3−6 唸る坊主
八卦図を利用したナビゲーションシステムの失敗から二日経っていた。木曜日の朝、雲海は未だに薫の方向音痴を矯正する為の手段を思いつかないでいた。自分の席に深々と腰掛け、必死に手詰まり気味な案を捻り出す。
「霊符に呪力を込めて、道を指し示す力を持たせれば……といっても、そんな符も呪力も聞いた事はないな、無理だ。
呪力の宿らない渾天儀を用いた方角観測……は、僕もよく分からない、却下。
禹歩で悪運を避ける……にしても、すり足で地面に図を描く禹歩は、相当修練が必要だ。不可能……と。
いっそ携帯電話のGPSとかでも……って、香田さんが携帯電話を持ってればそもそも道案内なんていらないしなぁ。
だったら遅刻するのを見越して早めに家を出るしか……って、これは最初にダメだと言われた。
そもそもそれで方向音痴が治ったとは言えない」
……と言った具合で、雲海は様々な可能性を浮かべては潰していく作業を延々と繰り返していた。可能性なんてないことが薄々分かっていながらも、だからといって投げ出すつもりにはどうしてもなれない。
「ここはいっそ香田さんに修行を付けて禹歩を……いや、流石に無茶があるよなぁ」
「うん。それはちょっと勘弁してほしいかも」
雲海の背中から声がかかる。振り返ると登校してきたばかりの薫が苦笑いをしていた。そのまま雲海の隣に腰掛けて、朝から溜め息を吐いてみせる。
「折角伸ばした髪、剃りたくないし」
「そこまで本格的な修行は要らないけどね」
薫の前で流石に口にする事は出来なかったが、雲海は完全に打つ手が無い状態だった。
薫も、雲海のそんな状況はとっくの昔に把握していた。だが薫とてただただ雲海を頼り切っているだけでは無い。暇な時間に近隣の地図を眺めて内容を覚えようとしたり、透視能力を強化する為に目を酷使したり。一応成果はあり、自宅近くならば迷わずに歩ける様になり、透視範囲も50cm程伸びた。
だからと言って方向感覚が良くなったとは、お世辞にも言えない訳なのだが。遅くまでの特訓による寝不足と目疲れのせいか、薫は目を擦ってあくびを一つ。
「で、なんか良い案、あるの?」
全く期待せずに薫が雲海に尋ねる。
「…………」
無言を以てして否定する雲海。ここまでは昨日と同じだ。そして恐らく、明日以降もこの光景は変わらない。
やっぱり人に頼っちゃいけない。
薫は八卦図が失敗した時点から既にそう考えていたのだ。しかし、彼女の目の前の丸坊主男ときたら。
「クーちゃん、もういいよ。私、今度から早めに家出るからさ」
「いや、それじゃ根本的解決とは言えないだろ」
何故か薫以上に熱心になっている。
案外凝り性らしい彼は、勉強そっちのけ(彼が普段から真面目に学業に取り組んでいるとは言い難いが)で薫の方向音痴対策に頭を使っていた。薫としてはこれ以上雲海を悩ませるのも気が引けるのでさっさと諦めて欲しいのだが。
「私のお願いなんだよ?
私がもういいって言ってるんだから、もういいんだってば」
「……でもなぁ」
何とかしてやりたい、と言う雲海の気持ちはまだ冷めていない。
彼自身、自分がここまで薫の為に苦心するとは思っても見なかった。しかしどうにか陰陽師として、隣の席の男子として、友人として悩める彼女に救いの手を差し伸べてやりたかった。女の子の頼みを叶えられずして何が男か、と言う男の矜持もあるにはある。あるのだがそれ以上に、諦めようとする度に八卦図を貸してやると言った時の薫の輝かしい天使のような笑顔がどうしても脳裏にちらつき、引っ込みが付かなくなっていた部分が大きかった。
あの笑顔がまた見たい。端的に言って彼の努力の理由はそこに集約されていたと言っても過言ではない。
「いっそ式神を……いや、流石に僕が大変過ぎるな。
僕も香田さんも手間のかからない方法と言うと……」
「人の話聞いてよ」
一人でブツブツと呟いている雲海は、傍目から見るとかなり不気味であった。取りつく島もない雲海に呆れて、薫は諦めて机の上に教科書を並べる。朝のHRまで後二分。真面目な生徒の多い一年五組は、この時間には大抵全員登校してきている筈だ。
しかし、前の方で席が一つ空いている。
小森美紀の席だった。
「休みかな……?」
小森は生活態度はともかくとして、入学以来一度も遅刻や欠席をしていなかった。夏風邪でも引いたのかな、と薫は特に深く考える事はなかった。