7−5 茶の間での団らん
白水の父、霧濁が再び本殿に姿を現したのは、すぐ後の事であった。
彼は、つい今さっきまで白澤に取り憑かれていたためか疲労困憊していた白水の小さい身体を背負って、薫達には脇目も振らずにそのままその場を後にした。置いていかれた薫とユリアンは互いに顔を見合わせた後、そのまま本殿を出る。
「どうやら、少し面倒な事になりそうですねぇ」
本殿から出た先で、白水の兄、雪町雹裡が待ち構えていた。この陽気の中、一人外に立っていたのだろうか。実に涼しげな表情ではあるが。
俯き加減の薫とユリアンに比べて、雹裡は予想が当たった博打打ちのようなにこやかな笑みが浮かんでいるように思えた。一体何が面白んだ、と視線で訴えかけた薫の視線からひょいとその身を避けて、雹裡は恭しく頭を下げた。
「どうぞこちらへ。折角来られたのですし、お茶でもいかがですか?」
「……いや、そん」
「有り難く頂戴致しまする」
ユリアンが隣に居るとき、薫の意見が通った事は殆ど無い。
二時間以上もバイクの運転をしていたのは、他ならぬユリアンだ。それなりに疲労している彼を労らない訳にもいかない。帰りも彼に頼らなければならないのだし。薫はそう自分に言い訳をして、口を噤んだ。
ユリアンの言葉を受け取った雹裡は、いかにも人の良さそうな柔らかな微笑を携えて歩き出す。その背中について神社の裏側に回ると、そこには小さな日本家屋があり、薫達はその中に通された。表札には雪町の文字。商売をしている訳でもないのにタヌキの置物が鎮座している広い玄関を抜けた辺りで、ユリアンがトイレに行くと言って、雹裡を追い抜いてそのまま一人で奥に進んでいってしまった。
この家の勝手は多少なりとも知っているようで、つまり彼は何回かこの家を訪れているらしかった。
「ユリアンの人が良い事は認めるが」
ユリアンが廊下の角を曲がって消えたのを確認してから、雹裡は薫にしか聞こえない声量で呟く。
「残念ですね。アイツには思慮も遠慮も足りない」
「……私もそう思います。アイス幾つ食べられた事か」
薫は素直に雹裡に同調し、どんな場所でも変わる事のないユリアンの確固たるアイデンティティにある種の感服さえ抱きかけていた。
通された部屋は襖に四方を囲まれた天井高く広い和室で、軟らかそうな座布団が四枚、漆塗りのあからさまに高級そうなテーブルを囲んでいる。薫は雹裡に指示されるがまま座布団に腰を下ろした。
「少々お待ちを」と言い残した雹裡の背中が襖の向こうに消えてから、薫は腰下の座布団の上品な菓子のような肌触りと軟らかさを堪能した。床の間には薫の身体がすっぽりと収まりかねない程大きな陶器の壷と、何と書かれているのか薫には皆目見当がつかない程達筆な草書体の掛け軸が飾られている。鼻を鳴らすと、檜の仄かな香りが漂っている事に気づき、まるで何処か高級な老舗料亭の一室のようだ、と一度もそんな店に足を踏み入れた事もないのに薫は得意げにそう感じた。
間もなく、雹裡が麦茶を注いだコップを乗せたお盆を携えてきた。
「どうぞ。今日は暑いですから」
「ごちそうさまです」
緊張もあってか喉は渇いていたので、薫は一も二もなく受け取って半分程飲んだ。
氷入りの澄んだ麦茶は良く冷えていた。パックの物では再現出来ない芳香と清々しい喉越しを堪能し、薫は思わず一杯目のビールを飲み干したサラリーマンのように大きな息を吐きかけて、すんでの所で押しとどめた。
雹裡が含み笑いをしているのを憚らないで見つめている。薫は軽く咳払いした。
「さて、いかがでしたか、白水さんの御神託は」
「何というか。凄かったです、色々と」
薫はぎこちない笑みを浮かべた。実際、状況はあまり進んでいない。
白澤が言った事は大きく三つ。薫の超能力は、宇宙人がこの地球に持ち込んだ『土産』である事。現状では口裂け女の救出は不可能である事。そして最後に、件を頼れと。
