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怪奇!知らない世界の人々  作者: ずび
第五話 ミステリーサークル
56/123

5−4 混沌の軒先

「正座しんどいでーす。縁側行って話そうぜー」


 ユリアンが提案した一言に従い、薫は既に嬉々として棒のままの羊羹にかぶりつくユリアンの隣およそ人二人分空けて腰掛ける。警戒するのも無理はない。陰陽師は陰陽師であり、Onmyojiではない。陰陽師の術は古来の日本から伝わる伝統的技術だと雲海に聞かされていた薫としては、ユリアンが陰陽師を名乗るのは、入った寿司屋の大将がアメリカ人だった時くらいの違和感を覚えざるを得ない。それが悪いとか悪くないとか、そう言う次元ではない。簡単に言えば、似合わないのだ。


「Oh、YouとてもShyですな。もっと近う寄れい」

「………………」

「Umm、ちょと嫌われとるん? なしてやろか」


 既に羊羹を半分程貪り食い終わり、口の回りにあんこを貼付けたユリアンは、少し肩を竦めて首を傾げる。薫が警戒するのはユリアンの胡散臭さだけが原因ではない。薫自身にも問題はあった。


「へ、ヘロー、ま、ま、まいねーむ、いず」

「What?」

「あー、だ、だから……えっと、あ、あいふろむ」

「HAHAHAHAHA! Stop,Stop!」


 薫のたどたどしい英語を聞いて、ユリアンが爆笑しながら薫の方に身を乗り出して、陽気に背中を平手で打つ。容赦ないその勢いに、薫は少し咳き込んだ。


「You、外国人見るのは初めてですの?」

「い、いえす、ざっつらいと」

「無理に英語話す必要ないぞ。我は日本語完璧Masterしてるんですの」

「……なんか、所々英単語交じってる気がするんだけど。語尾も変だし」

「お茶目Pointなのだよ!」


 諸手を上げて自身をアピールするユリアン。底抜けに陽気な男だった。何が楽しいのか分からないが、彼の笑顔を見ていると、どうも警戒心を抱く事が馬鹿らしくなってくる。薫は少しだけユリアンと距離を詰める。


「私、これでも英語はかなり得意なんだけどなぁ……」

「日本人読み書きとってもうまうまですわ。

 But、言葉として話すの下手糞野郎ですのよね」

「ヘタクソやろう……」


 ユリアンには悪気は無い。彼からは一切の邪悪さを感じる事の出来ない薫は、かえって傷ついた。どうやら自分は典型的な日本人式英語学習でしか力を発揮出来ないらしい。薫の肩を叩きながら、ユリアンは薫を宥める。


「気にしなーいのがよろしいですぞ。

 我、日本語極めたりける故、Youとの連係はばっちりなりや」

「連係……そうか。貴方がいざと言う時に口裂け女を追っ払ってくれるんだもんね」

「Exactly! Youの様なBeautifulgirlを守れる役を担えて、恐悦至極ですぜ」


 ユリアンは薫にウインクをしてみせる。薫はどのような反応を返すべきか迷ったが、真似をしてウインクを返すと、ユリアンが不思議そうに首を傾げる。


「ここは顔を赤らめて『ば……馬鹿……』と斜め二十度に俯き上目遣いで、ツンデレ気味に返すのが日本のCultureだと聞いたのですが」

「…………その偏った知識の提供者って、まさか玄米さんじゃないよね?」

「No、他の陰陽師ですーね」

「他の陰陽師……クーちゃん? じゃなくって……雲海君?」

「No、No。ヤケーちゃんですの! ……と言っても分からないでーすよねー。

 近場の陰陽師なのだがの」

「ふぅん……」


 随分とオタクっぽい陰陽師もいるらしい。陰陽師の任に就く人間にも意外と多様性があるようだ。思った以上に陰陽師と言うのはありふれた職業なのかも、と薫はユリアンの顔を眺めてみる。突然静かに見つめられたユリアンは、首を傾げたり肩を竦めたり視線を泳がせたりと、落ち着かない様子である。


