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怪奇!知らない世界の人々  作者: ずび
第五話 ミステリーサークル
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5−8 土地の記憶

 その後も薫達は走り回った。

 村の中をあちらこちらに動き回り、その度に地面にチョークでパターンを描く。高所から村全域を見下ろせば、村全体に一つの大きな図柄が描かれているのが見えるかもしれない。全ての下準備を終えて、村の小さな空き地にバイクを停めたユリアンと薫は、草むらの上に腰掛けて、天高くにうっすら輝く下弦の月を眺めていた。今は午後十一時半。間もなく夜の帳が、口裂け女を連れてくるだろう。さっさと術を完成させてしまえば良いのではないか、と考えた薫だったのだが、ユリアンはそれにすらNoを出す。


「口裂け女が京都式結界の範囲内に来ないうちは、術をStartするのは止めておくべきだべ。

 警戒されて入ってこなかったら、意味無いのだぞ」


 この村は今、口を開けた虫籠だ。薫と言う餌に釣られてやってくる口裂け女を捉え、屈服させる為の巨大な檻なのだ。扉を締めるのは、最後の最後。口裂け女が薫の目の前に現れて、始めて術を始動させなければならない。

 ただ待っているこの時間は、薫にはストレスだった。

 焦りが募る。口裂け女は現れるのか。術は上手くいくのか。私は無事で済むのか。そして、先生の魂を取り返せるのか。不安に押しつぶされそうだった。どの段階で失敗しても、三浦と生きて会う事が出来ないのだから。隣のユリアンは、掌の上に小型の方位磁石を乗せて、時折そちらに目を向けている。北を指すべき赤い針は、所在なさげに動き回っている。壊れている訳では無く、恐らくは陰陽師の呪具の類いなのだろう。薫には分からない事なので詳しく聞く気にはなれなかった。代わりと言わんばかりに、彼女は己の不安の一端を吐露する。


