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怪奇!知らない世界の人々  作者: ずび
第六話 半妖
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6−6 不気味な女

 谷潟駅前の繁華街のど真ん中を貫通している中央大通りから東に外れると、やがて閑静な住宅街にぶつかる。そこは俗に言う高級住宅街であり、ガレージに並ぶ高級車と外観に拘りすぎて全体の統一感が失われたカラフルな壁紙を貼付けた住宅群が軒を連ねている。その区画を抜けて更に東に抜け、谷潟中央バイパス道の下をくぐり抜けると、一気に別世界に訪れたのかと思うように視界が開け、青々とした稲が天に向けて伸びている田園風景が広がっている。

 そんな田園と小民家ばかりが広がっている中で、一際目立つボロボロに錆び付いた絵に描いた安アパートこそが、天心達の目的地である二階建てアパート『いかるが荘』である。築四十年と言う老物件であり、白かったのであろう外壁は風雨に晒されて黄ばみ、階段の手すりの塗装は全て剥げ落ち、錆び切った階段は踏めばパラパラと酸化鉄の粉末が飛び散った。

 尋ねるべき木鉤家は、このアパートの二階の奥の角部屋であるらしいと、雲海から聞いている。


「……凄い所だね」


 天心の口から独りでに言葉が漏れた。

 後ろを振り返ると、横井が自重で階段が崩れないかどうかおっかなびっくり登っているのが目に飛び込んでくる。流石にそこまで脆くはない筈だが、横井が歩く度に階段が悲鳴を上げているせいか、何時壊れてもおかしくないように感じられてしまう。

 帰り道があれば良いけど、と失礼な事を考えながらも、天心は駆け足で二階の角部屋に向かい、その錆びて焦げ茶色の斑点が浮かび上がっている鉄製の扉を見て、眉を顰めた。


「……なんだこれ」


 扉に黄ばみ切った藁半紙が貼付けてある。赤いマジックペンで文字が書かれているのだが、端の方が所々掠れてまるで血文字みたいだ、と天心は物騒な想像を掻き立てた。


「加持祈祷、姓名判断、霊障等の御相談、占い等承ります。……木鉤(きかぎ)夜恵(やけい)

「変な名前だお」


 追いついた横井が、息を切らしながら天心同様に紙の看板を眺めていた。妙な名前と言われれば天心も到底人の事は言えず、岩武や雲海も同じだ。


「名前は兎も角、木鉤さんの家だ。ここで間違いないみたいだね」

「んじゃ、押すおー」


 横井は天心の脇をすり抜けて、勝手に埃を被っているインターホンを押し込んだ。甲高いチャイムの音が、室内から薄い壁をすり抜けてここまで聞こえてくる。天心は俄に緊張し、身を竦ませて横井の巨体の影に隠れるように後ずさった。


「ちょ、天心氏、なにビビってるん」

「そ、それはだって、僕今こんな見た目だし」

「だから、それ治しにきたんじゃんか……」


 呆れる横井は、背中にある天心の身体をあっさりと引き剥がして、再びドアの前に立たせた。ハンチング帽も横井に取り払われ、頭の上の耳が落ち着かない様子で激しく上下した。


「ま、マズいよケンちゃん。いきなりこれじゃビックリしちゃうし、妖怪だと思われて退治されるかもしれないし」

「つーか天心氏の知り合いっしょ? 全然問題無いんじゃない?」

「いやでも僕覚えてないし、向こうも随分昔会った事あるだけだし」


 二人の会話を切り裂くように、突如解錠される音が辺りに響いた。ドアノブがゆっくりと回り、やがて扉が押し開かれていく。

 一々緩慢なその動作を、天心は唾を飲んで見守っていると、扉の隙間からまるで死人のように青白い肌をした指が這い出てきた。そして指に次いで、まるで宵闇のように薄ら暗くくすんだ色をした髪の毛の塊が半開きの扉の向こうから音もなく生えてきた。

 思わず身を引く天心と横井。


「………………どちら様」


 尋ねると言うよりは、独り言を呟くような声で、髪の塊がそう言った。髪しか見えないし、声もやっと聞き取れる程度低い声なので、性別さえもはっきりしない、謎の生命体であった。天心と横井は一瞬呆気にとられ答えを返しそびれている間にも、髪の塊は微動だにせずに天心達の回答を待っている。