「あんまり見られると照れちゃうですのよ?」

「あ、ごめんなさい。それより……聞いてもいい?」

「外国人の我が何故に陰陽師をやっているか……ですかな?」


 ユリアンは薫の問いに先回りしていた。恐らく、彼は何度もその質問に答えているのだろう。あまりに目を引く金髪と碧眼。似つかわしくない陰陽師と言う職。そして、土玉の姓とユリアンという名。玄米と血がつながっていない事は、どう見ても明らかである。ならば何故彼は玄米の息子となったのか。薫は少し躊躇ったが、聞かずにはいられなかった。ユリアンは、語るのも飽きたと言いたげに淡々と口を開く。


「我は元々、イギリスで『エクソシスト』をやってましーた」

「エクソシスト……?」

「日本でいう陰陽師のようなものですの。

 人に取り憑く悪魔を追い払うお仕事なのでーす」


 ユリアンは少し遠い目をしながら、昔を懐かしむように語る。


「今から何年か前、この村に住んでいたクリスチャンが五十を超える悪魔に取り憑かれちまったんだぜ」

「ご、五十……!?」

「Yes。我はJapanを訪れ、悪魔に憑かれた女性の元に馳せ参じたのだがな……驚愕したっすわぁ」

「……ま、まさか」


 五十もの悪魔に取り憑かれたのだ。それはそれは、酷い惨状だったのだろう。女性が一体どのようになっていたのか、薫は想像してしまった。映画『エクソシスト』で取り憑かれていたあの首が回ったり腹を上に向けて四つん這いの状態になって怪談を駆け下りたりする様が目の前で展開される事を考えると、どうやら自分はエクソシストにはなれないと言うどうでも良さそうな結論を得るに至った。

 ユリアンは胸の辺りで手を握り、少し俯いて、ゆっくりと口を開いていく。


「あまりにも」

「……」

「その女性が」

「……」

「美しかったのでーす」

「は?」


 ユリアンは恍惚とした表情で、遠くをうっとりと眺めている。まるで恋する乙女のようなその表情も、野郎がやると気持ちが悪い。薫は憚る事なく額に皺を寄せた。


「……美しかったって」

「我らが彼女の元に訪れた時、彼女は眠っていましたの。

 まるで、御伽噺のお姫様。竹取物語のKAGUYAPrincessなんて比べ物にならぬ程の美人。

 一目見て気づきましたぞ。我は彼女と会う為にエクソシストになったのだ、と。

 もちろん、そんな馬鹿な、とは自分でも思い申した。

 だがな、彼女の目が覚めて、一言二言言葉を交わして、確信に変わったぞ。

 彼女こそが我の運命の人だと」

「………………は、はぁ」


 惚気始めたユリアンは、身をくねらせながら両手を頬に当てて実に楽しげに語る。薫は再びユリアンと距離をおいて、その様子を眺めていた。


「我らは彼女を救うために全力を尽くしまーしたが……」

「しましたが……って」

「力及ばず、だったっす。彼女に取り憑いていたのは悪魔だけでは無かったのでーす」

「……それって、もしかして妖怪が」

「That's right。エクソシストの力では、悪魔が祓えても妖怪は祓えません。

 為す術無しや、と思われたその時!」


 ユリアンが鼻息を荒げ、後ろを振り返る。囲炉裏の脇に行儀良く正座して、切り分けた羊羹を美味そうに食べる玄米がそこに居た。


「話を聞きつけて、当時バリバリ現役だったゲンマーイが現れて、八面六臂の大活躍!

 見事に妖怪を追い払い、美女を無事に救出!

 我の体には衝撃が走りまーしたねー。

 ゲンマーイはそのときから既にジジイでしーたが、最強の陰陽師でーした。

 今は引退しましたがね、我とMy Honeyの救世主なのだぞ」

「へぇ……そうなんだ」

「だったら良いのになー」

「え!? 違うの!? 今の全部嘘!?」

「HAHAHA! 嘘じゃないでーす。カオルは本当にからかいがいがありますなぁ」


 実に楽しそうに語るユリアン。薫は彼に同調して、笑みを零す。よくよく見れば、彼の左手の薬指には、シルバーのリングが陽光を浴びて輝いていた。考えなくても相手の女性が誰なのかは分かる。薫はこれだけ想ってもらえているその女性が少し羨ましく思えた。身振り手振りを交えて語る彼の言葉を、薫は全て素直に受け入れてしまう。

