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怪奇!知らない世界の人々  作者: ずび
第一話 口裂け女
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1−9 探す僧侶

 日は長くなったと言えど、午後九時ともなれば流石に太陽は地平の向こうに沈む。

 空には雲一つなく、天空の彼方で月が周りの星々に紛れて爛々と輝いていた。山のきれいな空気を通して見る空は、町中で見るより少し近くて、澄んでいる。既に父譲りの縹色(はなだいろ)坊主の袈裟に身を包み、腰に付けた巾着袋の中身を確認する雲海は、高鳴る心臓を必死で押さえ込むために、寺の山門前で空の星々を眺めていた。

 陰陽師と言うと平安貴族の狩衣を身に纏って烏帽子を被る姿が想起されがちであるが、その格好に特別な意味はない。実際現代の陰陽師でもある空峰岩武は、黒い僧侶の袈裟を寺の仕事と兼用で身に付けている。面倒な時にはゴルフシャツにチノパン姿で妖怪退治に向かう父の姿を、雲海はしばしば目撃していた。自分の袈裟姿を見下ろす。生地は草臥れているし、長めの裾のせいで歩きにくい。これならばいつも着慣れている普段着か、いっそジャージでも良いのでは、と雲海は考えていたのだが、流石に厳格な父から送られた品物とあっては無碍に扱うこともできない。

 次回からはこの服の丈も調整しようか、と考えていた雲海の耳元に一匹の蚊の羽音が聞こえてきた。腕を振って追い払おうとしたのだが、雲海は考えを改めた。無殺生の精神を忘れる訳にもいかない。


「修行が足りない証拠だな」


 雲海は頭を振って、小さな事を考える自分を心の中から追い出す。今から自分は妖怪口裂け女を懲らしめに町に出るのだ。小事に気を立たせている場合ではない。そう考えると再び自分の呪具の所在を確認したくなり、再び巾着袋の口を開く。中に入っているのは六芒星やその他×やら○やらの図形を描いた呪符と呼ばれる霊験あらたかな札が三枚程。そして藁人形が一体と、自分で樫の木を彫って作った木製の勾玉が一つ。これだけである。ひったくりすら捕まえられそうもない貧弱な装備だが、彼は修行中、これらの道具しか用いた事はない。実際父の岩武も、これに紙人形三枚を加えた程度の軽装である。そもそも、件の口裂け女を打ち倒す訳では無い。ただ、町から追い払えば良いだけだ。その為には大仰な呪術や呪具を用いる必要はない。


「さて、雲海。準備は整っておるな?」


 岩武が門から姿を現した。先程と同じ格好で、腰には雲海と同じく腰巾着を付けている。強いて言えば、手にした錫杖が雲海の装備とは大きく違っていた。僕の分はないのか、と少し残念に思いながら、雲海は返事をする。


「何度も確認しました。大丈夫です」

「呪符は?」

「三枚」

「呪いの肩代わりをする藁人形は?」

「一体」

「呪力増強の勾玉は忘れとらんか?」

「……何度も確認しましたが」

「よし、では……参ろうか」

「はい」


 そう言って彼らが目指したのは町ではなく、自宅脇の駐車場である。空峰家所有の、一台の白い軽自動車の助手席に座りながら、雲海は考える。今は陰陽師も自動車を足にする時代となってしまった。昔読んだ漫画とは全く違う実在の陰陽師に、雲海は僅かに疑問を覚えてしまう。しかし、実際今から町まで徒歩で降りるとなれば辿り着いた時には修行を積んだ彼らとしても疲労するし、何より時間がかかる。時間と労力の節約としては、自動車は非常に合理的な移動手段であった。


