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怪奇!知らない世界の人々  作者: ずび
第六話 半妖
69/123

6−5 飛び交う電波

 結局の所、経緯は違えど天心達は先程遊んでいたゲームコーナーのあるデパートに再び飛び込む羽目になった。

 追っ手に怯える某国のスパイのように慎重なかつ素早い足取りで一階西側の隅にある無人の男子トイレに駆け込んだ天心と横井は、切れた息を整えた後、改めて状況を確認する事にした。

 一先ず、自分がどんな状態なのか知りたい。

 そう述べた天心は横井を外で見張らせ、帽子を脱いでトイレの大きな鏡に自分の姿を映し、鏡に向かって愕然とした蒼白の顔を向けていた。黒髪の頭の上に、黒毛の猫の耳が生えている。整った三角形の輪郭を描くその耳の中は薄ピンク色で、無駄に天心の顔立ちに似合っていた。


「本当に、耳が……」


 慌てて髪を掻き上げ、人間としての耳の所在を確認すると、そこにはしっかり人間の耳があり、天心は合計で四つの耳を所有している事になる。まさしく、丁度頭に猫耳のカチューシャでも乗せたような見た目になっているのだ。試しに引っ張ってみると、涙が出る程痛かった。完全に頭皮にくっついているらしい。

 そして天心は実はもう一つ、懸念を抱いて自分の腰の辺りを擦る。

 背骨のラインの終わりに、尾てい骨と呼ばれる骨がある。人類の進化の過程で失われた尻尾の名残であると、保健の授業で教師が自慢げに語っていたのを聞いた記憶がある。その骨の辺りが先程からずっとムズムズしている。更に突っ込んで言えば、何か長細いものが自分のパンツの中で渦を巻いている。

 天心が意を決して、尻を出して鏡に向けると、天心の最悪の予想通りの展開が待っていた。


「尻尾まで生えてるし……」


 所在なく左右に振れる一メートル程の長さの黒毛の尻尾を見て天心は目の前が真っ暗になったような気さえしてきた。最後の希望を込めてその尻尾の根本の方を掴んで引っ張ってみると、背骨を引っ張られたような奇妙な感覚を覚える羽目になった。明確に、生えている。


「天心氏、どうだっ……た」


 トイレ前の人通りも少ないのだろうか、見張りに一段落つけてから様子を窺いに現れた横井は、鏡越しに天心の半ケツ姿を見て、苦笑いともしかめ面とも言えない奇妙な顔をした。天心は顔を赤くして勢いよくカーゴパンツを上げ、帽子を被り直して一つ咳払いをした。


「……天心氏、どうだった?」


 改めて問う横井。どうやら、天心の恥ずかしい格好は見なかった事にするつもりらしい。美しき友情に天心は感謝した。


「御覧の通りだよ」

「ふむ。これってつまり……どういうことだってばよ?」


 横井は首を傾げた。目の前の出来事を一応肯定しているようではあるが、人の頭に猫の耳が生えると言う珍事すぎる珍事に混乱気味である。


「これなんてファンタジー? っつか、もしかして天心氏ってアニメの世界から現れたリアル猫耳男の娘だったりするの? 異世界系猫耳悪戯っ娘で男の娘かぁ。属性過多はオレッチの趣味に若干反するんだけどなぁ」

「落ち着いて、ケンちゃん。目が遠く見てる」


 鏡の前で何度か自分の身体を見る天心。帽子で猫耳は完全に隠れるし、尻尾はモモに巻き付ければ裾から覗く事もない。本当に帽子を被ってきて良かったと、兄に深く感謝の気持ちを捧げ、そして思い出したように横井に振り返る。


「そうだ、携帯電話貸してくれない? 家に連絡してみる」

「家に連絡って……『猫耳生えたんだけどどうすれば良い?』とか聞くん?」

「あぁ、そっか。ケンちゃんは知らないもんね」


 空峰家の本当の稼業、即ち陰陽師の事を横井は知らなかった。別に教える必要もないので無闇に人に喋るな。そんな父の言い付けを守っていた天心は、横井にもその仕事の事を話してはいなかったのだ。しかし必要に迫った今となっては、適当にだが事情を話しても問題無いだろう。