「えっと、空峰天心と申します。……お、久しぶり……で、す?」


 両手で猫耳を隠しながら、恐る恐る尋ね返す。


「天心……空峰、天心……」


 しきりに天心の名を呟く髪の塊が、徐々に扉の外に頭の全貌を表す。その長過ぎる前髪に隠れていた顔の一部が僅かに覗き、血走った大きな眼が一瞬だけ天心と視線を交わらせる。


「……大きくなった」

「は、はい、おかげさまでっ!」


 威圧感のある声色に、天心は思わず気をつけの姿勢をとってしまった。自己主張の激しい猫の耳が天に向かって猛々しく伸びた。

 それに気がついた髪の毛の塊が、扉を掴んでいた白い手を長く伸ばし、天心の腕を捉える。顔に喜色が浮かんでいるのは天心の見間違いか。腕を掴むその力は、弱々しく細い指からは想像もできない程強く、血流が止まってしまう程であった。

 強引に天心の身体を引っ張るその腕に抗う暇もなく、天心は扉の中に引きずり込まれていき、やがて横井の視界から消え失せる。その一部始終を間近で見ていた横井は、開いた口が塞がらないまま、立ち尽くす。


「…………さぁ、どうぞ。お友達も」


 髪の毛の塊はゆったりとした口調で横井を静かに手招きした。

 柳の下に佇む襦袢(じゅばん)姿の幽霊のようなその有様に、横井は戦慄し肌を泡立てた。しかもその幽霊はお友達もどうぞ、とこちらを誘っているのだ。引かない訳がない。地獄の釜に飛び込むような覚悟を要求された横井は、しかしそれでも流石に既に飲み込まれてしまった天心を置いて逃げ帰る訳にも行かず、意を決して部屋の中に飛び込んだ。




  *




 薄暗い四畳半の室内で、仏壇がある訳でもないのに線香の強い香り。窓にかかる黒いカーテンは締め切られており、天井照明は一般的なリング蛍光灯を改造したらしく、白い提灯を被せられた裸電球の強い光が目に痛い。部屋には生活感を感じさせるものは何もなかった。家具の類いは、座布団と、部屋の真ん中にあるガラス製のテーブルだけである。

 その、畳敷きの部屋に合わぬガラステーブルを挟んだ向かい側には、長過ぎる前髪のせいで未だに鼻から下の辺りしか見えない髪の毛の塊。黒色無地のTシャツと、下にデニムのロングスカートを履いているので、ようやく女性だと判別できる。

 天心は隣で青ざめた顔をする横井とともに、この部屋の家主らしき彼女の言葉を正座して背筋を正して待った。


「……天心君」

「は、はいっ」

「そう、緊張せずに」


 髪の毛の向こう側で、口元が僅かに緩むのが見える。


「それとも……覚えて、ない?」

「えっと……夜恵さん、ですよね? あまり記憶はないんですけど、昔遊んで頂いたそうで……」

「そう……これを見ても、思い出せない?」


 たどたどしい、と表現しても差し支えない程のんびりと話す髪の毛女、木鉤夜恵は、顔にかかった髪の毛を指で掻き分け、ようやくその顔を天心達に見せた。失礼とは承知しつつも、天心も横井も、彼女の顔を見て一瞬だけ首を引いた。目鼻立ちには最早目を向けることさえしなかった。

 巨大な二つの、血走った瞳が眼孔の中を不規則に落ち着かない様子で蠢いているのがあまりにも不気味だった。視線の方向は一ヶ所に定まる気配もなく、あべこべの方向を向いており、それだけでも十分気色悪いのだが、それがまるで別の意志を持った二匹の生き物が目の中に巣食っていると言われても信じてしまいそうな程に落ち着かなく、しかもバラバラに動き回るのだ。

 彼女の目を見て、天心と横井は思わず恐怖に息を呑む。夜恵はすぐに髪を下ろして目を隠し、軽く二人に頭を下げる。


「驚かせてごめん。昔、天心君これ見せると喜んでたのに……」


 あんな不気味な目玉を見て本当に喜んでいたのだろうか、昔の僕は。

 天心はここでどう反応すべきなのか迷ったが、夜恵が少し落ち込んでいるように見えたため、悪く言う事も出来なかった。


「あ……いや、その」

「こちらこそ、すみません。驚いたりしちゃって」


 思わず横井も敬語になって、二人揃って頭を下げる。


「今日は……その、耳?」


 夜恵が話題を切り、天心に尋ねる。震える指先が天心の頭の上を差しているので、天心は思わず耳を手で押さえる。


「はい。原因は分からないんですが、耳と、あと尻尾が」

「いつ頃?」

「ええっと、ついさっきです。交通事故に遭いかけて、なんとか助かったんですけど……その後すぐに」

「なるほど。尻尾……見せて」


 天心の言葉を遮って夜恵が少し声を大きくした。見せてと言われれば見せない訳にも行かないのだが、生えている位置が尻であるため、躊躇なく晒す事はできない。


「え……えっと」

「早く」


 天心が迷っていると、夜恵は立ち上がって、テーブルを足でどけて天心に歩み寄りその身体を軽く押した。それだけで天心の身体はまるで吸い込まれるように強烈な勢いで畳に叩き付けられる。

