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怪奇!知らない世界の人々  作者: ずび
第七話 くだん
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7−4 白澤の御言葉

 通された本殿の意外な涼しさに、薫は感嘆した。板張りの床は冷たく、開け放たれた戸と窓のお陰で風通しも良いが、それにしても妙に涼しい。

 薫は、期末テスト前に図書館で勉強していた時の快適さを思い出していた。


「近場の妖怪に風を起こしてもらっているのですよ」


 不思議そうな顔をしていた薫に、座布団を並べていた雹裡が言う。


「彼らは友好的ですから」

「へぇ……」

「まぁ、全ては白水さんの御力の威光のお陰なのですがね」


 とって付けたようなその言葉は、少々刺のある言い方でさえあったが、白水は今度は全く反応を示さなかった。四つの座布団を隙間を大きめにとって並べた雹裡は、腰掛けた白水を見下ろしながら薄ら笑みを浮かべていた。


「では、私はこれにて」


 軽く手を挙げて雹裡はそう言い、本殿を後にする。

 残された薫はその背中から何かを感じ取ろうと目を凝らしたが、先に座っているユリアンに手を引かれて座布団の上に座らされた。


「カオル。今はもっと大切な話があるぞい」


 見透かされていたらしい。

 ユリアンの咎めるような視線と、白水の不安げな表情を見て、薫は渋々その場に大人しく座っている事に決めた。冷たい風が頬を撫で、髪を揺らす。蝉の鳴き声も聞こえないのは、これも妖怪の仕業なのだろうか。

 白水を見る。彼女は先程見せた快活さから一転して、随分と落ち着き払っていて、目を瞑ってただ静かに時の経過を待っているようにも見えた。

 ユリアンはユリアンで、何か考え事をしているのか、腕を組んだまま目を瞑っている。

 三人とも無言のまま三分程経った頃。

 雹裡と同じような狩衣と袴を身に着けた人影が姿を現した。肌が浅黒い割に、体つきは筋張って痩せており、健康的なのかそうでないのかの判別がつきにくい中年の男であった。

 彼は早足で白水の隣の座布団に座り込み、細い目を大きく見開いて薫の顔を凝視した。


「貴方が香田さんですな」


 喉に何か詰まったような、聞きにくい(しゃが)れ声で男はそう言った。


「遠路はるばる大変だったでしょう。この度は、我が雪町家の力がどうしても必要と言う事で、わざわざお越し下さったとか」

「ええと……そう、なん……で、す?」


 碌に事情を知らぬまま連れてこられた事にようやく気がついた薫は、首を曖昧に傾げながらユリアンの方を見る。


「That's right、霧濁(むだく)の旦那」


 ユリアンが自信ありげに首肯するので、薫も霧濁と呼ばれた男に向き直って首を縦に振った。霧濁は満足げに顔を綻ばせて白水の頭を撫でやった。白水は頭を掻き回されてくすぐったそうに片目を瞑ってはにかんでいる。


「それは大層な事で……事の次第は既に聞き及んでおりますぞ。何でも、宇宙人が妖怪を連れ去ったとか……なんとまぁ、愉快なお話ですなぁ」

「愉快じゃないですよ」


 薫が口を尖らせて反論した。睨む視線は真っ直ぐに霧濁に向いている。

 ユリアンが咳払いして身じろぎをするが、薫は彼のサインを意図的に無視して霧濁を見つめ続ける。霧濁は霧濁で薫の視線を受け止めたまま微動だにせずに、微笑みを崩さない。


「これはこれは……些か不謹慎でしたな。失礼をお許し下され」


 根負けした、と言うよりは話を進める為に話題を切った、というべきであろう。そのまま被せるように霧濁は続けた。


「連れ去られた妖怪の行方、そして連れ去った者共の正体。僅かでもその手がかりに繋がるものが見えてくれば良いのですがな。……さて、白水や。お前の力を彼らに見せて差し上げなさい」

「……うっす」


 薫には、白水が顔を俯けて、一瞬だけ顔色を暗くしたように見えた。しかしすぐさま元の朗らかな顔に戻っていたので、気のせいであると考える事にする。


「では、早速始めさせていただきやす」


 立ち上がった白水は、胸の前で手を組んで目を瞑り、顔を天井に向けた。

 釣られて見上げた薫の目に、巨大な獣の天井絵が映る。見た事もない不気味な生き物の絵であった。牛の様に太くて丸い胴体から、蹄の生えた細い四肢が伸びている。銀色の体毛の隙間からは幾つもの目が覗いていた。目鼻立ちがまるで人間のような顔は、無表情に薫達を見下ろしていた。