「実はウチってただの寺じゃなくって、こう言う不思議な現象の調査とかもやってるんだ」

「……はぁ?」


 僅かな沈黙の後、まるで頭を疑うような白い目で天心を見つめる横井。


「ちょ、意味不なんだが。つか不思議な現象ってなんぞ?」

「僕の耳を見れば分かるでしょ? これが現実なんだ。この世には科学じゃ説明し得ない事も沢山あるって事さ」


 天心は焦れったくなったので、それ以上の説明は省き、半ば強引に横井の手から携帯電話を奪い取った。横井は一瞬だけ抵抗しようとしたが、結局何もせずに腕を組んで黙り込み、再び天心の猫耳に視線を合わせていた。携帯電話の画面を開く。待ち受けは例のアニメ映画『ブレイヴァス』の主役らしき甲冑姿の美少女。画面右上の時計は、午後一時五十分を示している。突然の猫耳によって気がつかなかったが、もうすぐ映画が始まる時間である。


「ケンちゃん、このままじゃ映画見れないけど」

「この期に及んでそんな事を言える天心氏の度胸には脱帽せざるを得ない」

「そうは言っても……ケンちゃん映画楽しみにしてたじゃんか」


 呆れ返った顔をする横井。


「そんな事言ってる場合じゃない事は確定的に明らか。それとももしかして天心氏にとって、こう言う妖しい現象ってよくある事なの? 随分と慣れ親しんだ感を醸し出している訳だが」

「……まぁ、そうかも」


 携帯電話を弄りながら、天心は何でもないように返す。実際、よくある事であった。父は昔から妖怪退治に出掛けていたし、兄もとある超能力者を通してここ二ヶ月程は幾度も超常現象にまつわる事件に関わっている。極めつけは、自宅の庭の池に潜んでいる河童の利休である。なにせ妖怪そのものの居候が居るのだ。頭に猫耳が生えてきた程度で我を忘れて慌てふためくようでは、空峰家の次男は勤まらない。

 まずは自宅にかける。が、岩武はカマイタチ狩り、雲海は中華料理屋に出掛けていったため、恐らく家には誰も居ない。雲海に掛け直すべきか、と電話を切ろうとしたのだが、電話のコール音が途切れた。

 ……いや、一人だけ心当たりがある。と天心が気がついた時には、既に向こう側から、主婦が電話に出る時の様に甲高く作られた、たわけた男の声が聞こえてきた。


「はぁいもしもしぃ、貧乏僧侶の空峰本舗ですが」

「まさか、利休さん?」

「あ? あぁ、そうだが……その声は天心か?」


 受話器の向こう側から河童のとぼけた声が返ってくる。


「あぁそうだがって、利休さん、電話出ちゃ駄目って前から言ってるでしょ? ウチは三人家族なんだから、利休さんが出たら変に思われるじゃん」

「良いだろうがよ。たまたま居合わせた親戚の超絶イケメンお兄様って事で誤魔化せんだろ」

「悶絶ドMジジイの間違いでしょうよ。第一そう言う問題じゃなくてさ。利休さんが触ると受話器が緑色の水草臭い粘液でベッタベタになるじゃん。あれ、中々落ちないんだからね? 僕はそこまで気にしないけど、後でお兄ちゃんに怒られるよ?」


 横井が愕然とした顔で天心を見つめている。天心は今吐き出した自分の言葉に問題があった事に気付いたが、今更後戻りも出来ないので訂正さえしない。


「俺様だって気にしてるんだから言うんじゃねぇよ。傷ついちまったぜ、責任取ってくれ」

「日頃から女の子扱いされまくってる僕はその痛みを一番知ってるって。ホント、今日も酷いんだよ? 喫茶店で友達とカップルに間違えられたり、幼稚園児に胸を揉まれたり」

「……天心氏、いい加減猫耳の話したら?」


 横井のツッコミがなければ恐らく天心はそのまま愚痴を語り続け、スッキリした挙げ句速やかに電話を切って爽やかに横井に電話を返してしまっただろう。我に返った天心は、自分の頭に生えた猫耳を触りながら、背筋を正した。