 一瞬息が止まって目の中に火花が散った天心は、いつの間にか夜恵の手がカーゴパンツにかかっている事に気がついた。


「ちょっ……何やってるんですかぁ!」

「尻尾見たい」

「ま、待って」

「断る」


 今まで無口属性でも持っているかのように物静かだった夜恵が、急にアクティブに動き始めた。声もどことなく弾んでいるようだ、と横井も天心も同じ感想を抱く。その間にも夜恵は天心のズボンを脱ぎ外そうとするのを、天心は彼女の手を押さえ込んで全身全霊の力を込めて阻止しなければならなかった。


「け、ケンちゃん! 助けてよぉ!」

「えー……いいじゃん天心氏ぃ。年上のお姉さんに押し倒されてズボン脱がされるとか、それなんてエロゲ?」


 何故か口を尖らせる横井を見て、天心は薄情な友人を睨んでやりたかったが、今少しでも夜恵から意識を逸らせばカーゴパンツが逃げていってしまう。既に腰骨が見えている今となっては最早抵抗は無意味な物であるのだが、天心にも男の意地があった。

 必死で食らいつく天心を見て埒があかないと感じたのだろうか、夜恵の手の力が緩んだ。離れていく夜恵を見て安心していると、夜恵がおもむろに前髪を上に掻き上げ、その見ているだけで気分を害する不気味な瞳で天心を優しく見つめる。


「私の眼を見て……」

「えっ」


 思わず声に従って夜恵の目を見つめる天心。

 バラバラに動いていた筈の夜恵の目が、真っ直ぐに天心を見据えていた。茶色だった虹彩が真っ赤に染まり、少し大きめだった瞳孔が針先のように小さく引き絞られる。

 夜恵の瞳が、一瞬だけ激しい光を放った。


「ふぁ……」


 天心の口から息が漏れた。

 身体から力が抜けていく。瞬き一つすらままならぬ程脱力しているのに、首だけはしっかりと起き上がって夜恵の目を見据え続けている。

 口が動かず、喋れない。手が動かせず、抵抗が出来ない。

 夜恵は金縛り状態になった天心の身体をうつ伏せにひっくり返し、パンツと下着を掴んで軽く下に引っ張る。結局天心は為す術無いまま、夜恵と横井に再び尻を晒す羽目になった。


「……尻尾」

「うひゃぁ!」


 尾てい骨の辺りから生えている黒毛に覆われた尻尾を掴み上げ、夜恵は二三度軽く両手で握る。すでに金縛りは解かれているようで、夜恵が手を動かす度に、天心はむず痒さに堪え切れずに両手を振って暴れる。見下ろしていた夜恵は段々と鼻息が荒くしていき、口元に薄い微笑みが浮かんでいた。尻尾を握る力も徐々に強くなっていく。


「不覚にも、萌えた」

「……」


 天心は顔を真っ赤に染め上げて、両手で顔を覆い、畳の上に力無く伏した。天心が恥ずかしがる様子を見て、夜恵は片手を尻尾から離し、天心の頭を優しく撫でた。


「猫耳猫尻尾男の娘……属性過多気味。……だがそれがいい」

「……ふむ」


 面妖な言葉を使い始めた夜恵の隣で、横井が少し首を俯ける。色つきの眼鏡が提灯灯りで鋭く輝いた。意味ありげに微笑みながら、横井は夜恵の隣に座り込んで、二人並んで天心を見下ろす。


「夜恵氏、夜恵氏」

「……何」

「今の天心氏には、どんな服装が似合うと思います?」


 横井が真剣な顔で、真剣な声で、極めて大真面目な佇まいで夜恵に尋ねる。


「無難なのはメイド服。猫耳メイドに外れはない。……だが私は敢えて修道服を推す」

「ほぅ、マイナーどころですな。して、その心は?」

「寺の息子にシスターの装いをさせる背徳感……胸が熱くなる」


 夜恵が起伏のない声で、しかし全く淀みなく即答すると、横井は無言で右手を差し出した。心得た夜恵は彼の太い手を掴み、固い握手を交わす。なんか変な友情が芽生えやがる、と天心は心の奥底で激しく毒づいた。


