5−終 今後の展望
翌日。午前十時半。
色々と気になる事が多過ぎて碌に眠れなかった薫は、ローライズジーンズと白いTシャツと言う格好で、目の下に隈を作ったまま、天高く太陽輝く炎天下の山田村を歩いていた。麦わら帽子を被って、いつも結っている髪は、昨日と同様にほどいたまま。ただし、昨日と違って手入れをした髪は、薫が思った以上に綺麗なストレートを描いてくれた。
体は限界まで疲れていたが、自然と足取りは軽かった。朝、病院から貰った知らせ……三浦が意識を取り戻した、と言う知らせを貰ったお陰である。今更ではあるが、薫の足は病院に向いている。ユリアンは未だに眠りこけている。玄米もユリアンの活躍を聞いて、痰を嚥下するような動作で胸を撫で下ろしていた。
昨晩起きた派手な騒ぎの残滓は、しっかりと山田村に爪痕を残していた。
昨日村の空を覆った巨大な円盤に関する目撃談も当然溢れており、やれU.F.Oやら天狗の仕業やらと節操なく噂が飛び交っている。空の円盤に関連してか、昨晩描いたユリアンのパターンもミステリーサークルとして村民を騒然とさせている。この騒ぎを聞きつけて来たマスメディアがちらほらと道ばたで老人達に事のあらましを尋ねているのと、薫は既に何度もすれ違っていた。薫も何人かの記者にインタビューを受けたが、その一切を知らぬ存ぜぬで突き通す。三人目の記者を愛想笑いで追い返した頃になってから薫は普段より騒がしい村を眺めて、まだまだこの村にも活気が残っている事を知った。
例外は、今しがた彼女が辿り着いた医療機関である山田村総合病院くらいなものだ。
「先生ーっ!」
病室ではお静かに、と言う常識を守る気がない薫は、三浦の個室の病室に飛び込むなり、ベッドの上の三浦に飛びかかった。その時三浦は眠っており、突然の衝撃に心臓が口から飛び出る程驚き、やがて、自分の胸の中にいるのが誰なのかを知って、鼻から息を抜いた。
「こら、薫ちゃん。私、怪我で入院してるって事、忘れてないかい?」
「え、あ、そ、そうだった。ゴメン、先生」
「全く……まぁ、貴方が楽しそうで、私も嬉しいわ」
ようやく離れた薫に自然な笑みを返した三浦は、薫の顔を眺めて、少し目を丸くする。薫の怪訝な顔を見て、三浦は何故か楽しそうだ。
「なんか、不思議な夢を見たのよね」
「……夢?」
「うん。なんか、私、昏睡状態だったんだってね。今朝目覚めた時、お医者さんが驚いてたわ。それで……寝てる間、ずっと夢見てたのよ」
「どんな夢?」
「身体が小鳥になって、籠の中に閉じ込められちゃうのよ。出してーって言っても、誰も聞いてくれない。……そんな感じの夢だったなぁ」
三浦は少し真面目な顔を作って、薫の方を見つめる。見つめられた薫は、何だか全てを見透かしそうな三浦のその目に吸い込まれてしまうような気分だった。
「でも、最後には薫ちゃんに良く似た人が籠の口を開けてくれて、そこから飛び出して目が覚めたのよ。なんか、変な夢よねぇ? 何であんな夢見たんだろ。薫ちゃん、何か知ってる? なんてね」
苦笑しつつ、ふざけて尋ねる三浦。そんな三浦の笑顔を、薫は少し惚けた顔をして見つめ、やがて悪戯っぽく微笑んでみせた。
「……教えて上げてもいいけどさ」
薫は言葉を区切った。その笑みの意図は、脅かし半分そしてもう半分は、三浦への労り。
「本当に知る勇気、先生にある?」
薫はまるで彼女の度胸を試すように、そう三浦に問う。三浦は怪訝そうに眉を顰めたが、人差し指を顎に当てて悩んだあと、肩を竦めて笑ってみせる。
「知らなくっていいや。世の中には、不思議な事が一杯あるもんね。薫ちゃんみたいに」
「なによぅ、私が不思議って……いや、まぁ、不思議、か」
「そうそう。それで、薫ちゃん」
三浦の声が少し険しくなる。薫は少し体を強張らせる。未だに薫は、三浦に恨まれているのではないか、と言う疑念が完全に拭い去れてはいないのだ。叱られるのを覚悟するように目を瞑って三浦の言葉を待つ薫の頭に、こつんと軽く拳骨があたった。そしてその拳骨はすぐに開き、そのまま薫の頭を撫でる。少しだけ汗ばんだその髪は、纏まったまま頭の上で散らばった。
「無理して笑ってるねぇ、薫ちゃん。本当は何か、大きな悩みを抱えてる……そんな顔してるよ」
