2−3 立案される肝試し
「ねぇ、真見ちゃん」
昼休み、家から持ってきた弁当に入っていた酢豚を突つきながら携帯電話を弄っていた相川に、雲海が声をかける。相川は雲海を見、そしてその背後にチラリと目を配ってから声を返す。
「お? どしたい、お二人さん」
雲海は手には笹の葉にくるまれた、いつもの彼のおにぎりだけの弁当を持ち、空いていた相川の前の席に逆向きで座る。
「二人って?」
「ん」
相川は、箸で雲海の後ろを指す。
一人で席を移動したつもりだった雲海の後ろに、薫が付いてきていた。手には小さな弁当箱を持ち、相川の隣の席に腰掛けて、ニコリと微笑んでいる。
「……香田さんは、真見ちゃんに用が?」
「へ? いや、何にもないけど。空峰君が移動したし」
「別に付いてこなくても」
「お隣さんが居ないと寂しいじゃん」
薫はそれだけ言うと、さっさと弁当を広げて卵焼きにかぶりついていた。相川が意地の悪い微笑みを雲海に向ける。
「クーちゃんが居ないと寂しいってさ」
「……微妙に変わってない? それ」
「ったく、鈍いねぇアンタ」
相川はつまらなそうに吐き捨てて、黙って自分の弁当に入っていた酢豚のパイナップルを一切れ、箸で摘んで薫の弁当箱に押し込んだ。
薫は薫で、わぁありがとう、と呑気な声を出してそのパイナップルを美味そうに食べる。
本当に子供っぽいな、この子は……。相川と雲海の共通の認識であった。
「ま、カオリンにそう言う気はないかもね。
マジで単に寂しかっただけかもしれないし」
「……そのカオリンってあだ名、もしかして、君が発端なの?」
話の内容以前に気になる言葉を耳にしていた雲海が尋ねると、相川はキョトンとした顔で頷いた。
「そうだけど、なんで?」
「いや、前島がそのあだ名で香田さんの話してたからさ」
「あぁ、アイツか……一度もそんな風に呼んだ事無い癖に」
不躾な言い様だが、しっかりと視線で辺りに前島が居ない事を確認してから言う辺り、抜け目が無い。
「そんで、クーちゃんは何か用があるの?わざわざこっち移動してきて」
「あぁ、それなんだけど……」
雲海は少し頭をひねる。
彼の目的は、経験を積む為の、妖怪がらみの事件を探す事であった。
寺に情報が来ない以上、自分から事件を探すべきだ。雲海は現状の打開策をそう結論づけた。
国が提供する程の大事である必要は無く、身の回りの小事でも全く構わない。
であるから、身近な情報通の相川であれば何かしら知っているかも、と言う藁にも縋るような幽かな希望の元、彼は相川に声をかけた。
しかし、雲海は口を開きあぐねていた。口裂け女みたいな不気味な事件起きてない? と聞くのも具合が悪い。
事件の有無を尋ねた理由を窺う程度には、相川は情報の管理に気を配っている。彼の素性をバラしたとして、相川がそれを信用する保証は全く無い。
そもそも、何かしら事件があれば、相川はクラス中に情報の提供を呼びかける。果報は寝ていればそのうち来るのだが、寝て待つ心の余裕はなく、雲海はこうして見切り発車してしまったのだ。何を聞けば良いかな、と十秒程悩んだ後、雲海は口を開く。まずはジャブだ。
「最近耳に入った怪談話とか、知らない?」
「……怪談限定?」
「うん。怪しい談話と書いて、怪談話」
そんなの無いよ、と言いかけた相川だったが、雲海は妙に真剣な眼差しを相川に向けている。それ所か隣に腰掛けた薫までも、箸を止めて相川を見つめていた。
なんだコイツら。相川の素直な感想である。
「私はあんまり詳しくないけど……そうねぇ」
言いながら携帯電話を弄る相川。素早い指捌きでインターネットに繋ぎ、黒一色に黄色字で書かれたページを表示する。
そしてそれを机の上に置いて携帯電話を回転。雲海の方に向けた。
「クーちゃん、このページ知ってる?」
携帯電話を覗き込んだ雲海は、表示された文字を読み上げた。
「……キネちゃんねる? 知らないな」
ポップなフォントで統一されたサイト名だけは、まるでネオンサインの様に七色に激しく輝いていた。
ずっと見ていると目が痛くなりそうなので、雲海は早々に画面を下にスクロールする。
「これは、学生が共同で立ち上げた、杵柄高校の学生用の掲示板なんだ。
パスワード付きで、PCからはアク禁される非公式サイトの一つ」
「一つ?」