 さながら人面牛である。

 そして、その絵に向けて祈りでも捧げているような白水と、隣でそれを見守る霧濁。一体何の儀式をしているんだと怪訝な顔をしている薫の耳元で、ユリアンが囁いた。


「あれがこのユキマチの……引いてはハクスイのPowerの源だべ」

「あれって……あのキモイ化け物の絵?」

「Yes。まぁ、すぐに分かるのよ。ほれ、あちらさんを見れば」


 そう言ってユリアンが指差した先で、変化は着々と進行していた。

 いつの間にやら、絵から光の滝が白水に降り注いでいたのだ。それは砂時計のように細く、やがて瀑布の様に巨大な光の束と化した。白水はまるで沐浴をするように光を胸元に浴び、そして目を瞑って大きく両手を広げている。彼女の胸元で、青白い光が渦を巻いていた。それはやがて段々と大きくなり白水の身体を包み込み、その輪郭を隠す程に強く煌めく。

 薄暗かった本殿に青白い光が満ち、薫は思わず顔の前に手をかざした。


「まぶしっ……!」


 目の前で花火が炸裂した。光の粒が薫の身体にも降りかかり、肌が焼ける錯覚を覚える。

 隣のユリアンは至って平然としているのが少し憎らしかったが、それ以上に薫は、光の洪水が去った後の目の前の光景に竦み上がった。


「…………ふぅ」


 白水が気怠げな溜め息を吐いた。

 その表情は、何の感情も持ち合わせない無知な人形にも、あらゆるものを知り尽くし世間に諦観を持った賢者のようでもある。どことなく眠たそうな瞳は、今しがた会ったばかりの薫でも、徒者(ただもの)ではないと思わせるだけの違和感があった。

 身体からはまるで冷気でも漂わせているかのように無機質な雰囲気を放っていて、まるで別の人が白水の身体に取り憑いているかのようで、薫はしばし呆気にとられた。


白澤(はくたく)様がご降臨なされた。香田さん、ユリアン君、頭をお下げなさい」


 霧濁が厳かにそう言った。口調の割には微笑みを堪えるのに必死、と言わんばかりの奇妙な表情である。薫は二度三度霧濁と白水を見比べた後、一応頭を下げる。


「白澤様、こちらの者共が貴方様の御力を」

「皆まで言う必要はない」


 白水が霧濁の言葉を遮った。

 白水の、甲高い少女の声だ。しかし、その冷静で厳しい口調は白水のものとは思えなかった。緩慢な動作で霧濁に目を合わせた後、呟く。


「霧濁」

「えぇ、分かっておりますとも。では、ごゆっくり」


 娘に対面しているだけの筈なのに、霧濁は恭しく頭を垂れた。

 そして娘の視線に追い立てられるように、霧濁はそそくさと立ち上がって早足で本殿から姿を消してしまった。

 必然的に薫は、少し荘重……と言うよりは最早威圧的とさえ言える空気を纏う白水と正面から向き合う形になる。彼女の半目の視線は、全く意図を掴ませない不気味さを孕んでおり、薫は何とか視線から逃れようと身を捩るが、無意味な抵抗である。

 何も言わない白水に先んじて口を開いたのはユリアンだった。


「Youが、白澤様だと?」

「如何にも。この娘の身体を間借りしている、矮小な獣である」


 今にも彼女の顔を覗き込む為に身を乗り出しそうなユリアンの膝を一つ軽く叩いてから、薫はもう一度白水を眺めやる。白澤様、と呼ばれていた。身体を間借りしている、とも。


「Spirit medium……霊媒師って聞いた事ない、カオル?」

「一応、聞いた事は」


 霊媒師。神仏や霊等の超自然的存在を、己の身を媒介としてこの世に顕現させる者である。

 代表例として、日本にもイタコと呼ばれる存在がある。彼らは己の身に死者を取り憑かせ、その言葉を生者に伝える力を持つ。怪談話が盛り上がる季節柄か、つい最近テレビの特番で霊媒特集なる妖しげなものを放送していた上、知り合いにそう言った超自然的な者を相手にした人間が居る薫は、聞き齧った程度だが霊媒師という存在も知っていた。


