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怪奇!知らない世界の人々  作者: ずび
第六話 半妖
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6−10 無意識の撃退

 夕暮れに差し掛かる憂山から、まるで風が逆巻く様な轟音が響き渡った。暇を持て余した挙げ句縁側で将棋を差していた雲海と利休の二人は、思わずそちらを眺めやる。山の片隅から激しく木の葉が舞い上がって、橙のように小さな夕焼けの太陽に向かって遠くの空に飛んでいくのが、山の裾野にある据膳寺からも見て取れる。

 今の音と舞い上がった大量の木の葉が、かまいたちの断末魔を意味することは、幼少の頃から毎年同じ音を聞き、同じ光景を見てきた雲海には良く分かっていた。

 どうやら岩武も仕事を終えたらしい。


「かまいたちも毎年毎年、よく飽きもせずに繰り返すよなぁ……」

「毎年岩武に叱られるってのにな……ほれ、王手」


 駒を打つ音が鋭く鳴った。

 雲海が将棋の盤上を見下ろすと、緑色の粘液が付いた飛車が王将の前に突き出されている。自分の分身である王将の前に突きつけられた(つわもの)を見つめて、雲海は神妙な顔を作って、固唾を飲んだ。


「なぁ利休。『待った』って何回使ったっけ?」

「もう三回使ってる。これ以上は待った無しって話だったよな。ってな訳で……あーぁ、こりゃ詰みだな。お疲れっしたぁー」

「ちぇっ」


 河童には一切の容赦がなかった。

 緑の妖怪総司令官率いる河童の軍勢がまさしく豪雨によって氾濫する怒濤のように、のほほんと気軽に構えていた雲海軍を薙ぎ倒していき、とある伝説的存在である河童が手にしていた半月刃の降妖宝杖を空峰王に突き立てる様が見て取れるような、悲惨な試合結果であった。

 雲海は舌打ちして早々に盤上の駒を片付け始めて、仰向けに寝転んで鴨居のあたりをただ茫洋と視線を泳がせる。一方の利休は勝利の一服として、キセルに火を入れている。


「天心、無事だろうか」

「さぁね。俺様としちゃ、化け猫に成り果てた方がいい……って言うべきかね」


 何気なく吐き出された雲海の言葉に、利休が紫煙を交えた気の無い言葉を返す。どちらもその心の内は大差なく、今はこの家にいない天心の無事が気がかりだった。

 先程の雲海の言葉も、利休は既に今日何度となく耳にしている程である。

 一体どう言う経緯で猫耳が生えたのかも分からなければ、今現在彼が無事であるかどうかも分からない。それがより一層に不安を煽る。


「そもそも、心配するくれぇなら、始めっからテメェがどうこうしてやりゃ良かっただろうが」


 利休の言葉はもっともである。雲海の符と言霊を用いて様々な現象を引き起こす術は、出力こそ大きくないものの、対応出来ない物は全く無い程に万能である。天心がどんな呪いを受けていても(実際は妖怪に取り憑かれていたのだが、それでも)雲海や岩武が共に尽力すれば、すぐに解決出来ただろう。

 しかし雲海はそうしなかった。自分の、怪我をした右手に目を落として、黙ったまま利休の問いには答えない。


「……何かあったか、雲海」

「いや……」


 雲海の右手を見て、利休は目を細く引き絞る。

 雲海のクラスメイトの神部祥子が自分のドッペルゲンガーに自己の存在を乗っ取られかけると言う事件が起こったのは一週間前程である。彼女を苛んでいた妖怪と対峙した時に呪具を持ち合わせていなかった雲海は、妖怪に踏まれて負傷した自分の右手から滴る血を、墨の代わりに使って符を描き術を使った。

 結果として彼は妖怪を退治する事が出来たのだが、その時の戦い方たるや、後に水鏡で様子を窺った利休も戦慄する程であった。人質として取られた神部への配慮も、妖怪を戒める慈悲の心も無く、雲海は目の前の敵を駆逐する修羅となっていた。まさしく人間でも妖怪でもない、何か。そう区別するしか出来ない程の未知でかつおぞましい存在に、雲海は成りかけたのだ。