 故に、気がつけない。


「我はゲンマーイの術に感動してしまったのだぞ。故に我は陰陽師に憧れ」


 微笑みに彩られたユリアンの瞳の奥に光る何かを。


「エクソシストを辞めて、ゲンマーイに弟子入りしたんですの!」


 彼が心の奥で押し殺している、悲しみの感情に、薫は気づく事が無い。ただただ、彼のやりすぎな位行き当たりばったりで情熱的な生き方に感心するばかりだった。




  *




 長々と語ったユリアンは、腰を上げて縁側からあばら屋脇の広い空き地に立つ。


「折角なので、カオル。我の実力を見ておくべきだと思わんかね?

 ここで会ったも何かのfate。今後、見せる機会が無いかもしれぬぞ」

「それはそうだけど、そんな無意味に陰陽師の術を使ってもいいの?」

「無意味とはちゃうねんで。

 いざと言う時、我がどのような力を持っているか、知っておいて欲しいのでーす。

 カオルがここに居る間、カオルのPartnerはウンカイの代わりに我が勤めるのですぜ」

「そうだったね……うん。わかった」

「Oh、Thanks! ゲンマーイ! 庭、借りるぜよ!」

「ほほほほほ、好きにしなさい」


 いつの間にか玄米は薫の隣に座布団ごと移動して、庭に跳ね回るユリアンを、茶を啜りながら眺めていた。薫もそれに習い、どうやら庭の剥き出しの地面に白いチョークで図を描いているらしいユリアンの方を見る。

 幾つかのパターンを、ある間隔で描き続けるユリアン。

 何をしているのか分からない薫は、隣の玄米に解説を求めた。玄米は茶で羊羹を流し込んで一息ついたあと、ゆっくりとした口調で説明を始める。


「お嬢ちゃんは、空峰の陰陽術しか見た事はないか……」

「空峰の……って陰陽師の術にはそんなに種類があるんですか?」

「あぁ、沢山あるとも。それこそ、家毎に使う術は全くもって異なる。

 例えば空峰は、符と言霊を用いた術を主軸として、多様な術を器用に使いこなす技術をもっておる」

「符と言霊……」


 薫は思い出す。雲海が術を使う時には、大抵紙の符を使っていた事を。そして、術を使うときはいつも符に向けて何か言葉を発していた事を。


「言霊を込めた命令を符に下す事で、符が命令通りの仕事をする。

 簡単な式神を操っているんじゃな。故に奴らは単純にして変幻自在。あらゆる事態に柔軟に対応できる。その上、全ての手の内を本人達すら把握し切れん文字通りの『万能』。

 完全に扱うのは、他の流派よりも困難かもしれんな」

「…………そういう風に言われると、クーちゃんって結構凄いんだなぁ」


 ポケットから、青い折り鶴を取り出して、薫は雲海を思い出しながら呟く。『香田薫を守れ』と命令されたその鶴を横目で見た玄米は嘆息した。


「ほほほ、これはまさか、雲海が作ったのかの?」

「は、はい。単なるお守りだ、って言ってましたけど」

「単なるお守りなんてとんでもない。これは最早立派な、一種の結界じゃよ」

「結界……?」

「そうとも。元々、折り鶴は仏教に由来があっての。

 世の中の平穏と仏法の布教の願いを込めたものなんじゃ。

 人間の純粋な希望を込めたものは、妖怪には眩し過ぎる。

 まして陰陽師の呪力が篭っていれば尚の事。

 力の弱い妖怪は、この折り鶴の輝きを前にすれば、近付く事すら出来まいて。

 この鶴はそれ程強力な呪具じゃよ」


 手の中で踊る鶴は、玄米の方を向いて首を上下に動かしている。玄米は鶴の背の辺りを人差し指で撫でてやると、鶴は少し嫌そうに身を捩った。鶴は薫の掌から、翼を羽ばたかせて飛び立ち、玄米の手から逃げるように彼女のポケットの中に飛び込む。本当に意志を持っているのでは、と言う薫の疑惑はほぼ確信に変わっていた。


