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怪奇!知らない世界の人々  作者: ずび
第九話 クローン
118/123

9−10 垣間見える世界

 翌日の昼休み。

 磯村は昼飯も食わずに一年二組の教室に向かった。目的は香田薫、及び空峰雲海を捕まえて肝試しの内情を探る事にある。昨日薫には手酷く嫌われてしまっているが、だから遠慮すると言う殊勝な心がけは磯村には無い。

 教室の扉を開けてすぐの所にある薫の机には誰も居ない。

 近場の生徒を捕まえて行き先を聞いてみると、友達何人かと学食に向かったとの事であった。

 ならば未だに会っていない雲海の方は、と問うてみると、そちらはパンの購買部に出掛けていったらしい。

 薫と出会っても話を聞いてくれるとは思えない。今日は雲海にターゲットを絞るべきだろう。そう考えて込み合っている購買部に向かうが、坊主頭の男子はどこにも居ない。

 購買のおばちゃんに聞いてみると、カレーパンとうぐいすあんぱんとコーヒー牛乳を買って、今日は天気も良いし涼しいから外で食うと言って、すぐ側の裏口から中庭に向かったそうで、追いかける。

 曇り空の九月は過ごしやすく、表で弁当を食べようと考える学生は事の外居るようだった。埋まったベンチや芝生に眼を配るが、見当たらない。近場の生徒を捕まえて坊主頭の男は見なかったかと聞くと、それならさっき校舎に戻っていったと言う。

 なら今度こそ教室かと思ってみるが、どこにも居ない。

 また近場の生徒に聞いてみると、今度は腹痛で保健室に向かったのだと言った。昼休みももう十分もない。いい加減腹も減った。やっと捕まえた、と思って保健室に向かうも、なんと部屋には鍵がかかっていた。

 養護教諭が出張でいないのだ。


「……どうなってんだ?」


 結局空峰雲海の姿を見る事さえ出来ずに放課後を迎えた。

 放課後、終業のチャイムが鳴るや否や、教師やクラスメイトが訝るのも構わずに猛ダッシュで一年二組まで駆けた。

 チャイムが鳴り終わる前には既に教室に辿り着いていた。扉を開けると、驚き半分呆れ半分と言った顔の雲海と薫が並んで席に付いている。足を踏み鳴らして迫る磯村を見て、薫は警戒するように席を立って後ずさった。刺すような視線が痛い。


「そんなに露骨に嫌わなくても……」


 そう言ったのは磯村ではなく、雲海であった。まぁまぁと気を立てている薫を宥めているその様は拗ねる娘をあやす父親のようだ。やがてこちらを向いた雲海は実ににこやかな表情を顔に貼付けている。まるで仏の様な人造の無機質な笑みだった。

 磯村の警戒心を揺すらせるには十分過ぎる。


「やぁやぁ初めまして、磯村君。……終業のチャイムが鳴り始めてからおよそ十秒。随分急いでたようだね?」


 空峰雲海と言う男は、真面目で穏やかな堅物の男だと、磯村は聞いていた。しかし実際はどうだ、非常に砕けた態度で馴れ馴れしい雲海が迫ってくるではないか。

 風評とは案外当てにならないと思いつつ急いでいた旨を素直に認めると、雲海は小さく頷いた。


「昼休みから用事があったんだって? いや、申し訳なかったね。ちょっとからか……コホン、散歩したい気分だったんだ。ま、今日は納得いくまで話そうじゃないか。出来れば静かに話せる場所が良いんだけれど」


 雲海の意見には賛同できる。終業直後に駆けつけた磯村を、クラスメイトは興味津々に見つめている。こんな衆目のある場所で問いつめたとして、真実を聞き出す事なんて出来やしない。

 なら部室で話そうじゃないか、と提案すると、雲海は素直に承諾した。薫はにべもなく、さっさとその場から逃げてしまった。磯村も最早追いかける事はしなかった。部室まで案内すると、雲海は憚りなく部室に足を踏み入れ、即座に室内全体に眼を配り始める。その視線の鋭さは意外であり、やはりこの男はただ者とは思えない。磯村の脳内でパトランプが回り始めていた。


