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怪奇!知らない世界の人々  作者: ずび
第九話 クローン
116/123

9−8 薫の姉

 八月を過ぎると急激に日が短くなった。

 そんな事を考えつつ、妖山市を東西に分けるように走る市内唯一の大型河川、炎裏《ほのり》川の河川敷で一番星が輝く薄紫の空を芒洋と眺めながら、空峰雲海は疲労の溜まった体を休めるべく、寝転んでいた。夕陽と、半端なビル群と住宅街が放つ町灯りに照らされる炎裏川の景色は、田舎と都会の境界に立つ妖山市の現状をそっくり映している。

 様々な周辺地域を巻き込んだ市町村吸収合併によって膨らんだ妖山市は、企業誘致と住宅街を主とした区画整理を中心に都市開発を強引に推し進めている。現状、古い日本家屋群と工事中の高層マンションが交互に立ち並ぶような混沌とした町並みが見受けられるような場所は、日本広しと言えどそう無いだろう。田舎と都会が混じり合うこの町は、それ故に様々な人間、様々な考え方が混在している。市町村吸収合併によって土地の名前……『言霊』が失われ、住処を追われた妖怪達も、現状の浮ついた旧妖山市に吸い寄せられるように集まっていく。

 隣町からやって来た狐も、もしかしたら木の葉を隠すなら森の中、そう考えてこの街に逃げ込んできたのだろうか。そんな気さえしてくる。

 ……やはり、見つからない。

 背の高いぺんぺん草が、雲海の体を柔らかく包んでいるが、その心地よさと裏腹に彼の表情は暗い。隣町のお稲荷様捜索のために、今日だけで町三つ分は優に走り回った。それなりに鍛えているとは言え、連日の実らぬ作業への不毛感も相まって、雲海はすっかり疲弊していた。

 隣町のお稲荷様がこの町を訪れたのは、恐らく間違いないだろう。土玉の結界に痕跡があった。そして抜け出た形跡もなし。妖山市に迷い込んだ事に間違いはないのだが、肝心のお稲荷様はこの妖山市内においては、一切の痕跡を残さずに彷徨っている。

 雲海はポケットから取り出した赤い折り紙の紙人形を夕陽に照らしながら、溜め息を吐き出す。中心に呪法を描いた紙人形は、八百万の神達に宿る特異な妖力に反応するようになっている。市内の隅々を回ってみても、一切の反応がない。山奥の洞窟、無人の廃ビル、人気の無い路地裏等、およそ人間でない者達が寄り着きやすい場所はほぼ見て回ったのだが、狐は発見出来なかった。

 人々に信仰される程に徳の高い神が訪れた場所には、言うなれば『残り香』のようなものが残るのだが、その痕跡さえ一切感じ取れない。ならばそこには訪れていない、と考えるのは些か早計だ。

 例えば人が死んだ部屋を考えてみる。自殺か他殺か自然死か、死因が分からない遺体があるだけの部屋だ。その部屋のドアノブの指紋を採取した所、一切何の指紋も検出されなかったとしたら、どうだろうか。普段日常生活を送る上で、部屋を訪れる誰しもがドアノブに手を触れる。少なくとも、遺体となった人の指紋は残るのが自然だろう。それが一切検出されないと言う事は、つまり。その指紋を拭き取っているからに他ならない。拭き取った人間がいる。誰かが証拠隠滅を謀っている。

自然とそれが、他殺である証拠となる訳だ。

 『狐がこの市を訪れているのは間違いないのだが、どこにもその痕跡が見当たらない』のは、『何者かが意図的に狐の痕跡を消しているから』に他ならない。

 理由は出来るのならば考えたくない。

 これはどうやら、単なる狐様の気紛れでフラついていた訳では無いらしい。


「クソ、面倒なことんなったなぁ……」


 日が間もなく暮れる。お稲荷様の捜索を開始して三日も経っている。初めての家出で三日も出れば、どんな悪ガキでも流石に家に帰るだろうに。よくよく考えれば、かれこれ百年近く神社の境内を出ず、神無月の寄り集まりの出席さえ拒む出不精の神が、何の理由もなくフラリと外出する筈が無いのだ。一番に考えられるのは、やはり何かしらの悪しき妖怪の侵入があり、それから逃げ出したとするケース。