薫は一瞬だけ虚を突かれたように惚けた顔をしたが、やがて自嘲気味の笑みを浮かべた。
「…………凄いなぁ先生は。何でもお見通しみたい。私より、よっぽど超能力者やってるよ」
「あら、本物にお墨付きを貰うなんて、私にも才能があるのかしらね?」
三浦は少し薫をからかいつつも、薫から無理に話を聞き出そうとはしない。ただ、薫が話すのを待つ。三浦は常に、薫に一定の態度で接してきた。優しく、行き過ぎた事には厳しく、そして、自分は常に全力を出して、生徒に接する。故に三浦は、ある意味では薫の基準点と呼べる存在であった。だから薫も、三浦にありのまま、自分の陥っている状況を語り始める。
「……友達が、出来たんだ。
ずっと前から知り合いだったけど、初対面で大げんかしちゃって……ずっと疎遠だった子」
「へぇ……そうだったんだ」
「でも昨日、やっと分かり合えて……友達になれたんだ」
薫はズボンのポケットの中から、黒い大きな釦を取り出して、三浦に見せる。
「なのに……その友達は、どこかに行っちゃった。連れて行かれちゃったって方が、正しいかも」
「……その子を助けたいのね」
「うん。それで、別の友達の力を借りて……でも、助けられるかどうか、分からないの。本当に……本当に遠くって、遠過ぎて……私が、追いつけるのかどうかもはっきりしない」
薫の顔が天井を仰ぐ。まるで空の彼方でも眺めているような遠い目は少しだけ赤くなっている。
「今だって必死に探してる。でも、駄目なのよ。全然見つからない。……折角の超能力も、肝心な時には全然役に立たないし。私、本当にあの子を助けられるのかな?」
薫の瞳が震える。今にも泣きそうになりながら、三浦を見つめている。対する三浦は、少し呆れたような顔で薫に応える。
「あらあら。残念だけど、私が答える事は出来ないわ」
薫は悲しそうに眉を下げるが、三浦は構わずに言葉を続ける。
「薫ちゃんって「諦めなさい」って言ったら、逆に意固地になるタイプじゃない? それとも、今度は本気で諦めちゃうの?」
「……無理」
「だったら、やるしかないでしょ?」
三浦の声は何処までも優しい。そして、同時に薫を突き放すような無慈悲さも兼ね備えていた。薫には既に選択肢はなかった。手の中の釦を握りしめる彼女は、大きく一つ深呼吸して、お礼を言う。
「ありがと、先生。スッキリした。……そろそろ行くよ」
「あら、そう。残念ね」
薫は立ち上がる。そして、三浦に背を向けて、病室の出口に向かう。結われていないストレートヘアーが揺れているのを見て、三浦は少し嬉しかった。薫が一歩、大人に成長しているのだ、と言う事を実感出来た事が。
「先生、もう一つ……聞いてもいい?」
病室の扉に手をかけた薫が、既にベッドに身を倒している三浦に、振り返らずに問う。彼女は本当に話し辛そうに、しかし、躊躇しつつも口を開く。
「もしも……自分って存在そのものがよく分からなくなっちゃったら……先生はどうする?」
「あらら。哲学ねぇ、薫ちゃんもそんな年なんだ」
少し茶化すような三浦だったが、質問の内容を噛み砕き、そして不安を覚える。もしかして彼女が抱えている闇は、自分が思う以上のものなのかもしれない。自分を怪我させた事なんて目じゃないくらいに、恐ろしい事態を目の当たりにしているかもしれない。……と、ここまで考えて、三浦は思い当たる。
結局三浦は、三浦自身の言葉を話す事しか出来ない。的確なアドバイスなんて、元より求められていないかもしれない。薫はいつもは少し抜けているが、いざと言う時には冴えた頭脳を発揮するタイプだ。三浦が的確な答えをするとは、思っていないだろう。それでも薫は、三浦に質問をぶつけた。だから三浦は、三浦が思う言葉を口にするのみだった。
「取りあえず、鏡を見る。で、自分の姿を確認する! それでも不安なら、自分の体を触って、確認する!まだ不安なら、誰かに抱きついて確認してもらう! ってのは、どうかな?」
「分かった。今度、やってみる。じゃ、またね」