「じゃぁ、今白水ちゃんはそのハクタクサマとか言うのに取り憑かれてんの?」


 白水、もとい白澤が小さく頷いた。


「人如き遣われるのは業腹であるが、律儀なる我は(いにしえ)の契約を反故にはせぬ。我が知恵を借りたくば、遠慮なく問うてみるがよい」


 そうきり白澤は黙り込んで、真っ直ぐに薫の顔を瞬きもせずに見つめ続ける。薫が未だに疑念を抱いた訝しげな顔をしているので、ユリアンがそっと耳打ちした。


「白澤と言えば、中国の有名な聖獣ですぜ。古今東西あらゆる知識に精通して、優れた為政者の前に姿を現し、その知恵を授けるという伝説も残ってますがな」


 ここは日本である上、薫は政治には全く興味を持たない女子高生である。何故それほど凄まじい獣がこのような辺鄙な神社で年端も行かない少女に取り憑いているのか。薫はますます眉間の皺を深くした。


「我は力弱き白澤也。故にこの地に落延びたのだ」


 白澤は自分の胸の辺りを指差した。


「今はこの者の声に引き摺られ、再びこうして現世に召喚される様になった」

「要するに、その白澤様は白水ちゃんのペットみたいなもんでいいのかな?」

「……家畜風情と同等に扱われるのは遺憾だが、否定はせぬ」


 不機嫌そうに吐き捨てた白澤は、軽く咳払いをして背筋を整えた。


「人の生は有限也。貴様らは、何故無意味な問いで時間を悪戯に費やすのだ。こうしている間にも時はただ諾々と流れ続けているのだぞ」

「……何て言ってるの?」

「もたもたしないで用件を話せって事だっちゃ」


 ユリアンの解説を受けて意を得た薫は、あぁと手を打ってから、我に返ったように真面目な顔を作って白澤の視線を受け止める。今の今まで惚けていた薫の眼光は意外な程に鋭く、白澤は一瞬きょとんとしたがすぐに顔色を取り繕う。


「白澤様……U.F.Oって知ってます?」

「無論」


 即答であった。薫は勿論の事、ユリアンも驚愕に目を剥いた。白澤は少し得意げに鼻を鳴らして、続ける。


「あの空の船は稀に現れ、地上から『土産』を持ち帰る。それは土であったり、人であったり、水であったり……我々のような存在もそこに含まれてしまうらしい」

「……まさか、知ってるんですか?」

「世間では『口裂け女』と呼ばれていたあの厄介者が持っていかれたな。亡くして惜しまれる存在でもないのが幸いであった」


 何かが弾けるような音がした。乾燥によって木材が軋むような音にも、或いはもっと重大な、床板そのものがひび割れるような音にも聞こえる。横目で薫の表情を盗み見たユリアンが、静かにポケットの中のチョークを指で弄くる。薫と白澤、一体どちらにターゲットを絞っているのかは分からない。

 白澤はすぐに事情を把握したようで、緑色に燃え盛る薫の怒れる瞳を見て、呆れたように嘆息するだけだった。


「貴様の事情は聞き及んでいるが、あの妖怪は女子供を襲う厄介者。それは事実だ」

「貴方は……何も知らないからそんな事が!」

「感情論で満足したいなら、我に尋ねるべき事柄ではない」


 白澤は平坦な声で返すだけである。まるで流れる川を腕で押そうとしているような感触を覚えた薫は、一旦心を落ち着けようと深呼吸をした。川を押しても、川に手が浸るだけ。大本の流れに変化が起こる事はない。この妖怪は、頑固で聞く耳持たずな性分のようだった。


「私達は、その厄介者さんを助けたいんです」

「無理を言うな。そもそも、まだ口裂け女が存命だと言う保証はあるのか?」

「Oh、賢者様。そいつぁ心配要らないのさ!」


 横槍を入れたユリアンは、嬉々として隣に座っている薫のポケットの中に遠慮なく手を突っ込んだ。


「ひゃぁ!」


 いきなり太ももに手を突っ込まれた薫は短い悲鳴を上げて、ポケットの中身をまさぐるユリアンの脳天に全力で拳を振り下ろした。

 まるで鈍器を振り下ろしたかのような鈍い音が本殿に響き渡る。ユリアンはそれにめげずに、何かを握り込んだ状態でふらつきながら薫から離れていく。ダメージは甚大であるようだ。


「どこ触ってんのよ!」

「Sorry、Sorry。で、賢者様。コイツがその証拠でっせ」


 頭を擦りながら、ユリアンは手を広げて握っていた何かを見せつけた。

 ダッフルコートの釦であった。夜空のように深い闇色で、時折テレビのノイズのような灰色の砂嵐のような模様が浮かび上がっては消えていく。普通の釦では無い事は、一目瞭然で、白澤はそれを見て、驚いたようで僅かに眼を見開いた。


