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怪奇!知らない世界の人々  作者: ずび
第六話 半妖
75/123

6−終 年上の女性

 ゆっくりと目を開けた天心は、未だ自分が夢の中に居ると言う事をすぐさま理解した。

 場所は自宅。時計が見当たらなかったので、時間は分からない。朝方とも夕過ぎともとれる薄暗い部屋の中、灯りはついていなかった。自分の頭の下に敷かれているのは、正座している女性の足。いわゆる、膝枕だ。

 天心の顔を覗き込んでいる髪の長い女性は、天心からは影になって顔がよく見えない。


「あら、起きちゃった?」


 親し気に話しかけられて、天心は一瞬不思議に思ったが、すぐに気がつく。


「お母、さん?」


 幼い頃に聞いた筈のその声を思い出すのに少し時間がかかってしまった。


「お母さんっ」


 母の夢を見るのは初めてではなかったし、むしろ酷い頃には毎晩のように夢に母親が出ていた。しかしその全てが、母の最後の瞬間を見せつける悪夢でしかなく、こうして母親が膝枕してくれている夢を見るのは初めての事であり、天心は大いに戸惑った。

 母の顔は見えなかったが、狼狽える天心を見て笑っているらしい。息の抜ける様な軽い声が聞こえてきた。


「変な顔しちゃって。どうしたの?」

「そんな顔、してないよ」


 笑っているつもりだったが、自信が無い。強がる声は涙に濡れていた。天心の目元を指で掬う母の指は少し冷たくて荒れていて、今の天心の手のようであった。


「母さんの手、今の僕のにそっくりだ」


 天心は皮肉を利かせた台詞を吐いて、すぐに自分の口を押さえた。思わず言ってしまったが、今の台詞は悪戯に母を傷つけるだけではないだろうか。そう懸念した天心だったが、彼女は笑みを崩さないまま天心の頭を撫でた。


「ごめんね、天心。側に居てあげられなくて」

「ううん……そんなの、大丈夫だよ」


 頭を撫でられるのは良くある事であった。背が低いせいか、良く兄や友人にやられている。

 しかし母親の手は何よりも天心の心を満たした。夢の中だと自覚してはいた。この母親が自分の願望を投影したまやかしだと言う事も知っていた。だが、それでも構わないとさえ思えてしまう。思わず目を瞑って、天心はこの八年の隙間を埋めるため、存分に母親の手の感触を味わった。

 しばらくお互いが黙ったまま、ゆったりとした時間が流れていく。音は何も聞こえず、自宅に居ると思われる兄も父も、この場には入ってこなかった。


「ねぇ、お母さん」


 どうしても聞きたい事があった。その答えが本物である訳が無いと分かっていても、自己満足のためだけだと分かっていても、目の前の母親に問わずにはいられない。


「僕の事……恨んでる?」

「そんな訳ないでしょ」


 母は即答した。


「でも、僕が居なかったらお母さんは死ななかったんだよ?」

「貴方が死んでしまう方が何倍も苦しいわ。貴方が生きていてくれて、私は本当に嬉しいもの」


 あまりにも優し過ぎる言葉だった。

 出来の悪い芝居でも見ているような気分になり、所詮は偽の幻影か、と文字通り幻滅しかけた天心だったが、その言葉を吐く事はなかった。今ここで夢から覚めたくない、と言うのが天心の本音であった。


「貴方こそ、私を恨んでいないの?」

「……恨んだよ。なんで死んじゃったんだよって」


 天心は少しだけ躊躇ったが、正直に言った。単なる我が儘であっても、どうせ死ぬまで本人に言う事はないだろうから。


「大変だったよ。家事を覚えるのが特に。家の他の男共は、碌に料理も出来やしないからね。それに、お父さんに怒られた時とか、お兄ちゃんと喧嘩した時に助けてくれる人もいなかった。小学校に上がってからも、片親だって虐められたりもしたし」