静かにそう言って、薫は病室から姿を消した。去り際に踊った薫の後ろ髪が揺れるのを見て、三浦はどうしても不安を覚えてしまった。彼女の問いの真意は何か。そして、彼女が直面している問題は何か。隣に立って、一緒に居て上げたい、と三浦がどれだけ考えても、三浦自身が抱える問題もある。この体の治療もあるし、再就職先だって考えなければならない。三浦の未来もまた、過酷なものになりそうである。だから三浦は、座して待つ。薫の基準となる存在として、彼女の振り出しの道しるべとして。薫が何かに迷っても、どんな絶望を味わっても、変わらずに薫の故郷に居る事。それが三浦が自分の生徒に出来る、最大限の貢献だった。
*
家に帰り着いた薫は、すぐさま雲海に連絡を入れた。理由は勿論昨晩の謝罪と感謝と相談である。家の電話のボタンをプッシュして、ユリアンと玄米が見守る中、薫は電話をかける。ちなみに両親は既に仕事に出ていってしまっているので、家にはいない。
「はい、もしもし」
「昨日はごめんなさい」
雲海の普通の挨拶に反して、薫は定例句の挨拶さえ抜かして謝罪した。どうせ雲海には見えやしないのに深々と頭を下げている薫を見て、ユリアンは思わず笑ってしまった。薫は、すぐ側で聞き耳を立てつついやらしく笑うユリアンを疎みながらも、謝罪の言葉を続ける。
「ちょっと色々ありまして……お陰で何とか無事に済みました」
「いや、君が無事で良かったよ」
「クーちゃんには感謝してもし切れないよ……。それより、昨日のあのお守りの光は一体……」
雲海の声が聞こえて、口裂け女の包丁を押しとどめたのは、他ならぬ雲海がくれた折り鶴だった。
結局あれは、どんな現象が起きていたんだろう、と薫が質問する。
「君に渡した折り鶴は、僕が普段使役している式神を宿していたんだ。それで昨日、君のピンチを僕に知らせ、無理矢理意識だけ引っ張り出してきたのさ。僕と式神の間にある、呪力供給用の回線を通じて、ね」
「……相変わらずよく分かんないから、どうでもいいや」
「君も慣れてくれよ。これでも分かりやすく言ったつもりだ」
とぼける薫に、呆れたような言葉を浴びせる雲海が、そのまま話を切り替える。
「それよりも、ユリアンは役に立ったのか?」
「失敬な! 我もちゃんと頑張ったもん!」
ユリアンが声を上げた。電話口の小さい声を聞きつけたその素晴らしい聴力は評価すべきだが、盗み聞きはマイナスポイントである。そして、立ち上がって薫から受話器を奪い取ろうとするユリアン。薫はそれを何とか押しとどめて、話を続ける。
「私が生きていられるのはユリアンのおかげだよ。凄い術使ったんだから。京都の再現……だっけ、そんな感じの奴。いやぁ、先生も私も、ユリアンがいなかったら一体どうなっていたか……」
「………………」
「ん、あれ? もしもーし?」
雲海の声が止まる。声こそ聞こえはしないが、何となく雲海が肩を落としている様が見えてしまうようだった。別に遠隔透視を使わなくても、だ。
「え、え? わ、私何か変な事言った?」
「いや……君の言う通りだ。ユリアンは凄い奴だよ、本当に……それなのに……」
「なのに?」
「全く……僕は何やってんだかなぁ」
雲海は分かりやすいくらいに落ち込んだ声を出していた。原因は薫には分からない。しかし、それは当然の事だった。薫を口裂け女から守る、と誰よりも意気込んでいた雲海だったが、その事を誰かに話したりした訳でもない。彼はその役目をユリアンに奪われてしまった事が、何故か途方もなく残念に思えたのだった。彼女が無事ならそれでいい、と雲海も分かってはいるが、そういう合理的な理屈とはそぐわぬ感情があるのもまた事実。
「あ、あのさ、クーちゃん。何だか分かんないけど、あんまり落ち込んじゃ駄目だよ」
薫はそれを察せずに、しかし取りあえず慰めを試みる。そのついでではあったが、薫は胸の奥で燻っていた気がかりな事を問う事にした。
「クーちゃん、あのお守り……玄米さんに言われたんだけどさ。式神を入れたお守りを渡すなんて……その……す、凄く大事にされてるって」
正確には少し違う。余程愛されている、と言われていたのだ。勿論そこまでストレートに本人に聞く事は出来ないので、薫は直接的な表現を避けて雲海に聞いてみた。一方の雲海は特別恥ずかしさもなく、あっけらかんと答える。
「ははは、大袈裟な。いや、でも……うん。とっても大事に思ってるよ、君の事」
肯定の言葉を大真面目な声で言い放つ雲海。薫は思わず手から受話器を取り落としそうになる程度には動揺し、言葉を失う。頬が紅潮した。心臓が一瞬だけ大きく跳ねた。それは、電話の向こうの雲海も同じであった。