「狭いなぁ。それに埃臭い」


 雲海はそうぼやいた。もう少し遠慮と言うものがないものかと思う磯村を尻目に、勝手にあちこちを触り出す始末である。

 あまり触れていないせいで埃の積もった戸棚を指で撫でて乾いた笑いを浮かべている。無礼な男だった。


「あんまり勝手にその辺の物、触らないでくれ」

「配置には何かこだわりがあったり? 例えば風水とか」

「……いや、無いけど」

「そうかい」


 それなら良いんだけれど、と零しつつ雲海はようやく腰を落ち着けた。ニヤけ面が、何故か妙に癪に障る。


「君は、肝試しの時のアレが全部演出だ、と言っていたけれど、俺はそうは思っていない。香田さんが空を飛んでいくのを、俺は見ているんだぞ」

「なるほど。確かに彼女は空を飛んでいる。勿論、種も仕掛けもないよ」


 雲海が事もなげにそう言ってのけたので磯村は困惑したが、雲海はそんな磯村の反応を面白がりながら、「往々にしてマジシャンと言うのはそうやって煙にまこうとするものだけれど」と付け加えた。一瞬だけ期待した磯村は自分を恥じた。やはり雲海達の主張は変わらず「種も仕掛けもある手品」に変わらない。

 当たり前だ。侵略計画の全貌を明かす訳等ない。なんとか反撃の糸口を、と磯村が口を開く前に、雲海が先んじた。


「言っておきますけれど、残念ながら種も仕掛けも僕達は分かりませんよ」

「……なんだと?」


 雲海の主張はこうだった。

 知り合いに、腕利きのマジシャンがおり、当日のセッティングを全て彼女にお願いしていた。それゆえに自分達は、人を集めて司会をしたものの、仕掛けの方にはノータッチ。

 薫が空を飛んだのも、そのマジシャンの仕業に違いないが、その方法までは教えてもらっていない。磯村は勿論納得いかない。唇が震えるような憤りを感じている。

 馬鹿にしやがって。


「飛ぶ本人が仕掛けを知らないなんて馬鹿な話が」

「ありますよ、結構。最近はね。最前列のお客さんどうぞこちらへ、と言った具合で。そう言うマジックショーも流行りです」

「あんなのはサクラに決まってる!」

「どうしてそんな事が言い切れましょうか。もしや貴方はサクラの経験をしたことが?」


 磯村は閉口した。そもそも、磯村は手品には興味がないし、マジックショーを直で見た経験もない。


「うん? どうしたんだい、急に黙り込んで……ま、まさかもう終わり? 折角の機会なんだから、妄想、言いがかりの垂れ流しをもっと聞かせてくれよな。うっとおしいのを我慢してわざわざ、こんな場末の埃臭ぇ部室に来てやってるんだ」


 そうして下品に腹を抱えて笑い出す。

 この空峰雲海と言う男は、なんと苛立たしい男なのだろうか。厳つくて大人しそうな外見の割には口も良く回る。へらへらと薄気味悪い笑顔がいつまで経っても消えない。

 だが、磯村は憤りを嚥下した。

 この程度、気にしていられない。気にはならない。

 うっとおしい、うざい、キモイ、寄るな、臭い……そんな言葉は、中学時代に既に聞き飽きる程聞いているのだ。

 その程度で心の折れる磯村ではなかった。


「……俺を怒らせようとしていますね」


 そう呟くだけで、雲海の顔から一瞬だけ余裕が消え失せた。磯村は笑いが零れそうになるのを必死で抑え、努めて冷静を装う。


「そうやって俺を怒らせ、馬鹿にして、冷静さを失わせて、嫌わせて……二度と自分に近付かないように仕向けようとしている」

「ほほぉ、こいつぁおめでたい。おめでたい脳味噌だ。誇大妄想にも程があらぁ」

「それはつまり、俺の追求を恐れていると言う、何よりの証拠に他ならない……」

「自意識過剰なんじゃぁないか? あ、もしもし119番? 黄色い救急車一本よろしくー」


 雲海は親指と小指を伸ばした握り拳を耳元に当てて悪ふざけでそんな事を言っているが、最早この男のリアクションは当てにならない。磯村は観察眼には自信があった。常日頃から道行く人々が人間なのか人の皮を被った宇宙人なのかを判別するため、眼を凝らしているからだ。