「雲海、どうした?」

「いえ、すみません、緊張していました」

「そう固くなるな。何もお前一人に任せると言う訳では無い。

 少し儂を手伝えば、今日はそれで十分だ」


 慣れた手つきでオートマのエンジンをかけた岩武は、雲海を諭す。その言葉に雲海は少しだけ安堵しつつ、しかしすぐにまた不安に駆られ、巾着袋の中身を確認し始めた。




  *




 据膳寺から、妖山市の繁華街にまでは車で約二十分程かかる。

 テナントの入っていない五階建ての雑居ビルの間に挟まれた小さなコインパーキングに車を止め、口裂け女事件第一の現場である国道沿いの地下歩道に着いた時、既に九時半を回っていた。元々事件として扱われなかった案件であるため、立ち入りには一切の制限がない。雲海としては残業帰りの会社員やOL、夜遊びをする不良学生の物珍しそうな視線が気になったのだが、別段知り合いに見られている訳では無いと思い込むことにした。二人の坊主が並んで歩道の一角を見下ろしている姿は、傍目から見るとそれなりに異様である。


「どうやら、現場はここらしいな……」


 腰の巾着から紙人形を取り出した岩武は、懐から取り出した筆ペンでさらさらと人形に印を描く。呪法を描かれた人形は、やがて蛍のような薄く淡い光を放ち始めた。それを確認した後、岩武は通行人に見つかる前に素早く懐にしまう。


「この人形には妖力に反応して発光する呪法を描いた。

 口裂け女の妖力の残滓を吸い込んだこの人形は、彼奴に近付けば近付く程、光と熱を強く放つ。

 目的の化生の所在の分からぬ場合は、こうして居所を探るのだ。よく覚えておけ、雲海よ」

「……はい」

「儂の見立てでは……ここより西の方角に居るようだ」


 懐の人形の熱の具合を確かめながら、岩武は今しがたやってきた道の方に歩き始める。雲海は思う。そっちは北だ、と。


「父さん、どこに」

「車に乗るぞ。奴さん、随分と遠くにいるようだ」


 岩武の表情は緩やかであった。まるで、予想通りと言わんばかりに。




  *




 車内で岩武に近隣の地図を手渡された雲海は、地図に書き込まれた赤丸を見て、唸る。雑に描かれた赤丸を描いたのは岩武であった。


「これが、口裂け女の出没した場所、と言う訳ですか」

「そうだ」


 岩武が短く答える。目線で辺りと警戒したり、時折胸の中の人形の熱を手で感じたりと落ち着かない。昔見た父の背中に比べて随分余裕が無いことを、雲海は少しだけ残念に思った。


「初めは、先程の地下歩道で目撃されている。目撃者は無職の女性だった筈だ。

 次が二日後、深夜の妖山駅の裏通りの路地だ。近道をしようとしてそこを通っていた会社帰りのOLが目撃している。

 次は更に三日後で、谷潟工業の廃工場跡地だ。親と喧嘩して家出をしていた女子高生が襲われた。

「いずれも女性ですね……」


 岩武は首肯する。


「初めの被害者同様、精神を病んで入院中であるらしい。

 地図上を見る限りでは、どうも口裂け女はこの辺一帯を縄張りにしているようだ」


 地図の三つの赤丸を全て取り囲む、地図上半径十キロ程の青い丸を差して、岩武は言う。


「一度現れた場所に再度現れたと言う事例はない。

 また、目撃された場所は人気の無い場所だ。

 そしてその丸の中でそれらの条件を満たす場所が分かれば良い」

「であれば、次は恐らくこの辺り……と言う事になりますかね」


 雲海が指差したのは、一つの大きな公園である。

 神有無町(かみうむまち)と言う新興住宅街の中にあるその公園はそのまま、神有無公園と言う名だ。住宅街に新たに入居してくる家族と、その子供達や年老いた両親との憩いの場として考案されたその公園は、公園の売りである巨大な噴水を中心に円形の敷地が広がっており、中ではアスレチックとゲートボール場が綺麗に棲み分けをしている。公園の周りには三メートル程の高い金網が張り巡らされており、二つある入り口以外からの侵入は難しいと言う、防犯にも気を配った設計である。市の思惑通り、休日は子供達や老人が平和に遊んでいる姿が見受けられる、成功した公共事業の一例であった。