「おやおや、嫌われてしもうたわい」

「まるで、生きてるみたいですね……」

「全くじゃのう。中々茶目っ気のある式神のようじゃ。

 しかし雲海も、ここまでするとはの……お嬢ちゃんはよっぽど愛されとるんじゃな」

「愛され……い、いやいやそんなぁ」


 薫は少し顔を赤くしながら、猿のおもちゃのように手を振って否定する。玄米は彼女の方を、小動物でも見ているかの様に楽しそうに見つめていた。薫は顔を手で仰ぎながら、改めて玄米に問う。


「これ、そんなに凄いんですか?」

「己の式神そのものを宿し続けているんじゃ。

 雲海は今、常に術を使い続けている状態になる訳じゃから、中々の負担になろうよ」

「でもそんな事……一言も言ってなかったのに……」


 手渡した雲海は、別に普段と何も変わらない様子だった。その一方で、もしかして少し辛い思いをしているのだろうか。ならなんで何も言ってくれないのだろうか。薫は少しむくれたが、玄米が答えをくれる。


「男の意地、と言う奴じゃろう。

 雲海にしてみれば、お嬢ちゃんは守るべき相手。そんな相手に心配されたくないのかもしれんのう」


 薫としては、小森を助けた事件を通して雲海とは守り守られる関係ではなく、お互いを助け合う関係になったと思っていた。だから薫は雲海の事を「相棒」だと考えている。その「相棒」の勝手な意地に付き合わされるのは、薫は下に見られている気がして嫌だった。今夜辺り雲海に電話して文句の一つも言ってやろうかと頬を膨らませながら考えている薫を、玄米が宥めた。


「まぁまぁ、お嬢ちゃん。そう怒らんでやってくれ。

 あやつは自分の事なんて微塵も心配させたくないんじゃよ」

「でも、口裂け女がもしもクーちゃんの方に現れたら……」


 薫のもっともな心配に、玄米はやれやれと言いたげに溜め息を吐く。


「雲海が術を使えなくとも、岩武が居る。心配する事はなかろうよ。

 じゃが、折角己の身を削ってまで君の事を守ろうとしとるんじゃ。

 あやつの心境、察してやる事は出来まいか?」  

「…………分かりました」


 薫は曖昧に頷きを返した。薫にしてみれば、その折り鶴は雲海がその場のノリでくれたような簡単なお守りでしかなった。それとも雲海はこれを渡す時、何か特別な感情を抱いていたのだろうか。薫は一瞬だけそんな事を考えたが、隣の玄米の大声にその思考は掻き消されてしまった。


「さてと……こりゃワシらも、うかうかしていられんぞ! のう、ゆりあんや!」

「そうだね、ゲンマーイ! But、我も負けへんでー!」


 遠くから話を聞いていたらしいユリアンが、怪しい日本語で返答する。

 既に作業を終えていたユリアンは、空き地の真ん中で胸を張って立っていた。彼の足元には、チョークで描いた幾つもの、方、円、線、数字とアルファベットと漢字と見た事も無い言語が織り成す奇怪なパターンが描いてある。星や月や人を象っているらしい絵柄も見受けられ、少し抽象表現の行き過ぎた絵本の一ページの様なそのパターン群。そしてそのパターン達は互いに絡み合い、直径十メートル程の円形の陣を形成している。

 薫はまるでミステリーサークルみたいだ、と言う感想を抱いた。

 いつの間にか蝉の声すら止んでいる。ユリアンが何かしたのか、と薫が訪ねる前に、彼は口を開いた。


「Now! 奇跡を御覧遊ばせ! 刮目せい!」


 叫んだユリアンが仕上げに陣の中心に五芒星を描いた時、辺りに異変が始まった。


「……地震?」


 揺れを感じた。薫は縁側から腰を浮かし、辺りを見回す。足元が揺れる。風が戦慄(わなな)く。木々が踊る。草葉が擦れ合う音と、風が吹き抜ける音。地響きまで加わり、まるで天変地異でも起きているのかと勘違いしそうな程の異常な空気だった。隣で座る玄米は相変わらずで、えらく呑気に茶を啜っている。


