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怪奇!知らない世界の人々  作者: ずび
第二話 河童
18/123

2−2 朗らかな丘サーファー

 陽光に焼かれた白いラバーマットを敷き詰めたプールサイド。

 学生達がはしゃいで、激しく水飛沫を上げるプール。

 そして水面に映る二つ目の太陽の輝き。鼻につく爽やかな塩素の匂い。

 スパッツ型のスクール水着を履いた雲海は、プールサイドに座り込んでいた。

 今は一年五組体育の授業中であった。科目は水泳である。選択制なのだが、もう片方が長距離走と言う夏にやるにはあまりに過酷な競技であるため、殆どの生徒がプールに集結している。

 授業のカリキュラムは授業時間を十分に満たす内容になっておらず、大抵二十分ほど残して早々に終了する。空いた時間は自由に遊んでも良いと言う、学生からしてみれば何とも嬉しい授業形式だった。今日も授業は早めに終了。自由時間は十五分程ある。

 水中で潜水合戦したり、立ち泳ぎ耐久をして盛り上がる他の男子の一団から少し距離をおいていた雲海は、全く別の事を考えていた。


「復讐に来る……か」


 雲海はまたしても一週間前の事件……口裂け女との交戦を思い出していた。

 その口裂け女の一件で、雲海は自分の使命の重さと遂行の難しさを文字通り身を以て感じた。

 雲海は未だに夢で、口裂け女が薫の首を締めている光景を見る事があった。口裂け女は滅んでいない。しかも、父の岩武は奴がいつか復讐にやってくる、と言っていた。彼の夢の中の光景が正夢になる可能性は、完全には否定が出来ないと言う事だ。

 ……どうして僕は、あの時冷静に対処できなかったんだ。口裂け女が復讐に来るのは、僕のせいだ。もしも香田さんが一人で居る時に口裂け女が現れたら、彼女は対処できるだろうか。彼女には恐ろしく強力なサイコキネシスがあるが、復讐に来た口裂け女がそれ以上の力を手に入れていたらどうする。僕が冷静に対処したとして、口裂け女がもう一度僕の呪法を破れば、どうなる。もしそうなれば彼女も僕も……。


「いや、まだしばらくは……」


 雲海は頭を振って不穏な考えを吹き飛ばす。

 彼にとって父親の岩武は、父であり陰陽師の師匠である。

 その父が口裂け女はしばらくは姿を現さない、と言っていたのだ。雲海は目を瞑って、心を落ち着ける。

 まだ時間はある。それまでに、僕は技術を磨かなければならない。力を増した口裂け女の復讐を完全に止めさせられる程、強くならなければならない。物理的な衝撃を打ち付ける薫の超能力に比べれば、対妖怪用に発展した僕の使う呪法の方が効果的だろう。そもそも妖怪の調伏は、陰陽師の血統である空峰一族の存在意義である。僕が何とかしなければ……と、雲海は使命感に駆られていた。

 父さんは、僕には経験が足りないと言っていた。ならば、経験を積もうじゃないか。などと意気込んでみるが、雲海は溜め息をついて苦虫を噛み締めた様に顔を顰める。

 口裂け女の一件から既に一週間。市内で妖怪の目撃されたと言う証言は、一切据膳寺に入ってきていない。平和なのは良い事だ、と岩武は呑気に構えているが、雲海は苛立っていた。自宅で出来る修行にはどうやったって限界があるし、妖怪との対話の経験を積む事は出来ない。経験を積むには妖怪が出なければならない。今が平和では、将来が不安なのだ。


