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怪奇!知らない世界の人々  作者: ずび
第四話 ドッペルゲンガー
48/123

4−6 二人の見舞い

 神部の家は神有無(かみうむ)町の西外れにあった。

 駅の北を出て市道から脇道に逸れ、杉の林道を抜けた先の高台に一件だけ孤独に建っている白く、巨大な洋館。それが神部の住まう家であり、雲海と小森は、見上げねばならない程背が高く、首を左右に向けても視界に収まり切らない神部の家を前に、思わず脚を止めてしまった。


「神部さんの家って凄ぇお金持ちなんだな……」


 雲海は独り言の様に小さく呟いた。小森はそれに答えるように首を大きく縦に振る。

 広大な敷地を贅沢に使う為の弊害だろうか、丘の上からは神有無町の住宅街が一望出来るが、その代わり神部の家の近所には他に民家も商店もない。それが何だか、今現在の神部の交友関係を象徴しているかの様に思えてしまう。

 孤独。孤高。同級生とは一線を画す超然とした様子。

 雲海は己のイメージが彼女の住まいに一致する事に妙な納得を覚えていた。そろそろ首を上に向けているのが辛くなってきたので、雲海は自分の身の丈の倍近くある巨大な玄関の扉の前でインターホンを鳴らす。


「反応なしだね」


 もう一度鳴らすが、結果は同じ。

 もしかして留守なのか?

 雲海は懸念しながら、観音開きの巨大な玄関の扉にドアノブに手をかけて手前に引く。扉は、雲海達の予想に反してあっさりと、手応えも軽く開いた。


「……人は居るらしいな」

「お邪魔しまっす」


 小森は口の中で小さくそう呟いて、雲海が薄く開けていた扉から飛び込んでいく。肩を掴んで止める間もなかった雲海は、渋々ながらも玄関を開けて入室し、目の前の光景に息を呑む。


「こんなの本当にあるんだなぁ……」


 テレビやアニメでしか見た事のない、まるで都内の高級ホテルのように広大なロビー。

 天井から下がっている巨大なシャンデリア。足元の床の白さは大理石によるものである。足元から伸びる黒いカーペットはそのままロビーの奥に続いており、二階へ向かう階段に向かっている。

 モノトーンに彩られた神部家のロビーを、雲海は自分には無縁な世界だと感心しながら、辺りを飛び回る小森を眺めて溜め息を吐いた。


「これでカーペットの左右にメイドがズラって並んでりゃ、完璧だよね!」

「…………完璧、ねぇ。ま、確かに」


 小森が感慨深げに頷いている事に同調を示した雲海は、もう一度室内を見回して妙な違和感を覚える。


「……でも、妙に殺風景だなぁ」

「確かに。これが私の家だったら、そうさな……」


 小森は首を上に向け、時折指を指したり、指で壁の方に額を取ったりしている。どうやらどこかしらに絵を飾るつもりらしいが、それには雲海も納得する。

 確かに豪勢な家だ。それに、ロビー一つ見ても掃除が行き届いている。しかし、飾り気は全く無い。観葉植物、絵画、写真などの室内インテリアの類いは一切見受けられない。シャンデリアの派手な装飾だけが唯一の洒落っ気である。

 それに加えて、雲海は妙に肌が粟立つこの部屋の空気を訝しんでいた。

 生温い。空調が利いている訳では無い。張りつめた気配と、気温とは別種の寒気が雲海の肌を撫で回していく。どうしてこんな気分が悪いのかは不明だったが、この家に長居すべきではない、と雲海は直感的に感じていた。

 さっさと神部の部屋に乗り込もうと考えた雲海は、未だに辺りに視線を走らせてインテリアを考えている小森の肩を叩く。


「早く行こうぜ。神部さんと話に来たんだ、御宅拝見に来た訳じゃない」

「それもそうだね。

 ……つーか、こんだけ広いのにメイドさんとか執事とか居ないのかな。

 家政婦でもなんでも良いけど」

「休みなんじゃないのか?」

「え? メイドさんって住み込みじゃないの?」

「そんなの滅多に居ないだろ。まぁ、こんだけ広い家なら別かも知れないけど……」

「どなたでしょうか?」


 突然背後から二人の耳に清流のように澄んだ透明な声が届く。

 二人が後ろを振り返ると、玄関の扉の前に殆ど閉じているかのように細い目をした、細身の女が立っていた。年の頃は二十半ば過ぎ位で、後頭部の辺りで黒髪を束ねている。特筆すべきはその服装であった。