「だ、大丈夫なんですか?」

「土玉の陰陽道は……空峰とは比較にならん程強力よ」


 玄米は微笑む。その笑みの影に、薫は空峰家に対する対抗心の様な物を僅かに見て取る事ができた。陰陽師にも色々ある、と言う雲海の言葉はどうやら本当らしい。玄米は荒れる自然を気に留めた様子なく、淡々と続ける。


「空峰のように術が無数にあるわけでもない。空峰のように器用で細かい事も出来ない。

 じゃがの、お嬢ちゃん。今回の任は、空峰なんかより土玉の方がよっぽど向いておるよ」

「…………一体、何が始まるんですか?」

「ワシら土玉は言霊を用いた術は使わぬ。じゃが、陣を地に描く事で、この星そのものから力を借りる。

 その力は人間の言霊なんて足元にも及ばぬ。何せ全ての生命を活かしてくれているこの星の力を使うんじゃからな。

 下準備には時間がかかるが、あらかじめ妖怪が何処に現れるか……何を狙っているかさえ分かれば、問題ではない。

 何かを守ると言う任ならば、ワシら一家程強力な陰陽師は他にはおらぬよ。

 ゆりあんが言うように、空峰とは次元の違う、本物の奇跡をご覧下され」


 地面にひびが入った。

 ユリアンの描いた陣が幽かに輝き始め、辺りに光と、地響きの轟音を蒔き散らす。大地震のようなその衝撃に、薫は思わず尻餅をついてしまう。まるで太陽が落ちて来たのかと思う程の圧倒的な光が、薫達三人を包み込み、彼女達の視界を奪う。


「……うぅ、眩しかったぁ」


 十数秒後。ようやく視界が快復した薫は、目を白黒させながらユリアンの方に視線を向け、さらに目を白黒させる。


「……うわ、何だアレ」


 思わず口をついて出てしまった驚愕の言葉。

 その先に居たのは、聖書に出てくる悪魔と呼ぶのが一番正しいような、体長二十メートルはあろう巨大な怪物が鎮座していた。

 何重にも捻れた一対の角を生やした、黒い羊の頭。上半身はボディビルダーの様に、筋肉の膨らんだ肌の黒い男の体。黄色と黒の柄が入り乱れる、虎の下半身。尻尾は、細くて長い、蛇で、時折舌を口から這わせている。背中からは巨大な蝙蝠の羽が生えており、所在なく上下に動かされている。紛う事なき化け物であった。


「………………気持ち悪」


 率直な感想を述べ、薫は顔を顰める。その巨大な怪物の背中で苦笑いしながら頭を掻くユリアン。そして、隣に腰掛ける玄米は相変わらず呑気に茶を啜っている所。


「………………こ、腰が……抜けたわい」


 ではなかった。物凄く脅えていた。投げ出されたて割れてしまった湯呑みが切ない。ユリアンはその怪物の背中を撫でながら、困ったような笑い声を上げた。


「HAHA! 失敗してしもたで!」

「え……」

「ゲンマーイ! コイツ、どうすりゃええねんなー!?」

「……知らん、ワシゃ何も見とらん……」

「え、ええぇぇ……」


 薫は果てしなく微妙な顔をする。震えて身を縮める玄米。落ち着きなく尻尾を暴れさせる怪物。その背の上で楽しそうに笑うユリアン。この世の混沌を凝縮したかのようなその落ち着かない空間で、薫は頭痛すら感じはじめていた。


「……ユリアン、それ、わざとじゃないの?」

「ちゃうねん。これはな……その…………ちゃうねんて。ちゃうんですの!」

「知るかっ! 変な喋り方すんな!」


 薫は腹を立てる。何でこの異常事態でまともに会話しようとするのが自分しか居ないのか、と考えると悲しくなる。兎に角、ユリアンが偶然にも召喚してしまったらしいその怪物を、どうにかしなければならない。薫がユリアンにそう問いかけようとするが、口を開く事は出来なかった。


「……貴様らが、我を召喚したのか?」


 地響きとともに声が聞こえた。女のような、男のような、機械の合成音のような、耳が拒否したくなるような汚い声。そんなこの世の物とは思えない声の持ち主の特定には、全く時間がかからなかった。この巨大な怪物以外に、こんな声を発せられそうな者は他にいない。