 以来雲海は、一度も術を使ってはいない。

 恐れているのだろうか。術を使う事を。また悪鬼と化してしまうかもと、懸念しているのだろうか。自分の大事な弟に対して、正しく力を振るえるかどうか、自信を失っているのだろうか。利休はそうあたりをつけた。


「テメェが駄目なら岩武が居た。手は貸せなくても、天心の側に居てやる事は出来ただろ」

「……理由は言いたくない」

「だがそこで喰い下がるのが俺様ってなもんだぜ」

「…………嫌だった。それだけだ」


 それ以上は察しろ、と雲海は言っているようであり、利休には容易に想像がついた。

 自分の父と弟が目の前で頑張っているのに、一人何も出来ずに無力感を味わう。なるほど確かに嫌だろう。ついこの間まで当たり前に出来ていた事が、怖い。そんな自分の無様をまざまざと見せつけられてしまう訳なのだから。他に頼る者が居なければ雲海も我慢出来た筈だ。自分の矮小なプライドよりは弟の無事を取る。雲海は、それなりに人を思いやれる人間。

 しかし木鉤夜恵が、偶然天心の近くに居た。だからそれを頼った。安全性を考えてみれば、それが一番良い判断だったと言える筈だが、それは心の安定とは別の問題だ。

 人間の心情と言うのは何とも面倒臭い。

 利休はそんな事を考えながらキセルの煙を吸った。八月中旬の蝉の声だけがやたらと耳ざわりで、じれったく沈んでいく夕焼けが鬱陶しく思われる中で、利休は言葉を探した。


「……木鉤っていやぁ、妖怪の間でも有名だ。妖怪喰らいの木鉤さんチってなぁ」


 出し抜けに、本当に今思い出したと言わんばかりに利休が呟いた。雲海は利休の話に興味を示すように寝返りを打った。


「特に今代の当主の木鉤夜恵って女の噂に付いては俺様も仲間の妖怪から良く聞いていた。悪い噂の絶えない奴だな」

「……悪い噂、か。そりゃそうだろうよ。何しろあそこは、妖怪の力を奪い取ってそっくりそのまま使うんだからな」


 呟くような雲海の言葉に、利休はゆっくりと首を横に振った。


「力を奪うだけじゃなく、木鉤夜恵は頭から妖怪をバリバリ食って自分の力にするって話だ。弱小妖怪とは言え、何百もの妖怪を体内に飼って従えている、正真正銘の化け物。俺達の間ではそんな噂が立ってたぜ」

「そんな人間がいる訳ないだろ、馬鹿馬鹿しい」

「そうかもな。だが、奴が伊達じゃない事は確かだ」


 キセルの灰を、甲羅から取り出した灰皿に落とす。灰は呆気なく崩れ去って、灰皿に小さな山を作った。しばらくその灰の塊を見つめた後、利休は静かに言葉を続けた。


「だから、天心も無事だろうさ」


 雲海は身体を起こす事無く、利休の様子を見る事もなかった。ただ一度だけ、唇を強く噛んだだけだ。


「……励ましてくれてるんならもっとストレートに言ってくれよ、この捻くれ者」

「生憎、性分なんでね。これが本当に励ましなのかどうか、自分でもわからねぇや」

「そんな曖昧なもんでちょっとマシな気分になる僕も、案外捻くれてるのかもな」


 軽口を叩いた雲海は、ふいに鳴った家の電話のベルの音を耳にした。

 天心からだ! 雲海は勢いよく飛び起きたが、しかし隣の利休は既に立ち上がっており、家の廊下にある黒電話の方に歩き出していた。


「おい、お前が出るのかよ」

「どうせ天心だ。そろそろ帰るって連絡に違いねぇ」

「そうじゃなくて、お前が電話をとるのは……って、話を聞けよ、おい」


 利休は雲海を無視したまま廊下の向こうに消えてしまった。

 縁側に転々と残る緑色の足跡を見て、雲海は深く溜め息を吐いた。未だに身体を拭いてから家に上がると言う言い付けを守らない利休に対して、雲海は密かにスリッパを買う事を真剣に悩んでいる。