 無論彼自身の妄想に過ぎないのだが、人間観察歴を考えれば、その経験は伊達とは言い切れない。


「ふん、良いでしょう。ただ、それで俺の心が折れると思ってるなら無駄な努力だ、とだけ言っておきます」


 自信満々に言ってのける磯村を前に、雲海は額の汗を軽く拭った。ようやく天候も秋めいてきた頃。今日の気温は平年以下。暑さを感じる程ではない。

 それだけでもう十分だ。恐らく雲海と言う男は、そもそも人を貶めるのに慣れていない。軽く反撃をしただけで露骨に態度に出る。これでは仮面を被っていますと言っているようなものだ。

 この雲海の言動は、普段とはまるで雰囲気が違うのだろう。雲海も諦めたように深い溜め息を吐き出した。

 磯村は勝利を確信していた。

 犯行の全貌を自供し始めた犯人を追いつめた名探偵の気分だった。磯村の予定では、ここで雲海は自分の正体……つまり宇宙人である事を明かし、そして真実を知ってしまった磯村に襲いかかるのだ。しかし俺は負けない。磯村には自信があった。彼のポケットの中にはスタンガンが隠されている。

 改造を施しており、護身用の領域を遥かに超えたそれでもって心臓近くで電流を流せば、致命になりかねない。宇宙人が如何なる存在なのかは分からないが磯村は何故か負ける気がしなかった。

 さぁ、いつ来るいつ来る、と磯村がうずうずしていると。雲海が小さく溜め息を吐く。いよいよか、と待ち構える。


「……君の言う通りだ。悪かったよ。慣れない事はするもんじゃないな」


 小さく頭を下げた雲海。

 どうも予定と違う。首を傾げる磯村に、雲海は穏やかに微笑みかけた。先程の胡散臭さが感じられない。同じような表情なのに、不思議である。


「どうにもしつこいんで、ならいっそ嫌われちった方が楽かな、と思って、つい」

「あ、あぁ、そうなのか……」


 磯村は面白くない。そんな自供は求めていない。さっさと本題に移れ。そう目で訴えると、雲海は何を勘違いしたのかもう一度頭を下げた。


「ごめん、そんなに怒らないでくれ。ここで会ったも何かの縁。折角だから、香田さんを空に飛ばせたマジシャンと会ってみるかい? ちっと性格に難があるが……」

「おい! 俺が聞きたいのはそんな話じゃない!」

「え? ……違うの?」

「違うよ!」


 何故だ。何故襲ってこないのだ。

 何故宇宙人である事を看破したのに、こんなに冷静でいられるんだ。磯村がそれを訴えると、雲海は呆然とした顔で首を傾げた。仕方が無いので、磯村は自分の設定もとい主張を懇切丁寧に語ってやった。


「……僕が宇宙人? で、香田さんも宇宙人で、二人とも宇宙からやって来た侵略者、と。肝試しは参加者を侵略の礎にするため、洗脳するために行なった……って君本気かよ」

「ドンピシャ過ぎて声も出ないだろ?」

「あぁ、声も出ない。欠伸が出ちまいそうだよ。さっき謝ったばかりだけど……君、やっぱり誇大妄想癖があるぜ」


 雲海は忍び笑いをしながらそう言った。

 また馬鹿にしてやがる。磯村は何はなくとも、改造スタンガンの性能を雲海の体で試してみたくなった。しかし騙されてはいけない。後の先を取るつもりかもしれない。いずれにせよ、冷静さを失ったらそこで負けだ。