 だが、妖怪が移動した形跡があれば、感知出来ない筈はないのだが……。


「……愚痴っても仕方ない」


 バスの時刻を時刻表カードで確認する。駅前から、今から三十分後に憂山の方角に向かうバスが一本出ている。多少急げば間に合うだろうか。それを逃すとそこから更に数時間は待たねばならない。

 雲海は、紙人形を懐に仕舞い込んで立ち上がり、駅に向けて歩き出す。土手を上る足取りもどこか重い。

 父は裏表どちらの仕事に関しても忙しい身であるし、弟を連れ出すのはもっての他。恐らく居候河童、利休も協力する気はないだろう。こうなったら市外から木鉤夜恵でも……と考えてみても現在の彼女は座敷童に憑衣してなんとか命を繋いでいる状態。戦力としては怪しいものだ。その他はどうだろうか。土玉、雪町、少し遠方に足を伸ばせば焔井家、金竜丸家なども陰陽師家業を行なっているのだが……。わざわざ妖山市に来て仕事手伝ってくれそうな奇特な輩は居ない。本来この稼業は、横の繋がりは強くない。土玉、木鉤はたまたま両家が空峰と古い付き合いがあるからこそ懇意にしているだけなのだ。

 『よそはよそ、うちはうち』を地でいく業務姿勢は、単に他の地域に干渉した時の取り分の配分やら財務的な問題以上に、実務内容的にそんな余裕がないからである。時には命のやり取りをする必要があるこの仕事、お節介で死んでいたら世話は無い。

 途方に暮れるまま、しかし足だけは慣れた帰宅路を歩み始めている。

 川を渡り、住宅街を抜け、商店街のアーケードに差し掛かれば駅はもう目の前だ。駅に向かうにつれて雲海と同じく学生服の若者が目立ち始める。杵柄高校の生徒と近隣の他の高校の生徒と、入り交じり方はおおよそ等分か。こう言ったアーケード街が街の発展につれて淘汰されていく運命は変わらないのか、昔よりもシャッターが目立つようになってきた。それでも粘って開業出来ているのは、軽食店などの学生が寄り付きやすい店である。

 ラーメン屋の前を通れば鼻をくすぐるスープの匂い、焼肉屋の前を通ればタレの焼ける匂い、カレー屋の前を通ればカレーの以下略。不意に、雲海の腹がぐぅと音を立てた。食べ盛りの十六歳の空腹にこの匂い攻めは辛いものがある。しかし今日は天心が朝、「今日の夕飯何が良い?」と聞いてきたので「山菜の天ぷら」と雲海は即答してしまっていたのだ。まさかガッツリと食って帰る訳にもいかない。

 ポケットから取り出した財布の中身を確認する。月初めからゴタゴタしていて使う暇もあまり無かったため、小遣いにはまだ余裕がある。

 パンの一コ位なら腹に入れてしまっても良いだろうか。例えばそこのパン屋でコロッケパン一つくらいなら。

 しかし時間もあまりない。バスが出るまであと十分程。ちょっともたつけば、それだけで家に帰るのは十時を過ぎる。

 空峰家に門限は無いが「メロンパンとチョココロネで迷っていたらバスに遅れた」と言えば弟はどんな言葉で兄をなじるか分かったものではない。我慢して更に足を速めた雲海は財布の中身に気を取られ、不意に駅方面からやってくる人影に気がつかなかった。


「あだっ!」

「きゃっ!」


 向こうも不注意だったのだろうか。突然の予期せぬ衝撃に、雲海とその人物は弾かれるように突き飛ばされ尻餅を同時についた。周囲の人々が怪訝な顔で二人を見つめつつ、そのまま通り過ぎていく。この人混みの中で止まるのは迷惑かと、二人は同時に立ち上がった。