「利休さん、実は大変な事件が起こっちゃったんだけど」

「……ほぅ」


 利休は興味を示したらしく、小さく息をついて先を促した。


「実は僕の頭に猫の耳が生えて、お尻に尻尾が生えてきちゃって」


 長い沈黙、戸惑う利休、震える声は掠れ気味。


「…………悪ぃ、天心。俺様も年みてぇだ。どうやら耳が遠くなっちまっていけねぇ。もう一度言ってくれないか? 何がどうしたって?」

「猫耳と尻尾が生えた」


 受話器越しに言葉を失っている利休。さらに五秒程のインターバルを経て、利休選手は無事に戦線に復帰する。


「……口で言われても何とも言えねぇ。お前、電話は公衆電話か?」

「いや、友達の携帯電話だけど……」

「なら都合がいいやぃ」


 いつもの軽い調子を取り戻したらしく、受話器の向こう側の利休が歯を向いてニヤついている様は容易に想像がついた。


「今から俺様の携帯電話のアドレスを言うから、それにメール送れ」

「アドレス? 何で?」

「写メってくれや。詳しい様子が見てぇ。んで、いいか? アドレス言うぞー」

「あ、ちょ、ちょっと待って……ケンちゃん、メモある?」


 横井に尋ねると、横井は映画のパンフレットと、恐らくそれにラインを引いたのであろう蛍光ペンを差し出した。気になる文にアンダーラインを引く程その映画を楽しみにしていたらしい横井に、天心は改めて申し訳ない気持ちが込み上げてくる。利休の携帯電話のアドレスをメモし終え、こちらの電話番号も述べ(リダイヤル等と言う高尚な機能は空峰家の黒電話には備わっていない)一旦電話を切り、天心は携帯電話を横井に返却した。


「……ケンちゃん、写真おねがい」

「ん。了解なのだ……しかし」


 横井は急に慌てたように辺りを見回す。わざわざ出入り口付近を確認しに行く。あまり気乗りしないようだ。


「どったの?」

「天心氏、よくよく考えなくてもオレッチ達がやってるのって、かなりの変態行為な希ガス」

「…………」


 横井の言葉に天心は閉口した。

 デパートのトイレで猫耳を付けた少女のような少年の写真を収める、巨体で眼鏡を掛けた汗だくの男。犯罪の臭いしかしない一文が、現在の状況を物々しく語っていた。しかし、頭に猫の耳が生えてきた事を考えれば、例え犯罪の香りだろうが横井が警察に事情聴取されようが些細な事である。


「……さっさと終わらそう。耳だけじゃなくって、尻尾も撮らなきゃいけないし」

「天心氏がズボン下ろしてるとこ写真に撮ってるの目撃されたら、マジで問答無用で警察呼ばれそうだお……」


 言いながら、既に横井は携帯電話のカメラを起動していて、頭の耳の撮影は終えている。止める気はないらしい。天心としたってこれ程恥ずかしい目に遭ったのは産まれてこの方、初めてである。

 何が悲しくて友達に向けて半ケツ晒さにゃならんのか。

 男として、と言うか人間として屈辱の極みである。もしこの事態の原因となる犯人が居るのなら、全力でその責任を取ってもらおうと天心は密かに心の内に誓いを立てた。


「……ん、こんなもんしょ。んで、これ貼ってこのアドレスに送りゃ良いん?」

「よろしく……」


 ズボンを上げた時点での天心のライフポイントは既にデッドライン間近であった。気のない返事をして打ちひしがれている天心を無視して、横井は写真を送信。

 その約三十秒後、再び携帯電話が音を立てる。天心が横井から受け取って出ると、受話器の向こうで河童が笑いながら一つ。


「いよっ、キャワユイ子猫ちゃん。超似合ってるぜ。そのままで良いんじゃねぇか?」


 天心が受話器を強く握りしめた。一瞬だけプラスチックが軋む音がし、横井は大いに慌てた。


「……流石の僕でも今の言葉にはブッチ切れそうになったよ、利休さん。貴方に出す食事だけお兄ちゃんに作ってもらっても、僕は全然構いませんよ? って言うかお兄ちゃんに作らせる。是が非でも作らせてやる。お兄ちゃんが作った棒棒鶏(ばんばんじー)キュウリ増し増しVerは、きっと極楽浄土の味がするね」