「……ごめんね、天心」

「もう良いんだ。全部、過ぎた事さ。今は大変だけどなんだかんだ言っても、毎日楽しいよ。料理は上手になったし、友達もみんな優しいし」


 肩を落とす母親とは対照的に、声を弾ませる天心。帰宅した後に学校で起きた事を自慢げに語る小学生の様な、初々しいはしゃぎっぷりであった。


「ケンちゃんも元気だよ。ますます太ったけど、明るい性格は全然変わってないんだ。あ、そう言えば最近になってお兄ちゃんが連れてきた河童が居候になったっけ。利休って言うんだけど、この人がまた面白くってさ」


 母親は黙って聞いている。時折頷いたりと、ちゃんと天心に反応を示す。


「……そうそう、お兄ちゃんが最近、陰陽師の仕事を始めたんだ。まだ父さんの付き添いとかだけど、たまに一人で事件を解決する事もあるみたい。それから……それか、ら……」


 鼻水が垂れそうになるのを啜る。涙に歪む視界を何度拭っても、母の顔がはっきり見えない。呼吸が不規則になった。肺でしゃっくりが起きている様な気分だった。どれだけ拭いても涙は止めどなく溢れ出してくる。


「それから……それから、ね……」

「良いのよ、天心」


 最早言葉が出ずに、号泣する天心。

 今自分が幸せなのか、それとも不幸なのか分からなかったが、涙だけが溢れ出した。本来なら毎日、それこそ嫌になるくらい繰り返される筈の親子の対話が、天心には嬉しかった。話したい事は山程あるのに、どれから話せば良いのか何を話せば良いのか、泣きながらどうやって話せば良いのか。

 そんな天心の口元を人差し指で優しく押さえた母親。ゆっくりと首を横に振る。


「私は、ずっと貴方達を遠い所から見ていたもの。全部知ってるわ。辛かったでしょう。寂しかったでしょう。本当に、貴方には苦労をかけたわ。でも私はもう死んでしまった。貴方の側に居てあげられないの。……ごめんね、天心」


 頭から手が離れて名残惜しかったが、母親は代わりに天心の手を掴んで眺めた。


「……こんなに荒れちゃって。ちゃんと御手入れするのよ? いくら男の子でも、あんまり粗野なのは良くないわ」

「うん……」

「それと、ちゃんとご飯食べてるの? 貴方、ちょっと少し痩せ過ぎよ。育ち盛りなんだから、食欲なくても食べなきゃ」

「うん」

「お勉強や家事もあるけど、お友達と遊ぶのも子供の大切な仕事よ。学校の皆とは仲良くしなさい」

「うん」

「ケンちゃんはとっても良い子よ。貴方の事をしっかり考えてくれている。だから、貴方も彼を大切にしなさい」

「うん」

「お兄ちゃんは色々と危なっかしいから、側で支えてあげなさい。結構粗忽者だからね」

「うん」

「お父さんには優しくしてあげてね。あの人頑固者だけど、寂しがりやだから」

「うん」

「河童の利休さんは、いつもふざけてはいるけど、本当はとても頭の良い妖怪よ。困ったときは相談してみなさい」

「うん」

「夜恵ちゃんには、たまに構ってあげて。あの子は口下手で、人と関わるのが苦手だから」

「うん」

「あとは……たまにでいいから、お母さんの事を思い出してくれると嬉しいかな」

「うん、うん。分かってる……分かってるから……」


 母親の言葉をいちいち胸に刻み込む天心。何度も何度も頷いている天心の頬を、母は指で優しくなぞった。


「そうだ。折角だし、最後に天心、貴方に魔法の言葉を教えてあげる」

「魔法の言葉って。子供じゃないんだから」

「何言ってるのよ。貴方まだ中学生じゃないの」

「もう、中学生だよ」


 微笑みあう母親と天心。母親の姿が、段々と透けて見え始めた。夢の終わりが近い、と言う事を天心は既に悟っていた。結局、夢は夢でしかない。所詮はただの幻影でしかなかった母親を眺めながら、天心は酷く虚しい気分に苛まれた。今自分のした事は、決して母との対話等ではない。自分で勝手に思い浮かべた母親像と話しただけの、さもしい一人芝居でしかないのだ。

