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怪奇!知らない世界の人々  作者: ずび
第七話 くだん
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7−7 風邪の賢者様

 翌、八月十一日。時刻は午前五時。日射しが朝霧を煌めかせる、爽やかな早朝である。

 薫は、まだ眠気眼を擦りつつ、ふらつく足を引き摺りながら昨日白水と言葉を交わした縁側を歩いていた。前後左右にゆらゆらと揺れる頭。あちこちに放射状に散らばる長い髪。そして半開きで生気のない目。草臥れた浴衣。

 事情を知らないものが見ればホラー映画の終盤、怨念を抱えて落命した女の霊が主人公に歩み寄るシーンかと勘違いしかねない程酷い姿であった。


「香田さん、昨晩は何時に床につかれました?」

「んぅ……わがんね(わかんない)きんの(昨日)気がかって(気になって)あんま(あんまり)寝れ()かった」


 彼女は自発的に起床した訳では無い。

 つい数分前、既に外出の準備まで完璧に済ませた雹裡が、わざわざ起こしにきたのだ。

 薫の三歩程先を、狩衣に身を包んだ雪町雹裡は背筋を伸ばし、裾を引っ掛けないように小刻みに足を運んでいる。はだけかけた浴衣を引き摺る薫とは完全に対照的であった。


「全く……翌日朝早いと聞いていたでしょうに」


 後ろを歩く薫に愚痴を零す。返事は返って来ない。額に指を置いて低く唸った後、雹裡はしかめ面を隠そうともせずに薫に振り返った。


「聞いているんですか、香田さん」

「ふぁい、聞いてってやぁ(てるよ)……んげ(それ)よりも瞼がいとうて(痛くて)いとうて(痛くて)しょぅがねん(仕方ない)だぁども(だけど)……」


 欠伸七割、返事三割といった所だろうか。雹裡の額に一本青筋が浮かび上がったが、薫の角度からそれを窺う事は出来ない。


「貴方はユリアンの知己と言う事で特別に、市議会議長の依頼を一日延ばしてまで白澤様の御神託を授けたのです。貴方には自覚と言うものを持って頂きたい。それ程特別に扱われているのですから、尚更しっかりして頂きたいと……で、やっぱり聞いてねぇんだなこのアマぁ」


 急に言葉を汚した雹裡は、未だに寝惚けているらしい薫の顔面のすぐ前で、真っ直ぐに指を揃えた両掌を叩き合わせた。指を軽く丸めて空気のポケットを作った、より大きな音がする拍手であるのだが……そもそも、雹裡の拍手は単なる拍手ではなかった。

 空気が張り裂ける小気味の良い音したかと思うと、急に雹裡の指先の空間が弾け、薫の髪にかかっていた髪の毛が後ろに吹き飛ばされた。顔面に強烈な風圧を受けた薫は、そこを中心に宙を舞って回転し、尻餅をついた。咄嗟の念動力で身体を支えたお陰で、尻が痛くなる事態は免れたが、予期出来なかった不意打ちのお陰で薫はすっかり目を覚ました。

 薫は抗議の声を上げようとしていたのだが、雹裡がもう一度大きく両腕を開いているのを見て、慌てて姿勢を正す。


「ご、ごめんなさい、ちゃんと起きましたっ!」

「よろしい」


 それだけ言うと雹裡はさっさと薫に背を向けて、先程以上の早足で廊下を進んでいく。

 追いかけようとして、薫は自分の浴衣の裾につま先が引っかかったのに気がつく。見下ろしてみると、帯の紐が緩みかけた浴衣が目に入った。前が開きかけている。慌てて浴衣の前を閉じると、今度は髪の毛が気になった。今や風圧でオールバック状態。オデコが輝いている。咄嗟に髪を手櫛で体裁だけでも整える。そうこうしていると、雹裡が廊下の先で振り返っているのが見えた。

 口元に馬鹿にしたような笑みが浮かんでいるのを、薫は確かに目撃していた。


「ほんと、もっと早く寝とけば良かった……」


 後悔は先にたたず。何度言われても、完全に身につける事が出来ない諺の一つである。待っていた雹裡の隣に並ぶと、雹裡は再び前を向き、容赦ない歩幅で歩き出す。薫は少し早足で後に続いた。


「ここから北に二キロ程行った場所に、小規模ながら畜産業を営んでいる老夫婦がおりまして。今朝方、どうも牛舎の一角から、まるで人間の雄叫びのような奇妙な声が聞こえると警察に通報があったのです」

「……警察に電話があったんでしょ?」


 何故知っている、と聞く前に雹裡が口を開いた。


「隼市警とのコネクションは既に掌握済みですよ。それなりの根回しと労力、少々の……実弾が要りましたがね」


 人差し指と親指で輪を作った雹裡は、袂から白い扇子を取り出して、微笑む口元を隠した。なるほど、確かにこの神社には御偉いさん方が徒党を組んでやってくる。経済状況も非常に潤沢なのだろう。悪い場所にこそ金は溜まるものである。