「件を頼れとはまた、随分と他人任せな賢者もいたもんですね」
雹裡は心底楽しそうだ。
「ですが、妥当でしょう。頭の固い白澤は、覚えるのは得意ですが考えるのは苦手ですから」
「その、くだんってのは一体何者なんですか?」
「白澤と同じく牛の妖怪です。知識を司る獣、と言う点も似通っていますかね。極めて短命な妖怪でして、産まれて数日もすれば死んでしまう、人面牛です。ですが、その短い命を賭して、くだんは未来を予言すると言われています」
雹裡は一口麦茶を飲んで舌の根を潤わせた。
「戦争、疫病、飢饉——件は大凶事の前に現れて、それらを予言していく……どちらかと言えば不吉な妖怪ですが、非常に有益な存在とも言えるでしょうね」
「お話は聞けるの?」
「くだんは白澤の様に穏やかな性分ではありません。ですが同時に、赤子のように無垢なる存在。白水さんの手にかかれば借りてきた猫のように大人しくなりましょうとも。ですが……良い結果が見えてくるとは思えませんね」
「『口裂け女は助けられない』……そう、言われると」
雹裡は両掌を天井に向けて溜め息をついてみせた。
「十中八九。そして、件の予言は当たります。貴方は口裂け女を救えない、と言う事実をまざまざと突きつけられることになる」
「…………」
「薫さん、こんな事を言うのは失礼でしょうが、先に伝えておきます。あまり希望を持ち過ぎてはいけません。貴方が頼っている綱は蜘蛛の糸の様にか細いものなんですよ」
「でも、やらないうちから諦めてたら口裂け女さんに申し訳ないです」
薫はそれでも、厳然とした態度を崩さない。ショートパンツのポケットを上から触ると、口裂け女から貰ったダッフルコートの釦の硬い感触が返ってくる。
受け取った友情の証を感じながら、薫は今一度決意を固めているようだった。
「だから、出来ることは全部やりたいと思うんです」
「ふむ、そうですか」
雹裡の表情が一瞬だけ陰ったように見えた。訝しんだ薫の顔を見て、雹裡は慌てて顔色を取り繕った。
「すみません、少し羨ましく見えてしまって。確かに我々に取って現状と将来の情報というのは、この上なく有効な知識となる。来るべき残酷な未来を回避するための準備を整える事が出来る。苦し紛れに見えて最善手を打つとは、流石は賢者と言った所でしょうかね。あ、麦茶のお代わりは如何でしょうか?」
言い終わる頃には既にコップを持って立ち上がっていた。そして薫の言葉を聞かぬまま雹裡は台所に引っ込んでいく。その背中から何かしら彼の思惑を感じ取ろうと薫が首を伸ばした所で、慌ただしく襖の開く音がした。
ユリアンか、と薫が顔を向けるが、その視線の先に居たのは、おかっぱ頭の巫女少女であった。
「あ、どもっす」
草臥れた顔をした白水が、ふらつく足取りで薫の右手側の座布団に座り、突っ伏して額をテーブルに付けた。溜め息を吐いて身体を弛緩させている所は、まるで夏の陽気にへたり込んだ子犬の様である。
「大丈夫?」
「すまねっす。あんま、役立てなかったみてぇで」
首だけ起こした白水は弱々しい笑みを浮かべて、もう一度顔を伏せた。白澤を憑衣させるのは、余程体力を使う行為らしい。
「疲れてる?」
「あ、いえ。気にしねぇで欲しいっす。この気怠さも慣れたものっすから」
白水が身体を起こした。と思いきやそのまま仰向けに倒れ、大の字に寝転がる。目は半開きで虚ろ、口もだらしなく開いている。薫は、授業で眠る寸前の隣の席の坊主頭の男を何となく思い出していた。
「白水ちゃん、お部屋に戻ったら?」
「いえ、そう言う訳にも。実は薫のアネキにお話が……」
「お話?」
「……」
「って、もう寝てるし」
静かな寝息を立て始めた穏やかな寝顔を見下ろしながら、薫は雹裡を呼びに立ち上がったが、気配に気がついたのか、雹裡は二人分の(ユリアンの分はないようだ)麦茶とカップの水羊羹を携えてすぐに部屋に戻ってきた。
