3−7 切れる電話
そして昼休み。
相川は携帯電話を弄りながら持参の弁当を食すのが日課であった。
新聞の、および新聞記者の能力は情報収集能力と情報選択能力に比例する。より多くの情報を手にし、吟味することで真実を探し出してこそ、新聞を書く意味が生まれる。彼女には彼女なりのポリシーがあり、今日も今日とて暇な時間に携帯電話でニュースサイトを巡るため、弁当のミックスベジタブルを突つきながら、いつもの様に携帯電話を取り出す。
大抵の場合は二、三件のメールが届いている。他高校に行った中学の同級生、新聞部の先輩、その他諸々から。適当に目を通して、返信を返すのは休み時間の終わり際が常である。
しかし、今日は勝手が違った。届いていたメールはいつも通り、三件。一つは先輩、もう一つは母親。そしてもう一つ。
「ミキティからだ……」
欠席している小森美紀がメールを送信していた。時間は昼休み直前の正午丁度。
先週一度海水浴に遊びにいったきり、あまり言葉を交わした記憶もない小森。ちなみにミキティと言うあだ名は彼女の即興である。由来は言わずもがなであろう。
一体なんだとメールを開封する。そこにあったのは、極めて端的な文章であった。
『Title:たすけて
本文:このメールにはメッセージがありません』
それだけであった。本文には一切書き込みがない。極めて短い文章であり、それゆえに意味不明だった。気になるのは当然、こんな文章を送りつけてきた動機である。
風邪で辛くてメールしたとか……いや、だったら何で私なんだよ。
悩んでみた所で解決策なんて出ない。相川はメールボックスを閉じて電話帳を呼び出す。小森の電話にかけてみるが、十コール程しても繋がらない。
「………………」
電波が悪いのかと思い電話を切って、もう一度かける。……だが、やはり繋がらない。
「気持ち悪いなぁ」
感情の読み取れない文章の不気味さと、喉に魚の小骨がつかえたような違和感。弁当の米と一緒に流し込もうとしても、拭い切れない。
「ねぇ。真見ちゃん」
不意に雲海がやってきた。彼の背後には、苦笑いを浮かべた薫が付いてまわっている。
相川の目には、彼ら二人はどうも年の近い兄妹の様に見える。色気のない奴らである、と心の中で毒を吐いた相川は渋面を隠してニコリと軽い微笑みを返す。
手にしたおにぎりの包みと疲れたような笑顔を土産に現れた彼は、相川の返事も待たずに前の席に座り込んだ。薫は当然の様に相川の席の隣に腰掛けた。もはやそこは昼の彼らの指定席と言えなくもない程度には常連だ。
「ん……どうしたの?」
「あぁ。香田さんの件で相談が……って、真見ちゃんの方こそどうしたの?」
薫の方向音痴の矯正に行き詰まった雲海は、相川に事の成り行きは伏せつつ相談するつもりであった。再び訝しげな表情が浮かんでいた相川を見て、雲海は首を傾げる。丁度良かった、と相川は雲海に携帯電話の画面を見せた。
「ミキティからメールがあったんだけど、これ」
「ミキティって誰だよ」
「美紀ちゃんでしょ?」
「カオリン大正解ー。
そんぐらい察しなよね。クーちゃん鈍いなぁ。それよりも、ほら、メール見てよ」
「……たすけて……って、何だ? そんなに風邪が酷いのか?」
「やっぱ風邪なのかな、美紀ちゃん……夏風邪は辛いだろうに……」
そも小森が風邪による病欠であるかどうか、彼らは知らない。しかし他に休む理由も見当たらないのも事実である。三人とも、小森美紀夏風邪説は否定する事は出来ないでいた。
「知らないけど……っつか、なんで私にコレを送ったのかね」
「……あれ? 仲良くなったんじゃないの? 海水浴の時は結構話してたじゃん」
薫は先週の日曜日を思い出していた。四人ともそれなりに話はしたし、ビーチバレーなんかはかなり盛り上がったと、彼女は記憶を回想する。
「悪くはないけどさ。こんなメールでウケる反応返せる程の仲じゃないでしょ。
変だなって思ってかけ直しても、電話に出なかったしさ」
相川が気がかりにしているのは、何故自分にメールを送ったか。そして何故電話に出ないのか。たすけての意味は何か、の三つだ。かけ直しても出ない、と言う事に関しては特に違和感がある。
雲海と薫も理由を考えてみるが、当てずっぽうな言葉しか浮かんでこない。当てずっぽうな言葉のうちの一つを、考え無しに呟くのは雲海だった。
「あいかわ……あいうえお順の電話帳なら、大抵の場合真見ちゃんの名前が一番上だ。
操作が少なくなる分だけ、早くメールを送れる」
なにげなしだが、口に出して言うと、途端にそれを元に芋蔓式に推測が浮かんでくる。
「しかもその超短文、無変換。何を急いでるんだろうな」
「でも、急ぎだったら電話の方が確実じゃないの?
