9−7 オカ研の活動
翌日の放課後の事である。薫は肩を落とした。
昨日の帰り道に、磯村に勧誘されたオカルト研究同好会に一緒に行かないかと誘った雲海は、今日も今日とてお稲荷様捜索隊として草の根を掻き分ける系の仕事が待っていると、濁った目でぼやきながら一も二もなくさっさと帰宅してしまった。一人でいくのは少し気が引けるので小森を誘ってみたのだが、不機嫌気味に「無理、バイト。……無くても行かないけど」と一蹴。それならば行かなくてもいいだろうかと帰宅しようとするも、昨日の磯村の感激に満ちた笑顔がフラッシュバックするのだから、薫は自分でもお人好しだなぁと自覚しつつ一人でオカルト研究同好会の部室に足を向けた。
杵柄高校の部室棟の二階。囲碁部と軽音楽部の部室に挟まれて肩を縮こまらせている狭く細長い部屋がオカルト研究同好会である。扉をノックすると、内側から「どうぞ!」と明るい声が返って来る。磯村は薫の姿を見るや、諸手を上げて歓迎した。
「本当に良く来てくれた!」
部屋の最奥に置かれた学級机に磯村は居た。
分厚い眼鏡のレンズの爛々と輝く瞳に気圧されながら、薫は部屋を見回した。第一印象は『狭い』だった。部屋には所狭しと『何か』が置かれていて、どこに目を向けてもそれらは視界の大半を占領する。『何か』と表現したのは、薫も一体それらが何なのか良くは分かっていないからだ。壁に掛かった、トーテムポールのような木彫りの怪しい仮面、赤と黒だけで書かれた女性の自画像。大判のコルクのピンナップボードには心霊写真やU.F.O.の写真、ついでに薫の飛行写真までもが乱雑に散りばめられている。入ってすぐ右隣には科学雑誌とオカルト雑誌が区別無く詰め込まれた巨大な本棚が鎮座し、すぐ左にはイモリを飼っている水槽の濾過器が唸りを上げている。正面の、用途不明の水晶玉が置かれた机には椅子と、小皿に載せられた大福が。もしかしてここに座れと言うのか。
「さぁ、どうぞどうぞ」
磯村の指す先を見るに、薫の予想は的中したようだ。
水晶玉をオカズに大福を食むとは中々斬新な侘び寂びもあったものだ、と薫は心の中で皮肉りつつも、大福を齧った。水晶玉が邪魔である。なぜコレが茶ではないのか、とは流石に図々し過ぎて口には出来ない。磯村は来るかどうか分からない客の為にわざわざ大福まで用意していたのだ、冷たく扱う訳にもいかない。
「……ごちそうさまです。すみません、わざわざ」
「いやいや、会員一人確保と思えば安いもんさ」
まだ入るとは言っていないのだが、磯村の期待に満ちた小動物的微笑みを崩すのは酷か。大福もさっさと完食してしまった手前、すぐに「入りませんよ」とは言えない。曖昧に微笑む薫。
「えぇとそれで、具体的には何をするんですか、この……会? ……は」
「そ、そうだねぇ。何をする、か……」
何故そこで頭を抱えるのだ、磯村晴彦。薫はもう帰りたくなってきてしまった。磯村は素直に声を落として小さく頭を下げる。
「元々俺しか会員もいなかった訳だし、完全に趣味部屋と言うか……見て楽しむと言うか……全品観賞用と言うか……コレクターは集める事に意義を感じると言うか……」
「つまり活動らしい活動は……」
「遠い空の見知らぬ民に想いを馳せるとか、黒魔術の雰囲気を味わう為に水晶玉を眺めるとかは活動に入りますか?」
「いいえ、入りません」
恐る恐る尋ねた磯村も覚悟は出来ていたようなので、薫は遠慮なく叩き斬った。彼女の興味は活動内容なぞよりも磯村に注がれている。写真の事について切り出したいものの、磯村は先程から立ち上がり落ち着き無く部屋の中を歩き回っている。もう少し落ち着いてもらえないだろうか、と何故か来客の筈の薫が思ってしまう程だ。
「あ、あ! そうだ、あれをやろう!」
突拍子無く叫んだ磯村は、自分が座っていた机の中からレンガ色と黄ばんだ白色の箱のような物体を取り出し、嬉々とした表情で薫の前にどんとそれを置く。
「……ファミコン?」
「あぁ、見た事あった?」
「イトコの家にあったっけなぁ……あんまり得意じゃなかったけど」
まだ動くんだぜ、と得意げに言いながら磯村は部屋の片隅のダンボールを漁り始め、中から小型のディスプレイを取り出すと、慣れた手つきで配線を行なっていく。やがて薫の手にはコントローラーが握られ、ファミコンにはカセットが刺さり、ディスプレイはチープなBGMを流しつつ『MINDSEEKER』とゲームのタイトルを表示する。
