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怪奇!知らない世界の人々  作者: ずび
第八話 肝試し
107/123

8−16 夏の終わり

 肝試しから三日後の、九月一日。杵柄高校は今日、新学期を迎えた。

 少し早めに登校した雲海は、まだ空席の目立つ教室の隅の自分の机に寝そべっている。久しぶりに制服に袖を通して久しぶりに通学路を歩き、そして久しぶりに机に座るが、感慨などというものは雲海には一切無かった。

 その表情は、まるでこの世があと三十分で終わると宣告されたかの様な絶望に彩られており、十秒に一度溜め息が漏れる始末。額にじわじわと浮かんでくる汗を拭くのも面倒臭い。九月に入ったからと言ってそれで急に秋めいてくる筈もなく、今日の気温は三十度を超えるそうだ。


「…………おはよー」


 力の篭っていない声が頭上から降り注ぐ。

 顔を上げると、そこには髪があちこちに跳ねて、目の下を真っ黒にした薫が立っていた。本人がそんな調子だからだろうか、身に着けた制服のブラウスもスカートもどこか草臥れているように雲海には見えた。


「うへへへ……宿題、おわらせたでござるよ……すげぇだろー……」


 口調が変な薫の囁くような声が、かろうじて雲海の耳に届く。

 腰の辺りでピースサインを作りながら力無く微笑んでいる彼女はちょっと不気味で、一歩間違えば妖怪である。雲海がそれを指摘しても、薫はそれを無視して雲海の隣の席に座り込み、倒れ込むように机に突っ伏した。

 肝試しがあったのは八月二十九日。肝試しの日程が全て終了し、参加者が無事に家路に着いたのを見送った後、薫は超能力を使い過ぎた極度の疲労でその場で眠り込んでしまった。

 起きたのは丸一日経過した後の、八月三十一日の朝。

 夏休みに山と積まれた課題を一つも終えていなかった彼女は、丸一日休憩無しでこれらを『ついさっき』片付け終えたのだった。当然粗はあるし、解答も間違いだらけであるが、提出出来る体を整える所まで作ったのだから、中々見上げた根性である。

 首だけを横に向けた雲海は、既に穏やかに寝息を立て始めた薫を眺めてから、再びミイラ男のように包帯が隙間無く巻かれている右手に眼を移し、一際大きく嘆息した。


「そりゃ、羨ましいな……」


 同じく雲海も夏休みの宿題には手を付けていなかったのだが、彼の場合は薫とは少々事情が違ってくる。

 出血多量で意識が朦朧としていた雲海は、肝試しの後すぐさま病院に担ぎ込まれた。医師の話によれば、後一歩間違えていたら命の危険もありえたのだそうで、心配をかけた岩武と夜恵には散々に叱られた。 

 特に岩武は雲海がかつてない程に激怒しており、雲海は病院のベッドの上で何度頭を叩かれたのか覚えていない。夜恵も夜恵で、こちらは静かに怒りを露にし、まるで呪詛でも唱えるかの様に延々と耳元で罵声を浴びせられた事を、こちらは鮮明に覚えている。

 幸いにも出血量の割には怪我そのものは浅かった為、輸血して二日間様子を見た後、すぐに退院出来た。

 ……しかしこの場合、これは果たして幸運だったのかと雲海は迷ってしまう。

 退院したのは昨日……八月三十一日の夕方の事だった。残念な事に、これでは登校日初日、学校に行けてしまうのだ。……手付かずの宿題を抱えて。右手の怪我は言い訳になるだろうか。怪我をしたのは夏休みの終盤も終盤。それまでにどうしてちょっとでもやっておかなかったんだ、と言う正論に対して、雲海は良い返しが思い浮かばないでいる。


「休みたかった……!」


 切実にそう思うが、例えあと数日休んだとしても、利き手である右手が上手く動かせないのだから、雲海は宿題には文字通り手をつけないだろう。自覚出来ている分、自己嫌悪で更に落ち込む羽目になる。


「うぃっすー!」


 教室の扉が勢いよく開いて、ショートカットの女の子が飛び込んでくる。元気のゲの字も窺えぬ雲海と薫を見て、むしろ楽しそうに声をかけてきたのは、登校したての相川真見であった。