「もしその話が本当なら、もう何人かは洗脳されちまってるのかな? 一体いつ?」

「寺の本堂に参加者を押し込めた時があったろう。あそこの中でだよ」

「君もその中に居たんじゃないのか?」

「居る筈無いだろ。居たら洗脳されているんだから」

「そうか。あの中にいなくても無事に帰れたのか……危ない所だったなぁ君。まぁ、無事で良かったよ。それで? そこで洗脳したと言う証拠はあるのかね?」

「洗脳していない証拠もない」

「ならどうして洗脳した、なんて言い出したんだい?」

「お前が侵略者だからに決まっているだろう!」


 磯村は声を荒げた。

 当然の事なのに何故分からないんだ、と言いたげに。雲海は困ったように眉をひそめて、おとがいに手をやって唸る。反論を捻り出しているのだろう、と磯村はそう思っている。単に磯村の言動がチンプンカンプンなのに困っているとは、彼自身知る由もない。

 彼の中でもう雲海と薫は集団催眠を実行した宇宙人であり、侵略者なのだ。


「仮に僕らが侵略者だとすると、だ。……そうだな。僕なら、まず最初に自分のクラスの連中に手をつけるがね」

「……どうしてだ?」

「その方が自然だろ? 身近で、行動を共にしやすい」


 磯村には碌に経験の無い事なのだが、それを言うとまた馬鹿にされそうなので口を噤む。どうせ論点をズラそうとしているに違いない。


「何かしら大規模な作戦をする時も、クラス単位で集まるのは端から見て……ま、仲良し学級なんだな、と思われるくらいだ。こう言うので大事なのは、他人に悟られない事だ。違うか?」


 雲海は苛立っているのか、少々言葉遣いが荒い。


「でもクラス単位だったら人数が少ないだろう?」

「だから肝試しの参加を募ったってか? 何人集まるのか分からないのに? 常識で物を考えろよ、磯村君。結果的に六十人も集まっちまったけどな、高校生が催す肝試しだぜ? 十人が良いとこだろ」

「も、もしかしたら連絡手段のメールに、参加を促すような催眠効果が……」

「そこまで出来るなら、なんでメールで、君の言う『洗脳』とやらをしないんだ? なんでもっと大規模でやらないんだ? スパムメールでも流す方がよっぽど楽だ。一日に何万人も手駒を手に入れられるんだからな」


 雲海の言葉ももっともに聞こえる。だが、それは雲海がもっともらしく話しているからだ。確かに彼の言うようにした方が効率は良いし、隠匿性も高そうだが、もしかしたら裏をかいて、わざわざ面倒な手段を取っているだけなのかもしれない。

 そう告げると、遂に雲海は立ち上がって怒りを露にした。


「イタチごっこが趣味か!? 君は僕が『はい、僕と香田さんは宇宙人です』なんて馬鹿みてぇな自白を吐き出すまで問い詰め続ける気か!?」

「そうと分かっているんなら早く吐き出せ!」

「支離滅裂かこの野郎! 今この場で、テメェに腹ん中の内臓(モン)全部吐かせてやっても良いんだぜ!?」


 雲海が、鬼のような形相で磯村に言葉を叩き付ける。真っ黒に燃える雲海の憎しみの篭った瞳が磯村を貫いた時、彼はようやく思い出した。

 そう、この男は尋常ではないのだ。磯村は人一倍、恐怖と言う感情には慣れていると思っていた。中学校の頃のイジメは酷く、窒息寸前耐久レースと称してプールに沈められたり、ただ顔がムカつくからと言う理由で意識を失うまで殴られる事もあった。

 だが、そこには殺意は無い。磯村が苦しむ様を面白がっているのだから、死にかけたとしても殺す気は無かっただろう。

 目の前の雲海は、いじめっ子達とは違う。狩りの練習の為に獲物と戯れる虎の子と、極限まで飢えて神経を尖らせた剣呑なハイエナのような、明確な差があった。

 自分を殺す算段を立てているつもりなのだ、と直感した。

 いや、もしかしたら……死ぬよりも恐ろしい目に遭わせるつもりなんじゃないだろうか。不意に雲海が腕を振りかざした。悪い魔法使いが勇者に火の玉をぶつけるような、そんな動作だ。

 炸裂音。

 ついで窓ガラスが崩れ去る音が聞こえた。

 背後およそ三メートルからだった。

 振り向くより先に、鳥肌が立った。内臓全てが上に持ち上げられるような恐怖が体中を駆け抜ける。首と体を後ろに向けるのに五秒もかかった。

 ガラスの破片が床に散らばっている。

 まさか空峰雲海が?