「まぁまぁ、落ち着けよ。軽い冗談じゃねぇか」


 普段大人しい人を怒らせると、それはそれは大変な事になる、と言う言葉を思い出した利休は慌てて取り繕う。次いで天心の耳に聞こえてきた声色は、随分と真面目くさったものに変貌を遂げていた。


「狐やら犬やらとは違うらしいな。尻尾の太さを考えても、完全に猫だ」

「……なんでこうなったんだろ」

「まず思いついたのが……化け猫の仕業だ」

「化け猫?」


 化け猫、と言う言葉を聞いて、天心は一応の心当たりを発見した。化け猫とは、何らかの原因で妖怪と化した猫の事である。普通の猫が化け猫と化す原因は大抵恨み辛みの類いだが、稀に飼い主の無念を晴らす為に飼い主に害を成した人間に復讐する為に化け猫と化す場合がある。或いは単に長く生きた猫が神格化して、化け猫と呼ばれるような存在に成り果てる事もある。起源にも行動原理にも差があるためか、妖怪としての力はまちまちで、他の妖怪を束ねる程の力を持った化け猫も入れば、そこらの猫と差して代わらない程貧弱な化け猫も居る。数も多く、岩武が時折生け捕りにして家に持ち帰り山に帰している様を、天心も良く見かける事があった。陰陽師にとって化け猫とは、最もポピュラーな妖怪の一種であるのだ。


「たまにあるんだよなぁ。孤独に耐えかねた妖怪が人間に呪いをかけて、仲間に引きずり込んじまう事が」

「まさか、僕も猫にされちゃうの?」

「さぁて? 詳しい事はわからねぇよ。俺様は妖怪だからな」

「……妖怪なら妖怪の事、一番分かるんじゃない?」

「俺様よりよっぽど妖怪に詳しい奴らが、お前らの家系じゃねぇかよ」


 利休は何故か少し楽しそうにそう言ってのけた。まさか自分で解決しろと言うのか。天心が少し顔を青くした。


「そうは言っても、天心、お前は碌に修行してねぇ」

「仕事を継ぐつもりはないもん、僕。お兄ちゃんがいるし」

「そりゃそうだ。跡継ぎは一人で十分ってなもんよ。俺様も、その猫耳と尻尾、テメェ一人で片が付けられるなんて思っちゃいねぇ。だからさっさと家に帰ってこい……と、言いてぇ所だがな」

「……何か問題が?」


 天心が尋ねると、受話器の向こうの緑の妖怪は大いに笑った後に、ぞんざいに言い放った。


「岩武も雲海も留守だ。妖怪の俺様が直接人間に手を貸すのも、俺様の主義に反するしな。写真とその携帯電話の番号を雲海に送っておいてやるから、後は空峰一家の人間様達で勝手にやんな。精々頑張れよ、若造」

「え、ちょっと」


 少し乱暴に黒電話の受話器が置かれる音が耳を打った。天心にはわだかまりが残ったが、諦めて電話を切り、横井に手渡す。


「また電話来るから、それまで待ってろってさ」

「ふむぅ……そろそろ人が来てもおかしくないと思うんだが……」


 受け取った携帯電話の時計を見つめながら、横井が情けない声を出した。実際、今までの時間でもトイレに人が来なかったのは割合奇跡的な出来事であるが、いつまでもその奇跡に縋り続ける訳にもいかない。天心は今一度帽子を深く被り直す。帽子越しに二つのふくらみがその存在を主張するが、直接見られなければ単に団子状に髪を留めているだけと思われるかもしれない。女子らしい顔立ちだから、それ程違和感もないはず。