「……って、僕は何恥ずかしい事言ってんだ! あー、その、なんだ……。ま、まぁ、アレだよ。うん、ほら、君は大事なと、友達だしさ!」
「そ、そうだね! 私達、大事なト・モ・ダ・チだもんね!」
お互い声を裏返しつつ、照れを誤魔化すようにテンション高く笑い声を交えて受け答えをする。自爆した雲海も雲海のせいとも、地雷原に突入した薫のせいとも言えるこの状況。先に根を上げたのは他ならぬ薫だった。
「そ、それじゃ! また、今度ね!」
「う、うん。またね」
そう言って、薫は叩き付けるように受話器を電話の本体に戻す。少し荒くなっている息を整えながら、視線を横にスライドさせると、ユリアンが腹を抱えて笑っていた。
「HAHAHA! You、顔真っ赤っか! おさるさんみたいですの!」
「な、何言ってんのよ……別に私は……クーちゃんの事なんて別に全然」
「はーい、生ツンデレ入りまーす」
「ツンデレじゃないもん!」
薫が必死に否定すれば否定する程、ユリアンの口角の角度は上がっていく。次第に薫が涙目になりはじめたのを見て、ユリアンはようやくふざけるのを止めた。
「さーてと、おふざけはここまで……でっせ」
「……うん」
ユリアンが相変わらず脈絡もなく、突然真面目な声を出す。彼の隣に座っている玄米はこくり、こくりと首を振っている。どうやら、眠っているようだった。この場にいるのは、実質ユリアンと薫だけであった。クーちゃんと屋上で話してる時みたいだな、と薫はまた少し顔を赤くしながら思い出していた。
「口裂け女が去った原因、理由、そして場所……分かる事は、何一つありませんな」
「……口裂けさんを連れ去ったあのU.F.Oの正体も、ね」
薫の付け足しに、ユリアンは頷きを返す。
「あのU.F.Oから現れた人影は……あー……」
「別に、遠慮しないでいいよ。私だって分かるもん、あの姿は……」
「そう、ですか……では。
あのU.F.Oから現れた人影は薫そっくりでしたわ。
それも、重大な謎の一つとして……考えても良いでしょう」
薫にとっては、ある意味口裂け女の所在以上に重要かもしれない問題である。何故宇宙人があれ程薫にそっくりな姿形をしていたのか。ユリアンは、適当な仮説を立てはじめた。
「変化妖怪……と言って、他人の姿形を真似る妖怪がいます。
空から降りてきたあの二人の宇宙人も、或いはそのような性質を持っているのかも知れませんな」
「……そういうもん、なのかなぁ」
薫は腕を組んで頭を悩ませるが、結論は出そうにない。何にせよ、あまりにも情報が少ないのだ。口裂け女を捜すにも、宇宙から来たあの二人の正体を探るにも。
「一先ず早急に解決すべきProblemは、口裂け女の方でーすね。
宇宙人に連れ去られたんなら、キャトルミューティレーションされてまうかもしれへん。
可及的速やかに彼女を救出すべきなんすわ」
ユリアンの言動に、薫はおや、と思う。今までユリアンは口裂け女の事を、奴とかあの妖怪、とか表現していたはずだ。彼女、と呼んだ事は一度もなかった。少し不思議ではあったが、別段問いただす問題でもないので、薫はユリアンの言葉を聞き続ける。
「取りあえず、誰かしらに協力を募らねばなりますまい」
「……協力してくれるかなぁ」
薫は不安げに呟く。お役所仕事的な陰陽師が、管轄外の面倒な仕事であるこの問題に力を貸してくれるだろうか。なんせ助け出す対象は、本来彼らが退治しなければならない妖怪なのだ。ユリアンもそれを承知なのか、わざとらしいくらいに大きな溜め息を吐いてみせて、首を左右に振った。
「あまり期待できぬのだ。誰だって蛇が出そうな薮を突ついたりせぇへんし、Frontier精神溢れた陰陽師と言うのもそうそういないであろう」
「でもでも、放っておいていいとも思えないでしょ?」
「Exactly。But、被害を受けたのは害のある妖怪。福の神が誘拐された、とかでない限り、国が陰陽師連中を今すぐ動かす理由としては少し弱い。それに、宇宙人が妖怪を攫った、なんて話して信用されるとも限らぬ」