「って言うか何で意気投合してるんだよケンちゃん」

「いやぁ、だって、ねぇ夜恵氏」

「ねぇ」


 何故か親友の如く微笑み合う夜恵と横井。

 もしかして、同じ臭いを嗅ぎ付けたのだろうか。天心は半信半疑の心境のまま、未だに尻尾を弄り回す夜恵の方に振り返った。


「それより、夜恵さん。早くその尻尾の治療を」

「それを捨てるなんてとんでもない」

「じゃぁ僕は何をしにここに来たんだよ……」

「遊びに……?」

「違うっ」


 夜恵の手の中から尻尾を奪い返してパンツを履き直した天心は、憮然して答える。天心の目が潤んでいるのを見て、夜恵はようやくふざけるのをやめて、テーブルを元の位置に戻して再び天心達に向き直った。


「今のは冗談」

「無表情で冗談吐くのは止めて下さいよ……」

「生えてきたのは耳と尻尾だけ?」

「多分、そうだと思うんですが」

「……触診する」


 両手の指を艶かしく動かした夜恵の言葉に、天心は尻込みした。


「さっき触ったじゃないですか」

「今度は大真面目。症状の全てを把握しておく必要がある。服を脱いで」

「服って……ま、まさか下着も?」

「勿論。症状を網羅するには、まず貴方の身体を網羅しなければならない。隅から隅まで。丁寧に、舐め回すように触ってあげる」

「嫌ですよ恥ずかしいっ!」


 叫ぶ天心だったが、夜恵も横井も反応を返さない。一人でテンションが上がっているらしい天心に、横井は横から口を挟んだ。


「天心氏。お医者さん行った時に服脱いでって言われたら脱ぐっしょ?」

「で、でも夜恵さん女の人だし、なんかあの指の動きが……」

「女医さん相手でも脱ぐっしょ?」


 横井の正論に言葉を返せずに、天心は顔を紅潮させて押し黙った。観念したらしい天心の側から立ち上がった横井は、部屋の外に去っていった。一応天心を配慮しているらしい。残った夜恵は、天心を慰めるように少しだけ優しい声色を作った。


「すぐに終わる」

「……うぅ。あんまり見ないで下さいね」


 渋々天心は下着含めた服を脱ぎ、それを丁寧に折り畳んで自分の脇に置いて座布団に正座した。髪の向こうにある夜恵の目が何処を向いているのか天心には分からないが、だからこそ恥ずかしい。耳も尻尾も彼の動揺を示すように激しく暴れ回っている。


「ちょっと我慢してて」


 夜恵が呟いた言葉の意味は、すぐに分かった。猛烈に長かった彼女の髪の毛が更に長く伸び始め、畳の上から生き物のように持ち上がり、ざわめいた。何が始まる、と身構えていた天心は、夜恵の髪の毛が扇状に大きく広がって大量に抜け落ちるのを見て息を呑んだ。

 この人本当は妖怪なんじゃないか、と思ったのも束の間、抜け落ちた大量の髪が蛇のように毛先をもたげ、一斉に天心の方を向き、飛びかかった。


「ひっ……!」


 大量の髪の毛の群れが、まるで黒い水流のように天心の全身を飲み込む。

 黒い髪の毛が体中に巻き付き締め付ける一方、何本もの毛が天心の肌の上を舐めるように滑っていく。鼻の穴の中、耳の中、目の隙間、体中の毛穴、臍、肛門や尿道口からでも、髪の毛が体内に侵入してきている。碌に息も出来ない状況下、空気を求めて必死で口を開くと、口の中にも髪の毛が怒濤のように流れ込んできた。喉の奥をまさぐられれ、激しい吐き気を催しながらも、天心は白黒と明滅する意識を必死に繋ぎ止めていた。

 殺される。

 天心が本気でそう思った直後だった。


「……完了」


 天心の全身を蹂躙していた髪の毛が天心を手放し、再び短くなってあっという間に夜恵の頭に吸い込まれていき、再びただの髪の毛に戻った。全裸の状態で倒れ伏し茫洋としている天心は、夜恵に頬を叩かれてようやく明瞭な意識を取り戻して、慌てて下着をたぐり寄せる。