「ごめんなさい、前方不注意で」


 雲海は深く頭を下げる。相手も同じく、腰を折って謝罪した。


「こ、こちらこそ、申し訳ありません」


 ぶつかった相手は女性だった。頭にカンカン帽を乗っけ、白いショートワンピースに薄いベージュのカーディガン、膝丈のデニムにウェッジサンダルと言う出で立ち。近場の私立大生だろうかと見当をつけた。


「お怪我はありませんか?」


 腰を折っていた女性が顔を上げる。そして雲海は、驚愕した。女性の顔を見て、雲海が硬直する。雲海の異変に気づいた彼女の怪訝な表情を見て、ますます凝視する。そして、自然と口が開く。


「……え? 香田さん?」

「はぁ……? 確かに私は香田ですが……」


 女性が小首を傾げた。その角度、目の開き方、口の曲げ方、全てに見覚えがある。髪の毛こそ焦げ茶色に染めているし、短く切りそろえているけれども、目の前の女性は薫に似過ぎている。鋭角の無い顔のパーツの作りと言い、丸い小顔と言い、そっくりだった。しかも名前が香田。彼女はいつの間にこんなに身長が伸びて髪を染めて切って落ち着いた立ち振る舞いを身に着けたのだろうと雲海は本気でそんな事を考えてしまった。女性は雲海に不審感を抱いていたようだが、やがて雲海の身に着けた制服を眺めて、華やかな笑顔を浮かべた。


「その制服は確か杵柄高校……と言う事は、もしかして薫の高校のお友達かしら?」

「薫の……ん? ……ん? 薫は君だろ、君は一体何を」

「ごめんなさい、確かに、昔からそっくりだったものね。混乱するのも無理ないのかしら」


 女性は口元に軽く手を当てて、くすくすと上品に微笑んでみせた。ここに至ってようやく雲海は彼女が薫でない事を確信する。薫はこんな笑い方をしない。もっとケラケラとかクシャッとかオホホッとかエヘヘッとか、そんな笑い方をする。シチュエーションやふざけ具合によりけりだが、くすくすとは笑わない。


「初めまして、ですね。香田薫の姉の、香田叶と申します」


 女性が改めて深々と腰を折る。薫の姉、と言われて雲海はようやく合点がいった。遺伝子が同じなら容姿が似ているのは当たり前だろう。

 そう言えばいつだったか、薫には姉が居ると言う話を聞いた事があった。幼い頃に一緒に肝試しをした事があるとちらっと話していた程度だが。


「こ、こちらこそはじめまして。空峰雲海と言います。えぇと、香田さんのクラスメイトをやらせてもらっています」


 雲海も釣られて頭を下げた。周囲の怪訝な視線が増えた気がして、雲海は慌てて顔を上げ、また上げさせた。


「あらあら、やらせてもらってますだなんて。おかしなお人」

「あ、あははいやいや、そうでしょうかね?」


 薫の憂いを知らない子供みたいな屈託ない柔らかい笑顔と違って、叶からは落ち着いた大人の余裕が漂っている。薫も数年すればこうなるのだろうか、という想像もあまり上手くいかない。どうも中身の方は反対とまでは言わなくても、あまり似ていないような気がする。


「それより、お急ぎの様子でしたけれども、大丈夫ですか?」

「……はっ」


 雲海はようやく我に返り、そして携帯電話の時計を確認する。バスの時刻と照らし合わせて、多少走れば間に合う程度。雲海は焦った。


「す、すみません、バスの時間がもうすぐでして」

「あら、申し訳ありませんでした。本当に」

「いえいえこちらこそ、それじゃ…………あれ?」


 駆け出そうとした雲海の顔の血の気が見る見るうちに引いていく。右手は何かを握るようか形をしたまま、動かない。背筋を伸ばした雲海は一度深く呼吸してから、制服のズボンのポケットを漁り始める。顔に焦燥を浮かべながら、今度は鞄だ。一体どうしたのだろう、と叶が聞く前に、雲海は即座にその場にしゃがみ込んだ。