 先程とは違う意味で泣きそうな天心に向けて、母は何故か悪戯っぽく微笑んでみせる。その顔は、天心のしたり顔にとても良く似ているものであった。


「一回しか言わないからちゃんと覚えるのよ?」

「……うん」

「夜恵ちゃんに『混血(ブラッディ)()秘術師(マジシャン)』って言ってみなさい」

「……混血(ブラッディ)()秘術師(マジシャン)?」

「そう。目が覚めたら、忘れないうちに言ってね」


 ほくそ笑む母親の笑顔は若干黒かった。鏡の映った自分の顔に少し似ていて、天心はそれだけでも嬉しかった。


「じゃぁね、天心。あんまり頑張りすぎないで、身体に気をつけなさいよ」

「うん。……分かった」


 その言葉を最後に、天心はふと抗い難い眠気に襲われた。夢が終わるのだ。狭窄していく視界の中で、最後に母の笑顔がはっきりと見えた。最後まで頭を撫でる母の手の感触に安らぎを覚え、天心は穏やかに意識を手放した。




  *




 目を覚ました天心は、先程見ていた夢と僅かに似ている光景が視界に広がっている事に驚いた。

 色々と違っている部分は多い。部屋には裸電球を内包している白提灯の灯りがともっているし、部屋の外は真っ暗だ。

 そもそもこの部屋は自宅ではなく、先程意識を昏睡させる直前まで居た夜恵の部屋である。部屋の隅の方で、横井が身体を大きく広げて眠っていた。シャツがはだけて半分腹が除き、漫画の様な鼻提灯を膨らませているのが可笑しかった。

 しかし、夢と共通している部分も確かにある。例えば、自分の頭の下にある二本の女性の足の柔らかさ。


「……夜恵さん」


 膝枕をしているうちに眠ってしまったのだろう。身体を起こしたまま眠っている夜恵の穏やかな寝顔が、天心の視線の先にあった。手は天心の頭の上に乗っており、恐らく時折撫でていたのだろうと天心はすぐさま推察出来て、照れて一人顔を赤らめた。

 舟を漕ぐように時折上下する夜恵の顔は、とても髪の毛を操ったり金縛りを用いる化け物染みた陰陽師のそれには到底見えない。十代と二十代の間のような、天心から見ればちょっと年上のお姉さんの平穏な寝顔である。

 天心はその顔をしばらく眺めた後に、夜恵を起こさないように自分の顔にかかる彼女の髪を慎重に指で払ってから身を起こした。

 頭を触ってみると、そこには眠りにつく前に生えていた猫耳は存在しない。腰に生えていた筈の猫の尻尾も、跡形も無く消し去られていた。どうやら半妖化の危機は去ったらしい。天心は心の底から安堵して、夜恵を振り返った。


「……ありがとうございます」


 起こさないように小さく喋ったつもりだったのだが、天心の声に反応して夜恵が顔を上げた。僅かに寝言に近い軟語を漏らした後に、天心の方を見て、普段通り平坦でか細い声で囁く。


「起きた」

「ごめんなさい、起こしてしまって」

「身体は平気?」

「はい。全然なんともないみたいです」


 短い受け答えだった。夜恵は立ち上がって、天心の脇をすり抜けて人一人がやっと立てる程狭い台所で薬缶に火をかけた。


「お腹が空いている筈。何か、食べる?」

「いえ。別に。お構いなく」

「そう言わずに」


 どうやら天心に選択肢はないらしい。

 有無を言わさない夜恵は、台所の戸棚からシーフード味のカップヌードルを取り出した。手慣れた手つきでビニールを剥き、蓋を半分程剥がし、中身を軽く除いてから湯が沸くのを待つ。台所を覗いていた天心は、棚から垣間見えた十を超える量のカップ麺を見て、思わず尋ねてしまった。