「我を呼んだからには、生け贄の用意は良いのだろうな?」

「生け贄……って」


 怪物は薫の方に腕を伸ばした。勿論捕まる訳にはいかない。何が何だか分からないが、捕まったら最後なのだけは分かる。慌てて念動力で怪物の腕を弾こうとするが、全く手応えがない。鋼鉄の壁に小石を投げつけているような虚しい感覚が返ってくるだけであった。慌てて飛び退こうとしたが、足がもつれてしまう。


「きゃぁ!」


 転んでしまった。その薫に、怪物の巨大な手は容赦なく迫ってくる。超能力を使おうにも、咄嗟の事、そして動揺しているせいか、上手く精神が集中できない。薫は明確に死を覚悟した。まさかこんな下らない事で。下らない場所で。下らない理由で命を散らされるのだから、人生とは奇妙なものだ。

どこか達観した薫の脳裏に、走馬灯が過る。

 あ、マジで死ぬんだ私。ごめん、クーちゃん。私、ここまでだわ。

 少し呑気な辞世の句。口に出せないのが残念だ。諦めた薫が静かに目を閉じる。


「………………」

「…………あれ?」


 薫はいつまで経っても衝撃が無い事に疑問を抱く。怪物の手は薫の少し前で停止したまま、動かない。それどころか、その手は少しずつ後ろに下がっていく。


「なんと……ふははは……はははは! 面白い! 面白いぞ、貴様!」


 少し驚愕した後、怪物が笑い声を上げる。薫には何の事だか分からない。だが、どうやら自分の命が助かった事に違いないようだった。しかし、安堵の溜め息をつく間はなかった。


「面白いが、生け贄としては相応しくない。こちらの人間を頂こう」

「ふおぉっ!」

「玄米さん!」


 玄米が怪物の腕に絡めとられる。年老いた細い体が、まるで丸太のような太い指に捕まれ、身動きが取れない。何かが軋むような嫌な音が聞こえる。薫は慌てて念動力でその怪物の指を開こうとするが、全く意に介されない。このままでは玄米が圧殺されてしまう。もはやここまでか、と思われたがしかし。


「我のパピーになにしとるんじゃこんクソボケダロァ!」


 えらく口が悪い。悪過ぎて何を言っているのか分からないその台詞を吐いたユリアンは、その怪物の背中からいつの間にか降り立って、怪物の横っ面に全体重を乗せたドロップキックをぶちかました。だが相手は、鉄骨すら引き千切る程強力な薫の超能力すら意に介さぬ怪物。そんなもの、効く筈が無い。と思っていたのは薫だけ。


「ぬほぉっ!」


 情けない声とともに、怪物は吹き飛んで地面に転げる。吉本新喜劇くらいの勢いで転がる。吹き飛んだ先にあったあばら屋に頭から突っ込んで、あばら屋が全壊。怪物はびくりとも動かなくなった。ダウンである。レフェリーの代わりに、薫が心の中でテンカウントを取り始めた。

 カウント1。額に青筋を浮かべたユリアンが悠然と、瓦礫に埋もれて倒れた怪物の頭部に登る。

 カウント2。ユリアンが閉じてしまった怪物の瞼を持ち上げ、その瞳を確認する。

 カウント3。薫を振り返ったユリアンが、ゆっくりと首を横に振る。


「……Knock Out!」


 気づけば薫は叫んでいた。清々しかった。心をブリーチ原液で洗ったのかと思う程、心の中が空っぽだった。つまり単純に言えば、思考放棄である。段々どうでも良くなっていく自分が怖い、と思い始めた頃、薫はようやく目の前の光景を受け入れる事ができた。


「………………これはひどい」


 形容し難い状況だった。

 例えるならば、陰陽師が術に失敗したせいで現れた化け物に殺されかけたが謎の理由で回避、その後陰陽師の師匠に襲いかかった怪物を、陰陽師が家ごとたったのドロップキック一発でぶっ飛ばしてしまったような状況である。


「全然例えになってねーのだぞ、カオル」

「だって……だって……ええええぇぇぇぇ……」

「やれやれ……ゆりあんには困ったもんじゃのう」


 未だに腰が抜けているのだろうか、瓦礫から四つん這いで現れた玄米が、疲れた声を出す。薫がその手を取って、かろうじて残っている縁側の端に座らせる。怪物は未だに瓦礫の上に横たわっていた。目を回して気絶しているため、害はなさそうである。しかし放っておく訳にもいかない。一体どう始末を付ける気なのか、と薫はユリアンに視線を送った。


「Hmmm……取りあえず」

「取りあえず?」

「失敗したようですわねぇ、HAHAHA!