 何故?

 どうやって?

 神通力でも持っているのか、この男は?


「……お前もこうなりたいか?」


 雲海の低い声が床を伝って腹の底に重苦しく響く。怖い。怖くて雲海の方を見れない。涙で視界が霞んでいく。頭の中はとっくに霞んでいる。

 ポケットの中にあるスタンガンを震える指でなぞる。先程までは無敵の兵器だと思っていたのに、途端にこれがちゃちい玩具にしか思えなくなってしまった。

 今の怪奇現象は何だ?

 お前もこうなりたいかって、どう言う意味だ?

 普段の俺なら、超能力の類いなんだと思えば、途端に過去の超能力に関する事件の蘊蓄が湧いてくる筈なのに。恐れなぞ抱かずに、毅然と立ち向かい、そして人類を救うヒーローになれると思っていたのに。

 あぁ。

 そうなんだ。

 磯村はようやく悟った。

 俺は、一度も、そういう事件に、遭遇した事がないからだ。好きだなんだと言っても結局俺は。ただのオカルト好きでしかないんだ。

 オカルトが、超能力が、終末論が大好きな、単なる一般人でしかない。名もなき登場人物A君にしかなれない。

 対抗する能力を持たず、悪は挫けず、ライバルとの熱い友情やヒロインとの愛を育む事もない。

 漫画やアニメやライトノベルの主人公には。

 ……なれない。

 嫌だ。

 死にたくない。

 死ぬくらいなら、謎は謎のままでいい。

 このまま雲海に平謝りして、見逃してもらえるのならそうすべきだ。

 ……そうだ。良いじゃないか、それで。

 死ねば何もかも終わりなんだ。大切なのは生きる事だ。このまま呑気に超常現象を愛して、嫌なものに眼を背け、怖いものに背を向けて、侵略者なんて見なかった事にして。

 惨めたらしく、誰にも理解されず、孤独に、静かに……。

 だが……そんな風に生きてきて、俺の生に光明はあっただろうか?


「……やれるもんならやってみろ」


 磯村は自分でもどうしてそんな事を口走ったのか分からなかった。

 錯乱している。頭も、体も。

 でも、このまま沸騰した頭でも、思う事がある。雲海の顔が怯んだのを見られた。とても楽しい気分だった。震えが止まった。覚悟が決まった。涙だけは、止まってくれなかった。


「こんなクソみたいな命惜しくねぇよ……そうだよ、待ちに待った展開じゃないか。これだよ、これ……俺自身が、宇宙人と遭遇してそして格好良く撃退する。俺はずっとそんな夢を見てたんだ……! もう俺には、これしかないんだよ! 他に何もないんだよぉ!」


