3−8 動き出すコンビ
「もしもし、はい。杵柄高校の沢田です。えぇ、美紀さんの担任の」
担任の沢田に事情を一から説明したところ、動揺しつつも、沢田自身がそのまま職員室で小森の家に電話をかける事になった。雲海、薫の慌てふためいた表情に未だに半信半疑な沢田は、言われるがままに小森の家に電話をかける。
「それでですね。今日、美紀さんが学校に来てないんですが……えぇ、本当にです。
すみません……少々お待ち下さい」
ゆっくりと雲海と相川の方に向き直った彼は、受話器の口を押さえて声を潜める。
「小森は今朝も普段通り家を出たそうだ」
「そ、そんな……」
「じゃ、真見ちゃんの言ってた電話はやっぱり……」
たすけて、と言うメッセージを残して、小森は行方知れずになってしまった事となる。沢田は再び受話器の方に気を向け、小森の親と会話を続ける。
「えぇ、はぁ……まぁ、或いはどこかでサボっているのかも……。
あ、いえいえ! 違います、お宅のお子さんはいつも真面目な生徒ですが!
でも、この位の年の子には全く無いとも言い切れなくて……ち、違いますって。
決してお宅のお子さんを疑っている訳ではなくてですね、飽くまで私は可能性の一つを……。
……お、お母さん! 落ち着いて下さい、落ち着いて!
大丈夫です、大丈夫ですから」
電話口の向こうから、何かを喚いているらしい小森の母親の甲高い叫び声が聞こえてくる。内心では二人以上に慌てている沢田は、それでも小森はサボリだと言う仮説を崩そうとせずに母親を諭そうとする。当然向こう側の母親も納得がいっていない。沢田に向かってかなりご立腹な様子だ。
その沢田は一旦受話器から耳を話して、雲海と薫に振り返った。
「お前ら、この事は他言無用だからな!」
「え……なんでですか?」
「無闇に混乱の種を増やす訳にはいかない。分かったな?
……あぁ、お母さん。はい、えぇ……警察?
いや、その。警察は少し早いのでは……え、う、それもそうですけど。
…………そ、そうですね。はい。一度、切ります」
受話器を置いた沢田は、崩れ落ちる様に自分のデスクの椅子に腰掛けて、深々と頭を垂れて頭を抱えた。ぶつぶつと、この世の終わりでも訪れたような態度で独り言を呟く。
警察、責任、退職……そんな単語を聞き取れたのは、一番沢田の近くに居た雲海だけであった。
自分の事よりも心配する事があるだろうが!
腹を立てた雲海はそれ以上沢田の不快な独り言を耳に入れない様に、薫を引きずって職員室から退出する。
「痛い、痛いって! クーちゃん! 落ち着きなよ!」
腕を掴まれていた薫が、雲海の握力に痛みを訴えた。
「……僕は落ち着いているさ」
確かに慌てふためいてはいたが、雲海は自分に言い聞かせるようにそう呟く。こんな時こそ冷静になる必要がある事を、彼は口裂け女の事件の折りに、身に沁みて知っていた。それだけの事ではあるが、その自覚は冷静さを取り戻すには十分な理由である。
「僕が怒っていたのは、保身しか考えてない沢田のせいだ。それはそれだよ。
小森さんの事は小森さんの事で、冷静になって考えているさ」
薫は目を皿のように丸くしながら、澄ました顔を無理矢理作る雲海を見つめる。
「ものっすごい見栄っ張りだね……」
「何でだよ……とにかく今は、小森さんの状況を知りたい。
香田さんは何か知らないか? 昨日でも一昨日でも、何でも良い。
小森さんの事なら、どんな些細な事でもいい」
薫は頭を回転させる。美紀ちゃんの事、美紀ちゃんの事……。
昨日は普段通りに過ごした筈だった。一緒にファーストフードに寄ったくらいだ。二日前の火曜日は……遠隔透視でファミレスに谷屋と言う出来たばかりの彼氏と居たのを見た。小森が何かしらの事件に巻き込まれる要素は、一切感じ取れていなかった。