最早口裂け女は悪意の欠片もない温厚な妖怪になっているのだが、その事実を知っているのは薫とユリアンだけだ。実際に目撃していなければ、そもそも宇宙人が現れた、等と言う話も碌に信じてもらえない可能性がある。薫は頭を垂れた。救い出すと決めたのに、もう壁にぶち当たっている。前途多難にも程があった。
「一体、どうすればいいんだか」
「まぁまぁ、そう落ち込むない、カオル」
ユリアンは下を向いている薫の後頭部を軽く叩いて笑った。痛くはなかったが苛つきはしたので、薫が顔を上げて睨みつけてやると、ユリアンは怯まずに笑うばかり。
「我にGreatなIdeaがあるのだ。まずは、それを実行してからでも遅くはあるまいて」
「そ、そうなの? 一体どんな案?」
「どこの世界にも識者とか賢者とか呼ばれる者は居るものでな」
「賢者? ……何て胡散臭い」
「なんとまぁ失礼な……まぁ、良かよ。
丁度近々尋ねる予定もあったので、今から連絡を入れてみるのだ。って訳で、少々外しますぞ!」
ユリアンは声高に宣言して立ち上がり、ふすまを開けてそのまま部屋を後にした。後に残った薫は、腰を下ろして、何気無しに玄米の方を見る。視線に気づいた玄米は、いつの間にか起きていたらしく、薫の方に人の良さそうな穏やかな笑みを返した。
「大変な事になったようじゃの……」
「……そうなのかも知れませんね」
薫が顔色を暗くする一方で、玄米はむしろ声を上げて笑い始めた。
「じゃが、ワシはあまり心配しとらんよ」
怪訝そうな薫を尻目に、玄米は立ち上がる。相変わらず腰は曲がっているが、足取りは今まで見た中では最も軽やかであった。
「君には、不思議な力がある。超能力ではない、全く別の力がの」
「……別の力?」
「ゆりあんが、君を通して妖怪の為に、力を発揮しようとしている。妖怪に対して憎しみしか抱いていなかった彼が、どうやら一皮むけたようじゃ。他ならぬ、君のお陰で」
そう言って玄米は薫を指差した。薫は思い返してみるが、別に彼に特別何かをしてあげた記憶はない。薫は首を傾げて見せるばかりなので、玄米はまたしてもおかしそうに笑った。
「ワシが言うべき事は……そうさな。お嬢ちゃん……いや、薫殿。これからも、ありのまま、己の心の従うままに、生きていって下され。それはきっと、最良の結果をもたらしてくれようとも」
「……えっと…………わ、分かりました」
玄米の言っている事は、薫にはよく分かりはしない。しかし玄米はそれでいい、と思っていた。曖昧な頷きを返した薫に背を向けて、玄米は部屋を後にする。その背中を見送ってから、薫は畳の上に再び寝転がった。
嫌な予感がする。
口裂け女の行方とか、宇宙人の正体が何なのか、とか、それ以上の何か、恐ろしい事が起きる気がするのだ。天井の木目を見つめながら、薫はこれからの事を考えるが、どうにもネガティブな考えばかり思い浮かぶばかりだった。
「止ぁめたっと」
いずれ、事態は進展する。今から走り回っても、疲れるだけだ。何が起こっているかを把握して、全ての準備を整えて、全てはそれから始まるのだ。だから今薫に出来る事は、たったの一つ。
「ねむぃ……」
疲れた体を癒す事、だけである。欠伸混じりにそう呟いた彼女が意識を手放すまで、十秒とかからなかった。
第五話はミステリーサークルでした。
本小説ではあまりミステリーサークルの定義に沿った設定は用いられていませんが、ここに簡単な概略を書いておこうと思います。
欧米や英国を中心に発生している超常現象で、主に穀物畑の作物が円形に倒された痕の事を言います。描かれる図は大抵が幾何学的で、円が重なり合ったりして一つの大きな図を作っている、と言う形式の物が多いようです。発生起源は、宇宙人が描いた、悪魔の仕業、魔術を行なうための魔法陣、竜巻やプラズマによるもの、等々、非常に多説あります。しかし現在では発見されているミステリーサークルの殆どが人為的な物であるとされており、製作者自身がカミングアウトすることも少なくありません。最早現代では、穀物畑を利用した一種のアートと言う認識の方が一般的かもしれません。全てがそうだとは、限りませんけれども。
もし貴方に穀物畑に悪戯をする勇気があれば、オリジナルのミステリーサークルを描いてみるのも楽しいかも知れませんね。
※真面目くさった後書きは作者の活動報告の方にございます。