私がやる流れなのか。
文句の一つも口から漏れそうになるが、胸を張る磯村を前にするとそんな気も失せてしまった。
「……で、これは?」
「MINDSEEKER……っても、知らないよね。俺も最初に親に買ってもらったゲーム機はゲームキューブだし」
それはどうでもいいとして、と頭を掻きながら磯村はディスプレイを指差す。
「コイツは超能力者育成ゲームだ!」
「は?」
「ちょ、そんな恐い顔しないで下さいよ……と、兎に角やってみよう、うん」
埒があかないので、薫は渋々コントローラーのAボタンを連打する。
主人公の名前が『ああああ』になってしまったが、良くある事だ。全く気にしない薫と磯村。どうやらこれから様々な訓練を行なう事で超能力を目覚めさせねばならないらしい。もう目覚めている薫としては失笑ものも良いところである。
何故こんな事を、と言い出したらきりがない。超能力よりも忍耐力が鍛えられそうな気がする。
「簡単に言うと、超能力を鍛えて様々な試験をクリアーしていくだけのゲームだけど」
「簡単に言われてもチンプンカンプンです」
「ま、そう言うない。もうちょい進めれば……ほら、訓練開始だ」
「えぇっと……透視の訓練?」
画面には四角、丸、星、波形、十字の五つの図形が描かれたカードが表示されている。そして画面上部には裏側向きのカードが一枚置かれている。
「いわゆるゼナー・カードだね。この裏側カードの図形は何なのかを透視して当てるんだ」
「透視って……」
実際のカードであれば十枚でも二十枚でも透視できる薫だが、ディスプレイに表示されたカードにはそもそも本来表も裏もないのだから出来る筈もない。
例え本物のゼナー・カードを持ってこられても、無闇に透視をするつもりなどないが。ちなみに全二十回中当たったのは六回。微妙に期待値以上の成果が出たが、それがどうしたのだと薫は憤慨一歩手前だ。
「……こんなので超能力に目覚めるなら、今の日本はとってもファンタジーな事になっていると思うの」
「実際ただのクソゲーって言われてるからねぇ」
「なんでやったのよ!」
「ご、ごめんなさい……でも、ほら、何となく」
磯村の目の色が少し変わるのを、薫は見逃さなかった。
「君って、超能力とか使えそうだからさ」
薫は思わず閉口した。真っ直ぐに、まるで薫を試すような視線をぶつけて来る磯村と見つめ合う。
眉間に皺がよってしまいそうになるのを堪える。目を逸らしたら負ける気がする。睨むような視線を磯村に返す薫だったが、やがて耐えかねたのか磯村が身を引いた。
「いや、そんな睨まなくてもいいじゃないか」
「あ、う……へ、変な事を磯村さんが言うから……」
二人分の渇いた笑い声が狭い部室に響き渡る。
頬を伝う冷や汗に舌打ちしたくなりたくなるが、薫は態度を崩さずにディスプレイに視線を戻す。ゲームは始まったばかりだが、もう流石にやる気になれずにさっさと電源を落とした。
「超能力が使えそうって、それどんな評価なんですか……そんなに変わり者ですか、私。確かに昨日は変なとこ見せましたけど……」
「いやいや、滅相もない! あー、じゃぁMINDSEEKERは止めよう、うん! 代わりにコレ! コレを研究しようじゃないか!」
磯村は本棚から『The・黒魔術〜アナタの知らない世界〜』と題された百科事典並みの厚さを誇る胡散臭さ大爆発の本を取り出して薫に見せつけた。表紙にはとって付けたようなチープな六芒星。受け取って開いてみる。
「古の時代より残されし伝統的な呪術、概ねにして他者に害を成す呪いの類い……それが黒魔術である。本書では歴史をひっくり返してきたような大規模な魔術から、明日すぐに使える簡素な魔術まで、古今東西ありとあらゆる黒魔術を紹介していこう。人を呪わば穴二つ……ご使用の際はくれぐれもご注意を。当社および編集部は一切の責任を負いません」