 そんな淡い期待を抱きながら、天心は覚悟を決める。


「ちょっと怖いけど……場所を移そう。デパートは人が多過ぎる。出来れば人気のない場所が良いね」

「……ふふ」


 横井が妖しげな微笑みを零したのを見て、天心は一瞬横井が妖怪ではないかと疑ってしまった。それ程までに横井のニヤけ面は気持ちが悪かったのだが、親友である天心はそんな印象をそっと心の奥底に仕舞い込む。


「良い場所があるのだよ。ここから三分くらいの所」


 トイレから去っていく横井の丸い後ろ姿は、天心には存外頼もしげに見えたのであった。




  *




 妖山駅から東側に徒歩で五分程歩くと、小規模な商店街が東西に軒を連ねている。肉屋魚屋八百屋金物屋などありふれた商店を通り過ぎて、そのまま東側の隅に辿り着くと、一軒の立派な門構えをした中華料理店が目を引く。その中華料理店は名を『興龍(こうりゅう)』と言い、空峰雲海はその店内の座敷の一角で、友人共々暇を持て余していた。

 綺麗に掃除の行き届いた肌触りの良い青畳を撫で、背を付けても塵一つ付かない壁に寄りかかりながら、最近書き直されたのであろう壁にかかったメニュー表を見つめて、雲海は惚けている。彼の周りに居る三人の友人も雲海とさして変わらない。机の上に並んでいた、空になった大きめの皿四枚はとうの昔に片付けられていて、雲海はふと壁に掛かっている時計に目をやった。

 午後二時。ここに来たのが午後一時少し前であるから、かれこれ一時間以上この店に居る事になる。


「……ねぇ、アンタ達」


 赤いエプロン姿の若い女性店員が、片眉を上下に震わせながら、今にも寝転がりかねない雲海達四人に声をかけた。どうやら苛立っているらしい、と雲海が気がついた時には、既に女店員はテーブルの上に手をついて雲海の隣で眠そうに薄目を開ける男を睨みつけていた。


「いつまで居る気なのよ、アンタらは。ウチは喫茶店じゃないんだから長っ尻されると困るんだけど」

「いつまでって……おいおい、客に早く帰れって言うのか?」

「飯食い終わったらさっさと帰るのが良客。デザートも頼まず居座り続けるアンタらは悪客。この世の悪は駆逐されて然るべきじゃぁないかね、チミ達ぃ」


 馴れ馴れしい態度のその店員は、雲海達の高校の同級生であり、同時にこの『興龍』の店主の一人娘であり、名を相川真見と言う。雲海始めとしたこの場にいる四人の男子高校生とはそれなりに仲の良い、活発な女子だ。夏休み中と言う事もあってか、実家の手伝いを強制されているらしく、注文取りやら配膳やらお冷やのお代わりやら常連さんとの軽い世間話やら、見ている方が目を回しそうなくらい忙しく駆け回る相川を見て、店屋の息子じゃなくて良かった、と軽々しく考える雲海であった。


「回転率悪いのよ。食い終わった後にもずっと居座られると」

「回転率って言っても、客なんて数えるほどじゃねぇかよ」


 雲海の隣の男は店内を見回した後、溜め息混じりに呟いた。彼の言う通り、店内の充填率は多く見積もって50%と言った所である。いくら何でも満員だったら流石に出ていくつもりをしている彼らがここで燻っているのにはそんな理由もあった。しかし何故それを口にしてしまったんだ、と雲海は呆れ果てる。

 フリスクを食ったら眠気が覚めるように当然の帰結として、相川が眉間に皺をよせ、拳を握りしめた。


「……シッキーにはお仕置きが必要なよう、ねっ!」

「あだっ」


 シッキーと呼ばれた男の頭に軽く拳骨をぶつけた相川は、続いて雲海のはす向かいの角刈り頭に目を向けた。最早、睨みつけていると言っても過言では無いだろう。


「で、早く出ていかないの、トモチン?」

「オレ達行くとこねぇんだよ」

「この暇人どもがっ!」


 相川の軽快な鉄拳制裁がトモチンの頭にヒット。続けてターゲットされたのは、雲海の正面に座していた若干褐色気味な長髪を揺らす男。何故か顎に手をやって微笑みながら相川を指差した。