「……うぃっすー、真見ちゃん」

「おぉう、仏さんが二つ転がってるよ。なむなむ、化けて出んなよー」


 机に伏せる二人に、相川はいやらしく笑いながら両手を擦り合わせている。

 彼女は、夏休み明け初日の学生とは到底思えない程にテンションが高かった。雲海が理由を尋ねると、学校が始まると忙しい時間帯の店の手伝いをしなくて済むから、なのだそうだ。家の事情は人それぞれである。


「つーかアンタらは元気なさ過ぎ。死因は?」

「宿題やってない死」

「……そっちの彼女は?」

「宿題やった寝」

「あ、カオリン寝てんの?」

「HRまでは寝かせてやろう。さっきまで本当に死にそうな顔をしてた」

「今死にそうな顔してるのはアンタだけど。相変わらず成長しておらんのぉー、なまぐさ坊主ぅ」


 相川は茶化しながらも口を尖らせる。全くもって返す言葉がないのだが、雲海は右手を見せながら反論を試みた。


「見てくれよコレ。酷い怪我だ。碌にペンも握れない」

「肝試しの時にドジって怪我したんだって? 入院する程かなり深く切ったんだってね。ホント、大間抜けも良いとこよ」


 右手の怪我の真相を知っているのは肝試し関係者と小森だけである。信じられもしない真実を語って妙な扱いを受けるよりは、相川の説教を聞いていた方がマシであった。


「そう言う不意の事故もあるんだから早めに片せって、中学の時からそう言ってるのにねぇ。アタシゃ悲しいよ」


 相川は幼い子に言い聞かせるように、妙に優しくそう諭す。本気で心配されているようで、雲海は少し傷ついた。


「ま、今更どうこう言ってもしょうがないね。諦めて怒られたら?」

「そうさせてもらう」

「ん、良い返事。じゃ、元気出しねぃ、少年よ」


 相川は苦笑し、それきり足早に女子集団の会話の輪に飛び込んでいった。

 楽しそうに談笑する彼女を遠巻きに見つめて、雲海は思う。彼女にとっては、肝試しはきっと楽しい思い出でしかないのだろう。思い切り叫べて楽しかった、とか、そんな風に違いない。

 知らない事は幸せな事。もしも肝試し参加者のうちの何人かでも彼女と同じように思っているのであれば、肝試しと言う催し自体は成功していると言える。

 しかし。

 ……全員は無理だろうと、雲海はつい今しがた教室に入って来た小森を眺めて、そう思った。彼女は最早知る側の人間なのだ。彼女は、陰陽師達さえも見た事もない様な不気味な妖怪に付き纏われていたのだ。追い払ったとは言えども、変なトラウマに悩まされていたりしないか……それが雲海には気がかりだった。

 眺めていたのに気がついたのか、小森が歩み寄ってくる。いつもの勝ち気な表情はなりを潜めて、眉を下げてしおらしく、その目は雲海の右手を見つめている。


「おはよう。右手、痛くない?」

「…………大丈夫」

「ホントに?」

「痛くない……よ、本当に」


 小森が雲海の顔を覗き込んでくるが、雲海は彼女に目を合わせられなかった。

 気がかりなことが、雲海にはもう一つある。

 怪物を追い払った後、雲海は朦朧とした状態ではあったが、小森にキスされて、好きだと言われたような気がするのだ。と言うか、九割方言われた。九割九分九厘、そう言われているのだが。当時は夢と現の間を彷徨うかの如く意識が不明瞭だったせいで、これはもしかして自分の妄想なんじゃないのかと、雲海は意味不明な懸念をしているのだ。

 これまで女性に告白などされた事のない雲海は、その現実を受け止め切れていなかった。


「……お見舞い、行けなくてごめんね」

「いやいや、見舞いなんて大袈裟な。全然大した事無かったんだし、うん。誰も来てないよ」


 雲海は声を上ずらせながら、無理矢理笑ってみせる。

 誰も来てないと言うのは嘘だった。実際は家族は勿論、薫もほんの一瞬だけだが、顔を出しにきた。しかしそれを言うと小森は不機嫌そうな顔をする気がしたので、敢えて言わなかっただけである。若干不審な態度であるが、小森は疑問を口にする事はなかった。