「さ……財布……どこいった!?」

「え……まさか、落とされました?」

「さ、さっきぶつかった時は手に持ってたんですけど……」

「まぁ! 大変ですわ!」


 叶は口元を手で押さえてそう叫んだ。まるでどこぞのお嬢様のような雰囲気さえ漂っている。本当に山田村の田舎で育った、薫と同郷の存在なのだろうか。と、今はどうでも良いから、早く財布を捜さなければ。気がつけば、叶も同じようにしゃがみ込んで歩道に目を走らせている。駅に向かう人混みに紛れて、どこかに蹴飛ばされてしまったのだろうか。


「あぁ、本当にごめんなさい。私がぶつかったばっかりに……」


 叶の声が、必死な雲海の耳にもかろうじて届いた。



  *



 雲海の財布が見つかったのはそれから十分後、発見者は叶で、二人から十メートルも離れた所に砂まみれで転がっていたと叶がそう告げた。とっくに発車時刻を過ぎており、雲海は自分が乗る筈だったバスを見る事も叶わず、そこから更に三時間後発車するバスを待つ羽目になった。

 家には先に連絡を入れた。幸いにも岩武は怒っていなかったのだが、「……ふぅん。今日の晩御飯リクエストしておいてそう言う事するんだ」と拗ねた天心の声がまだ脳に響いている気がして、雲海は頭を抱えた。天心の機嫌を考えるとなると、空腹に唸る腹には、どうやら家に帰るまで何も入れる事を許されていないらしい。


「本当に、重ね重ね申し訳ございませんでした。私の不注意で……」


 テーブルの反対側に腰掛ける叶が、何度目になるか分からないお辞儀をする。そうされる度に一々「いや、こちらこそ」と雲海も頭を下げねばならないので、いい加減疲れていた。こんな事なら財布受け取ってさっさと別れ、駅前のリサイクル書店で漫画の立ち読みでもして時間を潰せばよかった、と溜め息を零す。

 叶が「ご迷惑を掛けたお詫びも兼ねて、そこの喫茶店でお時間を潰しませんか? もちろん私が持ちますから」と誘うのを無碍にする事が出来なかった。それは叶に悪い、と一応言ったのだが「いえ私は全く構いませんので」と真顔で返され、どうにも断る理由が見当たらなかった。

 アーケード街の喫茶店『フーリエ』は、客入りはまずまずと言った所であった。時間帯のせいか、食事をしている客が多い。雲海は炭酸で腹の虫を黙らせようとメロンソーダを頼んだのだが、叶は遠慮なくナポリタンを注文する。

 どうやら彼女も腹が減っていたようだが、雲海は、何も当てつけみたいに食べる事ないじゃないかと言うのを寸での所で我慢した。屈託ない笑顔を浮かべながら上品に召し上がる彼女を見るに、どうやら叶には全く悪気がなかったようなので、ダンマリを決め込んだ次第である。


「あら、空峰君はそれだけで?」

「家にご飯あるんで。帰ってから食べます」

「そうですか……」


 少し残念そうに眼を伏せる叶。ナポリタンなぞを食べればケチャップが飛び散りそうなものだが、叶は実に上手く、そして美味そうに食べる。おちょぼ口にスイスイとパスタが飲まれていくその様に、思わず唾を飲む。腹の虫がまるで欲しいオモチャをねだる三歳児の様に胃の中で駄々をこねている。

 トーストの一枚くらいだったら食べても良いかな、と雲海が壁のメニュー表を眺めている時、叶は意図の掴めぬ笑顔を雲海に向けていた。視線に気づいた雲海が見返すと、叶は既に食事を終えナプキンで口を拭いている。口元は見えずとも、目が笑っていた。


「……どうかしました?」

「いえね、貴方が空峰君なんだなーって」

「え?」

「薫からお話は聞いていますよ? 転校先でもお友達が沢山出来たって」


 セットで頼んでいたホットコーヒーを啜りながら、叶は優雅に微笑んだ。


「僕の事も?」

「えぇ。貴方とは特に仲良くさせて頂いているようで、いつも妹がお世話になっています」

「いえいえ、僕も彼女には随分と……その、助けてもらっています」


 『助けてもらっている』が自分の命などだったりするのだが、それは口にしなかった。雲海も助けているのであいこと言えるかもしれない。それよりも、叶は薫の超能力については知っているのだろうか。雲海が尋ねようとすると、先んじて叶が口を開く。