「杵柄は大きいからね。あと二つ小ちゃいのがあるけど、基本的にはここを見れば事足りるわ」
雲海の目にスレッド形式の掲示板が飛び込んできた。
ページのトップ以外は大して派手な装飾もない、地味極まりないサイトであるが、それがかえってアンダーグラウンドらしさを醸し出している。
少なくとも、そのサイトの存在を初めて知った雲海にはそう思えた。
「あの先公ムカつく(289)……校長のズラの値段→(56)……愚痴スレ@杵高(520)……」
「なんか、結構過激なタイトルが多いねぇ」
いつの間にか雲海に身体を密着させて携帯を一緒に覗き込んでいた薫。
身を寄せる少女の、体育を終えた後の高い体温と、髪から漂うかすかな塩素の匂い。
雲海は一瞬だけ心臓を飛び上がらせるが、すぐに冷静を装って何も言わずに無表情を取り繕って、携帯電話の捜査を続ける。
相川はニヤニヤ笑いを隠そうともしないまま、二人に向けて言った。
「暑くて熱いねぇ。夏の暑さだけじゃないね、この灼熱」
「……はしゃぐなよ、真見ちゃん。それより、このサイトは一体」
まるで自分の事を褒められたかの様に、相川は誇らしげに胸を張る。
「俗に言う、学校裏サイトって奴。今の所、教師陣にはバレてない。
最近結構規制が厳しいけど、管理人やってるのは桐生って言う先輩でね。
その人が上手く隠蔽しながら運営しているのよ」
「……へぇ」
やがて、雲海の指が動きを止めた。カーソルを合わせた場所は『杵高七不思議』のスレッド。
「取りあえず、ここ見てみるか……」
「たまにエロ画像とかグロ画像とか貼ってる馬鹿がいるから、閲覧には注意してね」
「よし分かった私は離れてる。任せた、クーちゃん」
グロ画像と言う言葉に脅えた薫は、相川の忠告に従って早々に弁当の元に帰還し、残りを胃の中に収めていく。クーちゃん、と素で言った薫に若干渋い顔を向ける雲海だが、すぐにまた携帯電話に目を落とした。
「クーちゃんも先にお弁当喰っときなよ。グロ画像は結構エグイの多いし」
「食べた後吐くよりは、食べれなくなる方がマシだよ」
「……見ないって選択肢はないんだね。別に止めはしないけどさ」
相川は既に弁当を食べ終えており、雲海に、携帯電話を机上に置くように指で指示する。
どうやら雲海と一緒に見るつもりらしい。昼食を摂り終えた後だと言うのに見るのか、と雲海は視線で訴えかける。相川は口だけニヤリと微笑んで歯を見せる。
「私はもう耐性出来たから」
「……使い慣れてる感じだしね」
雲海は納得して『杵高七不思議』のスレッドをスクロールしていく。
「1は……もう一年も前か。レスも200くらいだし、あんまり新しい話はないかもね」
「……そっかぁ」
「レス番150くらいまで飛ばして……って言うか、雑談ばっかだねぇ」
「まだ下あるよ……ん?」
番号が198に突入した時、雲海は指を離す。それまで流し読みしていたレスの中に、一つ長文を発見した。
「新しい七不思議きたよー……ってさ」
「日付は六月十八日……二週間くらい前ね」
「おぉ。これは期待出来るかも知れないねぇ」
再び薫が雲海の脇に張り付いて、携帯電話の画面を注視する。三人とも額を突き合わせて携帯電話を覗き込み、頭からゆっくりとその記事を読んでいく。
「昨日、学校のプール行ったんです。プール。
そしたらなんか人影がプールサイドにいて、入れないんです。
……何、これ。読み辛いなぁ」
「有名なコピペネタの改変ね……でも書いてあるのはウチの高校の事だわ」
冷静に解説する相川をよそに、眉間に皺を寄せて、薫は一旦顔を上げて目を揉む。携帯電話を持たない彼女は、そもそも液晶画面を見る事にすら慣れていなかった。その小さい画面の小さい文字を読むのは、薫に取っては結構な負担だった。
そんな彼女の代わりに読み終えた雲海が、文の内容を要約する。
「今年のプール開き以来、夜になると毎日のようにプールに人影が現れるんだってさ。
目撃者は居残っていた水泳部員、放課後の作業が長引いた用務員、夜中校内を警備する警備員。
侵入者かと思ってプールに立ち入るが、その時には全く人影が見当たらない。
昔溺れて死んだ生徒の霊とか、水泳部OBの生霊だとか言われているらしい。
あれは悪霊だから見たら呪われるとか、実は良い霊で見ると泳げるようになるとか……。
この辺はどうでもいいや」