薫は、顔を俯けたまま答える。
「……ダメだわ。なんにも……」
薫は首を横に振る。雲海は片目を瞑って、つま先を苛立たしげに揺らす。
「ふむ……困ったな。
もう一度、ちゃんと状況を考えよう。
小森さんは誰かと一緒にいたらしい。
真見ちゃんが聞いた話では男の声が聞こえたらしいが……。
小森さん、もしかして男絡みで事件に巻き込まれたってのか?」
雲海は唇を尖らせる。頭を掻いて、端から見た小森の普段の素行を思い出す。
一発一万。彼氏は月一でチェンジ。小森美紀と言う固有名詞に男が絡むと自然、そんな言葉が思い出されてしまう。そんな噂は雲海だって信じていた訳では無いが、それでも頭の片隅に残る衝撃的な噂であった。唸る雲海を見て、薫は悔しそうに歯を食いしばっていた。
「クーちゃん、美紀ちゃんの事、誤解してない?」
薫の鋭利な言葉が飛んで来た。
雲海は顔色を変えないが、内心ではその言葉の意味を理解していた。
元々生真面目な雲海としては、遊んでいる女と聞けば一歩引いた場所から色眼鏡で見てしまう。遊んでるから事件なんかに巻き込まれるんだ、と少しも思っていなかったと言えば嘘になる。そんな彼の心理を、薫は的確に見抜き、そして立腹していた。
「美紀ちゃん、噂とか言動とかでよく誤解されるけど、本当は良い子なんだよ!
確かに……その、恋人とかしょっちゅう変わったりするけど、でも。
美紀ちゃん、遊びのつもりで付き合った人は一人も居ないって言ってたもん。
だって自分から別れた事ないんだよ?
毎度毎度こっ酷くフラれても、それでもめげずに恋人を見つけてさ……。
でも絶望的に男運が悪くていつもいつも変な男を」
「ごめん。僕が悪かったから、それ以上言わないでくれ。小森さんが可哀想だ」
水を差すようで悪いとは思っていたようだが、小森の悲惨な言われように耐えかねた雲海が口を挟む。薫は一瞬だけ納得しかけて言葉に詰まるが、すぐに調子を取り戻す。
「噂だって結局は単なる噂だよ。本当は違うからね?
ただ、男の子とでも平気で下ネタ話したりするから誤解を受けやすくって」
仲の良い小森が根も葉もない噂のせいで軽蔑されているのが、薫には堪え難い事であった。溜まった鬱憤を晴らすが如く怒濤の様に小森の素晴らしさを説く彼女に、厳しい声がかかる。
「もういいって。分かったから、もう止めろよ」
雲海にしては厳しめな命令口調に気圧されて、薫は口を噤む。確かに小森の事に関しては偏見が過ぎたと彼も反省していたが、それ以上に大事な事があった。
時間がない。
今は小森の人間性なんて、突き詰めて言えばどうでも良い話である。彼女が現在進行形で危険に晒されている以上、無駄に出来る時間は一秒たりともない。
「小森さんが事件に巻き込まれた原因は、終わった後に聞けば良いだろ。
今は彼女を助ける手段だけど……生憎僕らには手が出せそうにないぜ。
大人しく警察に任せた方が」
「クーちゃん」
薫は静かに呟いた。雲海は訝しげに薫を見返す。薫は睨む様な目で雲海を見つめていた。
「実は……良い案があるの」
「良い案って……何だ?」
「ここじゃちょっと……」
薫は周りに目を向けた。昼休み、職員室前廊下であった。行き交う生徒達は皆雑談にふけって、各々の束の間の休息を満喫している。学食への道のり上、ここを通る人はかなり多いのだ。
そんな彼らに聞かれたくないような話とはつまり。
「……そっち絡みの案か」
「うん。だから、クーちゃん。
持ち物、全部持って屋上に来て。先に行ってるから」
薫が視線を上に向ける。雲海と薫は一つ大きく頷きあって、すぐさま廊下を駆け出した。