「すげぇ、クリティカルにメイドだわ……!」


 小森が何故か興奮気味に少し後ずさって、その女性を凝視する。

 クリティカルってなんだ、と口に出しかけた雲海だったが、確かにその女の格好はクリティカルにメイドであった。黒く、丈の長いエプロンドレスは秋葉原のメイドカフェに居る従業員達とは正反対で、フリルのフの字も無い程に地味。頭に乗っかっているカチューシャも、髪止めの機能を重視したらしい、飾り気の無い白色。しかし変にサブカル染みていないその姿は、かえって彼女が実直に職業メイドとして働いているのだろう事を雲海達に知らしめていた。


「……どなたでしょうか?」


 メイドは、ボイスレコーダーでも仕込んでいるかのように先程と全く同じ声色で問いながら二人に歩み寄ってきた。よくよく見れば、背が高い女だった。男子高校生としては平均的な身長の雲海が全く首の角度を下げずに彼女の顔色を窺う事が出来た。

 歩みが速いせいか、高身長によるせいか、靴の踵を鳴らしながら近付いてくるメイドには妙な迫力があった。あまりにもイメージ通りなそのメイドに面食らっていた二人は、一旦顔を見合わせてからしかめ面のメイドに向き直る。


「あ、すみません。僕たち、神部さんの……祥子さん、のお見舞いに」

「……お見舞い、ですか」

「は、はい。すみません、勝手に上がってしまって」


 メイドが二人を見る目は未だに何かを疑っている色を失っていないが、二人の下げる頭を見て一つ嘆息。雲海と小森が顔を上げた先に居たメイドは、ゆっくりと恭しく雲海達に頭を下げた。


「これはこれは、失礼を。お嬢様の御学友でございましたか」

「お嬢様! つか、あの人そんな柄じゃないじゃなくね……?」


 小森が口元を抑えて吹き出しそうになるのを堪えている。

 自分の勤め先の娘を馬鹿にされているらしいと感じたメイドは、小森を一度強く睨みつけた後、雲海の方に視線を向ける。


「本日はどのようなご用件でしょうか? 私の聞き違いでなければ、お見舞い、と」

「え、えぇ。どうも神部さんの元気がないらしいんで」

「ふむ、お見舞いですか……」


 メイドは右手の人差し指で額を突ついて、何かを思案している様子である。どことなく苛立つように眉間に皺を寄せて、口端から幽かに溜め息らしいものが漏れた。


「お嬢様の具合が悪い、といった様子は、今朝は見受けられませんでしたが」

「……マジで言ってんの?」

「はい。マジもマジ、大マジでございます。

 今朝方もお嬢様は、普段通り凛としていらっしゃいました。

 あの凛々しいお姿はまさしく冬の高山に咲く一輪の花。

 美しくも芯が強く、それでいて理性に溢れている。

 いかなる時も気を抜かぬ戦国武将の様な気骨。

 そして自身の才能に慢心しない強靭なメンタル。

 それでいて、眠る時に見せるあどけない、年相応の可愛らしい寝顔……。

 私、この家でお仕事を頂いて以来、女の身として生まれた事を後悔する日々でございます。

 もし男として生まれていれば、私はお嬢様と……ウフフ」

「アンタの趣味なんか聞いてないっつの」


 メイドが少し鼻息を荒くしながら興奮気味に語るのを、小森が呆れたように遮った。女が女に惚気んな気持ち悪ぃ、と口の中で小さく呟いた小森は、とぼけた顔のメイドを見て少しだけ苛立った。


「おや、申し訳ございません。ついつい……。

 そして、生憎ですが今日はお構いする事は出来ません」

「え? なんでよ?」

「それは……」


 メイドは少し目を泳がせてから、再び小森に真っ直ぐ目を向けた。メイドが言い淀んでいる事を不審に思っていた雲海は、話半分に聞いていた二人の会話に耳を傾け始めた。


「今日はどうしても読み終えたい本があるので、誰かが来ても部屋には入れないでくれ。

 ……そう申し付けられております」

「いや、でも」

「ですので、お引き取り願います」


 メイドは頭を下げた。一も二もない。疑問系ですらなかった。丁寧な言葉遣いではあるが、要するに「帰れ」と言っているのだ。小森はしかし、引き下がらない。


「でも、昨日あの人私の服着て帰っちゃったのよ。

 自分の服を取りに行くだけだし、別に良いでしょ?