「カップ麺、よく食べるんですか?」


 質問にかぶさるように、薬缶の注ぎ口から蒸気が吹き出す。火を止めてお湯を注いでから、夜恵はようやく天心の方に顔を向けた。


「簡単で美味しいし、時間もかからない」

「でも、あんまりカップ麺ばっかりだと栄養が偏りますよ」


 一人暮らしなのだからカップ麺くらい食べる事もあるだろう。それでも天心は母親の様な事を言い出すのだから、夜恵は面倒臭そうに嘆息した。


「……別に、平気」

「駄目ですって。ちゃんと食べなきゃ」


 天心は、腰に手を当てて口酸っぱくそう言った。眉の角度が上がっていくのを見て、夜恵は「まるで母親」と小さく呟いたのだが、天心は意図的にその言葉を無視した。


「夜恵さんくらいの年の女の人って、もっと食べ物に気を遣う筈でしょ。カロリーの値がどうとか、コラーゲン配合がどうとか」

「見た目は自分で好きに変えられる。身長体重体型体毛、全てが私の思うがまま。可愛いは、作れる」


 そう言って夜恵は自分の顔を一撫ですると、まるで鏡でも見ているのかと見紛う程天心にそっくりな顔に化けていた。あれだけ長かった前髪さえも短く縮んでいるのは流石である。もう一度撫でるとパンパンに膨らんだ横井の顔に。さらに撫でると、今度は最近テレビで良く見る多人数人気アイドルグループのリーダーの顔になっていた。

 しかし、次々変わるモンタージュのような夜恵の顔を見ても天心は最早驚きさえしない。


「でもカップ麺ばっかり食べてたら身体壊しちゃいますよ?」

「医者にかかった事は一度も無い」


 少しだけ険のある言葉を吐きながら顔を元に戻した夜恵は、沸いた湯をカップ麺に注いで蓋を閉じる。カップを差し出された天心は未だに納得がいかなかったが、渋々部屋に戻って時計の針を眺めだした。

 カップ麺を待つ三分間は妙に長く感じられる。二人とも黙っているからか、段々腹が減り始めたからか、横井のいびきが五月蝿いからか、天心には分からなかった。

 夜恵はまるで地蔵の様に一切動かずに時計を眺めていた。彼女は医者にはかからない。見た目も、自分が思うがまま。最早、疑う余地は無かった。


「夜恵さんって……」


 ふいに口を開く天心。夜恵はそれを遮るように言葉を重ねた。


「半分くらいは人間の筈」


 もう半分が何なのかは言わなかったが、天心は彼女の言葉の意味をとっくに汲んでいた。


「どっちが……?」

「父も母も、普通の人間」


 そう呟く夜恵の言葉は感情の伴わない機械的音声であったが、無理矢理感情を押し殺しているようにも感じられた。天心は続きを聞くべきかどうか悩んでいるうちに、既にカップ麺にお湯を注いでから三分が経過してしまい、夜恵は何処に仕舞っていたのか、どこからとも無く割り箸を差し出した。


「伸びないうちに、食べて」


 話題を切られて聞くのが気まずくなってしまった。天心はそれ以上尋ねる事はせずに、黙って箸を割り、麺を啜った。数少ない具の海老を噛み締めながら、天心は夜恵の言葉を思い出していた。

 普通の人間でも、何らかの原因で妖怪と血液を共有してしまえば、半妖と化すケースがある。

 つまり、そう言う事だ。


「美味しい?」

「え? ……え、えぇ、まぁ」


 誰が作っても一緒なのだが、十数時間ぶりに摂る食事は、天心の空の胃袋には深く染み渡った。

 カップ麺を食う事自体が天心にとっては久しぶりだったのだが、誰かに「美味しい?」と聞かれるのはもっと久しぶりの事である。いつも自分が聞く立場であったその言葉を受けて、天心は無駄にどもってしまった。そのまま半分程食べ終わった後、天心は勇気を振り絞って夜恵に目を合わせた。


「半妖として生きるのって……どんな気分なんですか?」


 夜恵は答えなかった。ただ、天心に見つめられるのは辛いのか、顔を俯けてしまう。

 やはり聞くべきではなかったと後悔した天心は、自分を痛めつけるようにカップに残っていた熱いスープと麺を一気に飲み込んだ。


「ごほっ、ごほっ」


 喉が焼けた。咳き込むと同時に少し涙が出た。なんだか今日は泣いてばかりだ、と自嘲する天心の眼前に、ガラスのコップが差し出されていた。半分くらいまで水が入っているそのコップを手にしている夜恵は心配そうに首をかしげている。