それ程興味を惹かれなかったのだが、そのまま突っ返すのも申し訳なく目次に眼を通す。『黒魔術』と言われると、どうにも黒いローブに身を包み三角帽子を被った怪しげな老婆が得体の知れない不気味な色の液体を「フェッフェッフェ……」などと奇怪な笑い声をあげながら煮込んでいる図が思い浮かんでしまうのだが、そこには薫のイメージとは少々離れた世界が広がっていた。てっきりイモリの黒焼きとかハエの卵とか羊の脳味噌とか言ったグロテスクで血なまぐさい物品ばかりを使うのだろうと思っていたのだが、始めに彼女が開いたページではハーブの調合方法を指南している。
オレンジピールやらラベンダーやらを用いて香を調合している様は、ポプリか菓子でも作っているかのようにさえ見える。
「魔術の儀式にインセンス……お香として使うんだよ。儀式には、常々お香が付いてまわるものなんだ。他者を呪う儀式とか、悪魔を呼ぶ儀式とかもそうだけど、例えばお葬式とかでもね。ほら、お線香を焚くでしょう? お香を使うのは、まぁ術者の身や儀式場を清めたりするって宗教的な理由だったり、単に集中力を高めるとか気分を高揚させるって言う即物的な理由もあったり、色々だけどね。術者をトランス状態にもっていくために使う、って言う危なっかしいお香も一部の地域では使われてたみたいだよ。多分その本には書いてないだろうけどね。実際、ドラッグの類いのルーツを探っていくと、黒魔術にブチ当たるってのは結構良くある話らしい」
磯村は饒舌に語った。
研究らしい研究はしていないと言っていた割には、やけにスラスラ出て来るものである。単に好きなのだろう。薫は磯村から本に目を戻す。適当にぱらぱらと当て所無くページを捲っていくと、とある章に目が止まった。
「陰陽道……これも黒魔術に入る……のかな」
薫が開いているページでは、狩衣に身を包んだ細面の精悍な顔つきの青年が腕組みをして、蠱惑的な笑みを浮かべた絵が描かれている。
磯村は少々渋い顔をしていた。
「大きな視点で見れば、魔術の内に入るんじゃないかな? 元々は占いとか天文学とかに属しているものらしいけど、それを言ったら魔術も同じだしね。あとは、分かりやすい話だと『式神』と言って、陰陽師が使役していた守護神がいた、なんておとぎ話も良く聞くよね」
実はおとぎ話ではない上に、すぐ身近にその式神を使役している男が居たりするのだが、薫は何も反論しない。
「やっぱり陰陽師と言えば有名なのは安倍晴明かな。本で読んだ事はある?」
「はい、結構好きです」
「式神と己の知識、陰陽道の奥義を総動員して、怨霊や悪鬼から都を守る正義の味方のお話?」
「うん。そうそう」
「言わなくても分かるだろうけど、ありゃぁ大嘘だよ。確かに都を災厄から守っちゃいたらしいけど、手段は殆どが占い。占星術や易で物事の吉兆を占ったり、政の方針に口出ししたりするアドバイザーだったらしい。襲い来る災いを追っ払うんじゃなくて、起こりうる災いを回避するのが専らさ」
得意げに磯村はそう語っている。
陰陽師の術が妖怪を叩きのめしている様を間近で見てきた薫は、ただただ苦笑いを返すばかりだ。かつてユリアンが言うには、安倍晴明は本当に天才であり、数多の妖怪から京都を守護していたそうだが。
まさか娯楽小説の中に史実が隠されているとは誰も考えやしない訳で。
「ま、純国産のヒーローだからね。ブームになるのも分かるけどねぇ」
磯村は眼鏡を押し上げながら、得意げに続ける。
確かに磯村の言うように、フィクションの中の陰陽師と言うのは必要以上に英雄視されているように思える。雲海やユリアンや雪町雹裡白水の兄妹など、薫が見てきた陰陽師達はどこまで行っても等身大の人間だ。喜怒哀楽を持ち、悩みを抱えて、日々を淡々と必死に送る一人の人間でしかない。どことなく神秘的と言うか、時代錯誤的なまでに万能な安倍晴明とは全く別だ。もしかしたら実際の安倍晴明も、例えば雲海のように無力感に喘いだり、ユリアンの様に憎悪を押し殺していたり、雹裡の様に嫉妬に苛まれていたり、白水のように責任感で潰れそうになっていたりしたのだろうか。
それはそれで夢が崩されるので、薫は頭の中を切り替えて本に目を落とす。
割合本格思考な魔術本らしく、陰陽道の項目もほぼ全てが占術に関連している。さして面白くもない、とページを飛ばしながら捲っていると、大きな見開きに様々な怪物の図が描かれたページに至り、ふとそれに眼を留めた。いつか雲海と共に使用した八卦図に似た文様を囲むように、青い竜や火の鳥が描かれていた。