 その表情は憂鬱そうである。


「あの子、少々変わっているでしょう?」

「……それは、性格の事、じゃぁありませんよね?」


 叶は小さく首肯した。どうやら姉は、薫の超能力を把握しているらしい。雲海は胸を撫で下ろした。この分だと、自分の正体も知っているだろう、恐らく。『知る側』の人間相手なら、変な気兼ねも無く会話が出来る。


「貴方には命を救って頂いた事もあるそうで……今までお礼も申し上げられず、本当にすみません」

「そんな大袈裟な。困ったときはお互い様です」

「薫ったら、昔から無茶を平気でやる子でね。普段はボーッとしているのに、コレだと決めたら利かん坊で……危なっかしいったらありゃしない」

「あぁ……わかるような気がします」


 遠隔透視の時だって、山田村の時だって、肝試しの時だって。

 薫は己の身を顧みない。まるで痛みを知らないのかと思う程に茨道を猪突猛進する。例えそれで身を滅ぼす事になっても、きっと薫は後悔しないのだろう。二人の友人小森美紀が悪漢に引っかかり、彼女を救出すべく二人で協力した時だ。かつて遠隔透視に目覚めていなかった薫は、己の命を削るかの様に疲弊しつつも、自分の出来る最大限を発揮した。止めさせようとする雲海に向けて、彼女はこう言った。


「私だって怖いよ。でも、私には、美紀ちゃんを助ける手段がある。なのに何も行動しないってのは、見捨てるのと同じ事。でも私の超能力で、もしも誰かが救えるんならそれこそが私の存在意義ってもんでしょ?」


 どうして彼女はこうも自己犠牲精神が先走っているのだろうか。


「私も、詳しくは知りません。ですが、一度……大事な人を超能力で傷つけてしまったことがあると」

「……そうなんですか」

「あの子は、本当に優しくて……人の苦しみや悲しみを理解出来る、強い子です。でもだからこそ不安なんです。もっと自分を大切にしてほしい。あの子が泣く事で辛い思いをする人が居るって事を、ちゃんと覚えていてほしい……」


 叶はそこで一息ついてから、目を見開いて口元を抑えた。


「やだ、私ったら初対面の人にこんな……」

「お気になさらず。僕も確かに、そんな風に思っていますし」

「そう……あの子ったら、お友達にまで迷惑をかけているのね? 本当に困った子……」


 言葉とは裏腹に、叶の表情は先程よりも柔らかい。


「でも、良かった。空峰君みたいなしっかりした子が一緒なら、きっと薫も心強いと思うもの」

「そ、そうですかね……」


 照れる雲海は、熱さを誤魔化そうとメロンソーダを一気に半分程も飲み下した。坊主頭をガリガリと乱暴に掻く雲海は、どう見ても挙動不審だ。


「それで、どうなの? うちの妹とは?」

「どうって……」

「あの子ったら、話題にする男の子が貴方だけなのよね。もしかして付き合ってるのかなーなんて」

「や、止めて下さいよ」


 なんで女って生き物はこういう話題に話を持っていきたがるのだろうか、と雲海は頭が痛くなる思いがした。別に付き合うとかそういうつもりはないし、異性として好きかと言われればそれもちょっと微妙な気がして、じゃぁ友達なのかと言われればどうもそう言う枠で彼女を捉えている訳でもない。やはりなんだかんだ言いつつ、彼女は『相棒』なのだろうか。信頼出来て、気が置けなくて、冗談も軽口も言い合えて、お互いがお互いを良く知っていて、困難に一緒に立ち向かっていける、そんな相棒。恋仲になると変に気を遣いそうな気がして、彼女とはそう言う間柄になりたくないし、そうだ恋仲と言えば小森さんへの返事、早くしなくちゃならないんだろうなぁ。折角女の子が一世一代の……いや、彼女は場数踏んでるからそれは違うだろうけど、でも告白したんだから、いい加減こっちもへたれてないで腹ぁ括らにゃ男が廃るってなもんで。いや今は小森さんは関係ない香田さんだ香田さん。

