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怪奇!知らない世界の人々  作者: ずび
第一話 口裂け女
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1−1 口の裂けた女

 深夜零時を過ぎていた。

 平野(ひらの) 和美(かずみ)は、おぼつかぬ千鳥足で国道脇の地下道を一人、ヒールの底を危なげに鳴らしながら歩いていた。平日の夜中という事もあってか、地下道を歩く人間は彼女しかいない。誰に気兼ねするでも無く酒臭い息を蒔き散らす彼女は、目から大粒の涙を流していた。

 理由はさまざまあるのだが、列挙していくと枚挙に暇がない。

 五年付き合って結婚まで考えていた彼氏とは、浮気を原因に破局した。それに多いかぶさるように勤めていた商社からは嫌がらせを受けて、自主退社を強要され、経済的にも精神的にも頼りの綱であった父が、肺がんで他界してしまったのはつい二ヶ月前の事。その父が亡くなった二日後、今度はなんと母親が実家のローンを一人娘に押し付けて和美より年下の男と蒸発。それでもめげずにローンを返す為に借金をしようにも、彼女が縋り付いた金融業者は、いわゆるアコギな闇金融であった。様々な不幸が重なった彼女は、己の不幸を嘆き、今日も借金取りを躱して居酒屋で飲んだくれ、日光から身を隠すように四畳半のボロアパートに帰宅する日々を送っていた。

 順風満帆に見えた人生が、ほんの数ヶ月程で一気に転落。何かの呪いだと思わず考えてしまう程の、絵に描いたような破滅が彼女の身に襲いかかっていた。お祓いを頼もうにも、そんな金はどこにもない。今の時代、金がなければ神にも仏にもすがれない世知辛い世の中なのだ。

 和美は人生を諦めかけていた。そんな彼女が今日も安い焼酎を浴びる程飲んだくれた後に、ぼやけた視界を照らすナトリウムランプの黄色い光を頼りに、自宅に向かっていたときの事だった。


「んぅ?」

「………………」


 一人の黒髪の女が、地下道の壁に背を預け、顔を俯けて佇んでいる。今は六月だと言うのに、赤いロングのダッフルコートに身を包み、革のブーツを履いている。気持ちの悪い女だな、と思わず少し酔いの冷めてしまった頭で思いつつ、出来るだけ早足で彼女の前を通りすぎようとした時だった。


「ねぇ」


 背中から声がかかった。無視して立ち去ろうとしたが、もう一度「ねぇ」と声がかかる。恐る恐る振り返ると、その不気味な女が、こちらを向いていた。長い髪は碌に手入れされていないのか、毛先はあちこちに跳ねて、髪の表面に浮かんだ脂がランプの灯りを照り返していた。顔の殆どを覆い尽くしてしまう白いマスクのせいで、彼女の表情は窺えない。前髪の向こうから覗く深く窪んだ両眼が、自発的に光を発しているのかと思う程爛々と輝いているのがひたすらに気持ち悪かった。

 数ある不幸に苛まれてきた彼女でさえも初めて感じる様な、本当に背筋が凍り付いたと錯覚する程の寒気が和美を襲う。和美はしかし女から目が離せなかった。背を向けてはいけないと本能が感じていた。女は次いで口を開く。


「あたし、きれい?」


 マスクの向こうが僅かに蠢き、老婆のようなしわがれた声が聞こえてきた。和美は自分の足の震えを自覚した。不気味さが、段々と恐怖に変わってくる。女が更に一歩足を進め、和美との距離を詰める。


「あたし……きれい?」

「な、何よアンタ」


 震える足を一歩後ろに引いて和美は脅えた声を上げる。「あたし、きれい」。昔何処かで聞いたフレーズだったのが、思い出せない。もう一歩足を進めた女。和美はすぐ二歩前に迫ったその女に怯え、慌てて口を開く。


「き、きれい、きれい! きれいだから、こっち来ないで!」

「……そう」


 足を止める女。和美はその隙に、三歩後ろに身を引く。まだ危機は去っていない。そんな予感がした。背を向けて逃げるのは危ない。頭の中の警鐘は未だに叩かれ続けている。マスクの女は俯け気味だった顔を上げて、耳にかかったマスクに皮が剥げて腱が覗いている指をかけて、大型のマスクを外す。瞳に若干の喜色が浮かんでいるように、和美には見えた。


「……これでも?」


 内側の全面が黒ずんだ血で染まったマスクが落下した。


「きゃああああああぁぁぁ!」


 和美は絶叫する。地下道に反響するその絶叫を聞く者は、誰も居ない。女の口は唇の端が大きく裂けて、裂傷が耳にまで届いていた。顔面から鮮血を滴らせる女は、その耳元まで大きく裂けた口を歪めて、笑った。

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