雹裡は白水を見るなり少し眉間に皺を寄せて、大きな溜め息を吐いた。
「全く、しょうがない人だ」
それきり特別なアクションを示す事無く、そのまま薫の正面に腰掛ける。口を開く事も無く、時折麦茶を飲み、白水の顔を一瞬だけ窺ってからすぐに顔を逸らし、薫の方を眺めまた茶を飲み。
どことなく落ち着きがなかった。今までの胡散臭ささえ漂う余裕な態度は欠片も感ぜられず、薫は不思議に思う。
「白水ちゃん、ここで寝かせておいて良いんですか?」
雹裡は薫を一度見つめ返して、おとがいに手をやって白水を眺め、ゆっくりを目を瞑る。
「貴方が不快であるのならば、今すぐにでも起こしますが」
「いや、不快だなんて」
「ならば失礼させて頂きますよ。彼女も疲れているようですので」
「はぁ……」
まるで他人事のように言い放った雹裡に、薫は少々呆気にとられた。口を開いている薫の方を、雹裡が意地悪げな笑みを浮かべてみていたので、薫は慌てて口を閉じて背筋を伸ばす。
薫がスプーンで羊羹を掬って一口運んで心を落ち着かせていると、
「そう言えばユリアンが遅いですね」
雹裡は早々に話題を切り上げてしまった。そして彼の疑問に呼応するように、襖が大きな音を立てて開いた。襖を開ける音が立つような勢いで開ける男は、当然ユリアンでしかなかった。
「呼ばれて! 飛び出て! JA、JA、JA」
「五月蝿いよ、ユリアン。白水ちゃん起きちゃうでしょ」
薫に窘められて、部屋に足を踏み入れたユリアンは出鼻を挫かれたせいか勢いを大きく殺したまま、すごすごと薫の隣に座した。そしてすぐに目を薫と雹裡の手元の水羊羹と麦茶に走らせ、雹裡に期待の眼差しを向ける。
「お前の分は無い」
ど真ん中、直球、百五十キロ。ユリアンは受け切れずに後ろに大きくのけ反った。
「なんでやねん!」
「だから五月蝿いって」
身を起こしたユリアンの口を、薫は張り手で押さえつけた。痛みに悶絶して畳の上に倒れるユリアンは、まるで打ち上げられた魚の様に身を捩った。必要以上に強く叩かれたユリアンを、雹裡は少し顔を引き攣らせて眺めやる。
「少しやり過ぎでは?」
「あぅ……気が立ってて……」
「まぁ、良いでしょう。ユリアンは女性には優しい。そうだよな?」
「Y、Yes。女のHysteria程度、軽く受け止める度量のある男ですぜ、我は」
起き上がったユリアンの口の周りが赤くなっている。流石にやり過ぎた、と薫は肩をすぼめて反省するが、ユリアンがほくそ笑みながら、薫の水羊羹に手を伸ばした。
反応する間もなかった。ユリアンは薫が唖然とするのを尻目に、残りを全て平らげてしまった。
「あーっ! 私の羊羹!」
「お返しじゃい。HAHAHA、ウマしウマし。他人の羊羹は美味やでぇ」
「女の子から甘い物を奪い取るなんて、最低よ! 外道、鬼畜!」
「ん、んむ」
腹を立てて両手を振り回す薫の大声に反応を返したのは、ユリアンではなかった。
軟語のような息を漏らしながら、今しがたまどろんでいた白水が起き上がる。目元を軽く擦って大きな欠伸をした後に、半分しか開いていない目であたりを見回した。薫、ユリアン、雹裡の顔を窺い、口元の涎を拭き取ってから、白水は両手で自分の頬を張る。
ぱちん、とまるでかんしゃく玉でもならしたような景気の良い音がした。
「ったはー! すまねっす! 寝てたっす!」
「いや、寝てていいんだよ。起こしてゴメン」
「そう言う訳にも行かねぇっす! 白水は、白澤の代弁者として最後まで仕事を全うせねばならねぇんでぃ!」
立ち上がった白水は、テーブルの上によじ上って仁王立ちした。雹裡が何か言いたげに眉間に皺を寄せて俯いているが、白水は薫の方を見下ろしたままである。なぜか胸を張っている白水を見上げる薫は、急に白水に指差されて驚いた。
「香田薫! 貴殿に一言物申す!」
「……は、はい」
「あ、いや。これは白水の個人的趣味と言いますか、そう畏まられても困るンすけど」
