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怪奇!知らない世界の人々  作者: ずび
第三話 遠隔透視
29/123

3−3 渦巻く思考

 翌日火曜日、放課後。相変わらず休み知らずな太陽がしばしの休息に入り始める午後四時過ぎ。

 本格的になり始めた夏の暑さも、この時間になれば多少は緩和されていた。

 雲海と薫は屋上に上がり、周りに視線を走らせる。携帯電話を片手に話に夢中になっている風の女生徒が一人。恐らく彼女はじきに去るだろう。何時の時間に見に行っても必ず一人で本を読んでいる、屋上の住人な男子生徒もいるが、それ以外に人影は見受けられない。


「まぁ、誰もこっちは見ないだろう」

「見られても大丈夫だよ。この間みたいに、催眠術で無理矢理記憶を弄ればいいし」


 夜のプールの河童を見に行った際、薫達は学校の警備員に催眠術をかけて無理矢理見逃してもらった事がある。その後警備員は自宅に帰った筈だが、それを直接確かめた訳ではなかった。


「あの警備員も心配だったんだけど……アレって後遺症とか出ないの?」

「出ない! ……筈」


 薫が自信なさげに返答したので、雲海は出来る限り阻止しようと心に誓う。

 屋上の端、見下ろせばグラウンドが覗き込める位置に、二人は向かい合って座り込んでいた。閑話休題とばかりに雲海は、ポケットから一枚のハンカチらしき薄手の白い布を取り出した。


「探すのに苦労したよ。

 父さんと弟と僕と、家族総出で手伝ってもらって、物置をひっくり返してようやく見つけた」

「……申し訳なかったって伝えておいて」

「どうせそう言うだろうと思って、もう言ってある。

 で、これが君のご所望の呪具な訳だけど……」


 答えながら雲海は手の中の布を広げ、薫と自分の目の前に置く。


挿絵(By みてみん)


 一辺三十センチ程の正方形の厚手の白いハンカチにしか見えない。

 だが、その白いハンカチに、黒い正八角形が描かれている。角から中心に向けて辺が引かれていて、それぞれ部屋分けされた八角形の図の中に八つの、三本の太い虫食いの横線からなる図柄が描いてある。

 全くそれらの意味が分からない薫に、雲海は説明する。


「これは八卦(はっけ)図……厳密には、後天八卦図だ」

「はっけず? って何?」

「当たるも八卦、当たらぬも八卦って言うじゃん。その八卦」


 八卦図に付く毛玉をむしりながら、これは当たるけどね、と自慢げに言う雲海。無論薫はこの妙な図柄のハンカチをどう使えば道に迷わないか、全く分からない。頭上にクエスチョンマークを浮かべる薫に、雲海は得意げに指を立てて説明を開始した。


「八卦って言うのは中国の易で使われる基本単位みたいなものだ。

 かいつまんで説明すると……占いのタロットカードみたいなもんかな。

 星とか塔とか恋人とか教皇とか……」


 占いの類いは薫も年相応の女の子らしく興味はあり、タロット占いも実際にやった訳では無いが、知ってはいた。


「星座占いの星座とか……?」

「そうだね。そっちの方が近いかもな。

 本当は占い以外にも色々使うんだけど、ここでは省略。

 部屋の間取りを決める風水は、この八卦の思想を元にしている。

 もっと細かく言うと八卦の性質全ての組み合わせ、つまり六十四卦によるところが大きい。

 今回はこの八卦のそれぞれを、対応する方位に当てる事で」

「長い」


 話の腰を一刀両断された雲海は不機嫌そうに眉を吊り上げるが、薫がこめかみの辺りを揉んでいるのを見て、溜め息を吐く。長々と理解出来ない話をしても時間の無駄と悟った雲海は、更に説明を端折る。