「あの妖怪の事、色々聞かれてたの。……雲海の父さんとか、木鉤って子とかに」


 木鉤って『子』と言う表現の仕方には非常に違和感を覚えた雲海だったが、それを指摘すると何処からともなく現れた黒い髪に縛り上げられそうな気がするので、口を噤んでおく。小森を無駄に怖がらせる必要などない。

 小森の話によれば、事情聴取の場には岩武と木鉤の他、もう二人、見た事のない金髪の外国人と、優男風の背の高い青年が居たそうだ。彼らは非常に熱心に、そして真剣に小森から事情聴取をしたらしく、かなり長時間付き合わされたのだとか。その場に居た他の二人も、恐らくは陰陽師である。片方はユリアン。もう片方は雪町家の兄貴の方だろうと雲海は見当をつけた。

 近隣地域にいる陰陽師を、わざわざ招集させたと言うのだろうか。たった一匹の妖怪の為に。だとしたらあの妖怪は、雲海が思っているよりも、更に危険な存在なのかも知れない。

 雲海の表情が段々と曇っていくのを見て、小森は首を傾げた。


「やっぱ、手、痛い?」

「違う違う。本当に気にしないでくれ。それより、君も大丈夫か? トラウマとかになってたら遠慮なく言ってくれよ」

「……うん。ありがとう」


 今日挨拶を交わして以来、ずっと曇りっぱなしだった小森の顔がようやく綻んだ。

 雲海は、それを惚けた表情で眺めている。彼女はいつも快活に、感情豊かな様々な表情をする。笑う時は全力で笑うし、怒る時は本気で怒る。そんな彼女の笑顔は、雲海は何度も見てきた筈なのに。この時の、いつもとは違う控えめな微笑みは、雲海の心を大きく揺さぶった。

 そんな雲海の呆気にとられた表情を不審に思った小森が少し眉をひそめると、雲海もまた我に返る。


「なんか、様子変じゃない?」

「……君のせいで、な」

「ふーん……なるほどね」


 小森は雲海の動揺の原因をおおよそ把握して、これはしてやったりと内心ではガッツポーズをしていた。

 無謀だ何だと言われていても、賭けに出てみなければ結果は分からない。普段のように様々な所作に思考を巡らせる余裕は、肝試し当時は本当になかった。突発的に気持ちを抑え切れずに告白してしまっただけ……全て、何も計算せずに素直な気持ちに身を任せた結果である。告白されて、雲海はかなり動揺している。今ならば自信を持って言える。薫に勝てる、と。

 小悪魔的に微笑みながら、小森はそっと雲海の耳に口を寄せた。


「返事は早めに御願いね」


 雲海の体が小さく跳ねた。それを見届けて、小森は小さく手を振りながら、女子集団の談笑の輪に帰っていく。雲海は大きく深呼吸をして少し赤くなった頬を隠すように、再び机に顔を伏せた。

 やはり、告白はされていたのだ。キスもされていたのだ。

 そう思うと、どうしようもなく顔が熱を持つ。心臓がはしゃぎはじめる。雲海は困っていた。

 返事は早めに。

 付き合って下さいと言われているのだ。どうすればいいんだ。彼女とは確かに、そこそこ仲良くはしているが。自分はまだ未熟者だし、女性と付き合える甲斐性もないし、それに。

 ふと、薫の笑顔が脳裏を掠めていく。

 小森の事は嫌いじゃない。元々好かれていたのは察していたし、今度は明確に想いを伝えられて、雲海は実際の所、舞い上がっている。だが雲海には、既に大切に思っている女性がいる。

 彼女は恋人ではない。彼女と付き合って何をして、と言う願望も……全くないとは言わないが、身を焦がす程の恋と言うことも出来ない。でも、彼女の側を離れてしまいたくない。自分を顧みずに平気で無茶苦茶な事をする彼女は、誰かが側で支えて上げなければきっといつか、取り返しがつかない事になる。