「式神十二天将だね」
磯村が素早く解説を始めようとするが、薫は耳を傾ける事なくその説明に眼を通し始める。星に起源をもつ象徴的な存在であり、それぞれが干支や五行、方角に当てはまるのだそうだ。フィクション中の安倍晴明が使役していたものも、どうやらこれらのうちのどれかであるらしい。
と、言うことは。
もしかして雲海も、これらのうちのどれかを使役して術を使っているのだろうか。彼の術は、どうやら式神無くては使う事が出来ないらしいし。そして現在、式神が主人に牙を剥くようになった為に安易に術を使う事が出来なくなっているそうであるし。もしかしたらその症状を解決するヒントがこの本の中に眠っていたりはしないだろうか。
「式神って反抗期とかあるのかな?」
出し抜けにそんな事を磯村に尋ねる薫。
磯村も薫の意図はサッパリ掴めず、二人の沈黙は五秒程続いた。磯村の気を遣ったような微妙な笑顔は、今後しばらく薫の脳裏からは消えてくれないだろう。
「あー、どうかな。わからない、かなぁ、流石に。人間じゃないし。……実在もしてないし」
「ふーん」
困惑する磯村を尻目に、薫はその章を食い入るように読み始めた。
*
やはり彼女は少なくとも変わっている、と磯村は酷く真剣に『The・黒魔術』を読み解こうとする薫の横顔を見て嘆息する。先程、超能力者かどうかと言う発破をかけてみたが、流石に自分でも無理矢理過ぎたと磯村は一人反省する。
もっと自然な流れで彼女の本性を探る事は出来ないだろうか。少し時期早々だが、と磯村は渋々新聞のスクラップを纏めたバインダーを自分のテーブルから取り出した。
そして、薫の意識を向けるように少し大きめの音を立てて、それを机に置き、これ見よがしに大袈裟に広げてみせた。
「どうしたんです?」
「あ、気にしないでいいよ。ただ……」
わざとらしくタメを作ってから肩を竦めて苦笑いをする磯村。薫の目は少し不審だが、彼は気づいていない。
「ちょっと気になってね」
「……はぁ」
薫はそれきり興味を失ったかの様に、本にまた目を戻す。早速磯村の思惑から外れた。思わせぶりっぽい振る舞いで彼女の意識をこちらに向けるつもりだったのだが。
長年の対人コミュニケーション不足のせいか、どうすれば彼女の興味を惹けるのかがイマイチ分からない。
自然な流れで彼女に探りを入れるのは、恐らくはもう不可能。磯村は渋々であったが、最終兵器の投入に踏み切った。
「なぁ、香田さん」
「はい?」
「君の名前って、香田薫だよな」
「はぁ、そうですが」
意味が分からぬ、と首を傾げる薫。磯村はバインダーを捲りながら、ゆっくりと慎重に言葉を選んでいく。
「生まれはこの辺り?」
「ちょっと遠いですけど、山田村です」
「……実は、さ。まぁ、こんな同好会を立ち上げる訳だし、俺は超常現象とか怪談とかは、結構好きなんだ」
「……そうでしょうね」
「このファイルには、U.F.O.とか心霊現象とかが絡んだ新聞記事をスクラップしているんだ。父親もこういうのが結構好きで、昔の新聞の記事とかもあるんだけどさ……それで、コレなんだけど」
磯村は手を止め、バインダーを立てて薫に一枚の新聞記事を見せつける。
地方紙とはいえ三面記事のトップを飾った大きな記事だ。日付は199X年。既にU.F.Oブームも下火になった時分である。単なるU.F.O.関連の記事ならば有り得ないが、そこに女児行方不明と言う事態が絡めば話は別だ。
『山田村女児失踪 上空に飛行物体』
薫は息を呑む。磯村は淡々と、薫の表情の機微も逃さぬとばかりに眼を凝らす。
「199X年十二月二十日。山田村にて自宅周辺で遊んでいた女児が行方不明になった。更にこの日、山田村には超巨大U.F.O.が目撃されている。アダムスキー型だと判断が出来る程に巨大だったそうだ」
磯村は更にページを捲り、もう一枚の記事を見せつける。
「それから約半年後。199X年五月七日。この行方不明だった女児が発見された。外傷もなく、服装にも変化は無く、髪の長ささえ変わらず、行方不明当時そのままだったそうだ。誘拐事件と断定されていたが、この女児は誘拐犯については何も述べる事はなかった。また、この日も、山田村上空に緑色の未確認発光物体が目撃されている。……そして、この女児の名前が」
「香田薫」