 とりあえず今の所は早めに掃除しておかないと父さんに怒られる。

 立ち上がって雑巾を取りに台所に向かおうとすると、庭の方の茂みが音を立てた。


「おや?」


 雲海が振り返った先の茂みから、とても小さな猫が姿を現した。まだ生まれて間もない子猫だろうか。黒い毛並みに、新緑色の双眸が目を引く、可愛らしい猫であった。


「猫、か……」


 廊下の彼方から、電話に出たらしい利休の、間抜けであるが朗々とした声が聞こえてくる。様子を鑑みるに、深刻な事態は回避出来ているようだ。少なからず安心した雲海が猫に気を向けて左の掌を上に向けて手招きをすると、子猫は警戒する様子も無く雲海の手に頬ずりする。


「はは、可愛い猫だな……」

「みゃん」


 短く鳴いた子猫は雲海の腕を登って、肩まで上がり、そのまま口の中に視線を向けている。

 宝物庫の扉が開くのを待っているかのようにジッと口元を見つめるその猫を片手で抱え上げて、雲海は首を傾げた。

 子猫の纏う空気に、温度では測れない生温さを感じ取ったのだ。右手に未だに生々しく刻まれている妖怪との戦いで追った傷が、少しだけ疼いた。


「……?」

「みゃっ」


 何かに驚いたように高く鳴いた猫は、急に落ち着かなく視線を泳がせる。

 猫から感じる妙な気配は未だに残っていたが、殺気や敵意と言う類いではないと判断し、雲海は抱えていた猫を縁側に下ろした。


「なんだ、お前。腹でも減ってるのか?」

「みゃふ」


 雲海の言葉に頷くような挙動を示す黒い子猫。ますます妖しい気がしてきたが、雲海は特に疑う事なくその猫の頭を撫でやった。


「猫が食べれそうなものなんてあったかなぁ……」


 呟きながら雲海は縁側から今を通り抜けて台所に引っ込んで、冷蔵庫を漁って見るが、ペットの居ない空峰家にはキャットフードの備蓄なんて無いし、そのまま食べれそうなものもない。

 あの可愛らしい子猫の胃を満たせそうなものは今この場にはない。

 どうすればいいんだろう、と悩んだ雲海の頭に、悪魔の天啓が下った。

 非現実的な計画であったが、いずれは乗り越えなければならない壁でもある。腕は一本しか使えないが、所詮ただ茹でるだけ。いつも天心がやっているようにやれば、問題無い筈だ。雲海は気合いを入れ直す為に、甚平の袖を肩までめくり上げた。




  *




 空峰家まで辿り着いた化け猫は、台所に向かっていった雲海の背中を見て安堵の溜め息を吐いた。

 身体の大半を夜恵に食い尽くされた化け猫であったのだが、先に千切れてしまっていた尻尾だけ食われなかったのは本当に不幸中の幸いであった。その尻尾のおかげで命拾いをし、こうしてわざわざ遠い道のりを経由してまで、天心の代わりの依り代に目をつける事が出来た。

 身体の大半を奪われたせいで小柄な猫の姿を保つので精一杯であるが、愛玩動物として行動するにはこちらの姿の方が都合が良かった。


「馬鹿な兄貴で助かったわ……」


 安堵の溜め息を吐く。

 雲海は餌になる何かを持ってくると言っていた。その食事で回復出来る妖力はたかが知れているが、何も食わないより遥かにマシである。

 天心の体内に住んでいた化け猫は、空峰家の事情についても、雲海の料理の腕に付いても勿論把握している。雲海は自分の料理が大量破壊兵器である事を知り尽くしているはずなので、まず餌として持ってくる事はない筈。

 その餌を食ってから、雲海の隙を見て体内に飛び込む。そして雲海の身体を内側から食いつくし、次いで何も知らずに帰って来た天心を食う。子供二人を失って絶望している隙をつけば、父の岩武を食う事も容易だろう。あるいは長寿妖怪である河童の利休も取り込むことが出来れば、その力も桁違いに増す筈であった。

