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怪奇!知らない世界の人々  作者: ずび
第五話 ミステリーサークル
54/123

5−2 入院中の教師

 電車が遅れるような事もなく、薫の帰省はつつがなくプログラムを消化していく。

 駅から出ているバスの時間まではほんの数分。電車を降りてすぐに日に三本しか走らないバスに乗り、そこから更に二十分余り。バスを降りて、田んぼの畦道を縫って、林道を抜け、右手にダムを眺めながら重い荷物を担いで橋の上を歩く薫は、正午過ぎの灼熱の日光を浴びて汗を垂らしながら、俯けていた顔を上げる。


「やっと……やっと着いた」


 薫の目線の先にあるのは、田園に囲まれた立派な門と高い石垣に囲まれた純和風の日本家屋。

 土地が安いぶん、広くて立派な家を立てようと言う祖父母の意地っ張りな心意気が、一家族が住まうには少々手に余る家を建ててしまったのだ。文句を言おうにも祖父母は既にこの世に亡く、薫の姉は既に自立しており、薫は高校の関係で妖山市に住んでいるため、この家には薫の両親しか居ないと言うのが物寂しさに拍車をかける。


「さて……と」


 門の木製の重い扉を押し開けて、広大な農地があるのに家庭菜園がある庭を抜け、玄関まで足を引きずり、帰宅を告げるチャイムを鳴らす。


「ただい」

「おかえりーっ!」


 薫が言い切る前に、絶叫が家を揺らす。

 比喩でなく揺れる程の声量をもってして娘の帰宅を歓迎するその声の主は、慌ただしい足音を立てながら、これまた忙しなく玄関の扉を開けた。藍染めのもんぺに無地の白いTシャツを来て、手ぬぐいを首から垂らすその姿は、正しく田舎の農業者である。


「おやまぁ、かおちゃん。ちっと見ん間にこんげ(こんなに)いとしげ(かわいらしく)んなってまぁ」

「た、ただいまお母さん。……お父さんは?」

「田んぼ()行ってるども(けど)、呼んでくっけ(くるかい)

 おっとさん(お父さん)もかおちゃんに会うんの楽しみだぁっつっとったすけ(って言ってたから)、呼んでくば(くれば)すぐ来っけど(来るけど)?」

「いや、いい」


 怒濤のような早口で捲し立てながら薫の頭を撫でたり顔を触ったりする母の手に少し引きながら、薫は一応帰宅の挨拶を返しておく。

 端から見れば、数ヶ月ぶりに孫の顔を見たおばあちゃんの言葉にしか聞こえないが、実態は一ヶ月ぶりに娘の顔を見た母の言葉だ。

 四十代半ばにしては少々老けが込んでいる母親。外見的には年相応、化粧などで本気を出せば三十代後半くらいには見えるだろうと薫は推測しているのだが、生憎な事に彼女は外身には非常に無頓着な性格をしていた。そんな自分の母を見て、薫はああ近い将来自分もこういう風に女を捨てるんだなぁと考えるだけでこの世が終わる前日が訪れた時のような沈んだ気持ちになる。

 別に母親の事は嫌いではない。むしろ好きなんだが、飽くまでも母親として、である。女の手本としては最悪だった。


上がれや(あがりなさい)。麦茶でも飲む?」

「いや、荷物置いたらすぐ出てくるから要らない」


 靴を脱ぎ、久しぶりの実家の床の感触を一歩一歩味わうように歩いて今の中にボストンバッグを投げ込んで、薫はすぐに玄関に舞い戻る。すぐ出てくる、と聞いて薫の母は口をアヒルのように尖らせて不満を漏らす。


なんでぇ(なんでよ)ちぃとばか(ちょっとくらい)ゆっくりしてけばええこてね(いいじゃない)

