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怪奇!知らない世界の人々  作者: ずび
第六話 半妖
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6−4 猫の耳

 それから天心はどうにも機嫌が上がらなかった。隣を歩く横井が、どんな話題を振ろうか思考を巡らせるのが腕を組んで唸っている様が横目で窺える。申し訳ないとは思いつつも、気が乗らないのだ。折角遊びに出掛けたのにこれでは行けないとは思っているが、どうしても先程の少年と母親が抱き合っている瞬間が目に焼き付いてしまっている。微笑ましい筈のその瞬間を、何故か少し恨みがましく睨みつけてしまっていたのではないか。そんな危惧が頭から離れない。


「ねぇ、天心氏」


 ふいに横井が口を開く。どうやら、話題が決まったらしい。


「……ん」

「映画の上映時間まで、あと四十五分。お店出ちゃったし、これからどこに行くん?」


 携帯電話を見つめながら、横井がそう言った。

 四十五分と言うのは極めて半端である。約一時間とも言えるし、約三十分とも言える、使い道に困る隙間時間だ。ここから映画館までは徒歩で約十分。出来れば五分前までには到着しておきたいから、残りは三十分。三十分では先程の用に喫茶店で時のんびり間を潰すにも少し短過ぎるし、もう一度デパートのゲームコーナーに飛び込む気にもなれない。

 今から映画館に向かうと余裕で待ちぼうけを喰らう羽目になる。

 結局天心は「まぁ、のんびり映画館に向かえばいいんじゃない」と言う意見でお茶を濁そうとした。何かしよう何かしようと思考を巡らせながら結局何もしない、家事を全て終わらせた午後三時の専業主婦のような気分で大通りを歩いている二人は、駅前大通りが国道と交差する地点で信号待ちを喰らう事になった。


「……凄い人の数」


 横断歩道で信号待ちをしている間、道路を挟んで対岸にひしめく人の群を見ると、改めて妖山市とは違う人口の驚かされる。信号待ちで苛立つように足踏みしている人々を見ていると、何故かこちらまで急かされているような気分になった。


「……信号、長いねぇ」

「国道と交差してるからね」


 なんとなしに後ろを振り返ってみると、自分達の後ろに次々に老若男女の人の群が、テトリスブロックのように隙間なく積み重なっていく。そのうちの一人、柄の悪い金髪男と目が合ってしまった天心は、慌てて顔を正面に向ける。既に一分近く立ち止まっているのだが、未だに交差信号は黄色になる気配さえ見せない。ジッと日陰の入る余地のない交差点で立ち止まっていると、天空からの陽光と眩しい照り返しによって暖まった町の猛暑に意識が向いてしまう。

 横井は、全身から汗を噴き出させている割には冷静だ。普段通りだから、もう慣れてしまっているらしい。天心は汗こそかかないものの、それがかえって体温の上昇を促し、軽い目眩さえ覚えていた。熱中症寸前である。倒れたら大事だ、と兄に言われたのを思い出し、少し早いけどやっぱりこのまま映画館に飛び込んで休もう、と考えた。

 映画館まではあと五分程歩けば到着できる筈。それまでの辛抱だ。

 そして、信号が青に変わる。


「う、わわ」


 人の波が動き始めた。まるで雪崩でも起きているかのように、背後に人間が早足で一斉に前進していくのだ。最前線にいた天心は、後ろから大勢の人に押されてバランスを崩して躓いてしまった。


「おっと」


 天心が転ぶ寸前、横井が彼の手を取って天心を支える。そして、そのまま引っ張り上げて天心を立たせた。


「危ないよ、天ちゃん」

「ご、ごめん。ありがとう」


 謝罪する天心は、横井の優しい声と「天ちゃん」と言う呼称を聞いて、思わず照れて頭を掻いた。横井から「天ちゃん」と呼ばれるのは天心にとって随分と久しぶりであった。今のようなオタク趣味に染まる前まではそう呼んでいたのに最近は「天心氏」と言う奇怪かつ他人行儀な呼び方になっていたのを、天心は密かに疎んでいた。


「疲れてる? どっかで休もうか?」


 横井は真剣に天心の体調を懸念しているらしく、真っ直ぐに天心を見つめていた。天心は近付いてきた横井の巨顔に思わず背筋を逸らしながら、苦笑いした。


「いや、大丈夫だよ。映画館まではすぐそこでしょ?」

「まぁ、それはそうだけど……歩ける?」

「心配し過ぎだって。大丈夫大丈夫」


 横断歩道の手前でいつまでも立ち往生している訳にもいかず、天心は横井を急かした。既に横断歩道の青信号は点滅を始めている。待っていた大勢の人々も既に渡り終えていて、横断歩道付近には最早天心と横井しかいない。


「早く行こう。暑いのが一番辛いしさ」

「それもそうだ……」


 そう言って横井は額の汗を拭ってから歩き出す。それについていこうとした天心だったのだが、彼は足を止めた。

 音が聞こえる。全力で吹かしている、まるで爆発するような車のエンジン音が、ふいに天心の耳に留まった。それに少し遅れて、パトカーのサイレン音が聞こえてきた。


「あれ、天心氏、どったん?」


 横断歩道のど真ん中で、振り返った横井が首を傾げる。とても大きな音に感じられたのだが、彼には聞こえていないらしい。

 天心が音のする方に目をやる。

 道路の彼方に向けられた大きな瞳に、青いスポーツカーが映った。

 スピードを緩める気配がまるでない。アクセルをベタ踏みにして、高速道路を走っているかの様な速度で横井の方に迫っている。その車の背後遥か彼方先で、パトカーがゆったりとした速度でサイレンを鳴らしながら追いかけていた。このスポーツカーがどうしてパトカーに追われているかどうか、天心には分からない。