「おぅい、雲海よぉ」


 苛立ちに貧乏揺すりをしている雲海の裸の背中を叩く者がいた。続けて、再び男の明るくて軽快な声がかかる。


「……そんな怖い顔してどうしたよ?」


 面倒くさそうに振り返った雲海の目に、自分の髪の毛先を弄る一人の男子が映っていた。

 髪は肩にかかる程度に長めで、肌は自分で焼いているらしく初夏にも関わらず全身綺麗にこんがりと焼けている。身体付きもよく、特に腹筋はきれいに六つに割れていた。

 サーフボードでも持って海パンをもう少し派手な物に変えれば、十分様になりそうな男だった。


「前島か……まぁ、色々あるんだよ。僕も」

「あ? 色々?」


 前島と呼ばれた男はつれない態度を取る雲海の様子に口を尖らせる。

 前島 勇太(まえしま ゆうた)。雲海と同じ、一年五組に所属している男子生徒である。

 雲海は彼を、見た目通りのチャラい男と断じていた。

 彼は今年に入ってから三人喰ったやら、他校のムカつく生徒五人を相手に一人でボコってやったやら……眉唾物の武勇伝を誇らしくクラスメイトに語っているのを見て、なんて奴だと雲海は内心で唾棄していた。だから雲海は彼とはそれ程仲が良い訳では無い。雲海とは性格も対極であるため、互いに不干渉だったのだ。

 その男が、チャラいのチの字もない雲海に、どういう訳か声をかけてきていた。前島の馴れ馴れしさを疎んでさっさと顔を逸らした雲海は、そのまま視線をプールで泳ぐ女子群の方に向ける。

 水飛沫を激しく上げて、半ば溺れてるんじゃないかと心配になるように泳ぐ女子が一人居た。


「頑張れ、頑張れ、香田さん!」

「薫ちゃん、もうちょっとで25メートルだよ!」

「後少し!頑張って!」


 プールサイドからその子に向けて、女子たちの甲高い声援が送られている。

 その少女、香田薫は口裂け女の一件以来、雲海と妙な秘密を共有する事になった、転校してきたばかりの女子高生である。その実態はサイコキネシスやテレポーテーション等、超自然的な力を操る超能力者だ。

 そんな凄まじい経歴を持っているにも関わらず、彼女は泳ぐのが苦手らしい。飛び込んだのは授業時間中だというのに、未だに20メートル程度しか泳げていない。

 こうして遠目で見ている限り、彼女が超能力者である、なんてのが嘘にさえ思えるな。

 実際に彼女の超能力を目の当たりにしたにも関わらず、雲海は自分の頭に浮かんだ答えを肯定しかけてしまった。


「色々って、カオリンの事か?」

「……カオリン?」

「香田薫。かおり、って字が二つもあんだぞ?

 ニックネームがそれを元にするっつーのも当然だべ」


 何故か自慢げな前島。鼻を掻いて雲海と同じく薫の方を見つめる前島はニヤリと口角を上げる。

 上手く息継ぎが出来なくて、酸素を求めて必死に顔を上げる薫が眼に映った。彼女の苦しそうな表情に、雲海も思わず頑張れ、と心の奥で声援を送る。彼の隣でヤンキー座りをする前島はそうしなかったようで、朗らかで間抜けそうな声を上げていた。

 遠くに居る薫を舐め回すように視線を動かす前島に、雲海は少しどころではない苛立ちを感じていた。


「あの子、可愛いよなぁ。

 ちょっと胸は小さいけど、俺はそれくらいの方がいい。

 で、天然っぽくって大人しそうじゃん。超俺好みの女って感じ?

 しかもああ言う子は押し切れば結構ホイホイ釣れるんだ、これが」

「……あんまり大声でそう言う事を言わない方がいい」

「へん。わぁかってるっての」


 分かっていると言う割には声が大きい。

 面倒になって、雲海は前島から身体ごと目を背ける。そんな彼の肩を叩く前島は、顔をニヤケさせたまま言葉を続ける。


「んでさ、お前、カオリンの事どう思う?」

「どう思うって、そうだなぁ……」


 どう思うも何もなかった。雲海は彼女を、少々奇妙な友情に結ばれた、ただの隣の席の女の子としか考えていなかった。

 改めて、件の薫の方に眼をやる雲海。

 ようやく泳ぎ切ったらしい彼女は、友人数名にプールから引き上げられていた。そのまま友人の肩を借りて、薫はプールサイドの簡易テント内に置かれたベンチに仰向けに横たわる。荒い呼吸で、彼女の胸が激しく上下しているのを、雲海は何となく眺めていた。

 ……確かに、意識して見ると香田さんの身体は同級生に比べれば凹凸が少々足りない。近くに居る真見ちゃんのギャップの効いた身体と対比すると、その差はより顕著だ。身体のラインが浮き出るスクール水着ならではの発見だな。って、僕は何馬鹿な事考えてるんだ。