 薫はどう返答すべきなのか迷っていると、雹裡はそのままの姿勢で目を更に笑ませた。


「朝っぱらから牛舎に忍び込む変態……と言う可能性も否定は出来ません。現実的に考えればそれ以外には考えられませんが、我々のような者達にはそんな現実的思考こそが非現実的思考となる」

「まどろっこしい事は言わないでいいわ。くだんが産まれたの、産まれてないの?」

「十中八九産まれたと言っても良いでしょう。ですからわざわざ起こしたんですよ」


 雹裡は答えながら、廊下の一角で足を止め、障子戸を荒々しく開けた。戸が音を立て、九畳程の畳部屋に朝の明かりが差し込み、部屋の中心に居た何かが僅かに身じろぎをした。

 薫が部屋を覗き込む。視線の先には、壁の彼方まで吹き飛ばされた掛け布団と、それを吹き飛ばしたのであろう白水の寝姿が映った。だらしなく開いた口からは遠目で見てもハッキリと分かる程涎の後がついていて、時折眉毛が痙攣するように上下している。その顔は紛れもない寝顔であり、熟睡している様がハッキリと見て取れた。

 ある意味予想通りなまでに寝相が悪かった白水であり、雹裡もそれはとっくに承知であるためだろうか、部屋には遠慮なく入っていく。白水の頭側にしゃがみ込み、その寝顔を覗き込む。澄ましたような顔で、呆れた溜め息をついた。


「……ったく、このグウタラが」


 茶目っ気が微塵も感じられない、罵倒に近い言葉を呟きながら、雹裡は白水の両瞼に親指人差し指を乗せた。何をするつもりかと思えば、雹裡は容赦なく瞼を引っ張り上げ、無理矢理白水の両目を開かせた。


「いだだだだだだだだ!」


 白水は白目を剥いて、痛みに暴れている。その一瞬を見てしまった薫はとても可哀想な気がしてきたが、すぐに白水が目を覚ましたのだからそれを止めるのも憚られた。悪いのは寝坊をしたほうだ。

 それよりも薫は心配な事が一つあった。

 この起こし方は猛烈に瞼が痛そうであり、薫は今、瞼の痛みを覚えていた。


「ねぇ、雹裡さん。もしかして、私にも同じ起こし方やった?」

「えぇ。中々素敵なお顔でしたよ。カメラが無かったのが残念ですが」


 雹裡はそう断じた。薫は思わず雹裡の顔面を殴りつけようと拳を握ってしまったが、両手を激しく畳にタップする白水の方に目を奪われてしまった。


「ギブギブ! 痛いっすよぉ!」

「ははは、そりゃ痛くしてますから、痛くなきゃ困りますねぇ」

「いや、笑ってないで止めなさいよ!」


 薫は優雅に笑う雹裡を白水から念動力で引き剥がした。容赦なく剥がされた挙げ句に宙ぶらりんにされている雹裡は未だに楽しそうな、本当に楽しそうな笑顔を浮かべていた。一方イジメられた白水の方は、両目を押さえて小さく啜り泣いていた。


「うぅ、痛いよぅ……痛いよぅ、兄貴ぃ」

「……白水さん。早く支度を。もうお時間を大分過ぎていますので」


 雹裡は宙に浮いた情けない姿勢のまま、まさに情けのない言葉を吐いた。

 薫は未だに雹裡を空中に固定している。地面に思い切り叩き付けて反省させてやろうか、と腕に力を込めたのだが、白水の潤んだ目を見て一瞬躊躇してしまう。そして白水の目が薫に向き、口元が小さく動いた。声は聞こえなかったが、「止めて」と動いていたので、薫はおとなしく雹裡を下ろしてやる。

 白水は目を擦ってから、首が据わらない赤ん坊の様にふらついた後に、両頬を軽く引っ叩いた。


「あー……今、何時っすか?」

「五時十分ですね。既にくだんと思しき何者かが北の方で産声を上げました。急ぎましょう」


 軽く埃を払った雹裡は狩衣の袂からゼリー飲料のパックを取り出して、白水に差し出す。白水はそれをしげしげと眺めてから、雹裡の手から奪い取る。緩慢な動作でそれを開けて、口をつけた。ケージの中のハムスターが水を飲むような速度で、一分程かかって漸く半分を飲み終えた時、白水はそれを雹裡に突き返す。


「もう、要らないっす」

「おや……いつもなら五秒で飲み干すのに。どうかなさいましたか?」

「体調、悪いんじゃない? 顔も何となく赤く見えるし」


 部屋の中に駆け上がった薫が、白水の額に手を当てる。自分のそれと比較してみると、明らかに熱い。熱がある。


「げほっ……げほっ」

「風邪引いちゃったみたいね。昨日遅くまで外に居たから……」


 咳き込む白水の背を擦りながら、薫は昨日遅くまで白水と言葉を交わしていた事を悔いた。白水は昨日は相当疲れていた筈なのに、寒気を覚えるまで付き合わせてしまった。そう思うと、後悔が消えない。せめてもの慰めとして白水の頭を優しく撫でつつ、彼女の身体を横たえて布団を被せた。