 そうして力を取り戻したら、夜恵に再び復讐を果たす。

 完璧とは言い難いし、効率的ですらない。もっと近場で人間に取り憑いた方が楽なのだが、化け猫は復讐心に突き動かされていた。化け猫に宿る空峰家と夜恵への復讐心を満たすためには、これが最良の作戦であった。雲海を待つ化け猫は、楽しみで待ち切れないと言わんばかりに舌舐めずりした。


「……よし、これでいい」


 台所の奥から雲海の声が聞こえてきた。

 いよいよだ、と化け猫は毛を逆立てて緊張した。

 雲海が小皿を持って現れる。皿に乗っているのは、丸められたそうめんである。恐らくは今朝の残りのそうめんだろうと、化け猫は判断を下した。


「猫って、そうめん食えるのかな?」


 そう懸念しながらも雲海は皿を差し出した。

 地面に置かれた皿に口をつけ、化け猫は勢いよくその餌を食む。

 腹が減っていたせいで、味を認識する間もなく化け猫はそのねこまんまを胃に流し込んでいく。何故か見下ろしている雲海が若干緊張した面持ちで見ているのが気になるが、恐らく先程感じていた違和感に付いて考えているんだろう。

 もう手遅れだと言うのに、と化け猫が内心ほくそ笑んで餌を完食した後、一つ溜め息を吐いた。


「みゃふぅ」

「おぉ……! 全部食べた! やった!」


 何故か雲海がガッツポーズを決めている。一体何故だ、と怪訝に思った化け猫の身体に異変が起きたのは次の瞬間だった。


「ぎゃぎゃっ!?」


 化け猫が悲鳴を上げた。急激に視界が霞み、イガグリが暴れ回っているかの様な激しい痛みが胃袋全体に走った。身体から汗が止まらない。上手く立つ事も出来ない。

 まさかこの料理は……と化け猫が見上げた先では、雲海が慌てた顔をしていた。


「そ、そんな……駄目だったのか!? 僕はそうめん一つ満足に茹でられないのかっ!?」


 頭を抱えて苦悩する雲海。

 苦悩しているのは化け猫のほうである。

 なんでお前はそうめんさえまともに茹でれないんだ、って言うかなんで自分で料理したんだよ殺人兵器作るだけじゃねぇか、と悪態をついても後の祭りである。

 夜恵に身体を食い尽くされるのと同等の苦痛が、化け猫の精神をバラバラに引き裂き始めた。意識を保つ事さえ怪しい。化け猫としての身体を維持する事が出来なくなっていく。身体から力が、まるで口を開けた風船から漏れる空気のように、猛烈な勢いで吹き出ていく。

 化け猫は明確な死を実感していた。現に身体が段々と消滅を始めている。

 まさか。まさかこんな間抜けな死に方をするなんて。あまりにも。こんな終わり方、消え方はあまりにも、あまりにも! あぁ! あまりにもお粗末じゃないかっ!

 化け猫は怒りと恨みを堆く積み重ねていくうちに、すぐさまその意識を放散させた。


「……おい、雲海。さっきの電話だけどな、天心の友達のナントカって奴からだったぜ。無事元通りになったんだが、当の天心が眠ったまんま起きないから、天心は木鉤の家に泊まるってよ。って、どうしたんだ? そんな暗い顔して」

「あぁ、利休か。僕は、今、大変な事をしてしまった……猫が」

「あ? 猫? んなのどこにもいねぇぞ?」

「え? ……でも、今さっきまで居たはずなんだけど……」


 戻ってきた利休と雲海が庭に目を向けてみても、猫など既にどこにも居ない。

 無人の庭に向けて会話を繰り広げる一人の少年と一人の河童の足元で、空になった皿だけが化け猫が存在していた事を示す唯一の証拠であった。

 こうして雲海は今回の事件の元凶であり、かつ母親の仇でもある化け猫に、無自覚のままトドメを刺して葬り去ったのである。

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