「オレ達は君の働く麗しい姿を眺めるのが幸せなのです、お嬢様」

「はいはい。グルたんはそんな歯の浮くような台詞が良う似合いますねっ、と!」


 先程の二人と違い、拳を打った音が幾分大きく聞こえた。グルたんなる男の台詞は少し癪だったらしい。相川の鉄拳は既に三人の頭に確かなる傷跡を残しており、最早血に飢えた狂気の拳とかしたその一撃から逃れる術を、雲海は頭を軽く捻って考えねばならなかった。

 相川の輝く瞳と目が合う。彼女は既にこの状況を楽しんでいるらしかった。昼から店の手伝いとしてずっと店内を走り回っていたのだから、(てい)の良いリフレッシュにされているのかもしれない。

 労りの念を込めて雲海は、彼女のストレス発散に素直に付き合ってやることにする。


「で、クーちゃん、アンタはどんな言い訳を吐き出すつもり?」

「僕ん家はクーラーがないからここで涼んでる、ってのはどうかな?」

「で、出たー! 空峰お得意の貧乏話やー!」

「貧乏たぁ、失礼な事言いなさる」


 隣のシッキーと呼ばれていた男の頭を軽く打つ雲海。話にオチが付いた所で、相川が興味を失ったように四人の席から離れていく。


「ま、書き入れ時も終わったんだけどさ。クーラーばっか当たってないでどっかで遊んで来なよ」

「お前は俺らのお袋かっつの……」

「真見ちゃんって変なとこでおばさん臭いよねぇ」

「あぁ? 何か言った、クーちゃん?」

「いやいやなにも。おっと、携帯電話が……」


 相川の鋭い視線を受けた雲海は、慌てた様子で甚平の胸ポケットの中から携帯電話を取り出した。メールの着信であった。もしかして小森か、それとも薫かと若干期待しながら送信元を確認すると、雲海は怪訝そうに顔を顰める。差出人は、普段メールのやり取りなんて全くする事のない相手、河童の利休であった。怪しいとは思いつつもメールを開封する。


『Title:緊急事態発生

 天心が大変なことになってるぜ↓』


 メール本文の下に、二枚の写真が貼付されている。

 その被写体が弟である事に気がついて軽く驚く。

 そしてその頭の上に生えた猫耳と腰に生えた尻尾を見て、雲海は吹き出した。


「おい、汚ぇぞ空峰!」

「ご、ごめん」


 咳き込みながら隣の男に謝罪する。そして改めて写真を見直して、雲海は立ち上がる。


「ちょっと電話かけてくるよ」


 そう言い残して座敷から降り、今日履いてきた下駄に足を通して早足で店の外へ出る。途端、外の暑い空気が雲海の鼻から肺に向けて飛び込んでいくが、雲海はそれに気を留める事もせずに乱暴に携帯電話を操作して利休の番号を呼び出した。数コール後、利休が電話に出る。


「おい、利休! お前あの写真なんなんだよ! 天心で遊ぶんじゃない!」


 もしもしの定例句さえ抜かして、雲海は電話の向こうに不満をぶつける。受け取る側の利休は、如何にも心外であると言わんばかりの不満げな声で雲海に言葉を返した。


「おいおい、もしかしててめぇ、俺様が天心ちゃんにネコミミつけて悦に入ってる変態妖怪だとか思ってんじゃねぇだろうな?」

「うん」

「って即答かよっ! ……まぁいい。言っとくが、やったのは俺様じゃねぇ。嘘だと思うんならメールに書いた電話番号にかけてみな」


 そう言い残し、利休は一方的に電話を切った。腑に落ちない雲海であったが、利休に言われた通りにメールを読み返してみると、写真の更に下の方に携帯電話の電話番号が表示されている。その番号にプッシュすると、ほんの数秒と立たぬうちに相手が出る。