「白水さん、机の上から降りましょう。はしたないですし、何よりもお客様に対して失礼です」
「う……つ、つい盛り上がっちまったっす。申し訳ないっす」
テーブルから飛び降りた白水は、そのまま正座して薫の方に視線を向ける。目の奥で火花でも散っているのかと思う程彼女の目は輝いていて、どうにも嬉しそうであった。
「既に白澤様のお告げを賜ったかと思うっす。明日の夜明けに、くだんを頼れ、って」
「うん、確かにそんな話はしてたけど……」
「くだんって妖怪は、産まれて三日もすると死んじまう。この近辺にここ最近くだんが産まれたと言う話はない。となりゃ産まれてくるのは明日でしょうや」
「そんなの、分かるの?」
「なんせ白澤様の御言葉っす。産ませるのも、ウチの白澤様っすよ」
白水の言葉に、薫は首を傾げるばかりだった。
「産ませるって……い、一日で?」
「白澤様の言う言葉に間違いはないっす。妖怪ってのは、不思議なんすよ」
不思議の一言で片がつくのかどうか、薫は大いに疑った。ユリアンは感心したように目を丸くしているし、雹裡は何事もなかったように欠伸を狩衣の裾で隠している。
どうやら自分だけが、またしても自分だけが納得いかずにごねているだけらしい。
彼らはもう少し論理的な説明と言うものが出来ないのだろうか、と薫は半ば呆れていた。
「分かった。もうそれでいいや。んで、それから?」
「薫のアネキの家は遠いっす。なんで、折角だから泊まっていってくれないかなって!」
そう言って白水は正座の姿勢のまま薫の方に飛びついてきて、その両手をとった。
目が本気であった。一等星かと思う程に強く輝く瞳が眩しくて薫は苦い笑みを返しつつ、横目でユリアンを見た。ユリアンは薫のアイコンタクトを受け取らず、長閑な顔で頭上にクエスチョンマークを浮かべている。
仕方なし、と薫はもう一度、ゆっくりと白水の方を見つめる。
「泊まるの? 私が?」
「へ? お家、遠いんすよね?」
「そんないきなり……準備もしてないし、それにご迷惑がかかるし、って言うか今日知り合ったばっかりの人を家に泊めるの?」
「だってユリアンの兄貴の知り合いだし。ユリアンの兄貴は結構泊まってく事あるっすよ」
「招かれざる客ですけれどね」
「Shut up、ヒョーリ」
まるで薫が一体何を心配しているのか分からない、と言いたげなその純粋な疑問に、薫は困惑する。薫がこれ以上どう返すべきかと考えているうちに、白水が雹裡の方を向いた。手はまだ薫と繋いだままだ。
「兄貴ぃ! お客様の宿泊の準備でぃ!」
「承りました。それでは、香田さん、それからついでにユリアン、ごゆっくり」
ゆっくりと立ち上がった雹裡は、そのまま大股に部屋から出ていってしまった。
狩衣の袴の長い裾を引き摺らないその姿は、巫女服の袖を捲っている白水よりも遥かに様になっていて、薫はまたしても妙な気分を覚える。どうも、あの男が仰々しい格好をしている割には、小間使いのように扱われているような気がしてならなかった。
「白水ちゃんは、お兄さんのお手伝いはしないの?」
「いつも手伝うって言うんすけど、兄貴にも親父にも怒られるっす」
「怒られる?」
「そうっす。余計な事をするなって。あ、言っておくけれど、白水はちゃんとお手伝い出来るっすよ? 家庭科の成績はいっつも5なんすから!」
鼻から息を吐いて胸を張る白水。彼女にはいばり癖があるらしい。白水の自慢はどうでも良かった薫は、それ以上白水には取り合わずにユリアンに顔を向けた。
しかしユリアンは未だヘラヘラとした表情を崩さない。
「御言葉に甘えますわよ、カオル。またtomorrowなんて面倒や。それに、我、もうvery very tired」
「でも、泊まっていく準備なんて」
「心配ご無用。我は始めっからそのつもりをしとったんじゃ」