 私が着て帰った神部さんのダボダボの服も返さなきゃならないし」


 ダボダボの、を妙に強調する小森の片手にぶら下がる手提げを見て、小森の体型に視線を移した雲海。

 ……なるほど確かに。

 心の中だけでそう思った筈であるのに、何故か小森は雲海には視線を向けずに顔面に軽くチョップを見舞う。反省に目を瞑った雲海は、メイドと小森のやり取りに黙って耳を傾けた。


「後ほど郵送させて頂きます」

「郵送って……そこまでする?」

「速達で。或いは、私が後で直に小森様の家に持っていきましょう」

「そんな面倒な……別にいいじゃん! ちょっと顔見る位はさぁ!」

「いえ、御遠慮下さい」

「私は今すぐあの服が着たいの! だから、会わせてよ!」

「……っ」


 メイドが幽かに舌打ちしたのを、雲海は聞き逃さなかった。一瞬だけ、控えめなメイドが敵意を発したのを感じた雲海は、メイドの顔を注視する。しかし雲海の目に映るメイドは、既に先程と同じように澄ました顔を取り戻していた。


「あまり騒がれるようであれば、こちらとしてもそれ相応の対応をせざるを得ませんが」


 メイドの声色が少し低くなり、一歩大きく小森の方に踏み出した。小森は突然目の前にまで迫ってきたメイドから少し身をのけ反らす。


「ど、どうするってのよ」

「家主の許可無く邸内に侵入。住居侵入罪は十分に適用されるでしょう」

「う……」


 警察に通報するつもりらしい。

 別に不法に侵入するつもりもなかったし、ここに来る理由もそれなりにあるのだが、何にせよ警察沙汰は少々面倒である。流石にそこまで言われると、小森も段々諦め始めたのだが、雲海は逆にメイドの方に一歩足を進めた。


「……どうしてそこまで頑なに拒むんです?」

「ですから、それはお嬢様が」

「こう言っちゃあなんですが、貴方の言葉は正直胡散臭い……。

 客を追い返すなら、もっと自然な言い訳が思いつくだろうに。

 習い事の多い神部さんの事だ。今日は家庭教師が来るとか、華道教室があるとか、適切な言い訳が出来る。

 本を読んでるから入れない、なんてちょっと杜撰(ずさん)な言い訳でしたね。

 それに、貴方のしかめっ面を見てるとどうも神部さんが誰にも会いたくない、と言うよりは……貴方が僕らと神部さんを会わせたくない、かのように思える。

 ちょっとこっちがムキになれば、警察なんて物騒な単語まで飛び出す。

 そこまでして僕らを追い返したい理由はよく分からないけれど……」


 雲海はどこまでも真剣な顔でメイドに食ってかかる。

 端から見れば単なる言いがかりも甚だしいが、メイドは雲海のその挑発に似た言葉に反応を示してしまった。胡散臭いと呼ばれたメイドは雲海の視線に、同じように鋭い視線をぶつけ返す。控えめだった彼女も、静かに意地を張っているのが感じ取れていた。


「ですが……何度も申し上げている通り、お嬢様がそう仰っている以上は」

「もう何を言っても無駄ですよ。到底、信じる気にはなれませんからね。

 僕らに信じて欲しいなら、相応の対処をしてもらいたい」

「……例えば?」

「ドア越しでも構いません。何はともあれ、神部さんと話をさせて欲しいんです」


 最早メイドは自分の怒るような威嚇の表情を隠そうともしていなかった。

 右の人差し指で引っ掻いている額は赤い痕が無数に浮かび上がっている。細い目は更に鋭角を増して釣り上がり、眉間には無数に皺が刻まれ憮然とした表情を作っていた。

 明らかに使用人が客人に向ける顔ではない。

 女として人に見せられる顔ですらないのだが、雲海にとってはそんな事を今更とやかく言う必要などどこにもない。どうせ彼女が何らかの退っ引きならない物を抱え込んで隠しているのは目に見えているからだ。神部にか、或いはメイド自身。ひょっとしたら、二人とも、にも。