 両親の顔が思い浮かんだ。小学生の頃に仲が良かった友人達の笑顔も、今はハッキリと思い出せた。

 侵略される地球。怯える家族、友人。立ち向かう自分。例え刺し違えてでも、大切なものを守る。まさに、自分が恋焦がれた理想の自分そのものが、今まさにここに立っている。

 ポケットからスタンガンを取り出すと、雲海がたたらを踏んだ。雲海は『窮鼠猫を噛む』と言う言葉を知らなかったのだろうか。


「今までのゴミみたいな人生の終わりがこれなら、それこそが最高だっ!」

「ま、待て馬鹿! はやまってんじゃねぇ!」

「地球から出ていけ、このクソ野郎がぁ!」


 弾かれるように立ち上がった磯村は、椅子が倒れる前にもう駆け出していた。自分でも信じられない位足が動く。

 素早く雲海の懐に体を潜り込ませる。雲海の腕が磯村の襟首を掴むが、もう遅い。例え頭が水風船みたいに弾けても、この腕だけは止まらない。止めるものか。

 胸にスタンガンを突き立てた。後は電流を流せば、500万ボルトの超高電圧が雲海を襲う。


「これで終わりだっ!」


 スイッチを潰れるような勢いで押し込む。

 ……時が、止まる。

 自分の心音がうるさい。

 おかしい。

 何故こんなに静かなんだろうか。

 このスタンガン、スイッチを押すと蛇が鳴くような甲高く耳障りな音を辺りに蒔き散らしながら電流を流す筈なのに。大電流を流されて断末魔の雄叫びを上げるべき雲海が、鳩が豆鉄砲を喰らったような顔で磯村を見下ろしている。


「な、なんで……なんでなんだよぉ!」

「……電池、入ってないんじゃないか?」


 雲海の冷徹な一言が、磯村を突き刺す。

 鮮明に思い出せた。

 まだ小さい妹がふざけて勝手に持っていって弄くり回しているのが危なっかしくて、危険がないように電池を抜いておいたのだ。

 電池、入れてくるの、忘れてた。

 視界が絶望に歪む。

 たったの単一電池二個の差が、生死を分つとは。磯村はもう立っていられず、膝から崩れ落ちた。目の前が、瞼が閉じているのか開いているのかも分からない位、真っ暗になった。


「もう、煮るなり焼くなり、解剖するなり洗脳するなり好きに……」

「あー……」


 雲海が気の毒そうにしている。なんてザマだ。まさか目の前の敵にさえも同情されるなんて。こんな惨めな目に遭うくらいなら、もういっそ殺してほしい位だったのだが、雲海は残酷だった。


「ぼ、僕もその……ちょっとヒートアップしちゃって……すまねぇ」

「慰めないでくれぇ!」


 磯村は泣き続けた。そして雲海は、彼が泣き止むまでずっとその震える肩を擦ってやっていた。見たくない優しさを垣間見た瞬間だった。



  *



 磯村が泣き止んだ後、彼を宥めていた雲海はどこかしらに電話をかけていた。

 雲海が少々語気を強くして誰かと言い争っている事は分かったのだが、磯村はもはやどうでも良くなっていた。まさかよりにもよって、肝心の最終兵器が起動さえしないなんて。あまつさえ死を覚悟して特攻していった相手にずっと慰め続けられるなんて。

 やっぱり俺はダメな人間なんだ、と磯村は酷い憂鬱に苛まれていた。

 これまで何度も繰り返してきた自己嫌悪の中でも最大級のヤツである。しばらく立ち直れそうにない磯村を見下ろして、雲海は優しい声で、なぁと声をかけた。

 磯村は放っておいてほしかったのだが、その後の雲海の一言に目を覚ます。


「君が考えている事は的外れだ。僕も香田さんも地球人に違いないし、侵略者に洗脳されてもいない。が、実際僕らが……まぁ、世間一般で言う所の『普通』とはちょいと違うって点だけは、正解だ」

「普通じゃ、ない……?」

「もし君がどうしても、と言うのなら……少しだけ『こっち側』を覗いても良い」


 今度はたばかっているのか、と磯村は拗ねたが、雲海は真剣な眼差しでこちらを見ている。何だかもう、何を信じれば良いのやらサッパリ分からない。

 雲海が宇宙人だったのなら、磯村をこの場で、恐らく本当に殺されているだろう。だが、そうされなかった。しかし雲海が先程、手を振りかざしてガラス窓を破ったのを、どう説明すればいいのだろうか。

 雲海が普通の人間ではないのは、最早明らかだ。そうだ。宇宙人じゃないからなんだ。雲海が超能力を持っているのに間違いないのだ! これこそは、あれ程夢にまで見た、未知との邂逅ではないか!