「ごめん、雹裡さん。私のせいだ……」


 雹裡は聞いているのかいないのか、おとがいに指を当てて、何かを思案している様子である。宙に向いていた視線が、再び白水に向いた。

 冷たい視線だった。

 彼の目からは人に向けるべき感情と言うものを、薫には感じられなかった。


「貴方は、そこで寝ている訳にはいかないでしょう。くだんは白澤の子です。ならば白水さんの子も同然。くだんの言葉を受け取るのは、貴方の役割ですよ」

「……わかってるっすよ」


 白水は布団をどけて起き上がり、ノロノロとパジャマを脱ぎ始めた。


「ちょっと、白水ちゃん。無理しちゃ駄目よ。熱あるんだから」

「でもでも白水の仕事は、白水がやんなきゃ駄目なんすよ。だって、白水はこの神社を継ぐんだから……」

「お父さんやお兄ちゃんに任せればいいじゃない。くだんってのは日本語を喋らないの?」

「くだんの言葉を聞く事なら、私にも貴方にも出来る。だがそれじゃ、くだんから()()()()()()()()()()()()()()


 雹裡は険しい口調で言い放った。苛立つと素が出てくるのだろうか、彼の口調は薫と会話をしていた時よりも荒かった。


「くだんと言う妖怪は、未来の凶事を好き勝手に語る。規模の如何や被害の代償を細かく語りはしない。ましてや『口裂け女を乗せたU.F.Oは次いつやってくるか』なんて事を勝手に喋りだしはしない。誰かが、くだんに尋ねる必要がある。くだんと意思の疎通が出来る誰かが」


 雹裡の視線が白水に向いた。白水は既に襦袢と白衣は身に纏っており、あとは緋袴だけである。懸命に着替えている白水の顔は少し虚ろだが、角度の上がった眉毛からはやる気が見え隠れしていた。

 雹裡は満足げに頷いてから、薫と白水に背を向けた。


「生まれたての赤子が、母親父親以外の誰かにベラベラと話しかけられて、素直に答えたりする訳もありますまい。白水さんの力が必要なんですよ。白水さんが最後まで面倒を見るべきでしょう」

「ちょっと!」


 部屋から出ていく雹裡は、少し早足であった。

 薫が雹裡の冷淡な態度に憮然としている間、白水は既に巫女装束へと着替えを終えていた。呼吸は荒くて両肩が下がっていて、少し姿勢が悪いが、足取りそのものはしっかりとしている。止めようかとも思ったが、薫は声をかけあぐねた。

 白水の表情は、とても必死だった。

 歯を食いしばるように口を真一文字に結び、可能な限り精悍な顔つきを作って、前に歩き出す。厳然たる意志があった。薫には、自分よりも頭一つ小さい筈の白水の背中が、少し大きく見えていた。


「アネキ……参りやしょう」

「大丈夫なの?」

「白水の体調不良は、白水のせいでさぁ。こっちの都合で人様に迷惑をかける訳にゃ行きやせん」

「私は別に……無理してもらわなくても」

「アネキだけじゃねぇっすよ」


 白水の鋭い目が薫を向いた。雹裡と同じような、鋭く冷たい視線は、紛れもなく彼らの血縁関係を実証している。


「白水はね、親父の期待とか、市の御偉方の信頼、白澤様の威厳、白蝦蟇神社の品格、その全てをおんぶしなきゃならないんすよ。いつ背中に乗ったのかも分かりゃしませんが、軽々しく下ろす事も出来ねぇもんなんすよ。白水は、もう一人前、プロにならなきゃいけない。プロが風邪を言い訳にしてちゃ、そいつぁ失格でさぁね」


 白水は二度三度屈伸、大きく伸びをして肩の筋を伸ばし、両手を握って腰のあたりに添えて、空手の押忍のような構えで、深呼吸をした。出陣前の気合いを入れる儀式のようなものであるらしい。それを終えた白水は、薫に先んじて部屋を出ていった。

 薫は未だに納得がいかない事ばかりで、このまま流され続けている自分に疑問を覚えた。

 脱ぎ捨てられた白水の寝間着を見る。ピンクの水玉模様がとても愛くるしいパジャマだ。果たして、一人前を名乗る人間が、こんな子供向けの可愛いパジャマを着るだろうか。

 白水が無理をしているのは、誰の目から見ても明らかである。なのに、白水よりも、薫よりも年上の人間が、誰も彼女を止めようともしない。むしろ率先して、無理をさせているようにさえ思えた。

 しかも誰もがそれで納得している。それが、薫には気に食わなかった。

 あんな小さい子供に、何かを背負わせるのは間違っている。しかし、薫がいくら口を挟もうとも、当の白水が文句一つ言わないのだから、薫に出来る事は何もないのだ。薫は無念と憤りを感じて、それをぶつける相手としてやはりユリアンは必要だったと、昨日の事を今更後悔していた。

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