 いつの間にか煩悩に塗れていた自分の視線を戒める為に、雲海は指で眼を強く擦る。


「真見ちゃんは止めとけよ。彼氏持ちだぜ」

「そんな気ないよ。前島は?」


 前島は雲海の質問には答えず、尚も自分の主張を勝手に訴える。


「ま、お前がカオリンに気がないって聞いて安心したぜ。

 男子の中で一番話してるお前がそんなんなら、こりゃ余裕だな。

 第一、お前なんかに負ける気はしねぇけど」

「僕、何も言ってないけど?」

「あ? んじゃ、やっぱ狙ってんの?」

「……狙うとか狙わないとか、そう言う話がしたいなら僕に振るな」


 眉を顰める雲海。前島はキヒヒ、と歯を剥いて笑う。口から覗く白い歯は、太陽光を反射して眩しく輝いた。


「それもそっか。お前ん家、坊さんだしな。家系もさぞ、お堅いんだろうよ」

「……否定はしない。親は見合いだ」

「お前はもっと青春を生きろよ、雲海。俺は心配だぜ。

 そんなんじゃ、童貞より先に高校卒業しちまうぞ?」

「…………お互いな」


 雲海のボソリと呟いた一言に、前島は凍り付く。そして冷や汗をかきながら、雲海を睨みつけた。


「な、なぁに言ってんだよテメェ……。

 俺はお前、アレだよ。中学の頃からそりゃもうズッコンバッコン」

「僕、真見ちゃんと仲良いんだよね。中学同じだから」


 雲海は前島の慌てた様子なぞどこ吹く風とばかり、淡々と前島を追いつめていく。


「真見ちゃんは取材熱心だよなぁ。人脈も多いしね。

 だから、本当に色々知ってるよ。前島、君が語る華麗なる女性遍歴についても」

「………………おい、待て」


 狼狽える前島に、雲海は一気に畳み掛けた。


「聞いた時は驚いたよ。君、高校デビ」

「うおおおぉぉい!止めろおおぉぉぉ!」


 大慌てで雲海の口元を塞いだ前島は、血走った眼を雲海に遠慮なく向けた。


「お、お、お、お前それ以上言ったらマジ、マ・ジ・で! マジでぶっ殺すからな!」

「…………」


 どうせ口を押さえられては何も言えないので、雲海は黙り込む。

 怒り狂う前島は、雲海の冷たい眼差しを浴びて、徐々に眉を下げていく。眉間に寄る皺が雲海の立腹を表していた。殺気すら感じる尋常ではないその突き刺すような視線に脅え、前島は雲海の口から手を離した。


「わ、悪かったよ。怒んなって」

「……別に怒っちゃいないよ」


 雲海の声色には紛れも無い怒気が含まれている。前島は溜め息を吐いて、雲海の肩をペチペチと叩く。


「んだよぉ。お前やっぱカオリンの事狙ってんじゃんかよ」

「……違うって」

「あ? じゃ何でそんなに怒ってるんだよ」

「怒ってない。ただ僕はあの子を……」


 雲海は途中で口を閉ざした。

 前島は次の言葉を待つが、雲海は言い淀んだきり、何も言う様子は無い。諦めて、前島は腰を上げる。


「ま、いいや。お前が否定しようがしまいが、俺は俺なりに攻めていくだけさ。

 じゃ、俺もう一泳ぎしてくらぁ」


 そう言って目の前のプールに飛び込む前島は、立ち泳ぎ耐久を行なっている一団にクロールで加わりに行く。

 雲海はそれを見届け、興味なさげに彼から視線を逸らして、再び薫の方に視線をやる。薫は未だに仰向けに寝ており、目にはタオルがかけられている。余程疲れたのだろう。なんせ犬かきで十分もかけて25メートル泳いだのだ。誰だって疲れる。何故か相川が彼女に膝枕してやっていて、雲海は苦笑を浮かべてその微笑ましい様子を眺めていた。

 僕は、あの子を口裂け女から守らなければならないんだ。

 雲海は決意も新たにした所で立ち上がり、潜水合戦をしている一団に向けてプールに飛び込んだ。

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