「……仕方がありませんね。こちらへ」


 折れたのはメイドであった。

 二人の方を通り抜け、そのまま振り返る事なく、メイドは早足で階段を上っていく。小森は雲海の耳に口を寄せて、メイドには聞こえないように囁く。


「案外あっさりだったね?」

「あぁ……」


 小森は楽観的に捉えている様子だが、雲海は違った。

 もっと反論して、もっと拒絶して、もっと敵意を剥き出しにして欲しかった。

 メイドは未だに一応はメイドとして振る舞っている。このメイドから覗く敵愾心の正体を見極めるには、現状では材料が足りない。このまま着いていっても問題無いだろうか。警戒する雲海を尻目に、小森は早々にスキップしながらメイドの背中を追っている。


「……仕方ないか」


 雲海は諦めて、二人の背中を追う事にする。いつもなら腰に下げておく呪具の類いを持ってきていない事に、少しだけ不安を覚えながら。




  *




 昼過ぎの据膳寺。

 今しがた縁側にくくり付けられた風鈴の冷涼な音を聞きながら、空峰天心はひたすら茫洋と空を眺めていた。兄は何故か行き先も告げずに外出。父は仕事で町まで降りている。陰陽師の方ではなく、寺の方の仕事であるが。片手には電池切れの携帯ゲーム機。もう片方は行く先を決めかねた結果、膝の上に収まっている。家事は全部終わっており、今から夕食を仕込む気にもなれず、かといって再充電してまでゲームに熱中も出来ず、山と積まれた夏休みの宿題なんてやる気が起きる筈もなく。何かしよう何かしようと時間ばかりが過ぎていく平日の専業主婦のような状況の天心は、その幼顔に似つかぬ哀愁を漂わせる顔色で隣を見やった。


「ごがー……ぐ、ごご、ごがー……」


 隣で、仰向けに両腕両脚を投げ出して大の字に寝転がる緑色の妖怪は、喉の奥から響く喧しいいびきを存分にかいていた。天心は縁側から足だけ外に出して、ゲーム機を部屋にぞんざいに投げ込んでから、腕を組んで唸る。


「起こした方がいいのかな……」


 寝息を立てる利休は、水の妖怪である河童だ。身体の表面は常に乾燥を防ぐ為の粘膜に覆われているが、それにも限度がある。利休曰く、一度水の外で三日三晩眠りこけた事があったらしいのだが、全身火傷で本気で死にかけた事があるらしい。つまり、河童にとって乾燥は敵なのだ。やはり、水に戻すのが一番良いだろう。

 結論づけた天心は利休の肩を揺する。


「……おぅ、おぅ?」

「起きた? 利休さん、身体乾いてきたよ」


 意外に目覚めの良い利休は目を擦り、鼻を擦り、脇の下を掻きむしり、頭の皿を撫で回してから大きく伸びをして欠伸をする。


「あー…………ふぅ。悪ぃ、天心ちゃん、水持ってきてくれ」

「こんな所で寝ちゃメッ、だよ、メッ」


 呆れた声を出しながらも、面倒見の良い天心は立ち上がって台所に引っ込む。

 それを視線で追っていた利休は、自分の甲羅の中に手を突っ込んで、キセルを取り出し、口にくわえようとした所で、動きを止める。やがて彼は居間に目を移し、そのまま横にずらして庭に目をやる。

 静かだった。蝉の鳴く声は彼が寝る前……昼の少し前頃に比べれば随分と静まり返っている。風鈴の涼しげな音は変わりなく聞こえるので、耳が悪くなった訳ではない。本当に蝉が大人しいのだ。時間を考えれば、鳴き止むには早過ぎる。

 不意に辺りを眩しい位照らしていた日の光が少し和らぎ始める。何事かと利休が首を上に向けてみると、雲が意志を持つかのように、それこそまるで無数の白い蛆虫が太陽に這いよっていくかのようにゆっくりと、しかし確実に陽光を遮っていく所であった。