「なるほど……これは口裂け女の魂の一部か」

「Yes。カオルが友情の証として頂いたものでっせ」


 その釦は、薫が口裂け女から友情の証として貰った、口裂け女の魂の一部分であった。白澤はユリアンの手から釦を受け取って、それをしばらく眺めた後、感心したように薫の顔をマジマジと眺めた。


「口裂け女そのものが滅していれば、この釦も消え失せる筈でしょう?」

「……そうだな。根拠なき推論を述べた事は詫びよう。だが」


 白澤は釦を薫に返して、首を横に振る。無理だ、と言う白澤の意見は変わらないようだった。薫の睨むような視線を受け止めた白澤は、その理由を淡々と、無感情な声で述べ始める。


「空の船は気紛れだ。いつ現れるか、どこに現れるか、我にも予想できぬ。だが、その行動は常に一貫している。『土産』だ」


 白澤は続ける。


「奴らは決して手ぶらでは帰らない。必ず『土産』を持ち帰り、また『土産』を持ってくる。持ち帰る土産は、先にも述べたようなモノだ。土や水や人や樹や妖怪や……そして持ってくる土産は実に不可解な物ばかりだ」

「それが一体何の関係が……!」

「それは地上絵、奇妙な動物の死骸、未知なる物質的存在、地上では見つかっていない技術、と多種多様。だが、極々特殊な例を除けば、『土産』として持っていかれたものが帰ってくる事はほぼない」


 白澤は薫を真っ直ぐに見据えていた。全知という自負から来る圧倒的な矜持を持つ白澤の視線は、薫の心を冷たく握りしめた。ふざけるな、と言ってやりたい。嘘を言うな、と言ってやりたい。だが、言えない。

 あまりにも、本当に世界の一般常識でも語っているかのように、白澤は話すのだ。嘘を挟み込む余地が、意味が、無い。

 だから薫は、別の方向から反撃の糸口を探した。


「……特殊な例ってのは、何よ」

「1960年代。アメリカのニューハンプシャー州でベティ・ヒル及びバーニィ・ヒルの夫妻が誘拐された事件があった。彼らは一時的にU.F.Oの中に連れ込まれたが、その日のうちにU.F.Oを下ろされ、自宅に帰宅している。夫妻は日ごとに体調の異常を訴えており、何者かに記憶の操作を受けた形跡があったと言われている。1980年代、青森に住むキムラと言う男性がU.F.Oに何度か連れ去られ、農業技術の提供を受けたと証言している。実際に彼は当時としては画期的な、世界初の無農薬による林檎の栽培に成功している。最近では、2000年代でも、U.F.Oによって連れ去られた女性が、地球人類の物ではない遺伝子を持った子供を産んでいる。さてそして……199X年。谷潟県山田村にて、一人の女児が誘拐されると言う事件が発生した」


 薫は目を丸くした。その事件の事を、薫は知っている。なぜならば、その誘拐されたとされる被害者の女児と言うのは……


「女児の名は香田薫。……つまり、貴様だ」


 白澤は薫に人差し指を突きつけた。

 薫は混乱した。今はU.F.Oが現れたケースについて語っている時である。どうして自分の名前が、そこで出てくるのだろうか。


「当時四歳だった香田薫は、半年後無事に帰宅したが、まるでタイムスリップでもしてきたかのように、行方不明になった当時の姿そのままだったそうだ。服装も変化していなければ、身体の成長すら見られなかった。そして、彼女が誘拐された当日と帰宅した日……どちらにおいても、山田村上空にてU.F.Oの目撃証言が得られている。それぞれ、目撃されたU.F.Oによって貴様が連れ去られ、そして地上に再び帰還したのだ」


 白澤は淡々と語っていく。咄嗟に言われた意味が理解出来ず、薫は惚けた。


「前例に挙げた三つの事件では、それぞれ人間を連れ去っているが、『土産』は人間そのものではなく、人間を使って行なわれた実験の結果だと考えられる。それと同じだ。その超自然的な能力を貴様に植え付けたのだ。その行為そのものと実験のデータが空の船が持ち帰った『土産』であり、その力こそが持ち込まれた『土産』であると、私は考えている」


 白澤が危うく流しそうになるくらい、何でもない風にそう言ってのけた。

 ユリアンは黙ったまま、仏頂面を保っていた。様々な感情を押し殺して理性を引き出している、引き攣った無表情だ。薫は耳を疑ったが、心の何処かですんなりとその事実を受け入れている事に気がつき、酷く狼狽えた。