 それはもはや確信に近い予感だ。

 実際何の因果か、彼女の側には常に危険が付きまとっている。そして無鉄砲にも彼女は立ち向かっていく。だから誰かしらがついててやらなきゃならない。雲海はもはやそれに疑いの余地を持っていない。雲海はたまたま口裂け女に襲われていた彼女を助けようとして、そして彼女と、彼女の力を知った。口裂け女の二度目の襲来時にも、自分の渡した式神憑きのお守りを通じて、彼女の窮地を救う事ができた。

 襲い来るその脅威は既に去っているが、しかしそれでもまだ彼女を……薫を守りたいと言う最初の想いは、今でも変わっていない。

 そのせいで今回、自分も中々の無茶をやってしまったが、雲海は後悔していない。降って湧いたような小さな『想い』は最早雲海の『信念』へと昇華し、彼の自我を作る一端となり始めている。雲海にとって薫は、もはや居なくてはならない存在になりつつあるのだ。

 そんな、他の女性への気持ちを持ったまま小森と付き合うのは……非常に不誠実だと、雲海は考えている。

 宿題の事以上に、こちらの方が遥かに悩ましい。


「……はーぁ」


 雲海がとうとう頭を抱えたのを……薫は、寝た振りをして遠隔透視で回りくどく、眺めていた。

 小森とのやりとりをしている最中から既に目覚めていたのだが、どうやら小森が大事な話をしている様子だったので、狸寝入りを決め込んでいたのだ。雲海は先程小森に何かを囁かれてから、本気で苦悩しているらしい。精神感応を使わなくても分かる程だ。

 薫は既に、肝試しの夜に雲海と小森の間に何があったのかを知っている。遠隔透視で見ていなければ、二人の居場所にたどり着ける筈がない。

 彼女の想いをちゃんと受け入れる心の準備が、雲海に出来ていないのは彼の様子を見れば明らかである。……どうやら薫は、自分の事も含めて悩んでいる、と言う発想には至らなかったようだ。


「……何悩んでんだよ、『相棒』」


 想いのすれ違いには誰も気がつかず。薫は雲海に聞こえないように、小さくぼやいた。



  *



 据膳寺の本堂に安置されている巨大な石仏像が、その場で膝を突き合わせている三人の男と一人の少女、そして……一匹の河童を見下ろしている。

 蝉の鳴き声は肝試しを行なった日以来パッタリと途絶えたため、本堂の中は時折吹き込む隙間風の音が妙に大きく響いて聞こえていた。五人もとい四人と一匹、まるで呼吸さえも忘れたのかと思う程に静かに、彼らの輪の中心に置かれた巨大な水瓶を覗き込んでいる。瓶に張られた水は、覗き込む五人の顔ではなく、全く別の……肝試しの夜に現れた怪物を映し出していた。


「……水鏡と言うのは聞いた事がありましたが」


 覗き込んでいたうちの一人……二十歳過ぎくらいの細身の青年、雪町雹裡が苦々しい表情で呟いた。


「これは凄く良い物ですねぇ。譲ってはくれませんか、利休さん」

「お断りだ、馬鹿野郎。欲しけりゃキュウリ一年分と綺麗なネーチャン百年分もってこいや」


 水鏡の持ち主である河童の利休が、キュウリで傍らの味噌を掬い、それを齧りながら言葉を返す。

 瓶一杯に張った霊峰の水に河童の秘薬を垂らしたその液体は、過去現在未来あらゆる場面を見通す事が出来るのだと言う。霊峰の水は通販で購入した富士山の天然水を用いるだけでも良いと言う、案外簡単な仕組みであるが、効果は絶大だった。水鏡に映し出されている黒い蜘蛛のような怪物が、手当り次第に周囲の妖怪に襲いかかっている様が見て取れる。人魂、唐傘、一つ目、ろくろ首に鬼……肝試しの晩に夜恵が森の中に解き放った妖怪達は、必死に怪物から逃げ惑っている。だが、怪物から伸びてきた黒い腕が妖怪達を呆気なく絡めとり、そして大きく開いた巨大な口の中に放り込んでいく。