 しかし、今まさに横井の身体に迫っているスポーツカーが、横井の為に停止してくれそうにない事だけは理解出来た。

 自分と母を死別させた忌まわしき事故の顛末が一瞬で脳裏を掠める。横井の巨躯は線の細かった母とは全く真逆の姿をしていたが、母の幻影が重なって見えた。歴史は、繰り返されるものだ。このままでは、横井の命はない。天心は確信していた。目の前で横井の汗だくの身体が血塗れになる様は、まるで未来予知が出来るようになったのかと思う程鮮明なイメージとなって天心の脳を揺さぶった。


「ケンちゃん!」


 天心は叫び、同時に走り出していた。横井は今まさに自分を轢き殺そうと迫ってくるスポーツカーを見つめて、呆然と立ち尽くしたまま、動かない。天心には分かっている。横井が動けない理由を、身を以て知って覚えているから。

 だから、助けてやらなければならない。

 このまま目の前で親友に死なれてしまう。そんなのあんまりだ。天心は反駁する。理不尽なこの世に反抗する。

 何故だ。なんでよりによって同じような状況で、同じように大切な人の死を見なければならないんだ。混乱も恐怖も躊躇さえも何処かに置き忘れてしまったらしい。驚愕はとうの昔に過ぎ去り、天心は激昂した。かつて自分が母に助けられたように、横井を、大切な親友を助けなければならない。


「シャッ!」


 横井の身体を追いかけて、彼に向けて全力で跳躍した。

 弾丸のような速度で、天心は横井の大柄な身体を大きく弾き飛ばした。

 横井の無事を確認してから、天心は再びスポーツカーを眺めやる。百三十キロは出ていたその車までの距離は、僅か一メートル。天心に激突するまで、間がない。

 しかし、天心はそれを視認する余裕があった。車の動作がスローモーションのように見えていた。

 死が迫る瞬間は周りの景色が遅く見えると言うが、その感覚ではなかった。

 神経が異常なまでに研ぎ澄まされている。車の車種、ナンバー、運転手の男の人相とその慌てふためいた表情、助手席の女のしかめ面、全てに目をやる余裕さえあった。

 天心が再び小さく身を屈め、足に力を込めると、足先がアスファルトにひびを入れ、小さくめり込んだ。溜めた力を解き放ち、全力でその場から離脱する。

 空気を押しのけて飛び上がった天心の身体は、四メートル近くも上昇していた。視界の遥か下方で車が通り過ぎて行くのを宙返りしながら確認した天心は、空中でバランスを崩して倒れている横井の柔らかい腹と胸の上に落下した。横井の苦しそうな呻きが、幽かに聞こえた。


「いってて……」

「けほっ……て、天ちゃん……無事?」


 目の前の横井が、涙声で尋ねていた。手には、今しがた落下した天心の帽子が握りしめられている。

どうやら、助かったらしい。自分も、横井も、生きている。天心は安堵の溜め息をついてみせた。通り過ぎた車のクラクションとパトカーのサイレンの大音量が彼方から聞こえてきて、それを合図に周りは騒然としはじめている。

 しかし、今しがた命の危険にあった渦中の天心は、軽く微笑んでみせる程の余裕さえあった。


「僕は大丈夫。ごめん、ケンちゃん。下敷きにしちゃって。怪我はない?」

「うぅん、天ちゃん、本当にありがとう。死ぬかと思っ……」


 今の今まで大粒の涙を零しながら泣いていた横井の表情が、急に凍り付いた。首を傾げる天心は、ふと周りにも目を向けてみる。道を行き交う人々は、様々な感情を含んだ視線を天心と横井に向けていた。奇妙に顔を歪める人、何故か苦笑いをしている人、嫌悪感を剥き出しにして睨みつける人、その他諸々。

 確かに今しがた騒動を起こしたのは事実だが、普通ならもう少し驚愕の顔を向けるんじゃなかろうか。

 天心が混乱の真っ最中である中、横井がふいに天心の頭の上に手を伸ばし、何かを掴んだ。


「フリージア、たん……?」

「んにゃ?」


 全く意味が分からない天心は、横井の手をどかすが、その折に彼の手もまた、何かに触れる。髪ではない、何か。まるで身体の一部を触ったように、触られた側も何かしらの触覚を示している。頭皮が剥がれたのか、と言うグロテスクな想像もあったのだが、手に返ってくるのは柔らかい毛皮のような感触。それは頭の上に二つあり、意識を向けると僅かに上下した。頭の上に何かが生えたようだ、と言う荒唐無稽な発想は浮かんだが、横井の顔を窺う限りあながち間違っていないらしい。


「天心氏、頭に……」

「こ、これ、何だ? これ、何?」

「頭に猫耳生えてる」


 天心は、ここに来るまでの電車の中で横井に見せられたアニメのキャラクターを思い出し、そして自分の頭の上にある二つの突起に触れて、不思議な納得を得た。そして続いてやってきた混乱によって遠のきかけた意識を必死で繋ぎ止め、横井の手の中にあった帽子を奪い取って深々と被り、立ち上がった。

 周りの人間は未だに遠巻きに天心達を見つめている。脇目も振らずに全力で走って逃げ出すには、割と都合が良かった。

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