もしかしたらまともに電話もメールも出来ないよう……な……」
「……………………」
自分で言っているくせに、薫は今更額に冷や汗を浮かべる。
聞き流すような態度を取っていた相川も、同様に顔を青ざめさせていた。雲海も額に皺を寄せて口元を手で押さえている。
メールがまともに遅れない状況。たすけて、と言うメッセージ。相川は焦りながら、もう一度小森に電話をかける。数コール後、今度は電話が繋がり、息も絶え絶えな小森の激しい息づかいと涙声が相川の耳に刺さる。
「も、もしもし!?」
「助けて! 今、大変な事に」
「大変……って、え? どういう意味!?」
「兎に角、たすけ」
小森の言葉は割り込んできた、何かを打ち付けたような炸裂音によって途切れた。そのまま彼女の言葉を待っても、何も聞こえてこない。相川は震える声で、恐る恐る小森に語りかける。
「もしもし……ミキティ?」
「……………………」
「……なにやっ……じゃ……!」
「切れ……早……!」
何かが幽かに聞こえた。
複数の若い男の怒号、そして直後の甲高い雄叫びのような声。ねっとりとまとわりつくような、チンピラの声。
それらを最期に、無情にも電話は切れた。
「もしもし! もしもし!? ねぇ、もしもし!?」
相川が必死に、懇願するような心持ちで必死に小森に呼びかける。しかし、彼女の耳に帰って来るのは無機質な電話の音だけである。
「な、何があったの……?」
聞くのも怖い、と言いたげな薫が、静かに相川に問う。相川は青い顔で全身を震わせ、薫を涙の浮かんだ目で見つめ返した。
「わ、分かんない……でも」
「でも……どうした?」
「怒鳴ってる男の声が聞こえた。
ミキティ、助けてって、泣きながら……」
それまで黙っていた雲海が、突如立ち上がった。椅子の足が床を引っ掻く耳障りな音に、薫も相川も震え上がった。顔に険しい表情を浮かべて、雲海は鋭い声を二人に向けて飛ばす。
「真見ちゃん、もう一度かけろ」
「う、うん」
震える指で着信履歴から小森の番号を呼び出す。
「………………ダメよ、出ない」
「小森さんの家の番号は?」
「知らないわ」
「じゃぁ110にかけてくれ。僕は沢田の所に行ってくる!」
言うが早いか、雲海はそのまま教室を飛び出し、足音高らかに職員室の方にダッシュで向かっていく。その背中を呆然と見ていたクラスメイトの中、一番先に我に返ったのは薫であった。薫も立ち上がり、相川に振り向く。既に相川は警察へと電話を繋いでおり、薫には視線を返すばかり。
相川は薫の視線に頷きを返し、そのまま電話の方に気を向ける。薫はその視線に応え、一目散に雲海の背中を追いかけた。