そう言ってユリアンはライダースーツのポケットから白のチョークを取り出し、畳の上に文様を描き始めた。白水は「部屋を汚さないで欲しいっす」と顔を顰めたが、ユリアンは聞く耳を持たずに、むしろ先程よりも顔を引き締めている。
畳の上には、直径三十センチ程の小さな円の中に様々な図形が重なった魔法陣が描かれている。これがユリアンの使う陰陽師の術であった。こうして陣を描く事によって、彼は様々な奇跡を起こす。既に彼の奇跡を良い意味でも悪い意味でも目の当たりにしてきた薫は、息を呑んで何をするつもりなのか眺めていた。
ユリアンが両手を合わせて、まるで神に祈るような姿勢をとった次の瞬間。
「Yaah!」
合わせた両手を、指先から魔方陣に突き立てる。すると、両手はまるで沼に飲み込まれるようにズブズブと畳に抵抗なく埋まっていった。手首の先のあたりまでがすっかり畳の中に埋まり込んでいる。しかし畳は破れている訳では無いらしく、まるで全く透けていない泉のように波紋を立たせている。
そして、その中をユリアンは手探りで何かを探していた。
ほんの数秒後、何かを掴み取ったらしいユリアンは、ゆっくりと畳の上に手を引き上げる。大きく波打つ畳の中から現れたのは、少し大きめの黒い旅行鞄だった。それを脇に投げ出してから、ユリアンは指先で魔方陣の端のチョークを拭き取る。
それだけで畳の波紋は消え失せた。薫は恐る恐るユリアンが今しがた手を突き刺した畳の上を撫でたが、手が埋まる様子はなかった。
「じゃじゃん。こんな事もあろうかと、御泊まりsetを準備しておいたのだ」
得意げに言い放つユリアンが、鞄を開けて中に入っている着替えやパジャマ、ひげ剃り、歯ブラシ等を見せびらかす。
「貴方はそれで良いだろうけど、私は」
「何を勘違いしてるのですか? カオルの分もちゃんとあるぜよ」
そう言ってユリアンは鞄の奥底に手を突っ込んで、とても良い笑顔で引き抜いた。
その手には、白いブラジャーが握られていて、しかもそれを薫の方に差し出した。
残念な事に、とても残念な事にそのブラジャーは、薫には見覚えのある下着だった。と言うよりも、三日前に付けていた下着である。その後もシャツ、キャミソール、ワンピース、ミニスカート、ホットパンツ、下着の類いもザックザクと、犬の導きで小判を掘り当てた老爺のような表情で、ユリアンは次々に薫の私服を取り出していく。
一山築いた後に、ユリアンはそれを両手に抱えて薫に突き出した。
「ほれ、Youの分」
「あ、ありがとう……ユリアン。感謝するわ」
笑顔で青筋を立てると言う芸当をやってのけた薫は、静かに立ち上がってユリアンの頭の上に手を置いた。そして、まるで慈しむように撫でた。引っ越しの際に長年飼っていた犬を手放す飼い主のように、優しい手つきである。
「……って言うわけねぇでや、こんあっぽんがぁ!」
限界まで低くした声で、薫は腹の底から叫んだ。
ユリアンは感じた。背後に忍び寄った、黄泉への使いの息遣いを。目の前に居る修羅の、爛々と輝く緑色の瞳を。一瞬の間を置いてから、ユリアンだけが消える。手から離れて宙を舞った私服の数々は、見えざる力によって綺麗に折り畳まれて畳の上に落下した。
今しがた女物の服を差し出しながら微笑んでいた大柄の金髪男は、最早完全に影も形もなくなってしまった。何が起きたのかさっぱり分からない白水は、首をあちこちに向けて必死でユリアンを探すも、見つける事は出来ない。
「か、薫のアネキ! ユリアンの兄貴はどうしたんすか! 何があったんすか!?」
「テレポートして貰ったわ。限界まで遠くに吹っ飛ばしてやったから場所は分かんないけど、今頃は太平洋沖でサメに食べられてるか、日本アルプスで熊に食べられてるか」
「アネキ、顔が恐いっす……」
縮こまって震える白水を宥める気力も湧かず、薫は頭を抱えた。最近、自分のキャラが定まっていないな、と言う自嘲を込めながら、深々と溜め息を吐いた。