 そんに、あんた何処行く言うんよ」

「……病院」


 少し顔を俯けて告げる薫。顔色が悪いが、彼女が病気を患っている訳ではない事を薫の母親は容易に見抜く。

 薫の母親は彼女のその様子を見て、彼女の頭を、農作業で少し荒れた手で優しく撫でてやる。薫もくすぐったそうにその手を抵抗せずに受け止める。


「……先生の見舞いかい?」

「うん……だって、先生が入院したのは、私が」

「止めれや、そんげやって(そうやって)自分を責めるもんじゃね。

 それに、んげなくれぇ顔(そんな暗い顔)して見舞いに行きゃ、先生も悲しむて」

「…………分かってるよ」

「あ! んーだら(それなら)ちょうどいいんがあんのよ」


 一度家の奥に引っ込んだ母親は、間もなく台所からビニール袋を下げて再び現れた。薫がその袋を覗き込むと、黄色くて瑞々しいトウモロコシが五本程詰め込まれている。


「今年はあっちぇくてのぅ(暑くてねぇ)んーめ(美味しい)トウモロコシがなったすけ(から)持ってき。

 手ぶらで行くんも寂しいし」

「そっか……でも、病院で茹でたりって出来ないんじゃない?」

「看護婦さんに頼めば、やってくれんろぅ(るでしょう)。あ、あと漬け物も」

「あんまり持っていくのも迷惑だよ。これで十分。んじゃ、ちぃとばかし(ちょっと)行ってくるわ!」


 話が長くなりそうだと気づいた薫は、そうそうに母の申し出を断って、靴に足を入れ、瞬く間に玄関から飛び出していった。

 若草色の風が吹き抜けたようなその清々しい彼女の後ろ姿に向けて、薫の母親は微笑む。転校して不安を抱えたりしていないか、酷い目に遭ってないか。そんな心配が杞憂だったと、彼女は理解した。


「ふふ、転校直前はあんげくれぇ顔(あんなに暗い顔)だったんに(のに)……ええ(良い)事あったんかねぇ」




  *




 薫の家から徒歩で三十分程かけて村の中心部に向かっていくと、田舎な山田村の中では最先端に文明的な暮らしが垣間見える。恐らくコンビニが建った程度で天地がひっくり返ったかのように騒ぎ立てるであろう、寂しい文明ではあるのだが。薫は生まれてこの方生活して来た山田村の光景を見て、そしてつい昨日まで住んでいた妖山市の光景を目に浮かべて、嘆息する。

 不便不便と思ってきた山田村の生活はやっぱり不便だ。思っていた以上に、不便だ。利点は自動販売機の料金が二十円安い事くらいだ、と薫は本気で考え始めていた。


「ほんと、代わり映えないなぁ」


 たかが一月居なかっただけなのに、薫は数年ぶりに帰省したかのような口振りで独り言を呟く。

 切れかけの街灯、細い道路と寂しい往来、駄菓子屋の老婆がこのクソ暑い陽気の中でも日溜まりで舟を漕いでいる。何も変わらない山田村。名前は消えてしまうけど、住まう人々は何処までものんびりと時を過ごしていく。

 変わってしまったのは私だ、と薫は俯く。

 この平和で長閑な村に住む一人の少女は……変わり者だった。

 超能力が使える普通の女の子だった香田薫は、自らの母校を破壊し、妖山に引っ越し、そして陰陽師と妖怪を知ってしまった。今年度は波瀾万丈であります、と溜め息を吐く薫は、慣れた足取りで村に一つしかない病院のガラス戸を押し開く。

 山田村総合病院。規模はそこらの診療所と対して変わらない程度だが、医者の腕はかなり良いらしく村の患者を一手に担うには十分過ぎる病院であった。


「……あっつい」


 クーラーが効いていない建物は薫にとっては久しぶりだった。

 小型扇風機が首を振って申し訳程度に涼しさを演出している病院の待合室には、近所の老人が集まっている。皆、病気を抱えているとは思えない程に楽しげに談話している。まるでどこかの寄り合いみたいだ、と考えながら薫は受付の看護婦の元に向かった。


「あの」

「あら、薫ちゃん。こっちに帰って来てたんだ。三浦先生のお見舞い?」

「は、はい」


 既に看護婦に顔を覚えられていた薫は、少し狼狽えながら答える。少し年を召した看護婦は彼女の反応に微笑んでみせる。


「入院患者棟は……いや、言わなくていっか。覚えてるよね?」

「はい。あ、それで……」


 恥ずかしそうに苦笑いしながら、薫は受付の上にトウモロコシ入りのビニール袋を乗せた。


「これ、母に持たされたんですけど……その、ゆ、茹でたりって出来ますか?」

「茹で……? うーん、どうかなぁ。ちょっと先生と相談しておくわ。

 三浦先生、こういう食事もちょっと難しいかもしれないからね……。

 もしOKだったら給湯室で茹でて持っていくから、薫ちゃん、先に三浦先生に顔見せに行ってあげて」


 看護婦は少し渋い顔をしながら、ビニール袋を受け取って奥に引っ込んだ。

 薫はそれを最後まで見送る事もなく、足早に病院の二階にある入院患者棟の最奥の部屋に向かう。その四人用の病室の扉は開きっぱなしで、中には三人の患者がいる。足の怪我をした老婆や腕にギブスを巻いた中年の男に会釈しながら奥に足を踏み入れる。