「大丈夫?」

「す、すみま、せんっ」


 受け取った天心は水で口の中を冷やしながら、ゆっくりと飲み込んだ。喉の奥がまだ痛かったが、それでも一度深呼吸をすると随分と落ち着いた。コップと割り箸を差したカップ麺の空き容器を畳の上に置いて、天心は軽く頭を下げる。


「ごちそうさまでした……」

「お粗末さまでした」


 夜恵はそう言葉を返して、カップ麺の空き容器と割り箸をゴミ箱に放り込んだ。

 コップを洗いに台所に向かう彼女の背中を見て、天心は妙な気分になった。見た事はあまりない、台所で仕事をする母親の姿とは、きっとこう言うものなのだろう。


「あ、あの、夜恵さん」

「何」

「いや……べ、つに何でもないです」


 思わず声をかけてしまったが、そこから先は何も言えなかった。

 天心にとって見れば、年上の世話をしてくれる女性、と言う意味では夜恵と母親は面影が重なる存在に見えてしまっていたのだ。なんて筋違いな事を、と自分で戒める天心だったが、油断すると彼女の後ろ姿に目を向けてしまう。

 いっそ彼女を「お母さん」と呼んでみたい気分でさえあったのだが、それはちょっと冗談にならない気もするし、何より母に申し訳ない気がして、天心は口を噤んだ。

 そんなおどおどした天心の様子を感じ取った夜恵は、天心が先の質問への返答を催促しているんだと勘違いをしていたようだった。


「半妖は、なってしまえば案外気楽なもの」


 脈絡無く語られた夜恵の言葉は、少し軽快でさえあった。天心は顔を上げる事が出来ず、頭を下げた姿勢のまま夜恵の言葉を聞いていた。


「誰に指図されるでもなく、病気もせず、気ままな生活が送れる。割り切ってしまえば、とても平穏で幸せな生活」

「そんなもん、なんですか……」

「でも、時々寂しくなる事がある」


 夜恵の声が微妙に震えているように聞こえたのは、天心の気のせいかもしれない。先程より少し早口になりながら、夜恵は吐露した。


「私の祖母も祖父も母も父も。化け物だと私を罵って虐めていた学生時代の知り合いも。そんな中でも私を庇ってくれた、優しい友達も。素性を隠して付き合った、昔の恋人も。興味深いアニメの考察話を延々と続けた挙げ句に疲れ果ててそこで寝ている彼も。そして……今日偶然に再会した、貴方も。……老いぬ私を取り残して、いつか先に逝ってしまう。そう思うと、ちょっと寂しい」


 天心はここで何を言うべきか迷った。安易な慰めは無意味だろうし、かといって自分も半妖になる、だなんて大それた覚悟は無い。それに折角治してもらったばかりなのに、もし仮にそんな事を簡単に言い出したら多分夜恵を怒らせてしまう。

 悩む天心の頭上から、夜恵の更なる嘆きが聞こえてきた。


「ショタキャラが成長していってしまう様は、何よりも悲しい」

「…………」

「しかしショタは成長の可能性を残してこそのショタ。やがて頼れるイケメン、ダンディズム溢れる親父キャラに成長……これはこれで、アリ」


 何故か興奮気味に語り始めた夜恵の言葉を聞いて、天心は思考を投げ出した。

 駄目だ。この人は多分、普通の人間の価値観とはかけ離れた所に生きている人なんだ。人間の尺度で考えようとしている事自体が間違いだったんだろう。顔を上げて呆れた様な目で夜恵を見ると、夜恵の優しい微笑みがその先にあった。


「そんな冷たい目で天心君に見つめられると、興奮する」


 今日、天心には何処かで同じ台詞を聞いた記憶があった。

 意地悪気に笑う夜恵に向けて、何とかして仕返しをしてやりたくなった天心は、ふと『魔法の言葉』を思い出した。この言葉が一体何を引き起こすのかは分からない。全員の体力が1になったり、巨大な魔神が現れたり、戦闘がはじめからやり直しになったりするかもしれないが、今の状況を破壊し尽くす程度の効力が欲しい、と天心は願った。