「もしもし」

「もしもし……もしかして、お兄ちゃん?」


弟の天心が電話に出たのは、声色と言葉から容易に想像がついた。

頼りない、と言うよりは泣きそうな声である。泣きたいのはこっちだ、と雲海は一人で嘆く。


「利休さんからのメール、見た?」

「あぁ。……正直、お前がそう言う趣味に走るとは思っていなかったよ」

「……ん?」

「確かにまぁ、手前味噌だが、悪くない。流石だよ、天心。僕は応援してやる。だから安心してくれ。父さんはどうだか分からないけど……説得になら協力するさ。ただ、金がかかりそうな趣味を選んだなぁ、お前も」

「……お兄ちゃん、なんかどえらい勘違いしてないかな?」


 勘違いも何もない、と雲海は草臥れたように肩を落とした。弟が猫耳つけるような趣味に目覚めたのだと本気で考えていた雲海なのだが、続いて聞こえてくる天心の本気の泣き声によってその考えを改めた。


「グスッ……酷いよ。僕は真剣に悩んでるのに……」

「真剣にって、お前。僕だって真剣に悩みたくなったよ。お前のコスプレ趣味に関して、僕の財布からは蛇の抜け殻くらいしか捻出できないぜ」

「そうじゃないってば!」


 泣き叫ぶ天心の絶叫を聞いて、さらに受話器の向こう側から「天心氏、落ち着いて」と言う野太い男の声が聞こえてきてようやく雲海は事態が割合ただ事でない事に気がついた。


「この猫耳は付けたんじゃなくって、生えてきたんだよぅ!」

「生えてきた、ときたか……」


 実は雲海にとって、これは想像だにしなかった事態とは言い難かった。

 天心が泣き始めた辺りから脳裏を掠めていた可能性の一つに、そんな荒唐無稽の事象があったのだ。まさかそんな怪しげな霊的障害が身内に襲いかかるなんて、と言う淡い希望は泡と碎けてしまったようであるが。一度大きく深呼吸した後、雲海は厳かに尋ねる。


「……お前、今何処にいる?」

「谷潟駅前の漫画喫茶の個室。ケンちゃんに連れてきてもらった」

「耳や尻尾は誰かに見られたか? 怪しまれたりは?」

「耳は帽子で隠れているし、尻尾はズボンの中だから、多分大丈夫。あ、ケンちゃんには事情を話してるからね。携帯電話もケンちゃんのだし」


 電話の向こう側の天心は徐々に落ち着きを取り戻してきたのか、声色が若干柔らかくなったのが雲海にとって幸いであった。


「……言っちゃぁ何だが、猫を虐めた事は?」

「ある訳ないじゃん!」

「だよなぁ。お前、動物好きだもんなぁ」


 しみじみ呟く雲海は、そのまま困ったように唸った後に、結論を先延ばしにする事に決めた。


「まぁ、生えてきた経緯はこの際どうでもいい。問題はお前のその頭と尻に生えた厄介な物だ」

「まさかこのまま生活する訳にも行かないし……」

「それだけなら良い……猫耳や尻尾ならまだ可愛いがな」


 雲海は急に声を潜めて厳かな口調で語り始める。


「やがて肉球や髭が生えてきて、体毛も増加、目の色も変化、挙げ句身体が縮み始めてやがて本物の猫に……」

「…………」


 天心の声にならぬ叫びが聞こえてくるようであった。


「まぁ、そうならない為にも、一刻も早く呪いを解く必要がある。……けど、お前今谷潟市って言ったよな?」

「そうだけど……」

「都合が良いんだか悪いんだか……」


 感慨深そうに呟く雲海が言っている事が、天心には分からない。雲海は話渋るようにもったいつけた後、恭しく口を開く。


「谷潟市にも一人、陰陽師が住んでいるんだ……知ってたかな?」

「……まぁ、何となく予想してたって感じかも」


 天心の記憶する限り、おおよそ一つの市町村に陰陽師が一人居た筈であった。人の多い県庁所在地である谷潟市にも妖怪はそれなりに現れるため、それを退治する陰陽師の存在は容易に想像がついた。