「上手くいくよね……」

「We cannot mistake。上手くやらねばならないのです。

 さて……どうやら真っ赤な血染めのお姉さんが動き出したようでっせ」


 針の止まった方位磁石をポケットに仕舞い込んだユリアンが立ち上がる。真面目な顔をすると、彼は案外精悍な顔立ちをしている事を、薫は今更になって知った。


「村沿いに配置している東南側の結界が一つ、破壊されました。

 何が原因でDestructしたかは、これだけじゃ分かりませんが、十中八九口裂け女じゃろうな」

「真っ直ぐこっちに向かってくるかな……?」

「それはないさ」


 ユリアンはあっさりと言い切る。しかし、と二の句を継いだユリアンは、薫の頭を掌で軽く撫でた。


「安心しーなさい。我は対妖怪戦用決戦兵器と称された男」

「……嘘臭」

「恐らく奴は、昨日同様、Youが傷つけられたくない人を傷つけに行くでしょう。

 Youの肉親や友達の元にね。だけど……ちゃんと対策は練ってありますぜ」


 言いながらユリアンは、チョークケースから赤い色のチョークを取り出して、薫の目の前に見せつける。


「この赤から連想されるものは?」


 唐突な質問だった。薫の頭の中は口裂け女の事で一杯だったので、自然とそれが連想される。


「え? く、口裂け女のコートとか?」

「ブッブー! ちゃうねん!」


 楽しそうに声を上げるユリアンは、二本のチョークで×印を作ってみせる。本当にどこまでも気楽な男である。


「赤は血の色。そして、活力の色にして、激情の色。

 人間を象徴する色であり、妖怪が好む色なのでーす。

 この色で道標を描くだけで、妖怪達は無性に指し示す方角へ向かいたくなるのだ」

「……んな単純な」

「嘘じゃないんだなぁ、これが。勿論、それだけじゃ万全ではないので、道を外れた時は」


 続いて彼が取り出したのは、黄色のチョーク。


「この色のパターンが出迎えるのだ。

 Yellowは喜び、愉快の色。妖怪にはあまりに眩しく映るこの色を、妖怪達は忌避するぞ!」

「……どうも胡散臭い。それにたとえ口裂け女がその通りに動いても、人はそうはいかないわ。

 もし口裂け女のルートに人が現れたら、その人が危ないんじゃ」

「そんな事もあろうかと!」


 まだ有るのか。薫は少し鬱陶しいと思いつつも、嬉々として青色チョークと木炭を取り出したユリアンの輝く碧眼を見つめる。


「村の至る所に、青色と黒色でエクソシストの法に従った悪魔呼びの魔方陣をPaintしておいたのだ!」

「……それじゃ悪魔呼ばれちゃうじゃん」


 村の至る所から昨日の羊頭人身の悪魔が地面から生えてくる様を想像して、薫はげんなりする。


「描いただけでーす。実際に作動はしとらんぞい。

 But、悪魔召喚陣は存在するだけで周りの人間の生気を吸い取る力があるんですの。

 今宵村民の皆様は外に出た途端に気分が悪くなり、再びBackhomeするでしょうねー」


 あっけらかんと言ってのけるが、やってる事は結構マズいのではないだろうか。恐らく明日、病院は体調不良を訴える人でごった返すだろう。薫の懸念は膨らむ一方だ。これ以上胃の痛い事態は避けたいのだが、ユリアンと言う存在はそれを許しそうにない。破天荒を絵に描いたようなこの男がコメディ路線を突っ走り始めると、薫はツッコミ役に回るしかない。そしてユリアンは、シリアスにコメディを持ち込んでくるような大それた人間だ。

 結論。彼は止められない。

 口元に邪悪にすら映る笑みを浮かべながら、ユリアンは空き地にしゃがみ込んで最後のパターンを描き始める。


「その他にも十重二十重(とえはたえ)に策は張ってあるから、せいぜい安心したまえ。

 それよりそろそろ、土地の記憶の再現をはじめまっせ。

 時刻は今から二ヶ月前。六月二日、午後二時二十分。

 場所は山田村高等学校……では」


 描かれた図は白い真円。円の渕には所々数字が描かれている。地面に描いた図は、薫には時計のようにも、電子レンジのタイマーのようにも見えた。


「Now……奇跡を御覧あれ」


 静かに囁いたユリアンは、地面に描いた陣の真ん中に手を突き立てて、それを時計回しに捻る。ユリアンの手の動きに従って、陣が回転しだす。何かが軋む音がした。しばらく動かしていなかった機械を動かすような、錆が軋むような耳障りな音である。陣を見つめていた薫は、顔を上げて驚愕する。


「なに……これ……」


 辺りの景色が歪んでいる。昼とも夜とも取れる灰色の空間が薫の周囲を覆っていて、徐々に気分が悪くなってきた。土地の記憶の再現が開始されたのだ。今この山田村と言う土地が、六月二日の記憶をユリアンに引き出されている。やがて現実と回想は境界を失い、薫はぐらつく足元を気に留める事も出来ず、目の前に突然音もなく現れた建物を見て、尻餅をついてしまった。


「……凄い」


 首を上に向け、その建物を見上げ、薫は目を見開いた。

 立ち上がり、建物の壁に手を触れる。古い木造建築だ。戦後以来改築されずに風雨に晒され続けた、黒ずんだ板材の外壁を撫でながら、薫はまさしく奇跡を目にしていた。紛う事なく、彼女がたった二ヶ月半しか通っていない高校、山田村高校が寸分違わず再現されていたのだった。隣を見る。ユリアンはいない。空を見る。昼間だった。太陽の傾きから見て、なるほど確かに時刻は五時頃。六月半ばの気温だからか、今の薫の薄手の服装では、少し肌寒ささえ感じてしまった。校舎を見る。二階建てで各教室の窓は曇っている。曇りガラスではなく、長年の月日を経て汚れたのが原因だと三浦に聞かされていた。すぐ目の前の生徒玄関を眺めていると、この学び舎を取り戻したかのような感動さえ覚えてしまう。ほんの二ヶ月ぶりだったが、懐かしかった。思わず目を細める薫だが、すぐに感慨に浸るのを中断されてしまう。


「………………」


 薫が立っている地点から見て、左手側で、空気にひびが入ったかのような耳ざわりな金切り音が聞こえた。突如一年一組の教室の窓枠が吹き飛び、少し遅れて学校机や椅子、その他の雑貨類が飛び出してくる。何が起きているのか、薫は動揺しなかった。淡々と、起きている事態を眺めている。

 どうしてこうなったんだっけ。たしか、喧嘩の原因は、本当にささいなものだった筈だ。それこそ、目玉焼きにかけるのはソースか醤油か、とかきのこの山とたけのこの里のどちらが美味しいか、とか。そんなたわいもなく、どうでもいいような戯れ合いに近い言い合いが、発端だった気がする。