「夜恵さん、混血(ブラッディ)()秘術師(マジシャン)……って、何ですか?」


 笑っていた夜恵の顔が凍り付いた。青ざめた夜恵の顔を見るのは、天心は初めてだった。ついでに言えば、その後恥ずかしそうに顔を真っ赤に染め上げる夜恵を見るのも初めてだ。


「何処でその言葉を知った?」

「え? あー……」


 夜恵の声には凄みがあった。天心は慌てて頭を捻って記憶をひっくり返してみるが、思い出せない。

 恐らく夢の中でそんな言葉を聞いていた筈だ、と言うのは覚えているのだが、肝心の夢の内容を殆ど忘れてしまっていた。さっきまで覚えていたのに、とこめかみを揉む天心の頭を掴んで、夜恵は天心を至近距離から見つめた。蠢く目玉もてんやわんやと慌てていて、今だけは少し愛嬌があるようにさえ見えてしまった。


「思い出して、早く。私は情報の漏洩源を抹消しなければならない」

「いや、その……と、ところでその言葉の意味は?」

「私の黒歴史……」


 思い出したくない過去があるのか、夜恵は天心の頭から手を離して代わりに自分の頭を抱え込んで、畳の上にもんどり打っている。緊箍児(きんこじ)に頭を締め付けられる孫悟空のような暴れっぷりに、天心は動揺を隠せない。あれだけ物静か、と言うか半ば地蔵な佇まいだった夜恵とは、まるで別人の様な人間味溢れる姿であった。


「夜恵さん、昔、何があったんですか?」

「そ、それは、ちょっと言えない。ただ、重度の病を患っていた時期が私にもあった……」

「一体、どんな病気を……?」


 その名も、中二病。

 夜恵はその言葉を残して、押し入れの中に飛び込んで姿を隠してしまった。

 現行中学二年生の天心は中二病と言う言葉の意味を良く理解出来ていなかったが、なんとなく恥ずかしい事なんだろうと言う事は夜恵の様子から朧げに把握した。

 彼女には実際、特別な力がある。彼女自身が中学二年生の多感な時期の頃に、今思い返してみて何かしら恥ずかしい言動を行なっていたとしても、天心は少しも疑わない。現に自分も横井も、少しだけ無理に背伸びをして大人の真似をしてみたり、漫画やゲームの真似をしたりするような似た所があるわけだし、とそう考えると、天心は急に夜恵に親近感が湧いた気がした。

 時折押し入れの向こう側から聞こえて来る何かを叩く音には少し驚かされたが、天心は朗らかに夜恵に声をかけた。


「夜恵さん、大丈夫です。僕、何でか忘れたけどその言葉を知ってるだけなんで。意味とか全然知らないんで」

「……本当に?」


 ストロー一本差し込める程度に細く開いた押し入れの襖の向こう側から聞こえて来る夜恵の声は、少し涙ぐんでさえいる。


「はい。本当です、混血(ブラッディ)()秘術師(マジシャン)さん」


 口が滑った。

 襖の向こう側から、十本、いや、二十本、三十本……数え切れぬ数の人間の白い指が覗いている。天心は本格的な身の危険を感じ、押し入れの奥から覗く真っ赤に燃える目玉が真っ直ぐに天心を睨みつけているのを見て、命の危機を確信した。

 木が軋む音が押し入れの向こう側から聞こえている。

 天心は立ち上がってそのまま部屋から逃げ出そうとしたが、既に彼の右脚には押し入れから伸びてきていた女の細い腕が三本も絡み付いていた。身体を引き倒され、そのまま押し入れの中に引きずり込まれながら、天心は押し入れに向かってかろうじて尋ねる事が出来た。