「端的に、用途だけ話す。

 これは、方角の吉凶を占う事が出来る道具だ」

「……それだけだと、それはそれで分かんないです」

「要するに、行きたい場所への方角を指し示してくれるんだよ、これは」


 段々と面倒になってきた雲海はおざなりな説明をし始めた。


「遅刻が吉って事はまず有り得ないだろう。

 君の場合は特に、真見ちゃんとの友情がかかっている訳だし。

 だから道に迷って遅刻しそうな時、八卦図の吉の方角は目的地を指す……きっと」

「……何で自信なさげなの」


 文句は言うくせに、薫のツッコミは容赦なかった。雲海は坊主頭をバリバリと掻きながら、八卦図の表面を撫でた。


「僕の理論は多分合っているけど……実際、そうやって使った事がないからな。

 しかも、他にも色々と妨害要素はある」

「妨害?」


 雲海は目線を空に向けながら、指折りつつ懸念を上げていく。


「例えば、目的地に行く道のりを教えてくれる訳じゃないから、回り道が必要な時があるかもしれない。

 目的地までの具体的な距離は分からないから、多少は遅刻する可能性がある。

 示せる方向は八つだけだから、細かい方角は見れない。

 目的地までの道のりに何かしらの危険……車に撥ねられたり、通り魔に襲われたりする運命が待っていたりすれば、そちらの方角はまず示さない。それは凶方だからね。

 或いは、目的地に行く以上の幸運……どこかの道ばたに百億円落ちていたとか、変な道を通った事で運命的出会いがある場合とか……。

 そんな時は目的地ではなく、百億円や運命の人の居る方角を吉方として指すだろう」

「……案外、使い勝手悪そうだね」


 遠慮が一切無い薫の文句に、雲海は青筋を頭に浮かべた。


「……別に貸さなくてもいいんだけどね」

「ごめんなさい。私が我が儘でした。反省します」

「分かれば宜しい」


 態度をコロリと変えて、深々と頭を下げる薫。雲海は溜め息を吐いて、薫の肩を叩いて顔を上げさせる。


「精々方向の指針になる程度だけど、ないよりは遥かにマシな筈だ。

 上手く使いこなして、真見ちゃん達をビックリさせてやろうぜ」

「うん!」


 満面喜色と言う四字熟語の語源ではないかと思える程の、完璧な笑顔を浮かべた薫。

 この顔のためだけにでも、この八卦図を探す労力が見合った気がする。雲海がそう思う程の眩しい笑顔の薫に微笑みを返し、雲海は八卦図を広げ直す。


「目的地を示すには二つの要素が必要になる。

 目的地の具体的な場所。そして、そこに行きたいと言う意思。

 具体的な場所が無ければ当然示せないし、行きたいと思わなければ八卦図が目的地の方角を吉方だと認識してくれない。

 ただし、この二つさえしっかりこの八卦図にインプット出来れば、誰にでも使う事が出来るだろう」


 ポケットから小さな方位磁石を取り出し、八卦図の中心に置く。揺れる磁石針の赤い先端をNに合わせた。


「八卦は(けん)(こん)(しん)(そん)(かん)()(ごん)()の八つからなる。

 この八つはそのまま東西南北等の方角に当てはめる事が可能だ。

 方位磁石が指す北に当てはまるのは、このうちの(かん)だ。

 (かん)三爻(さんこう)が上から陰陽陰で……って言ってもわかんないね」

「さっぱり」


 目を点にして即答する薫に苦笑する雲海は、八卦図に描かれた八つの、太い三本線からなる図の一つを指差す。


「この三本線の、上と下の線、それぞれの真ん中が欠けた図だ。

 渡す時に卦の名前と方角を書いておくよ」


 八卦図を持ち上げて、方向を変える。磁石のN極と八卦図の(かん)の向きを合わせる。北はグラウンド側で、雲海から見て左、薫にとっては右の方向であった。


「使うときはこうやって一々向きを整えてくれ。

 道ばたで広げて方位磁石と方角を合わせるのは少し手間だけど、手の上でも出来るし、ここは我慢して」

「大丈夫。私、地磁気見えるから磁石要らないし。それで、次はどうするの?」


 さらりととんでもない事を言う薫だったが、急かす彼女のせいで詳しい話は聞けない。

 それもまた超能力の一種か、と言うか体内磁石あるのに道に迷うなよ。突っ込みどころはあるが、雲海は無理矢理自分を押さえ込んで、立ち上がる。


「方向が分かったら、磁石を取り除いて……八卦図の南がいいか。

 方位で言う南……八卦の()は人間の身体の目を司る。

 視覚的記憶からイメーズする場合は、こっちの方が効果が出やすい筈だ。

 あとは、この八卦図に手を置いて」