 そして、四つのベッドの左奥側。三浦(みうら) 香奈(かな)と書かれたプレートのあるベッドに彼女はいた。

 窓から吹き込んでくる風が、カーテンと彼女の伸び放題な前髪を少し揺らす。身体ごと横に向けており、薫には背を向けた形となっている。彼女のベッドの周りには、他の老人に比べると医療器具が異様に充実していた。点滴は勿論、溲瓶(しびん)に繋がる管や、腕に繋がる幾つもの管と、何をしているのか不明な大量の機器が彼女の体調がいかなる物かを表している。

 その光景を見る度に胸を締め付けられる薫は、彼女に声をかけるのを躊躇うが、やがて小さく囁く。


「……先生」


 声をかけられて驚いたその女は、慌てて首を動かし、薫の方に向き直った。

 振り返り際に、少し長く伸びた茶髪が揺れる。白い肌に、柔和そうな顔のパーツを乗せた穏やかな顔つき。年の頃は二十代後半くらいだろうか。如何にも人の良さそうな女性だった。

 薫の顔を見て、その女性は驚きと喜びの入り交じった表情をした。


「あれ、薫ちゃん? ……そうか、もう夏休みなんだね」

「はい……」

「ダメね、先生ったら。高校の教師なのに、学校の日程も分かんないなんて」


 自嘲する笑みを浮かべるその女性に、薫はぎこちない笑顔を返す。


「杵柄は私立で、夏休みも他の高校よりちょっと早いんです。

 それより三浦先生、怪我の具合は……」

「順調順調! ほら、このとおり」


 そう言って三浦は寝かせていた体を起こそうとするが、すぐに痛みに顔を歪めて、ベッドに逆戻りする。


「……あ、あれ?」

「先生、無理しないで」

「無理じゃないよ。おっかしいなぁ、昨日は起きれたんだけどなぁ。

 ……ほ、本当だよ! だから、そんな疑うような目は止めて」


 碌に体も起こせない彼女はコロコロと表情を変えながら、暗い表情の薫を気遣う。

 このままじゃどちらが入院患者だか分からない、と薫は無理矢理笑顔を作ってみせる。

 しかし笑顔と言うにはあまりにも辛そうな薫。彼女の薄い笑顔の仮面の奥のもの悲しい表情を読み取った三浦は、薫を手で招き寄せる。言われた通り椅子に座って身を乗り出した薫の頭を、三浦は優しく撫でてやる。


「正直に言うと、まだあんまり動いちゃ駄目って言われてるのよねぇ。

 ……ま、内臓破裂と両脚の複雑骨折だもの。無理無いけどさ」

「そう……なんだ」

「でも、快復が順調なのも本当よ?

 今までは碌に動かせなかったけど、最近は自力で寝返りも、体を起こすのも出来るようになったしね。

 こんな重傷でもお医者さんは全快出来るって言うんだから、人体って不思議なものよね」

「………………」


 三浦は小さくガッツポーズをしてみせるが、薫は顔を俯けたままである。

 三浦本人は明るく振る舞ったつもりだが、薫はそれに乗ろうとはしなかった。流石に三浦も疲れてきたので、撫でていた薫の頭から手を離して、代わりに顔を撫でる。


「こら、薫ちゃん。なんでお見舞いに来た貴方に私が気を遣わなきゃいけないのよ。

 私を励ましに来たんじゃないのー?」

「……先生がそんな風になったのは」


 薫は今にも泣きそうに目を強く瞑る。手は強く握られ、肩は震える。

 瞼の裏に映るのは、数ヶ月前の山田村での大惨事。

 山田村高校校舎倒壊という、奇怪な事故。

 立ちこめる砂煙。音を立てて、崩れ続ける木材と鉄筋コンクリート。

 瓦礫の中に取り残された、血塗れの三浦。二の足で立ち、傷一つなくそれを呆然と見下ろす薫。


 違う。私はこんなつもりじゃなかった。ここまでやるつもりはなかったんだ。

 違う、違う! こんな筈じゃない。私はこう言う結果を望んでいた訳じゃない!

