5−10 未知との遭遇
空に浮かんでいた巨大な物体は、ゆらゆらと左右に揺れながら、間もなく山田村全体の空すらを覆ってしまう程巨大なその全貌を徐々に現していく。円盤状で、薄っぺらい。遠目で見るとまるで銀色のシチュー皿のようなその奇怪な姿を見て、ユリアンと薫は身動きが取れない程緊張していた。映画やテレビで見た空飛ぶ円盤なんかよりもよっぽど無機質で、不気味で、奇妙な金属の塊が、まるで山田村をドームの様に覆っている。薫は身動きがとれず、ただ呆然とそれを見上げるばかりだった。
ユリアンは既に動いていた。咄嗟の事でどう対処すべきか迷ったユリアンだったが、本能的に異物を迎撃するように身体が動く。地面にパターンを描くと、パターンの中から黄色い羽毛を生やした燕が無数に飛び立って、巨大な竜巻を形作りながら、空に向かっていった。しかし、その黄金の竜巻は、円盤から放たれた緑色の稲妻によって呆気なく散らされてしまう。
「Oh my God! 我の術が通用せぇへんぜよ!」
「降りて来る……」
「What?」
薫は感情を抜かれたかの様に茫洋とした目で、円盤の一点を眺めていた。ユリアンは薫と同じ点を眺めるが、彼は何も見えない。薫の視線は段々と下に降りてきてやがて、口裂け女が歩き去った道の方に向いた。
「……ヤバい!」
薫は走り出す。口裂け女の後を追って、全力疾走で。念動力で無理矢理足を振り、人間が出せる限界を遥かに超える速度で、村の中を駆け抜けていく。ユリアンは咄嗟の事についていけなかったが、薫のただならない様子に、何かしらの危険な匂いを察知する事は出来た。
「Wait! カオルー!」
彼の声は既に薫の背中には届かない。仮に届いているとしても、薫は立ち止まる様子を見せなかった。仕方なく、彼は疲労困憊の体に鞭を打って彼女の後を追った。
*
薫は悪意を感じていた。妖怪が放つ者とは全く別種で、まるで比べ物にならない程強大な悪意を。口裂け女が、危ない。そう告げるのは何だ。自分の意志か、あるいはあの円盤か。
「口裂けさん!」
タバコ屋の曲がり角を曲がったその先で、口裂け女は呆然とした表情で、髪の毛を顔に貼付けながらも空に浮かぶ円盤を眺めていた。薫は慌てて駆け寄ろうとする。
が、しかし。
走り出した薫の体に、何か大きなものがぶつかった。弾き飛ばされる寸前、咄嗟に念動力でその何かを吹き飛ばしつつ己の体を捩じ込もうとするが、失敗。薫は弾かれ、道路に投げ出されてしまった。
「な、なんだこれ」
見えない何か。そう形容するしかない、透明な壁。いや、違う。と薫は頭を振る。これは、誰よりも薫が良く知っているもの。今まで薫が己の手足の様に操っていた、彼女だけの、いや彼女だけの物『だった』特別な力。すなわちそれは。
「念動力で作った空気の壁だ……!」
訳が分からなかった。
自分以外にこんな事が出来る者がいるのか? いるとしたら、何故私を弾き出したんだ?