「ふむふむ、由緒正しき怪談話だね」
怪談話の由緒なんて知らない雲海と相川は、何故かしたり顔で頷く薫に視線をくれる。注目を集めている事を知った薫は、コホンと咳払いをした。
「……そ、それでその人影は何で夜な夜な現れるんだろうねぇ。
案外夜遅くまで練習している水泳部のエースだったり」
「カオリン、それじゃ怪談にはならないでしょ」
「水泳部員は目撃者だよ。人影が消える原因も説明出来てないし」
二人の意地悪い対応に、薫はうぅ、と口の中で呻いた後、相川と雲海に人差し指を向けて叫んだ。
「ひっでなぁ、おまんたはおらん味方と思ってたがんね!」
「おまんた?」
「おらん?」
「………………私、もう黙る」
方言の意味を解せない二人が首を傾げるのを見て、薫は項垂れて両手の人差し指で口の前に×を作る。閑話休題とばかりに、雲海は再びレス番号198番を読み直した。
「でもさ……別に誰かが呪われたとか言う訳じゃないみたいだね」
「ただ不気味ってだけみたい。ま、怪談話ってのはそんなもんじゃない?」
相川は興味なさそうにそう言う。雲海はそれでも、渋い顔で携帯の画面を注視していた。
目撃者が複数居るので妖怪の可能性は少なくないが、据膳寺に連絡は来ていないのだ。
話に聞く限り、プール開き以来二週間以上前から人影はずっと確認されている。
未だに国や自治体が全く関知していないのか? いやそれは無いだろうと、雲海は自答する。
考えられる可能性は罰する必要の無い無害な妖怪と判断したか、或いは……妖怪ですらないか。そのどちらだったとしても、雲海にとって有益な情報とは到底言えなかった。
「…………気にはなるけど……やっぱりダメか」
「でも、妖怪かも知れないよ。放っておいていいの?」
残念がる雲海に、薫は身体を寄せて耳打ちをする。
「無害な妖怪にはあまり手を出さない方がいい。
下手に刺激すれば、逆恨みして襲ってくるかも知れないからね」
「……面倒だねぇ、クーちゃんの仕事って」
目の前でヒソヒソ話をされている相川は、しらけた目を二人に向ける。
「何よ。怪談を肴に二人して秘密の会談ってか。本当に仲が良いのね、アンタら」
「あ……ははは、そう言うつもりじゃないんだけど、まぁ色々あるんだよ」
「色々ってなによ」
「色々は色々。それは言えない事だもん」
手を振って誤魔化す雲海と薫。口をへの字に曲げた相川は、雲海の手から携帯電話を取り上げて、ポケットに仕舞い込む。
「なぁにが言えない事よ。どうせ大した秘密もない癖に」
「そうでも無かったりするんだけどね……」
「じゃ、ヒント頂戴」
「今、怪談について尋ねた事。それが十分なヒントだよ」
「それで答えが推理出来るなら私は名探偵になれるわ」
微笑みながら怒ると言う器用な真似をする相川。
雲海はそれには何も返さず、自分の弁当の包みを解く。相変わらず裸の握り飯とたくあんだけの質素な昼食だが、雲海は丁寧に感謝の念を込めて手を合わせる。
「……いただきま」
「もーらいっと」
笹の葉に乗っていた、一番左側にあった梅おにぎりが消失した。
残る二つは塩むすびと昆布おにぎり。雲海はいつも梅おにぎりは最後に残していた。一番の好物は最後まで取っておくのが彼の食事スタイルだったからだ。
雲海は般若面を貼付けたような顔で、梅おにぎりの足跡を辿る。
「うぃっす!」
右手におにぎりを持った長髪色黒の男が、薫の方に爽やかに挨拶していた。
「う、うぃっす」
突然声を掛けられた薫は、驚きつつも男に挨拶を返す。雲海は楽しげに笑っているその男を睨んで、低い声を上げる。
「前島ぁ……!」
「あんだよ、雲海。んな怖ぇ顔すんじゃねぇっつの」
いつの間にか教室に帰ってきていたらしい前島勇太が、右手に持ったおにぎりにかぶりつく。梅干しの酸っぱさに思わず顔に皺を寄せ、ご飯を飲み込んで顔をしかめる。
「ちぇ、梅か。俺、酸っぱいもんって、あんま好きじゃねぇんだよなぁ」
「人の弁当喰っといて文句言うのか君は」
台詞の割には梅おにぎりをもう一口食べる前島。ほんの二口で喰い終わった前島は、碌に咀嚼せずにおにぎりを飲み下した。
「ふぅ、ごっつぉさん」
「……せめて種は自分で処理してくれよな」
雲海は負け惜しみの様な台詞を呟いて、諦めてたくあんを指で摘んで口に放り込んだ。一方相川は、不審そうに前島を見上げる。