 最後に一つだけ、どうしても今のうちに聞いておきたい事があったのだ。


「あの、夜恵さん。僕の家ってお母さんいないじゃないですか」

「知っている」

「それでその、お父さんも……厳しい性格しててさ。お兄ちゃんもちょっと頼りないし子供っぽいし……」

「それで、言いたい事は何? 私は今非常に苛ついている。早く喋らねば、私がブラッディ・マジシャン時代に考案した最終暗黒秘奥義『悪魔(ディアボリック)()布告(イーディクト)』を発動させる。この秘奥義は私の中の暗黒の波動が極限まで高まった時にしか使えない、命を削る最強の必殺技。相手は死ぬ」


 半ばやけっぱちの夜恵とは対照的に、天心は両手の人差し指を突つき合わせて、小さな声で尋ねる。


「だからさ……たまにだけど。本当にたまに、なんだけど」


 夜恵の腕が動きを止める。天心は一つ呼吸を置いた。言ってしまって良いものか、と悩んだのは一瞬だけであった。


「ここに、甘えに来ても良い、かな?」


 天心は勇気を振り絞って言った。

 一瞬の間だったが、天心には数十分にも感じられた。好きな同級生に告白するよりも遥かに気恥ずかしく、答えの如何に期待ないし不安を抱いていた。

 そんな天心の心中を察しているのかいないのか、やがて襖の奥から、囁くような優しい声が返ってくる。


「当然、歓迎する。ただし、その際には私の事を『お姉ちゃん』と呼んでもらう」

「そっか……お礼に今度、ご飯作ってあげるよ、夜恵お、お姉、ちゃん?」

「………………」


 押し入れの向こう側が沈黙する。


「あれ、お姉ちゃん? やけーおねーちゃーん?」

「……想像以上の破壊力。最早我慢の限界を突破した。この場合、悪いのは私ではない。貴方」


 夜恵の言葉から先程の殺気は消えていたが、代わりにもっと狂気もとい狂喜な感情が孕まれていた。天心はドン引きである。かつてない程の、空前絶後前代未聞なまでのドン引き。


「……ちょっと何言ってるかわからないです」

「カマトトぶるのは止めた方が身のため。貴方は一番盛りの中学生。それなりに知識は備わっているはず」

「ちょ、ちょっと待ってよ夜恵さん」

「待たない。私は年下だろうと容赦はしない主義。このお姉様がたっぷりと教育を施してあげる」

「鼻息荒くするの止めて下さい怖いヤバイ勘弁して助けてケンちゃん僕食べられちゃうどっちの意味か分かんないけどって言うか多分両方の意味だから助けてケンちゃん!」

「むにゃ……だが……ん、断る……」


 寝言で器用に返した横井は、非情な現実を天心に叩き付けた。

 天心は、襖から更に伸びてきた女の腕に巻き付かれ、呆気なく押し入れの向こう側に飲み込まれてしまった。

 時刻にして深夜二時半過ぎの事。閉め切られた襖の向こう側からは何の音も聞こえない。何が起きているのか、何も起きていないのか、それは中に居る夜恵と天心にしか分からない事である。ただただ、横井のいびきだけが、侘しい四畳半の部屋に大きく響き渡っていた。

 第六話は半妖でした。

 文字通り半分は妖怪、つまり妖怪と人間の混血児として扱われる事が多いようです。本文中にも触れましたが、昔の伝承に登場する超人的な力を持っていた人間には妖怪の力が宿っていた、半妖だったと言われる事もあります。他にも人間に近い姿の妖怪や、人間と結婚する逸話が残されている妖怪等も半妖扱いされる場合もあり、実際の所その定義は曖昧です。

 そもそも元々半妖と言う言葉は日本民俗に存在する言葉ではありませんでした。

 しかし、設定としては美味しい部分が多いからか、最近の伝奇物にはしばしばその存在が登場していますね。何らかの不思議な力に目覚める、異類婚姻を端に発する複雑な家庭環境、人間と妖怪の狭間で苦しむ姿……等々、波瀾万丈な人生を送る彼らの姿は、漫画やライトノベルでもポピュラーになりつつあります。

 もしも知り合いに「実は私は半妖なのだ」と真剣な顔をして言い出す人がいたら、是非とも温かく見守って上げて下さい。それが例え、嘘だったとしても。


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