 確かに薫の操る超能力なんてこれ以上ないくらいに不可解で、少し度が過ぎる程だ。U.F.Oとの邂逅の際に出くわした薫似の宇宙人も似たような超能力を行使していた。全く関係がない、と考える方が苦しいのだが、薫はそこをすんなりと肯定する事は出来ない。

 なにせ自分のアイデンティティに関わる事である。ましてや憎き敵と認識したばかりの宇宙人と自分が何かしらの縁を抱えている事を認めるのはこの上なく癪に触った。そうあっさりと何でもかんでも物事を受け入れられる程薫は大人ではない。


「そんなの……」

「覚えていないのか? かつて一度『土産』として、空の船に連れ去られた時の事を」


 白澤がさらに追い討ちをかけた。流石は万物に通じる聖獣と称されるだけあり、白澤は文字通り、万物即ち薫の過去にさえいくらかの知識を備えているらしかった。


「その後の経緯は知らん。だが現代の科学では到底解明出来ぬ、不可思議な力をその身に宿した貴様は、再びこの星に現れた」

「本当、ですの? カオル……」


 薫は顔を俯けて黙っている。目を瞑っている彼女は、拒絶するように怒っているようでも、動揺を必死で押さえつけているようでも、何かを思い出すように思考を巡らせているようでもあった。ユリアンも白澤も薫の言葉を待っている。何かしらの反応を期待して待つ彼らに、薫は一つ溜め息を吐いた後に顔を上げた。


「……全っ然覚えてない」

「だああぁぁ」


 吉本新喜劇もビックリの転けっぷりを披露したユリアンと白澤。流石は賢者様である。現代芸能にも確かな心当たりがあった。


「兎に角だ!」


 すぐさま起き上がった白澤の鋭い言葉が本殿内に甲高く響き渡った。薫は座ったままの姿勢で飛び跳ね、ユリアンは慌てて正座を正す。それ程厳しい声だった。


「貴様らのような特殊な例を除き、命あるものが空の船から帰ってくる事はまずない。U.F.Oに連れ去られたと言う事例はこの五十年で数十万件、数百万件に上る。虚偽が九割含まれていたとしても、数万件はある。だが、無事地球にたどり着いた被害者は、精々数百程度……確率にすれば百分の一だ。可能性としては、絶望的だ」

「……もう、何も出来ないの?」


 白澤は何かを逡巡したように瞳を一瞬泳がせてから、再び薫を視線で貫いた。


「そこまで言うのならば、仕方あるまい。(くだん)を頼れ」

「くだん?」

「私の力を持ってして、件に会わせてやる。未来を見据えれば、おのずとすべき事も見えてくるだろう。聞きたい事があるならば、そやつに聞いてみろ。明日の夜明けを楽しみにしておくと良い」


 白澤は薫の追求を待たぬまま、静かにそう告げた。薫やユリアンの反応を聞くつもりもなかったのだろう。ゆっくりと目を瞑った白澤は、そのまま糸の切れた操り人形の様に弛緩し、うつ伏せにこけしのように倒れ伏した。

 自分の膝先にある白水の後頭部を見下ろす。両肩を支えて身体を仰向けにする。顔色は穏やかで、疲れ果てて眠っているようにも見える。今しがた尊大な態度を取っていた白澤の面影は、微塵も感じられない。年相応の少女の寝顔がそこにあった。


「くだんって……なんなの?」


 尋ねてみるも、白水は気を失ってしまっているらしい。代わりに、ユリアンが答えた。


「人面牛身の妖怪ですぜ。極めて短命な妖怪ですが、未来の出来事を見聞きする力があり、災害や疫病を予言するそうな」

「明日の夜明け……って言ってたよね」

「ハクタクとくだん……Hmmm、確かにどちらも牛ではありますが……」


 ユリアンはそのまま声を小さくしていき、何事か独り言を呟きながら思案に暮れてしまった。

 話し相手さえも失った薫は、白水の頭を膝の上に乗せて撫でながら、白澤に言われた事を考えた。

 貴様はかつて一度『土産』として、空の船に連れ去られている。記憶にはない。しかし、連れ去られた、と言う部分には納得のいく出来事を、薫は母親から聞いた事がある。

 家出するような年頃でもなかったため、誘拐か、或いは熊に食われたなんて話も出て、当時村は騒然としたらしい。


「まさか……本当、に……?」


 尋ねる相手を失った問いは、部屋に流れる爽やかな風と共に、神社の裏の杉林に吸い込まれていった。

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