薫は既に本を閉じて、立ち上がっていた。バインダーを奪い取り、それを閉じながら一つ溜め息を零すと磯村に冷たい視線を送る。
「磯村さんが思っている通りですよ」
「……当時の事は、覚えている?」
「生憎と、全く。……って事は貴方は」
薫は踵を返し、部室の扉に手をかけた。磯村を振り返った彼女の表情は苛立ちと憐れみに満ちている。
「私がこの事件の被害者だって言う理由で、声をかけた訳ですね」
「え……っと……」
「声かけられた時から、変だなって思ってましたけど……なんか、残念な気持ちです」
「ま、待って!」
今すぐにでも立ち去ろうとする薫を、磯村は引き止めようとする。さっきのはごめん、不躾な事を言って悪かった、この通りだから許してくれと平謝りしてなだめすかそうとするのが、普通だ。だが今や、人付き合いさえ満足に出来ていない磯村にとっては、他人の心の機微よりももっと大事な事があるのだ。……悲しい事だが。
「せ、せめて最後に教えてくれ!」
「…………」
「俺は見たんだ! 君が肝試しの日に、緑に光りながら空に飛んでいくのを! 君は……君は一体何者なんだ!」
叫ぶ磯村。彼の興味は、『薫は宇宙人か否か』の一点のみである。薫がこの同好会に入ろうが入るまいが、それは彼にとって最早重要ではないのだ。
「君は行方不明になった当日、宇宙人に誘拐されて、何らかの改造手術を受けた!
それによって超能力に目覚め、そして君は侵略の尖兵として再び地球に舞い降りた! そうなのか!」
「それは一体誰の妄想です?」
薫は呆れた顔で溜め息混じりにそう言葉を吐く。磯村の、しかし真剣にぎらつく視線を受け止めて、薫は密かに背筋を冷たくした。どうやら『超能力を使った場面を見られていたのではないか』と言う薫の懸念はまさしく現実だったようで。
しかも彼の語る妄言は、あながち間違っていないのだ。
薫本人は本当に覚えていないのだが、行方不明事件を切っ掛けに超能力に目覚めた事は、妖怪の賢者白澤様曰く間違いないようなのだから。
しかしそこで彼にそんな事を話せば、彼はますます調子づき、薫の心情の察さずに遠慮なく追求してくるだろう。当初の予定通りで行こう。薫は声が震えぬように小さく咳払いをした後、磯村に振り返った。
「ねぇ、磯村さん。本当は言いたくなかったんですけど、アレは全部タネがあるんですよ。クーちゃん、ええっと空峰君のお知り合いに、そりゃ腕のいいマジシャンが居たようで」
「なっ……マジックだって言うのか! で、でも僕は確かに! この目で見たんだぞ! 君がフワッて、こう飛び立っていくのを」
「えぇ、でしょうね。実際飛びましたよ。勿論、タネがあります。マジックですよ、マジック」
「ば、馬鹿を言うな! 人を一人空中に浮遊させる程の大掛かりな装置は周囲のどこにも」
「無かったって、言いきれますか?」
薫はわざと満面の笑みを顔に貼付けながら、嫌味たらしく小首を傾げてみせた。
「真夜中の森の中ですよ、貴方は周辺に何があるのか、全部見えていたんですか?」
「……な、なら! あの提灯に緑の灯を灯したのは! アレはまさしく発火能力じゃないのか!?」
「提灯に仕込みがあったに決まっているじゃないですか。普通ならそう考えると思うんですけど」
「う……うぬぬぬ……」
「ご納得頂けましたかね。それじゃ、私はこれで失礼します」
尚も薫の意見に喰い下がろうと頭を捻る磯村を尻目に、薫は無情にも部室の扉から退出していった。
磯村は後悔をしている。彼女に嫌われた。それはまぁ良いとして、これではまた捕まえるのは至難だろう。距離を完全に測り違えた。少し功を焦り過ぎてしまったようだ。
これだからコミュ障は、と自嘲する磯村は改めてスクラップ記事に目をやる。山田村上空に飛来した飛行物体はいずれも緑色の燐光に包まれていたと言う。薫自身が放った光と、単なる偶然の一致とは思えない。絶対に何か裏がある筈だ。
「……香田薫は落とせない、か。……となると、空峰雲海……うぅむ、こっちは骨が折れそうな気がするなぁ」
坊主頭で妙な威圧感のある甚平姿の男の姿を思い出し、磯村は肩を落とす。重ねて言うが、彼は薫に嫌われた事に落胆しているのではない。薫の正体を探るチャンスが遠のいた事に意気消沈してたのだ。
彼は、結局はそう言う男なのだ。