 座り込んだ雲海は、目を瞑って八卦図の真ん中に右手の掌を重ねる。


「頭の中に強く目的地をイメージする。

 例えば……僕の家にしよう、イメージが楽だ。

 早く帰りたい、と強く念じ……あぁ、香田さん。違う違う、これはただのイメージだから。

 こうして説明するのは面倒だ、とか考えてないからね」

「……私、何も言ってないんだけど」


 ジト目の薫の言葉は無視して、雲海は再び家のイメージを頭に浮かび上がらせる。


「そして家の外装でも内装でもいいから、それを想像する」


 雲海の頭の中には、彼の家、憂山の裾野にある据膳寺が見えていた。

 森に囲まれていた林道を抜けた先の方に、ポツンと一つ建つ古めかしい建物。二本の柱に屋根を乗せただけの小さな山門。それを抜けた先には、砂利と松葉が散らばる無骨に切られた石階段の参道。その参道の上には、長年風雨に晒されて外壁の黒ずんだ木造の寺。瓦が何枚か剥がれており、所々色の違う壁の木材が、何度も補修を繰り返している事を示しているボロボロの本堂。その本堂の脇を抜けた先にある、築三十年、リフォーム後五年の平屋の居住スペース。

 庭の池を新居としている河童の利休は、恐らく暇にしている父の岩武と将棋でも指しているに違いない。

 既に学校は終わっているであろう弟は……夕食の買い物でもしているだろう。家には居ない筈だ。

 と、ここまで深いイメージを抱いた頃。


「おぉ……凄い……」


 薫は感嘆の声を上げる。

 それを合図に目を開ける雲海。

 白地に黒で描かれていた八卦図の、(そん)の方向、東南を示す一角。その部分だけ、黒い筈の図柄が淡い金色の光を放っている。

 薫と雲海がその光の示す方角を向くと、屋上から憂山が見えた。つまり、彼の家の方角である。


「上手くいったらしい……ホッとしたよ。

 今回は僕の家だったからイメージが簡単だったけど、他の場所だと勝手が違う。

 一度も見た事の無い場所で待ち合わせをしたりすると、結構大変だからね。

 その場合は、待ち合わせ場所にいるであろう誰かを想像するといい。

 例えば真見ちゃんの顔を想像して、彼女に会いたい、と強く思う……と言った具合だ。

 そうすれば、きっと同じ様に効果を発揮してくれる筈さ。

 ……ちなみに、手を離せば光はすぐに消える」


 かざしていた手を引っ込めると、八卦図の光は瞬く間に消滅し、元の単なるハンカチに戻った。しかし、代わりにもっと光る物が雲海の目に飛び込む。


「ね、ね。私もやってみていい?」


 鼻息も荒く興奮した様子の薫の瞳は、今までで一番輝いて見える。雲海は場所を移動して、八卦図の南側を薫に譲り、薫の隣に座り込む。顔をニヤつかせる薫は、強く目を瞑って八卦図に雲海同様、右手を置く。


「イメージする場所は?」

「……取りあえず、この間遅刻した場所」


 相川に叱られて、今日こうしている一番の原因を作った忌々しい場所。妖山駅の駅ビルの二階にある全国チェーンのファミリーレストランだ。

 薫は当時の無念と店の内装を出来るだけ細部に渡って思い出す。

 相川がこちらを指差して叱りつける。小森が苦笑いを浮かべる。神部は相変わらず本を読んでいる。

店員のおねえさんが迷惑そうな顔でこちらを睨んでいる。若い夫婦とその幼い息子が、興味深げにこちらをニヤニヤしながら見ている。

 あぁ、あそこに早く行きたかった。行きたい、行きたい、行きたい……。

 薫は、自身の持つ想像力を限界まで引き出して、店内の様子を思い出す。


「……どう、クーちゃん? 光ってる?」

「いや……残念だけど、反応ゼロだ。

 イメージの仕方が悪いと思うんだけど……何を想像してるの?」

「あの時ちゃんと遅刻しないで行けてればなぁって」

「……気持ちは分かるけど、それじゃダメだな」


 雲海は頭を掻いて、言い辛そうに告げる。


「今現在を想像しないと。今、店内はどうなっているか。それを考えるんだ。

 この時間なら、放課後の高校生が集まってたり、早めの夕食をとる人がいたりするかもね。

 あとは……まぁ、僕が言っても仕方ないや。やってごらん」

「はい、教官!」


 敬礼する薫はすっかり高揚しっぱなしであった。なにせ、目下の自分の最大の弱点である迷子癖が間もなく直せるのだから、それも仕方ない事である。無邪気にはしゃぐ彼女を見て、雲海も心の底から報われた心地だった。だからだろうか、彼も彼女のふざけた畏まりに乗っかって、彼の想像する教官……この場合は父の岩武であるのだが、それをイメージした声色を厳しく作る。