「触診の結果は……?」

「一応、原因らしきものは発見出来たが……厄介な事になった」


 下着を履く間だったせいか、夜恵の言葉を上手く聞き取れなかった。そう勘違いした、あるいはそう勘違いしたかった天心は、カーゴパンツに足を通し、サマーセーターに袖を通し、三度深呼吸。左右に首を倒して鳴らした後、部屋の外にいる横井を呼ぶべきかどうか迷った挙げ句に呼ばない事にして、正座し、夜恵に正面から向き合って、もう一度尋ねる。


「……結果は?」

「厄介な事になった」


 今度は端的に言葉を縮める。勿論、それでしたり顔で頷いたりする事は出来ない天心は、テーブルに手をついて身を乗り出し、夜恵に肉迫する。夜恵も予想外の事に困惑しているらしく、下を見て落ち着かなく指を動かしている。


「教えて下さい。僕はどうしてこうなったんですか? そもそもこれ、治るんですか?」

「…………」

「どうして黙ってるんですか……!」


 天心が右手をガラスのテーブルに叩き付ける。その一撃で、テーブルは呆気なく粉砕して、畳の上に散らばった。天心本人も、まさかテーブルが崩壊するとは考えていなかったらしく、散らばったガラス片を呆然と見やった。叩き付けた右手には怪我は一切無かった。


「……ご、めんなさい夜恵さん。今度弁償を」

「問題無い。所詮は安物。……先の問いに答えたいと思うけど」


 夜恵は一度言葉を区切った後、今まで無感情だった言葉に僅かばかりに戸惑うような色を乗せて呟いた。


「それなりの労力が必要だが、私が処置を施せば、天心君は無事に元の生活を送る事が出来る。知らぬが仏と言う言葉は真理。何も知らない、と言う事は、実はとても幸せな事。貴方は、それでも知りたい? 貴方に……本当の事を聞く勇気は、ある?」


 夜恵は天心を気遣っている。勿論天心にはその事は理解出来ていたが、同時に彼女に試されている気がしていた。自分に起こった出来事から目を逸らさずにいられるか、と聞かれているようだった。

 天心は瞬く間に答えを決め、力強い口調で返事をする。


「そう言われて納得出来る程、僕は大人じゃありません。それに父さんやお兄ちゃんだったら……絶対に知りたがる筈です。いくら次男坊で、寺を継がないからと言っても……僕だって、今まで妖怪と戦ってきた陰陽師、空峰岩武の息子です」


 天心は力強く頷いて見せる。強い意志を宿した瞳が煌めいていた。


「その言葉に嘘はない?」

「……覚悟出来てます」

「お外の、お友達は?」


 夜恵は小さい声で襖越しに横井に問いかける。

 しかししっかり聞こえていたようで、横井はゆっくりと襖を開けて入室し、天心の隣に座り込んで、一つ大きく溜め息を吐いて胸を拳で何度か強めに叩き気合いを入れた後に、夜恵を見つめる。


「天ちゃんが聞くってんなら、オレッチだってちゃんと聞くっきゃないっしょ。オレッチは天ちゃんの親友だもん」

「そう……貴方達は、強い子」


 感心したらしい夜恵の口元が緩んだ。

 蠢く髪の毛が箒のようにガラス片を掃き掃除しているのは不気味だったが、夜恵は普通の女性らしく微笑んでいる。彼女の笑顔に、一瞬だけ天心は呆気にとられたが、すぐに首を軽く振って夜恵の方を見つめ姿勢を正す。


「ならば、本当の事を話す」


 夜恵は一瞬だけ溜めを作って、


「……貴方の体内に、妖怪が住み着いている」

「住み着いているって、どう言う意味なんだぜ?」


 横井が先に事情を尋ねた。天心の身を案じているようで彼の顔色は、末期がん患者の親族のようにひたすらに悪い。


「そのままの意味。貴方は妖怪に寄生されている。貴方は、はじめから呪われてなどいなかった。その耳と尻尾は、恐らく貴方の命に危機を察知した貴方の体内に巣食う妖怪が、同化を始めた事によって生じたもの。このまま放っておけば、天心君は……」


 夜恵は一度口を噤む。一瞬だけ言葉を押し殺した後、夜恵は再び口を開く。


「貴方は、半妖と化してしまうだろう」


 天心は、未だに事態を把握し切れていなかったが、一先ずこの身には雲海やら利休やらが想像している以上にとんでもない事が起こっているらしい、と言う事だけを理解した。

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