 助けなきゃ、先生を助けなきゃいけないのに、どうして? どうして、超能力が使えないの?

 誰か、誰か助けて。先生を助けて!


 思い出して、心の中で絶叫する薫の頬を、三浦が軽く叩いていた。

 三浦は彼女の目から零れた涙を指で掬って首を傾げる。


「確かに……うん。貴方を恨んだ事もあるわ。

 よくもこんな目に……ってそんな風に考えたりもしたけど……。

 もう大丈夫よ。先生、元々ポジティブな人間なんだから」

「……」

「あのね、薫ちゃん。そろそろ先生も怒るよ?」


 三浦は少しおどけて言ってみせるが、少なくとも冗談は言っていなかった。目が怖い、と感じた薫は、目を擦って三浦に向き直る。


「貴方が不思議な力を持ってて、それが原因で私が怪我をしたのは本当の事。

 だけどさ、貴方が私の命を救ってくれたのも本当の事でしょ?

 貴方は私の命の恩人なの。だから胸を張りなさいよ。

 お見舞いに来たんだから、もっと見ていて元気が出るような顔をして頂戴」

「…………うん。分かった」


 薫はようやく落ち着きを取り戻す。目は少し赤くなっているが、泣き腫れと言う程でもない。落ち着いた薫を見て、三浦は顔に触れていた腕を下ろす。少し名残惜しそうにする薫を見て、三浦の口からまた笑いが漏れた。


「薫ちゃん、向こうの生活は慣れた?」

「えっと……まだちょっと戸惑う事もあるけど、なんとかやってる。

 叔父さんも叔母さんも優しいし、心配ないよ」

「勉強は? 杵柄はこの辺りよりもちょっとだけレベル高いかもだけど」

「難しいけど、頑張ってる。テストの成績も、多分そんなに悪くない筈だし」

「友達はどう? 山田村高校出身で杵柄高校に行ったのは貴方だけだったよね?」

「みんな優しくしてくれる。まだ一ヶ月だけど結構友達出来たよ」

「そう……良かった。薫ちゃん、ちょっと気が弱いから虐められないかどうか、先生心配で」

「教師の言う台詞じゃないよね、それ」

「あは、それもそっか。そうだ、彼氏とかいないの?

 薫ちゃん可愛いから、結構声とかかかったりするんじゃない?」

「そんなのないよ。私の友達は結構モテるけど、私は全然。

 お化粧もあんまりやらないし、可愛い服とかアクセも持ってないし」

「あら? 良いじゃない、そう言う純真で素朴な感じって。

 案外、身近な人から想い寄せられてたりしてるんじゃないのー?」

「それは……いや、ない。ない、筈」

「お、心当たりあったりする系?」

「いや、ないってば、ないない。うん、ないんだと思う」

「なんか段々否定の具合が弱くなってるよ? あ、もしかして薫ちゃんの方がその人の事を」

「……それはないなー」

「そこは自信満々に言い切るんだね。かわいそ、その人」

「だからそんな人は居ないってば」


 楽しい談笑は続く。二人はまるで、年の離れた姉妹のように、友達のように語らった。

 妖山での生活。出来たばかりの友達。楽しかった事から、愚痴や不満まで、薫は話し続けた。

 薫にとって三浦は、二ヶ月程お世話になった高校教師以上の存在であった。女の子としての薫、高校生としての薫、そして……超能力者としての薫を、彼女は笑いながら全て受け入れてくれる。その事が、薫にとっては何よりも嬉しかった。誰よりも優しい彼女に、薫はありのままの自分を晒す。ただ一つの事件を除いて。


 妖怪の存在。そして、口裂け女の復讐。


 そんな非現実的な現実。荒唐無稽の真実。当事者しか知り得ない、悪意に満ちた幻想。三浦に話せば、恐らく彼女は信用する。薫が狙われている、と言う事も含めて。彼女には心配をかけたくない。これ以上彼女に心労を背負わせる訳にはいかない。

 薫は更に祈る。何事も、お願いだから何事もなく無事に過ごせますように……と。

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