「うむ、良い返事だ! さぁ、行くのだ薫よ!」

「アイサー!」


 薫は再び目を瞑って、八卦図に手を置き、薫は再び頭の中に店内を描く。

 想像すべきは今現在だ。今、今。

 多分、あんまりお客は居ない。ウチの高校の女子高生が三人くらいで楽しげに話をしている。暇な若い金髪の店員があくびをしながら、怠惰にテーブルを拭いている。仕事をさぼっているサラリーマンが、喫煙席でタバコを吹かしながら携帯電話を弄っている。窓から差し込んでくる、少し傾き気味の太陽が店内を橙色に彩っている。

 あ、お客さん入ってきた。

 金髪の店員がいらっしゃいませー、と面倒臭そうに答える。入ってきたのは……あ、美紀ちゃんじゃん。なんか男連れだ……。あれ、あの人、この間の海水浴の時に美紀ちゃんナンパしてた人じゃん。あー、結局付き合ってるんだ。へー。名前は分かんないけ……ど……?


 ………………………………いや、違う。


 私、名前、知ってる……? あの人は谷屋(たにや)……康祐(こうすけ)だ。なんで? 聞いた事無いのに……。そう、それであそこでタバコを吸ってる若いサラリーマンは五十嵐義男。金髪の店員は、実際はミュージシャンに憧れている二十歳の男で、飯山健吾。あそこで纏まって話をしている女子高生達はそれぞれ皆川、先崎、清水という。

 美紀ちゃんは今、谷屋と話をしている。学校の話だ。

 谷屋はそれを聞いて、くだらねぇさっさとやりてぇ、と考えている。

 サラリーマンの五十嵐はあー、上司に怒られんの面倒くせぇ、と心の中で一人ごちている。

 携帯電話で不倫相手の電話番号を表示、かけるかかけないか、どうしよう、どうしよう。

 飯山はバンド仲間の不和に苛立っていた。畜生、田辺の野郎、なにが音楽性の違いだ、ふざけんな。

 皆川は彼氏の自慢話。先崎は羨ましげに聞いているが、それは建前で、内心は興味ゼロ。

 興味なさげにしている清水こそが一番耳を傾けている。

 あ、また新しいお客さんが。


「……香田さん?」


 薫の様子がおかしい。雲海がそれに気づいたのは、八卦図が雲海の時よりも激しく光を放った頃だった。どうやらイメージには成功しているようだが、薫の息が何故か段々と荒くなっていく。顔は紅潮し、額に汗が浮かび、呼吸は段々と深く、大きくなっていく。

 明らかに平常ではなかった。


「香田さん、おい、ちょっと」

「……あ……う…………あ、あぁ……」


 何かが薫の頭の中に強引に捩じ込まれていく。

 うわ、また客だよ。面倒くせ、いまそれどころじゃねっつの。やっぱ海水浴行って良かったなぁ。で、で、続きは?早く話してよ。ったく、コイツ話なげーなー、やっぱ嫁さん怒るよなぁ。音楽ってのはもっと、でさ、私の彼氏はさ、かっこいいけど、目つきエロいなぁ、やりてぇなぁ、ロックバンドなのに、続きは、うざいな、愚痴かよ、娘も居るし、だりぃ、最悪、やっぱり、そういえば弦が、アッチはデカいのかな、帰ろうかな、で、続きは?


「…………香田、さん?」


 雲海は思わず固まってしまった。

 まるで燃え盛るかのような激しく光輝く八卦図。

 既に妖山駅の方角、西の()どころか、八卦図全体が第二の太陽になったのかと思う程の眩しい煌めきを発っしている。


「あ、あう……くっ、うああああ!」


 苦しそうな呻きを上げる薫。右手はそのまま、左手は自分の頭を抱えている。

 身体はまるで痙攣でもしているかのように激しく震えている。薫の後ろに結った髪が、死にかけた蛇のように力無くうねっている。八卦図から放たれる金色の光と薫の超能力が放つ緑光が入り交じり、薫の右腕が黄緑色に輝いていた。