 事の始まりを思い出しながら、薫は悠然と一年一組の「窓だったもの」の外側に立ち、中を覗き込んだ。ただ、広い教室の中で、女が二人いた。それ以外には、何もなかった。一人は背の高い細身の美人。髪を短く揃えた、ジャージ姿の女。一人は髪の長いを後ろで結った、山田村高校の制服であるセーラー服を着た小柄な少女。ジャージ姿の女は、体を屈めてうずくまっている。必死で顔を上げて、制服姿の女を睨んでいた。制服姿の女は全身から緑色の光を放ちつつ、ジャージ姿の女に右手を突き出している。その目つきは、どこかに感情を置き忘れたかのような冷ややかなものだった。


「止めなさい、薫ちゃん」


 ジャージ姿の女が、苦しそうな呻き混じりにそう言った。薫ちゃん、と呼ばれたその少女は、まるで応じない。少女がゆっくりと指を曲げる。途端、うずくまっていた女が、地面に倒れ伏した。


「う……く、か、薫……ちゃ……ひ、ぎゃああああぁぁぁぁ!」


 女が絶叫する。声帯がおかしくなるのではないかと思ってしまう程の苦痛に満ちた叫び。女の足が、ゆっくりと捻り曲がる。右脚が音もなく、逆に曲がっていく。薫は耳を塞ぎそうになるが、その衝動を必死で押しとどめた。目を瞑りたいのを、必死で我慢した。自分のしでかした残酷な惨劇から、目を逸らしたくなかった。ちゃんと自分の罪を認識して、償う為に。

 回想にも似た再現は続いていく。

 やがて、少女の指が動きを止めた。右脚の変形が収まる。しかし、その歪みが止まっても、女は気丈にも少女を見つめていた。


「こ、こら……薫ちゃん……駄目じゃないの、人に……て……手を……」


 激痛に苛まれ、息も絶え絶えだった。しかし、女はゆっくりと床を這い、少女の足元まで至る。そして少女の足を掴み、苦痛に満ちたその顔を無理矢理微笑みの形に変える。


「人に……手をあげちゃ駄目……だって、小さい頃に……教わったは、はず……でしょ」

「……あああぁぁぁぁ」


 少女の口から、声らしき何かが漏れる。悲しみの呻きか、動揺の吐息か、怒りの噴出か、それは最早薫本人にさえ分からなかった。


「だから……止め、よう? 私、悪かったから……お願、いだよ、薫、ちゃん……」

「ああああああぁぁぁ! 五月蝿い! 五月蝿い五月蝿い!」

「その力、は……人を、傷つけるため、のものじゃ……ない。

 誰、かを……助ける為、に使わなきゃ、って先生と、約束し、たでしょ……?」

「あぁぁああぁ……」


 もはや正気ではない少女が何かを呟きながら、女を蹴り飛ばす。女はまるで紙つぶてのように軽く吹き飛ばされ、教室の黒板に背中から叩き付けられ、崩れ落ちる。少女が字面に表し難い絶叫とともに膝をついて、頭を抱える。全身から溢れ出す緑色の光が眩し過ぎて、最早直視出来ない。緑色の太陽と化したその少女の体から、人間の腕の形を模した光の塊が無数に放出され、教室の中を縦横無尽に駆け巡る。光の腕は手当り次第に物にぶつかり、その物を破壊していく。教室のロッカーを粉砕し、ドアを切り刻み、天井を引き裂いていく。脆い校舎はひとたまりもない。あっという間に光の腕が校舎の屋台骨を滅茶滅茶に破壊し尽くす。二人の頭上から天井が振ってきた。圧倒的質量が、容赦なく襲いかかってくる。薫は黙ってみてはいられなかった。


「危ない!」


 薫は、思わず念動力でそれを押しとどめようとするが、天井は止まらない。念動力は天井を掴めない。如何に現実に近付こうとも、目の前で再現された出来事は現実ではないからだ。所詮それは過去の再現である。回り始めたVTRは、上映途中に編集出来ないのと同じだ。過去を変える事は出来ない。薫はその事を痛烈に実感した。