「家に帰ってくるよりも先に、そっちの陰陽師を尋ねた方が事が早いな」

「え? なんでさ」

「谷潟市に住んでいる陰陽師は、木鉤(きかぎ)と言うんだが……。そこは、妖怪の呪術に詳しくてさ。多分僕や父さんよりもよっぽどあっさりその猫耳を消してくれる」


 雲海は何でもないように言い放つが、当事者である天心としてはたまった物ではない。雲海の言う事は恐らく一理あるのだろうが、今天心はとても不安なのだ。いくら雲海や岩武よりも簡単に猫耳を除去してくれるとは言え、見ず知らずの陰陽師に自分の運命を任せるのは少し怖い。

 その旨を雲海に零すと、雲海は呆れたような声を上げた。


「おいおい、見ず知らずじゃないぞ、天心。覚えてないか、木鉤(きかぎ) 夜恵やけい。あそこのお袋さんとウチの母さんが知り合いでさ、お袋さんに連れられて昔何度かウチに遊びに来た事があった筈だ」


 雲海の言葉に、天心は黙り込む。しばらく閉口した後、天心は多少慌てた口調で尋ねかえす。


「昔って……いつ頃?」

「まだ母さんが生きてた頃だから……八年か九年くらい前になるかな。お前、夜恵(やけい)姉ちゃんには良く懐いていたんだけどなぁ。幼稚園の頃の事はもう忘れちゃったか?」

「えー……どうだったかなぁ」


 八年前ならば、天心は四、五歳くらい。そう言えばそんな人もいたかもしれない、くらいにしか思い出せない。それでも諦めずに必死にその木鉤夜恵なる人物の顔を思い出してみようと唸りを上げるが、やがて頓挫したようで、諦めた天心は、なおも不満を零す。


「あんまり久しぶりで突然押し掛けるのも、向こうの迷惑になるんじゃ」

「要らん心配するな。夜恵姉ちゃん、お前の事随分構ってくれてたし、顔見せるだけでも喜ぶと思うぜ。その上その可愛がってた奴が霊障で尋ねてきたと知ったら、協力こそすれ追い返したりはしないだろ」


 雲海は万全の自信を込めて天心にそう言い聞かせてやると、天心は再び閉口した後、彼にしては少し低めの声を出した。


「……お兄ちゃんは、それで良いの? 僕にかかった呪いを、木鉤さんに任せても」

「あぁ、勿論。耳が生えたって程度の呪いなら多分半日もかからずに終わるだろ。夜恵姉さん、二十歳過ぎたばっかなのに免許皆伝されて、実家離れて立派に仕事こなしてるって聞いた。見た目は怖いけど、占いは良く当たるって評判だし、霊障相談もかなりの件数をこなしてるらしい。ちょっと悔しいけど、僕じゃ全然敵わないくらい凄い人なんだぞ」

「そうじゃなくて……」


 電話の向こうの声が途切れた雲海は徐々に眉を顰めていくが、すぐに天心の溜め息が返ってきた。


「もういい。お兄ちゃんは僕の事が心配じゃないんだっ」


 どことなく拗ねたその声。


「……言ってる意味が良く分からんが、心配してるに決まってるだろ。だからウチよりも、呪いに詳しい木鉤さん家にお願いするんじゃないか」

「…………はいはい、分かったよ。じゃ、住所教えて。行ってくるから。晩御飯は用意出来ないと思うから、適当に食べてて」


 棒読みで静かに文面を読み上げるような無感情な声を出した天心。どうも苛ついているらしい。

 無視して駅から木鉤家までの道のりを告げると、天心は「分かった。じゃあね」と短く挨拶して早々に電話を切ってしまった。


「ったく……心配に決まってるだろ、馬鹿」


 雲海は歯を食いしばった。何かに耐えるように静かに唸り、目を携帯電話に落としたまま、その場からしばらく、動く事も出来なかった。

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