 と、頭の中で独特な一人問答をひとしきり繰り広げた後、取りあえず雲海はメロンソーダを全部飲み干してお代わりを喫茶店のマスターに要求した。

 叶があらあらと上品に微笑んでいる。その様は、さながら年下の男子をからかって弄ぶ悪女である。


「まぁまぁ、間柄なんてなんでも良いんですけど、薫とこれからもよろしくね?」

「それは勿論ですとも」

「うん。ハキハキしてて大変結構。男の子は元気がなきゃね」


 叶は大仰に肩を竦めて、呆れたような溜め息を零す。


「私の職場の男の人達なんて、一日中ネズミかハエとにらめっこしてるせいで、顔と顔を突つき合わせてるのに何言ってるのか分からない人ばっかり! 久しぶりに男の人と会話した気分だわぁ」

「はぁ……」

「おっと……ごめんなさいね。急に愚痴っぽくなってしまって……」

「いえいえ。お仕事、お忙しいんですか?」

「えぇ、あんまり忙しいんで、全部同僚に押し付けて息抜きに故郷に帰ってきた、と言う訳なんですのよ」


 おほほ、と上品に笑っているが、それは同僚は大丈夫なのだろうか。

 雲海の曇り顔に気づいたのか叶は「流石に冗談です」と咳払いをした。恥ずかしさに火照る頬を手で扇いで冷ます時の無理して取り繕った澄まし顔は、薫に良く似ている。


「田舎に帰ってきたって……香田さんの田舎は山田村じゃ?」

「実家はそこですが、少し薫ちゃんの顔も見たくなって。あの子に会わないとどうにも田舎に帰った、と言う気がしないんですよね」


 はにかみながら頭を掻く叶。

 妹想いの良い姉、と言った様子に、雲海も自然と笑みが零れた。上の兄弟というのは、下の兄弟がどれだけ生意気な奴だとしても、なんだかんだ言ったって可愛いものなのだ。


「……それなら、早く妹さんに会いに行かれては?」


 雲海の提案に叶は顔を曇らせた。未だに雲海に気を遣っているようだったが、雲海にはそれがかえってわずらわしい。


「ですがそれでは……」

「バスまでまだ時間はありますけど、まぁ乗り遅れる事は良くありますし。僕に付き合わせるのも悪いですよ」

「……それもそうですね、分かりました」


 叶が立ち上がったのを見て、雲海は表情に出さないが、安堵していた。彼女とは出会ってからまだ一時間程度だが、雲海は既に苦手意識を抱いていた。会話ではイニシアチブを取られるし、何かと言うと謝られ、妹をネタに弄られる。悪い人ではないと思うのだが、相手にしていて疲れる。ようやく解放される、と思った雲海をよそに、叶は何を思ったのか雲海の手を取った。叶の温かくて柔らかい手に驚いた雲海も跳ねるように立ち上がり、結果衆目を集めた。


「では、これから一緒に叔父さんの家に行きましょう!」

「えっ」

「そこで叔父から車を借りて、私が家までお送りします。それならすぐに帰れるでしょう?」

「いやそんな、それじゃこっちが迷惑をかけてしまいますよ。流石に悪いです」

「まぁ! これが『悪い』だったら私は『最悪』じゃない、名誉挽回のチャンスを下さいな!」


 頬を膨らませる叶。リアクションが一々大きくて、それだけで雲海は押され気味であった。断りの言葉が浮かんでは消え、もたついているうちに叶はさっさと会計を済まし、間もなく店を出ようとしている。人の言葉を聞かない。またちょっと苦手な要素が増えた。確かに有り難くはあるのだが。


「ほらほら、急ぎましょ。早く帰って、弟さんのご機嫌をお取りなさいな」


 叶に急かされるがまま、雲海は逆らう暇もなく彼女と共に香田家に向かう羽目になった。

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