「………………くせぇなぁ」

「ん? 何が臭いの?」


 ステンレスの薬缶に水を一杯に入れて帰ってきた天心が、不審な利休の言動に首を傾げてみせた。利休はチャランポランな彼にしては妙に畏まった表情で、時折鼻を鳴らして何かを嗅いでいるらしかった。


「おい。兄貴はどうしたんだ? なんで居ねぇんだ」

「さぁ? 何にも言わずにどこかに行っちゃったよ」

「……ったく」


 悪態をつく利休は、恨めしげに空を霞ませる薄雲を眺めながら、とうとうキセルに火を入れ、隣で呑気な顔をしている天心を見て溜め息を吐く。天心も利休と同じように首を上に向けて、空に蠢く不思議な雲を眺めているのだが、それを特別な予兆だと感じている様子はない。

 同じ一族の割にコイツは随分と鈍いらしいな、と利休は何だか天心の事が哀れにさえ思えていた。


「…………なぁ、天心ちゃん。岩武はどうした?」

「父さんは仕事で町に降りてるよ。法事で」

「肝心な時に役に立たねぇなぁ、親父も兄貴も……」


 天心から薬缶を受け取った利休は、薬缶の口を直接くわえて、中身を一気に煽る。喉を鳴らしながらあっという間に飲み干した利休は、天心に薬缶を返して、キセルで一服。煙を吐き出して、目を細めた。


「天心ちゃん。お前も親父から、一応修行は付けられてるんだよな?」

「……まぁ、それなりには」


 天心は利休が何故今その話を出すのかが良く分かっていなかった。

 兄が妖怪退治の為に修行を積んでいた横で、弟である彼も、妖怪に対抗するための呪具の扱いの手ほどき位は学んでいた。呪符を扱う事が僅かばかり出来る程度に、であるが。


「でも、一体どうして」

「空見てわかんねぇかなぁ……? 妖怪だよ、よ・う・か・い」

「あぁ、空が変なのはそのせいなのか……」


 雲の異変には気づいていた天心は、納得いったように掌を拳で打った。しかし表情は変わらず、この世の悪を知らないような平和な顔で利休を見ていた。利休は煙を吹きかけてやりたくなったが、すんでの所で思い留まる。


「どうやら奴さん、本格的に動き始めたらしい。

 どうだい、天心ちゃん。試しに退治しに行くか?」

「……ちょっと怖いかも」

「じゃ、止めといた方がいいな」


 妖怪は人の恐怖心や敵意と言った、負の感情を糧に力を増していく。すなわち、妖怪を怖れる人間が妖怪を退治する事は絶対に出来ない。どうやら天心にその資質はないらしい事を悟った利休は、少しだけ残念に思う。


「さて……俺様はもう少し寝るぜ。ちょうど日も陰ってきたしな。

 妖怪のほうは、雲海か岩武が何とかするだろうよ」


 天心が戦う力を持たないと分かった以上、利休は傍観に徹する事に決めた。

 利休は妖怪である以上、あまり人間に肩入れする訳にも行かず、またするつもりもなかった。襲う側と襲われる側。そして退治する側とされる側。人間を襲うのが妖怪の役目で、妖怪を退治するのは人間の仕事。それが弁えるべき分なのだ。


「……大丈夫かなぁ、お兄ちゃん。巻き込まれなきゃ良いけど」

「そうはいかねぇさ。妖怪が動き出した以上、雲海は真っ先に現場に向かわなきゃな。

 それが陰陽大師、山気光明の血族の義務だ」


 利休はキセルの灰を庭に落として、再び甲羅に仕舞い込み、仰向けに寝転がる。


「俺様とお前は、精々アイツが取って喰われねぇ事を祈るしかねぇのさ……」


 それは天心に言った言葉か、或いは自分に言い聞かせたものなのか。

 茶化した台詞の割に、利休の声色は普段よりも幾分か低く、頼りないものであった。天心は不機嫌そうに頬を膨らませたが、結局何も言わず、再び縁側に腰掛けて、段々と悪くなっていく空模様を歯噛みしながら眺めていた。

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