「是非! 是非教えてくれ!」


 気がつけば立ち上がって、雲海の手を握り締めていた。

 『こっち側』と言うのが何を指すのか、具体的には分からないけれど。それでも『こっち側』が、磯村が長年求めてきた何かである事に間違いない。


「……見たいんだな?」


 興奮に微笑みが止まらない磯村に対して、雲海は努めて無表情を作っていたように思える。無感情な、まるで何か、大切な門を守る番人のような、感情を押し殺した声だった。


「怪物と戦う者は、その過程で自らも怪物とならねばならない。深淵を覗く者は、深淵もまた、自らを見つめ返していると、知らねばならない。もしも君が『こっち側』を知りたいと言うのなら……」


 雲海の瞳が絞られる。まさしく、彼は見つめ返す深淵なのだと、磯村は知った。


「君は覚悟しなければならないよ。本来ならば過ごせた筈の日常を放棄する覚悟を。深淵を彷徨い、時として怪物と戦う覚悟を。……それでも、本当の事を知る勇気があるのか?」

「勿論だ!」


 磯村は即答した。

 興味が先走って暴走している訳ではない。

 覚悟なんて、ついさっき命を投げうってみせたのだから、今更決まっていないなんて訳も無い。

 雲海は、しばらく磯村の目を見つめた。十秒もお互いに瞬きもせず、まんじりともせず、見つめ合った。ジリジリとにじり寄り、間数センチを開けて、お互いを試す。不良の睨み合いのように激しくはないが、冷たい意地があった。


「……なら、一度見てみると良い。きっと楽しいだろうさ」


 そう言って雲海は立ち上がる。気のせいか、その姿は先程よりも一回り大きく見えた。


「想像の範疇を超えているだろうからね。……まずは、軽く」


 雲海が軽く手を握り、一瞬の間を置いて広げると、そこには黒い影が見える。虫だった。ゴキブリとカブトムシとカミキリムシの合の子のような、見た事があるようなない様な気味の悪い虫だ。それが、後から後から、雲海の制服の袖から這い出てき、ポトポトと床に落ちて、辺りを嗅ぎ回っている。


「ひっ……」


 磯村は特別虫が苦手な訳ではない。むしろ現代っ子には珍しい位に大得意だろう。蝉までなら素手で握れるし、家で見つけたゴキブリを、手頃な武器な無い時に仕方なく素足で踏みつけて殺す事も、稀にある。

 しかしそれでも、異様な素早さで徘徊する虫の集団に戦慄を覚えた。虫はやがて磯村の足元に群がり、躊躇無く上り始める。服の上、下を問わず。


「うわわわぁぁぁ」


 無数の細い毛のような足が体を掻く薄気味悪い感覚に、磯村はたまらず悲鳴を上げた。無我夢中で足を振り回す。何匹かが羽を広げて飛び回る。乾いた音が耳を打つ。不思議と、割れた窓から出ていく虫は居なかった。

 手で払おうにも、虫は眼がいいのか、全く当たらない。それ所か払おうとした手にしがみつき、そこから袖を伝って服に入ってくる始末だ。


「もう止めてくれぇ!」

「止めないよ」


 雲海の声がする。だが、出所が分からない。

 いつのまにか部屋中を覆い隠す虫に隠れて、雲海の姿が消えていた。頭の上から声が降ってきたような気もするし、背後から耳元で囁かれたような気もする。


「これが君の望んだ世界だ」

「な……な……!」

「『虫』とは本来、昆虫のような節足動物を指す言葉ではなく『獣でも鳥でも魚でも無い動物』を意味する。自分達の知識では正体を認識出来ないものを、人間はかつて『虫』と呼んでいたのさ。……虫は生命として特異だ。活動圏の多くを他の動物と共有しているのに、異形の形態を取る。虫こそは地球外から飛来した宇宙生物だ、なんてとんでもない説もある程だ」


 それは違う、と磯村は口にしようとしたが、虫が入ってくるので開けなかった。

 実際に虫達には、その起源となるような生命が不明であるため、地球外生命体が有力視された事もあった。しかし、異形と言えども虫の体は、細かく見れば他の生命体と大差がないのだ。細胞の構造も、筋肉の仕組みも、代謝の方法も。