混乱する薫の目の前に、更に驚愕の光景が飛び込んでくる。空から……空を飛んでいた銀の巨大な円盤から、二人の少し小柄な人影が物凄い速度で風を切って落下してきた。古びたアスファルトを落下の衝撃で粉砕し、砂煙から悠然と姿を表したその二人の人影は、あっという間に口裂け女に近付いて、その体に掴み掛かる。口裂け女は抵抗するが、薫がそうしたように……恐らく念動力によって動きを封じられ、やがて意識を失ったかの様に動きを完全に止めた。人影は頷き合い、口裂け女の体を抱きかかえて、軽く地面を蹴って空の円盤に向かって飛んでいく。飛び立つ、と言うよりは、エレベーターで上がるように、一定速度でせり上がるように、彼らの円盤に帰っていく。
「……待……」
薫は動揺のあまり、声を出す事が出来ない。待て、と言う言葉も、懇願するように手を差し出す事も出来やしない。何故、口裂け女を捕らえた。一体、その人を捕まえて、お前達は何をするつもりだ。
それは薫の頭を混乱させる第一要因ではない。彼女が混乱する一番の理由。それは、降りてきた二人の人影だった。
「なん……で……?」
絞り出した声は、乾き切っていた。未だに自分の目が信じられない。今でも、信じたくない。でも、今薫の事を見下ろしているその人影は……少し小柄な、女は。
「なんで…………」
今まさに空に帰っていく二人。それは、たとえ宇宙人だったとしても、あまりにも人間的な顔つき、体つきをしていた。
小柄な体。
長い黒髪。
顔のパーツが全体的に丸っこい。
黒くて大きいつぶらな瞳。
薫を見下ろす二人の口元からは、僅かに八重歯が覗いていた。その二人の顔は、あまりにも……薫にとってはあまりにもなじみ深い……深過ぎる顔をしていた。
「なんであんなに……」
そっくりさん、などと言う方がおこがましい程の、同じ作り。空に帰っていく、口裂け女を抱え上げた二人の姿、それはまさしく。
「なんであんなに私と似てるの……?」
香田薫と、寸分も違わない姿をしていた。
*
「カオル、無事ですか……っておわぁ、なんじゃこりゃ!」
ようやく追いついたユリアンが、念動力の壁に弾き返されて、漫画の様に回転、地面に頭から落下する。薫はそんなコメディコケを披露したユリアンを見る事なく、ただ呆然と、自分と同じ顔をした宇宙人二人と口裂け女が円盤の中に消えていく様を見ているしかなかった。
「……Jesus」
消えていく三つの影を見て、ユリアンはようやく薫が固まっている事態を把握したらしい。さしものユリアンも薫には声をかけられず、薫に習って事の次第をただただ傍観し続ける。三つの影を回収した空飛ぶ円盤は、現れたときと同じように、ゆらゆらと左右に揺れながら、緑の光を蒔き散らしながら上空へと飛び立っていく。村そのものを覆ってしまうほど巨大なその円盤は、瞬く間に小指の先程の大きさになり、そのまま空の星に紛れて消えてしまった。
辺りに、寂しい風が吹いた。
まるで夢でも見ていたのか、と思いたくなる程、大気に漲っていた悪意は嘘の様に消えていた。薫は、手の中に握り込まれているダッフルコートの釦を見る。これを渡してくれた口裂け女は、空飛ぶ円盤に連れ去られてしまった。一体、目的は何だ。そして、あの口裂け女を連れて行った……私そっくりの人は、一体なんなんだ。
「……ユリアン」
「ん……どうしました、カオル」
薫は、全ての疑問を一度全部押さえつけて、ユリアンに向き直る。疲労困憊のユリアンは、落ちそうになる肩を何とか起こして、胸を張った。そして薫は、頭を下げる。
「とりあえず……貴方のお陰で、私は無事でした。ありがとう」
「はぁ……どういたしまして、ですの」
「それから……」
薫は頭を下げたまま、言い淀む。しかし、悩んだ時間は僅かに三秒程だった。
「私の友達……口裂け女を、助けてやってくれない……かな?」
「無論だぞ、薫」
全く間を置かずに、ユリアンはそう答えた。その金髪陰陽師の返答があまりに意外だったので、薫は驚きながら顔を上げる。その先にいたユリアンは、実に楽しそうで底抜けの笑顔を振りまきながら、薫にウィンクをしてみせる。そして、ユリアンは、父玄米と同じような口上を述べ始める。
「我は土玉家十二代目の当主。
古の時より化生を戒め続けた山気光明の血と力を受け継ぐ、陰陽師なり。
このたびは香田薫嬢の友垣たる口裂け女を救い出すために尽力する次第である」
「……は、はい! よろしくお願いし」
「と、格好良く決めてみたは良いものの……」
「ます……って、あんたもかいっ!」
薫は思わずユリアンの頭に軽く平手を打ち付けてしまった。ツッコミが板についてしまったようだ。はたかれたユリアンは、満面の星の海を見つめながら、盛大に溜め息を吐く。
「どうやら相手は宇宙人。しかも、妙なPowerまで持ってるみたいねー。
つーか宇宙人って本当におったんやなー。それがまず驚き桃ノ木山椒の木ですの。
こりゃ、相当、骨の折れる仕事となるぜよ。なんせ奴さん、空の上の彼方にいるんじゃ。
我一人じゃ、超無理っす」
「う……」
「まぁ、近隣の陰陽師殿の力を借りるになるだろうなぁ……。
これはまた、随分な大仕事を持ってきはったなぁ、旦那」
「だから、私は女だっての」
薫はツッコミを入れながら、内心では不安だった。一体、何が起きているんだろう。私はあの宇宙人と……一体、どう言う関係があるんだろう。何となく、薫はさっきまで口裂け女が立っていた場所を眺める。
さっきまで確かにそこに居たのに。
誰も居なくなったその空間を眺め、薫は唇を噛み締めていた。