 妖怪が妖怪を喰っているのだ。

 その光景に顔をしかめながらも、壮年の男……岩武は納得いったように一つ頷いた。


「なるほどのぅ。あの時の森の中で、妖怪の気配が段々薄まっていくのはどう言う訳かと思うたら……こやつに全て喰われてしまった訳か」

「生き残ったのはここに居る河童と、それから元々の山の主であるカマイタチくらいなものだそうな」

「最近ここに居着いた口裂け女もまだ生きてるぜ。今は……家の方に居るのかねぇ?」

「ひとのヨウカイをとったらどろぼう……」


 ふて腐れる幼い少女……夜恵は悔しそうに強く歯噛みしながら唸りを上げた。

 体内に飼っていた百種を超える妖怪達のほぼ全てが、この怪物に喰われてしまったのだ。結局回収出来たのは、見上げんばかりの巨大な妖怪大入道たったの一匹。非常に大きな損失である。

 映像の中の怪物は周囲の妖怪を粗方喰い尽くし、新たな獲物を求めて、長く細い足を器用に動かしながら森の中を闊歩し続けている。道中に発見した妖怪達には一切の躊躇無く襲いかかりあっという間に捕食するその怪物の食欲には際限がないようであった。怒りに燃えていた夜恵の顔も、怪物の容赦のなさを目の当たりにして、段々と眉が下がり始め、目からは大粒の涙が一つ零れ落ちた。


「あぁ……私の一反木綿殿が……猫娘様が……のっぺらぼうちゃんがぁぁぁ……」


 とうとう耐え切れなくなったのか、夜恵は瓶から顔を上げて、本堂の片隅まで退いてから泣きながらうずくまってしまった。その様は、可愛がっていたペットに死なれた少女のようでも、苦労して集めたトレーディングカードやら食玩やらを親に捨てられた少年のようでもある。

 加えて、夜恵の陰陽師としての能力は、これら体内の妖怪から力を引き出す事で強く発揮される。しばらくは仕事にも苦労することになるであろう、と岩武は密かに同情の念を彼女に送った。


「どうどう、ヤケーちゃん。落ち着きなはれや。be cool……be coolですぞー」


 言葉遣いの怪しい金髪碧眼の青年……土玉百合安が困った顔で夜恵の背を撫でる。

 年齢的にはほぼ同い年の筈なのだが、今の夜恵は妖怪座敷童に乗り移っているため、幼子にしか見えない。傍目から見ると、まるで親子のようだ。雹裡がそう言ってからかうと、夜恵は更に大きな声で泣き始める。

 ユリアンの避難の目を避けるようにして、雹裡はますます瓶を深く覗き込んだ。


「精神まで幼児退行しちまってるんですかねぇ、木鉤さんは」

「そう思うならば放っておけ。無闇に傷を弄くり回すのは良い趣味とは言えんぞ、雪町の」


 岩武の言葉に雹裡は肩を大仰に竦めて、わざとらしい溜め息を吐きながら「はいはい」とおざなりに返事をする。元々領域を区分して仕事をしているせいもあるが、それにしたって纏まりのない陰陽師集団である。

 年長者の岩武を除いた三人ともが、まだ年若くして代表格となったのも問題なのだろう。


「これから、この化生を如何とするかを決めねばならんというのに……」

「どうするか……っつっても、もう決まってると思うけどな。捕まえて、ぶちのめす。それ以外にはねえだろうよ」


 ちょうどコイツがやってるみたいにな、と利休は瓶の中を指差した。

 水瓶の中に映し出された怪物は、既に雲海と対峙していた。雲海は血塗れになりながらも強引に術を公使して、一時的に怪物を押さえ込む事に成功している。その映像を見て、岩武は元々寄っている眉間の皺を更に寄せた。利休はすぐそばで剣呑な雰囲気を放つ岩武から、半歩分だけ離れた。


「見ろよ岩武。これが血を吸う式神……禁じられた術だ。妖怪の領域に片足突っ込み始めてやがるぞ、テメェの倅」

「……分かっとる」

「お前にとっちゃ、このデロデロの怪物よりもこっちの方が深刻かもな」


 おどけた声で茶化す利休だったが、その目は笑っていない。岩武もそれを察していたのか、利休に対しては小言の一つも漏らさずに、水瓶の映像に視線を注いだ。

 丁度、雲海が怪物を仕留め損なった場面である。岩武が見た事のない少女が、泣きながら雲海に抱きついている。そして、二人の顔が段々と近付いていき……


「……」


 息子の『そんな場面』なんて見たくなかった岩武は、頭を抱えて溜め息を吐いた。利休も雹裡も、今にも岩武を茶化さんばかりに口角を上げたので、険しい視線で無言の一喝をくれてやる。そんな下らないやり取りをしているうちに、逃げ去っていった妖怪は闇に飲まれて姿を消してしまった。瓶に自分の顔が映り始めたのを確認した岩武は、二本目のキュウリに手を伸ばした利休を振り返る。