 だから今雲海の唱えた説は、ナンセンスなのだ。


「確かにナンセンスだが」


 口にせずとも、雲海は悟っていた。心を読まれている。不気味だが、不思議ではない。


「重要なのは、そんな説でも一時期は本気で信じられていた、と言う事。それ程までに虫は未知の存在だった。それ故に人に恐れられ、人の好奇心をくすぐる。そう言う意味では虫とは、まさに妖怪の類いと同義と言っていいだろう」


 屁理屈と言うか、曲解も良いところである。

 確かに今床を這い回っている虫共は未知の生命体かもしれないけれども。

 気持ち悪い虫だらけの部屋なんて、欠片も望んだ事はない。

 生理的な嫌悪ではなく、もっと冒険心をくすぐられるようなものを、磯村は望んでいるのに。


「君が見たいと言った世界が、君の望む世界に100%合致するとでも思っていたか? 何故、僕らのような存在が世間から隠れ続けていられるか、分かるかい? 『こっち側』には、まさに今のような、常に眼を背けて蓋をしたくなる光景が広がっている。だからこそ、誰もそれを見ようとしてこなかった。『見つからない』んじゃない、誰も本当は『見たくない』から、見えないだけなんだ。だから、極々一部の人間が、開けっ放しの世界に蓋をする必要があった。それは僕……空峰雲海や、その家族や、親戚や……限られた人々だけだ。それを『選ばれた』と思っちゃいない。『不幸だ』とも『幸運だ』とも『逃げ出したい』とも思っていない。『そう言うもの』として生まれてくるから、この世界の理不尽に耐えられる。でも、君はどうだ? まだ日常から一歩、寄り道をしている感覚を捨て切れていない。歩き慣れた帰り道の途中にある薄暗い路地を探検している子供のような無邪気さがある。だから『止めてくれ』なんて、軽々しく口に出せる。『こっち側』は、恐怖する事さえ許されない世界なんだよ。……それでもまだ見たいと言えるか?」


 声はすれども、姿は見えず。部屋を覆い尽くしていた虫達は、やがて互いに積み重なり一つの山を作る。山の中から雲海が姿を現した。一人ではなく、二人、三人と、墓穴から蘇ったゾンビの様に地を這いながら、ジリジリと磯村に寄っていく。


「君が僕を怖がるのであれば、僕はまだまだ君を怖がらせるだろう」

「妖怪とはそう言う者だ」

「強請れば強請る程金を出す人間は強請りたい」

「叩けば叩く程泣き叫ぶ人間は叩きたい」

「驚かせば驚かす程恐怖する人間は怖がらせたいんだ」

「だから頼む、怖がってくれ」

「その鳥肌を撫でさせてくれ」

「恐怖に歪んだ顔を見せてくれ」

「もっと涙を流してくれ」

「叫び声があると尚良い」

「腰を抜かせ」

「四つん這いで逃げ惑え」

「泣いて許しを乞え」

「小便を蒔き散らせ」

「いや、それは汚い」

「おっといけねえ、こいつぁうっかりだ」


 虫の塊から、次から次へと雲海が這い出てくる。坊主頭の、まるきり同じ顔をした無表情の男が囁きかけるのだ。これは本当に現実なのだろうか。この男の怪しげな力によって、幻覚の類いを見せられているだけなのではないか。

 だかもしそうだとして、それを確かめる術も無いし、打開する案もない。

 ダメだ。意識が途切れる事を選んでいる。意志とは関係のない本能が限界を迎えている。


「君が折れない限り、この地獄はまだまだ続くよ」

「後悔無いよな? これが君の望む世界なのだから……っと?」


 無数に居た雲海の一人が、磯村を突ついた。直立不動だった真っ青な顔の磯村が、仰向けに倒れていく。過呼吸による意識障害であった。雲海はつまらなそうに倒れた磯村を見下ろして、安堵した。


「……ちと灸がキツ過ぎたか」


 呼吸を確認する。幸い安定していた。ならば問題ない。

 無数に居たはずの雲海はいつの間にか一人に戻っており、彼は倒れる磯村をそのままに、さっさと部屋を後にした。異空間と化していた部室は、とっくに全くいつも通りに戻っている。

 割れた窓から吹き込んだ風が、千切れた虫の羽を静かに舞い上げた。

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