 薫の目の前で、山田村高校の古びた、しかしどこか温かみのある木造校舎が崩れ落ちる。

 轟音と粉塵を辺りにばらまきつつ、その校舎はいとも簡単に、一瞬のうちに瓦礫の山と化した。虚しく手を突き出したままの薫の目に、先程の二人の女が映る。ジャージ姿の女は、瓦礫の山に埋もれていた。右手と顔だけが、外に覗いている。制服姿の少女には、一切の外傷がない。瓦礫はまるで彼女を避けるように落下していて、彼女の足元には塵一つ舞っていなかった。


「……あ、ああぁぁぁ」


 少女の全身が震える。狼狽する声が聞こえる。彼女は目を瞑って動かない女に駆け寄って、必死にその頭と手を擦る。


「そんな……先生! 先生!」


 大きな叫びが聞こえてくる。薫は目を瞑って、静かに少女の悔恨の慟哭に耳を傾けた。


「違う! 違うの! こんな……こんなつもりじゃなかったの……!

 ……っ、なんで……? どうして使えないの?

 今使えなきゃ、意味ないのに……! なんでっ! なんでなのよぉ!」


 瓦礫の山の頂上で狂ったように喚く少女に、薫は背を向ける。これ以上見ているのは、薫も耐えられなかった。土地の記憶が再現した、校舎の倒壊の一部始終はこれで全部である。昔の薫が解き放った、この膨大なエネルギーを、ユリアンはしっかり回収出来たのだろうか。この光景を、どこかで眺めているのだろうか。この光景を見て、彼は何を思い、薫に何というのだろうか。きっと、ユリアンは変わらない。一言Sorryとだけ言って、すぐに笑い話を語り出すに決まっている。それでいい。

 薫は間もなく終わるであろう土地の記憶の再現を少し名残惜しみながら、現実の世界へと想いを馳せる。口裂け女との戦いが待っているのだ、惚けてばかりもいられない。今出来る事を、精一杯やれ。薫は自分に言い聞かせて、土地の記憶の再現の終わりを待つ。

 ……それは、突然だった。

 薫は、辺りに漂っている空気の肌触りに奇妙な気配が交じっているのを感じ取った。慌てて辺りに視線を配る。彼女が感じ取った気配の元凶は、山田村高校の校門前に立っていた。


「K…………の第…………力実…………が出ま……」

「………………」


 遠くの方で、声が聞こえた。

 黒いスーツの上に白衣を纏った背の高い男が二人、校門の前で会話しているのが目に見える。薫は怪訝に思う。これは、彼女の知らない記憶だった。当時の薫は瓦礫に埋まっている三浦を助けるのに必死だったから、当然である。男達から放たれる気配は、どことなく剣呑としている。

 そもそも、おかしい。この長閑(のどか)な村に、あんな仰々しい服装の人間がいる事自体が、奇妙なのだ。それに、目の前でこれほどの大事故が起きたと言うのに動揺の気配が見られない。消防や救急を呼ぶ気配もない。まるで、遠い世界の出来事を眺めているかのような男達の態度が、更に怪しさを加速させる。


「しか…………Y1……手にやりまし……。まだ…………とは……ない」

「我………………ーンだ。こ………………は…………らわ…………」

「情……安…………懸念…………ますが…………しま……?」

「…………。……体…………ている…………修正は不…………う」


 声が良く聞こえない。耳を澄ませても、やはり無駄だ。アイツらはなんなんだ。このおぞましい事故を見て、なんで平然としているんだ。話をもっと詳しく聞こうとして、男達の方に歩み始めた薫だったが、突然足元がふらつく。

 地面が歪んでいるのだ。

 土地の記憶の再現が終わる。回想は幻影へと還り、現実が再び取り戻されていく。タイミングが悪い。薫は慌てて駆け出す。せめて、男達の正体を知る手がかりだけでも掴みたい。そう思って駆け出したその次の足で、薫は転んでしまった。致命的にドジを踏んだ訳では無く、足元の状況が変わったのだ。顔を上げてみると、既に辺りは夜の帳に包まれ、転んで体勢を崩していた薫の体をユリアンが受け止めていた。どうやら、記憶再現の術は終わってしまったらしい。


「カオル……」


 ユリアンが眉を下げて、薫を見下ろしている。どうやら彼も、今しがたの山田村高校の悲劇の再現をどこかで見ていたらしい。薫は溜め息を吐いてから薄く微笑んでみせる。体を起こしてユリアンの正面に仁王立ち。


