡は、薫の手から煙草を引ったくると、縁側に腰掛けて煙草を吸い始めた。家庭から追い出される立場の弱い父親のような、悲しい背中だった。
「貴方って、そんなに煙草吸う人だったの?」
「白水さんの前では我慢していますよ。彼女の健康を害する要因は、全て排除しています」
「お客さんの前でも我慢しましょうよ」
「一期一会と申しますでしょう? 貴方との出会いは一度きり。ならばどのような悪印象を持たれてもかまいません……かの持て成しの達人である千利休でさえ、そう言っているのですよ」
「その四字熟語ってそんな意味だったっけ?」
薫のジト目には何も答えず、雹裡は既に煙草を一本吸い終えていた。実は、重度のヘビースモーカーだったらしい。両手で頭をガリガリと荒々しく掻きながら背をのけ反らせる雹裡は、低い声で唸っていた。
「しかし、困った。あぁ言ってしまった以上、私が妹の代わりを務めなければならない」
「……へぇ」
薫の感心した声は、雹裡の神経を逆撫でにした。雹裡は決して振り返らなかったが、眼を閉じれば薫の意地悪げな笑みが見えるような気がした。現に雹裡の案の定、薫はニヤニヤしたと薄ら笑いで雹裡の背中を面白そうに見つめていた。
「妹思いなのね、お兄ちゃん?」
「……お褒めの言葉、有り難く拝領致しますよ。それよりも、貴方も少し頭を捻っては下さいませんか?」
「えぇっと? どうすればいいんだっけ?」
「白水さんは体調を崩しているので、白澤の憑衣は難しい。故に我々は、彼女の力無しに、くだんから聞き出せる事を聞き出さなければならない」
「……普通に話を聞くのは、難しいと?」
「今は気が立っているでしょうね。父親が死んだと思っている可能性もある」
雹裡は深く溜め息を吐いて、指を口まで持っていく。煙草を吸おうと半ば無意識的に手が動いてしまっていたようだ。薫の目には、雹裡は雹裡で大分参っているように感じられた。白水程ではないが、目に力が無い。常に懐に一物抱えているような剣呑な雰囲気はなく、今はただただ不景気に喘ぐ就職活動中の青年のような哀愁を漂わせていた。
「……手が無い訳じゃないよ」
薫の小さな呟きが、雹裡を振り向かせた。キョトンとした表情をしている。
「まさか本当に貴方が案を出すとは思いもよりませんでしたよ」
「失礼ね。これでも、割と成績は良いもん。国語以外」
「学業を知性のバロメータにしている時点で期待はあまり出来ませんが、一応窺いましょうか」
「精神感応を使って、くだんの頭の中を覗き込めばいいのよ。くだんってのは、近い未来に起こる出来事を知っているんでしょ? だから、その頭の中から、未来に口裂け女さんに起こる出来事を検索すればいいのよ」
雹裡はまだ、惚けた表情をしている。目が泳いでいる所を見ると、何か思案している様子だ。そのまま十秒も経った頃だろうか。雹裡はゆっくりと目を閉じて、軽く鼻から息を抜いて立ち上がり、薫の真正面に正座した。そして彼女の手を取り、うっすらと目を開けて、ホストのような微笑を浮かべる。
薫は気味悪げにしているが、雹裡の構う所では無かった。雹裡の背後に、赤い薔薇の花びらが飛んでいるように見えた。雹裡の使う陰陽師の術だろう、と薫は見当をつけた。
「流石だ……やはり、私の眼に狂いはなかったようですね」
「眼鏡でも買ってきたら? レンズは乱視用をおすすめするわ」
「これはこれは、相変わらず手厳しいお方だ」
ホストの微笑はどこへやら。薫の手をやんわりと離して、雹裡はへらへらと笑った。解決策の一端を手にして、雹裡は鼻歌まで飛び出しかける程に上機嫌になっていた。
「しかし、全く問題はない。確かに、貴方がくだんの心中を読めれば、それで全てが解決だ」
「でも、相手は妖怪でしょ? 精神感応は、人の脳にしか使った事がないよ」
「くだんの頭部は人間の形をしていますが」
「中身が人間の形をしてないと」
「流石に解頭する訳にはいきませんので、香田さんにはそれなりの工夫が必要になるかも知れませんね」
躊躇いがちの薫を軽くあしらう雹裡。今更他の解決策を出しても、もう多分聞く耳は持たないだろう。正座の足がしきりに動いている。今にも立ち上がって走り出さないとも限らない。
「善は急げと申します。ユリアンも呼んできましょう」
と思っていたら雹裡は早々に立ち上がり、ユリアンが消えていった居間の奥へと早足で行ってしまった。あれ程ユリアンの事を疎んでいた割に、協力の要請には全く躊躇いがない。恐らく彼は人の都合と言うものを考えるのが苦手なのだろう。ユリアンと言い雹裡と言い、薫が夏休みに入ってから出会う男達は須く強引な性格をしている。
もしかして陰陽師と言う職業がそのような人格を形成しているのだろうか。だとしたら振り回されてばかりに見える雲海も実際は、薫の知らない所でこうやって誰かを引っ張り回しているのだろうか。
「そう言えばクーちゃん、今ごろ何してんだろ」
その気になれば遠隔透視で彼の様子を垣間見る事ぐらい、薫には造作も無い事なのだが、中々見る気にはならない。風呂とかトイレとかに入っている所だと変態な事、もとい大変な事になってしまうし、それ以外でももしかして美紀ちゃんとデート中とかだと悪いし、いや別に見ても構わないとは思うけど見てて気分が良いもんでもっていやいやそんな事はなくてむしろ二人とも楽しそうなら私が何かを言う必要も無いし第一私はクーちゃんと美紀ちゃんがくっつけば中々お似合いじゃないかとか思ってたりするだろうするんですよしてるって言ってるじゃないですか圧縮空気弾ぶつけんぞ。
「……あの女は何をブツブツ言ってるんだ?」
ユリアンを呼んできた雹裡が、薄気味悪そうにユリアンに耳打ちした。視線の先には、縁側に座り込んで小声で何かを呟きながら、頭を抱えてブンブン首を振り回す薫が居る。ユリアンは目を糸のように細くしてその様子を眺めている。
「ヒョーリ」
「何だ?」
「あの子は、やっぱりとてもCute And Amusingですな」
二人は、薫が二人の存在に気がつくまで、しばらく薫の背中を、片や嘲笑う笑み、片や微笑ましい物を見る笑みを浮かべながら眺めていた。薫の、陰陽師を務める人間の人格の評価に『意地が悪い』が追加された。