「……どうした。顔色があまり良くないが」


 岩武は雲海の顔を見て尋ねる。自分の顔がしかめ面を浮かべていることに気がついた雲海は、別段隠す事でもないので、素直に吐露する。


「実は今日、僕のクラスに転校生が来まして」

「ほぅ。こんな時期にか、珍しいこともあるもんだな。男か、女か」

「香田と言う女の子です。その子が確か、神有無町に住んでいると」


 昼休み中に雲海が言葉を交わした香田薫は、近所に大きな公園があるとも言っていたのだ。この時間であれば流石に帰宅している筈だが、深夜コンビニにでも出掛けた折に口裂け女と遭遇する、と言う場合も考えられる。今日知り合ったばかりだが、見知った人間が被害に遭うかもしれない、と考えると雲海は不安を覚えざるを得ない。


「せめて携帯の番号でも聞いておけば事前に危険を知らせられたのに……」

「初対面の女子に携帯電話の番号を聞くのか? お前にそんな甲斐性があるものか」

「う……」


 父親のからかいの言葉に反論が浮かばない。岩武はあまり気にした様子もなく、雲海の肩を軽く叩いた。


「もっと楽観せい、雲海。滅多な事を起こさせぬ為に儂らがいるのだ。

 胸を張っておらねば、お前も口裂け女に取って喰われるぞ」

「……あんまり冗談に聞こえないんですが、父さん」

「冗談ではないからな。それより……近いぞ、雲海」


 今しがた微笑んでいた岩武の顔が引き締まった。岩武の胸の中にある人形が、袈裟越しにでも強く輝いているのが雲海にも視認出来た。窓の外から、明るい街灯と住宅の窓から零れる生活光が車内を薄く照らす。いつの間にか差し掛かっていた神有無町の新興住宅街を、二人を乗せた車はゆっくりと進んでいく。二つの横断歩道を横切って、道路が少し広くなる。背の高い緑色の金網フェンスが右側前方に見て取れた。格子の向こうに滑り台、ブランコ、ジャングルジムと言った数々の遊具。そしてそれらの中心に立つ小さな暖色系の街灯。神有無公園であった。路上に車を一時停車し、岩武は赤く輝く紙人形を確認して、窓の外を窺う。


「入り口はどの辺りだろうか……」

「すみません、僕もこの辺りには滅多に来ないので……」

「反応はもう近いというのに……雲海、公園内に何か見えるか?」

「少し暗くて見通しが……ん?」


 公園の方を目を細めて見つめ居ていた雲海が、ある一点を見つめる。岩武もその視線を追う。何か居る。だが、口裂け女ではない。目撃証言の赤いコートもブーツも身につけていない。身につけているのは、岩武の記憶違いがなければ杵柄高校の制服である。


「女子高生か? こんな時間にけしからん娘だな」


 黒髪をポニーテールに纏めた小柄な少女が、肩を落として公園を横切っていた。それが誰かを確認した雲海は、目を丸くした。


「おい、嘘だろ……」

「む? どうした、雲海」

「父さん、僕、ちょっと出てきます!」

「何を……おい、雲海!」


 言うが早いか、事情も述べずに雲海は車から飛び出した。入り口を探すのも面倒だと言わんばかりに軽快に金網をよじ上って公園側に飛び込み、雲海は少女の元にかけていく。岩武も付いていこうとしたが、金網は三メートルを超えている。それを登る体力は彼にはない。


「ええい、帰ったら説教だ!」


 毒づきながら、岩武は急いで車を発進させ、公園の入り口を探す。何事もなく済んでくれ、と先程よりも尚強い光を放つ紙人形を握りしめながら。

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