「で、何しに来たの、前島」
誰彼構わずあだ名をつけて呼ぶ相川にしては珍しく、彼女は前島を名字で呼んでいた。
「おいおい、なんで真見ちゃんまで怖い顔してる訳?」
相川が前島に良い感情を抱いていない事は、雲海にも分かっていた事である。見栄で嘘を語る彼は、真実を求める相川にしてみれば邪道なのだ。
対して、さして気にした風もない前島は、薫が座っている席の前、雲海が今座っている場所の隣の席の机に腰掛ける。
「さっきのお前らの話がよ、ちっと耳に入っちゃったんで」
「さっきの話?」
「怪談話、とか言ってたろ。プールの人影の噂」
三人はそれ程大きな声で話していた訳では無い。まして、昼休み中の教室は騒がしいのだから、余程耳が良くなければ聞こえない。もしくは、わざわざ聞き耳を立てでもしなければ。
「そんな話はしてたわね。確かに」
相川は呆れたように嘆息しつつも、前島の言葉は否定しなかった。前島は鼻の頭を掻いて、少し声を落として続ける。
「そんでよ……ちょっと、噂を確かめに行きたくねぇか?」
「確かめにって?」
薫の疑問の声を待っていたとばかりに前島は身体ごと薫に向き直り、人差し指を立てた手を薫に突き出す。
「だぁかぁらぁ、プールに出るお化けを見に行くってんのよ」
前島は得意げにそう言ってのける。
それを聞いた三人は三者三様の反応を示す。雲海は興味なさげに塩むすびの攻略を続け、相川も渋面で前島を見続ける。そして薫はと言えば。
「肝試し……って事? おぉ、楽しそうだねぇ」
薫は眼を輝かせ、前島の言葉に乗っかってしまった。雲海は頭を抱えたくなるが、黙って塩むすびを頬張る。前島は水を得た魚の様に生き生きした顔を薫に近づけた。
「そうそう! 折角ここに男女合わせて四人、しかも二人ずつ居る訳だしよ」
「男女比率はどうでもいいでしょ……」
相川の言葉には無視を決め込んでいるのか、前島は尚も続ける。
「今日の夜集まろうぜ。警備員の交代の時間が八時半だから、そん時忍び込みゃバレねぇさ」
「なんで君、そんな事知ってるんだよ」
雲海のツッコミも聞く気は無いらしく、前島は自分の計画を並べ立てていく。
「学校の北門に八時二十分集合な。あそこ以外の門には警備員の詰め所があるからな。
プールからは遠いけど、北門から入るぞ。懐中電灯は俺が持ってくわ」
既に前島の中では男女四人による肝試し大会は既定行事となっていたが、雲海も相川も首を縦に振った訳では無い。
「おい、待て。僕はそもそも行くなんて言ってない」
「別に雲海は来なくてもいいぜ? ところで……カオリン、は?」
名前を呼ぶのに詰まる前島の少々臆病な本性がチラリと覗く。
「私はOKだよ。なんか、肝試しって懐かしいしさ。
小学校の頃にお姉ちゃんとやって、それ以来だよぅ」
薫は自分の呼ばれ方に関しては割合どうでも良いのか、全く気にせずに快諾する。前島は嬉しそうに唇を三日月形に歪めた。
「家族と一緒じゃつまらんぜ。肝試しってのはな、男女で行くから楽しい訳。
この俺がカオリンに肝試しの真髄を教えて上げよう。
折角だし、この際二人っきりで見に行っちゃおうかねぇ?」
言い終わり、雲海に振り返る。
なんだそのどや顔は、ムカつくんだよ、目がいやらしいんだよ、そんな目で香田さんを見るな。
雲海は、彼にしては近年稀に見る程にはらわたが煮えくり返るのを感じた。
「……真見ちゃんはどうする?」
「パス。今日は学校新聞用の記事を纏めなきゃいけないから」
監視を付けておこうと言う雲海の魂胆は崩れさる。
眉間の皺を深くして唸る雲海だが、やがて口から溜め息が漏れた。
薫はなまじ妖怪の事情に通じてしまった上に、雲海の理解を超えた超能力を持っている。何かの拍子で妖怪と接触してしまい、本当に危険な目に遭わないと言う保証は無い。プールの人影が妖怪であると言う可能性がゼロでない以上、二人だけで行かせるのは危険であった。
「んじゃ、カオリン。今日の夜な」
「……待った」
手を振って、話の輪から離れかけていた前島のベルトを掴む雲海。
「やっぱり、僕も行くよ」
「……え、来んの?」
前島は嫌な顔を隠す様子も無い。しかしその顔はむしろ、雲海にしてみれば好ましい表情でもある。
「残念だったな、前島」
口の中で舌打ちした前島の悔しそうな顔を見て、雲海はざまぁみろと本心から微笑んだ。