「香田さん!」


 原因は八卦図にあると見た雲海は、慌てて薫の右手を八卦図から引き剥がす。

 八卦図は光を失い、薫は身体をのけ反らせて、尻餅をついた。そこから先の光景は、雲海にはまるでスローモーションのように見えた。

 薫の上体がふらり、と揺れる。目と口は大きく開かれており、緑色混じりの黒い瞳孔が完全に開き切っているのが、雲海からも見て取れた。そして背骨を失ったかのように弛緩した薫の身体は、重力に従って仰向けに倒れていく。


「…………!」


 咄嗟に薫の背中に手を回して、脇から彼女の身体を支える。薫は完全に脱力しており、首を後ろに反らせて白い喉を無防備に雲海に晒していた。顔色はまるで白磁のように青白く、手足の先すら全く身じろぎしていない。

 まるで、死んでいるかのようだった。

 雲海は思わず血の気が引くのを感じた。背筋が凍り付き、焦燥と混乱で肌が粟立った。


「おい、香田さん! しっかりしろっ! 香田さん!」

「……う、うぅ……ん?」


 雲海が大声を上げながら薫の身体を揺さぶると、意識を失っていたらしい薫の目が光を取り戻す。

 しばらくあちらこちらに漂った視線は、やがて茫洋と雲海の方に向けられた。雲海は無事らしい彼女の惚けた表情を見て胸をなで下ろした。


「はあぁぁ、良かった…………大丈夫か?」

「ご、ごめん……今、起き……あ、あれ?」


 身体を起こそうとする薫だが、すぐにまた力が抜けて、雲海の腕の中に収まる。彼女の顔は未だに白く、右手の指先の方は痙攣でもしているかのように震えている。本人は気づいているかどうか不明だが、呼吸はか細く、声色も極めて弱々しい。

 薫は、目に見えて衰弱していた。

 雲海は、それでも無理に起き上がろうとする薫を、肩を押さえて多少強引に引き止める。


「少し休んだ方がいい。まるで病人みたいな顔色だ」

「……分かった。お言葉に、甘えるわ……」


 全身に怠さを感じていた薫は、首だけ起こして、残りの全身の支えは雲海に任せた。

 雲海は一瞬腕を揺るがせるが、すぐに力を込め直して薫を支える。

 さすがは頼れる兄貴分だ。薫は少し目を瞑って身体を休め始める。しばらくそのままの体勢で時間を過ごしていると、数分後、薫が思い出したかの様に呟く。彼女が思い出していたのは、先程の八卦を通して見取ったファミレスの情景であった。

 屯する女子高生の一団。サボるリーマンとバンドマンのバイト。そして……小森と、その彼氏。


「……クーちゃん、美紀ちゃんの電話番号持ってない?」

「美紀ちゃん? 美紀って、小森美紀か?」


 雲海はその名前を聞いて首を捻る。

 小森(こもり) 美紀(みき)。先日、薫とともに海水浴に出掛けた色黒のツインテールの少女だ。

 中学時代から、月と共に彼氏が代わる、などと揶揄されてきた程の恋多き女子であるらしいと雲海は記憶している。男子の間でもそれは話題にされており、クラスの何人かも彼女との交際経験がある。近頃では一発一万なんて眉唾物の怪しい噂が学内ですら流れている、いわゆる『遊んでいる女』だ。異性経験豊富な彼女には相応の美貌が備わっており、異性を意識した着飾りや化粧等のいわゆる女の魅せ方に関しては、同級生の中では突出して巧かった。そのため、恋人が欲しい、好きな人を落としたいと言う女子達は勿論、一部の男子生徒(推して知るべき)の相談に乗る事もある、と言う話を雲海は相川から聞いていた。

 だが雲海が知っているのはそこまでであり、どう言う経緯で彼女が薫と親しくしているのか、詳細を知らない。つまり雲海は彼女とはあまり話もしないので、決して仲良くはないという事になる。


「悪いけど、持ってないよ」

「じゃぁ、電話かなにかですぐに真見ちゃんから聞いて」

「すぐって、随分急な話だな」

「うん。でも、美紀ちゃんに今すぐ確認したい事があるの。お願い」


 薫は雲海を見上げて、真剣な顔をしていた。

 雲海としてはあまり気乗りはしなかったが、やらないなら私が携帯電話を奪ってでもやってやるとでも言いたげな薫の眼差しに根負けし、渋々相川の番号をプッシュした。

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