 やっぱり陰陽術にエクソシストの技術を融合するのはマズいようでーす!」

「大人しくイギリスに帰った方が良いよ、それ……」


 泣きたくなる薫に反して、ユリアンは「ちょっと目玉焼き焦がしちゃった、ごっめーん☆」くらいにしか反省していない。コメディで済まされる次元ではないのだが、薫は既に軌道修正を諦めていた。玄米の隣に座って肩を落とし、手を振ってユリアンに小さく言ってやる。


「……とりあえず、片付けたら? その化け物も、壊れた家も」

「Oh! そう言えば家が壊れてんじゃんよ! どぉしよ、ゲンマーイ?」

「…………好きにせい」


 玄米の小さな呟きに、ユリアンは肩を竦めてみせる。


「ヤレヤレだぜ……」

「こっちの台詞だ!」


 頼むからもう黙っててくれ。薫はそんな事を懇願しながら、山林に沈み行く日を眺めていた。間もなく夜が来る。口裂け女が現れるかもしれない時間帯が、やってくる。本当に大丈夫なんだろうか、こんな陰陽師で。薫は不安のあまり頭を抱えたくなるのだが、そんな彼女に更なる追い討ちが降りかかる。


「カオール……」

「ん……何?」

「一生のお願いがあるのでーす」


 ユリアンが少し殊勝な顔つきで膝をつき、額を地面に擦り付けた。水戸黄門に伏する改心した悪代官のような、見事な土下座である。


「すまぬ、カオル殿。今夜一晩、いや、家が直るまでしばらく貴殿の家に泊めては頂けぬだろうか」

「え」

「見て分かる通り、我が家はこのような見るも無惨な有様にて候。

 それにこれはカオル殿にもMeritがござる」

「殿って……」

「御願いするときは後ろに殿を付けると成功率が上がるとヤケー殿、じゃなくてヤケーちゃんが言ってたのだ」

「またその人か……」


 たびたび出てくるそのヤケーちゃんなる人物にいつか物申してやる、と密かに決意する薫。


「……まぁそれはいいとして、メリットって何?」

「長所、利点と言う意味合いであるぞ。

 カオル殿、英語は得意と申す割にこのような簡単な単語も分からぬようでは」

「違うってば! 貴方が泊まりに来て、どう私の得になるかって聞いてるの!」

「Oh! Easyなお話でーす。口裂け女が狙うのはカオル殿であろう?

 なれば我々が絶えず御側(おんそば)(はべ)れば、対処も容易である!」


 ユリアンの言い分は、薫にとっては悔しい事に、それなりに筋は通っていた。実に悔しい。成り行きで思いついたらしい理由にしては、納得いかざるを得ないような理由なのだ。ユリアンは面倒な奴だが、口裂け女程ではない。秤にかける必要すらない。薫は未だに平身低頭しているユリアンの顔を上げさせ、渋々ではあるが首を縦に振ってみせた。


「分かった。お母さん達が了承したら、ね」

「HAHAHA! Thank you!」

「誠に申し訳ないのう……」


 玄米が本当に申し訳なさそうな声を出している。彼に関しては、薫は同情を感じるばかりだ。こんな弟子を育ててしまった彼にも責任の一端が無いとは到底言い切れないのだが。


「……頼むから、何もありませんように」


 薫はふと気になって、口裂け女の気配を探知している紙人形を取り出して、眺めた。ポケットの中の紙人形の光は、暗がりのせいか少し強く見える。光が強くなっているのかどうか判別し辛い事が、薫の不安を徐々に煽る。自分を守る陰陽師がこんな奴で本当に大丈夫なのか、と薫は少しだけ実家に帰って来た事を悔やみ、こんなとんでもない陰陽師を紹介した雲海を恨んだ。

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