「もう昔の事! あの時の償いも含めて、絶対口裂け女をぶっ飛ばして、先生を助けるよ!」

「Hmmm……女は強いでーすね」


 ユリアンが肩を竦めて、やれやれと首を振る。だがそんな緩んだ表情も、すぐに引き締まり後ろを振り返る。


「術は完璧でーす。Energy充填完了。京都の式神を模倣し、ここに再現するわ。

 But……マズい事に」

「………………」


 ユリアンの背中越しに、薫も見えた。忘れもしない、六月二十九日の夜十時過ぎ、神有無(かみうむ)公園で出くわした、薫が知りうる中で最もおぞましい存在。脂ぎって黒い髪の毛が月明かりに照らされて、まるでゴキブリのように光る。髪から覗く窪んだ双眸は獲物を捕らえる為に真っ直ぐ前を射抜き続けている。口を覆い隠すマスクの端から、隠し切れない巨大な口が微笑みを作っていた。深紅のダッフルコートとレザーブーツに身を包んだその怪物は、しわがれた声を絞り出す。


「あたし…………きれい?」


 ゆっくりとした足取りの口裂け女が、薫を襲いに空き地に足を踏み入れていた。




  *




「ちょっと来るのが早過ぎるぜよ、おねぇさん」


 ユリアンは軽口を叩きながらも、手元を高速で動かし、地面に次から次へと陣を描いていく。描かれた端から光を放つ陣から、黄色く輝く蛇が無数に這い出してくる。それらは瞬く間に口裂け女の足元に絡み付くが、口裂け女は多少速度を落とすまでも、歩みを止めるにはいたらない。


「Shit! やっぱInstantは苦手でーす。

 カオル、逃げるが良いぞ! 足止め程度にはなろうよ!」

「必要無い!」


 薫はユリアンの前に飛び出し、十メートル先に居る口裂け女に腕を突き出す。初めて対峙したときの様に、薫の念動力が口裂け女を捉える。感触あり、と見た薫がそのまま腕を突き出すと、口裂け女は見えざる空気の壁に阻まれるように足を完全に止めた。


「私がアイツを押さえ込む。だからユリアンは術の完成を早く!」

「……OK!」


 迷いは一瞬だった。ユリアンは口裂け女を薫に任せて、空き地の中心に走り、京都模倣の術の完成を急ぐ。それを尻目に、薫は口裂け女に向けて、更に念動力を押し付ける。地面に足を擦った跡を残しながら、口裂け女が後退をはじめる。口裂け女の足元に巻き付く蛇の力もあってか、口裂け女は身動きを取れないでいる。


「ユリアン、術はまだ!?」

「Wait a minute!」


 ユリアンは薫の背後でせわしなく動き回る。

 チョークを振るって走り回り、巨大なパターンを描いていく。進捗度は分からないが、今は彼の言葉を信じるしかない。その時、異変が起きた。


「きしゃあああぁあっぁぁぁぁ!」


 聞いた事のない鳴き声だった。口裂け女の声ではない。声の主は、ユリアンが呼び出した、黄色い蛇だった。口裂け女の足元に絡み付いていた一匹が、突然雄叫びを上げ、まるで風船の様に巨大に膨れ上がり爆裂、口裂け女を吹き飛ばしてしまう。


「な!」

「What's happen!?」


 薫の記憶に夏休み前の事件が蘇る。雲海が持ってきた八卦図を用いた薫に目覚めた、強力過ぎる力。陰陽師の術と、薫の超能力が干渉し合い増幅するという話を思い出して、薫は顔を顰める。薫の念動力の余波を受けたユリアンの術が暴走していたのだろうか。

 だが今は、そんな事を考察している時間はなかった。

 念動力で押さえつけていた口裂け女の体の位置がずれたせいで、薫は体勢を崩す。前につんのめる。口裂け女が念動力、そしてユリアンの蛇から解放される。


「しまっ……」


 口裂け女の目が喜色に輝いた。十メートル程度の距離、妖怪が移動するのに一秒とかかりはしない。転んだ薫の目の前に移動した口裂け女は、コートのポケットから血塗れの出刃包丁を抜き出す。そしてそれを振り上げ、狙う先は倒れ込んでくる薫の背中。


「カオル!」


 ユリアンがようやく異変に気づき、叫ぶ。残酷な事に、口裂け女は背中側から的確に薫の心臓を狙っていた。薫は慌てて念動力で止めようとするが、間に合わない。


「カオルウウゥゥゥ!」


 口裂け女の包丁が振り下ろされた。

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