「利休よ、奴が今何処にいるか分かるか?」

「残念だが、見えねえんだ……地の底にいようが空の彼方にいようが水鏡なら映し出す……筈なんだがな」

「……ならば、奴がどこから現れたのか。それだけでも見れぬか?」

「それも試したさ。やっぱり見えなかったぜ。森の中に突然現れた。それ以上でも以下でもねえ」


 苦々しい表情で利休はそう零した。既に試した後だったようである。利休もこの怪物には悪感情しかないらしい。なにせ妖怪を喰う妖怪なのだ。好きになれる訳がない。なにはともあれ、水鏡で得られる情報はこれ以上はない。そう判断した利休は瓶を持ち上げて、中の水を一気に全て飲み干した。

 話題は、この妖怪に直接襲われた普通の人間の少女……小森美紀へと移り変わる。


「雲海君とイチャついてた娘さん、もとい、この怪物に付き纏われていた娘さんの証言によれば……」

「『気づかないうちに足元に居て、その後ずっと付き纏われた』と言っとったが……とうとう最後まで襲われはしなかったようじゃの」

「人間は襲わねぇ。妖怪は襲う、か。……ハッ! 妖怪の風上にも置けねえ奴だな、オイ!」

「But、ウンカーイは襲われとったぞ。ヤケーちゃんも襲われて、一度は命を落としてまーす。……陰陽師も襲う対象なんかね?」


 小森は付き纏われこそしたが、発見当時一切の怪我を負っていなかった。しかし夜恵は怪物に殺害されており、雲海も明確に襲いかかられている。

 この点は、岩武達にとっては非常に不可思議であった。

 妖怪とは、自身の存在を人間に認識させ、畏怖の対象となる事で己の存在を確立させている。それ故、妖怪の存在を知っておりかつその対処法を習得している、妖怪達を恐れていない陰陽師は、彼らにとっては非常に都合の悪い存在だ。だから妖怪達は進んで陰陽師を襲う事等、よほど強い理由がない限り、まずしない筈。ところがこの怪物は、敢えて陰陽師を襲っているのだ。一般の人間には見向きもせずに。

 その理由は一体なんなのか。


「……私と同じ理由かもしれない」


 会話の輪に加わっていなかった木鉤夜恵が、やっと泣き止んだのか、真っ赤な眼を擦りながらそう呟く。鼻を啜りながら涙を拭く彼女は、とても二十歳過ぎの成人女性には見えない。肉体的にも、仕草的にも。

 雹裡は彼女の方を振り返り、問う。


「同じ理由と言うのは?」

「私は、妖怪を体内に取り込む事で、私自身の力を強化する術を身につけている。この怪物も、同じような性質をもっているのかも」

「Power Up Itemだけ選別してるってぇ事かな……まぁ、それなら辻褄は合うわねぇ。ヤケーちゃんは人間と言うか半妖じゃし、ウンカーイも……おっと」


 ユリアンは言いかけるが、岩武に強く睨まれたので慌てて口を噤んだ。気まずい雰囲気を即座に感じ取った雹裡が、小さく咳払いをする。


「……この怪物の捕食対象を鑑みるに、気をつけるのは一般市民よりもむしろ妖怪のようですね」

「厄介者って事には変わりない……」

「テメエらは良いよなぁ、人事みてぇに言えてよ」


 利休は体を床に投げ出して寝そべりながらぶつくさと呟いている。時折尻を掻く間抜けな姿は、本当に深刻に思っているのかどうか疑わしくさえ思えてしまう。


「妖怪の死滅は八百万の神々の死滅、これすなわち自然の死滅。いずれにしろ、コレを野放しには出来ん」


 捕食対象が妖怪だと分かって、心の奥底でどこかしら安心感を抱いていて少し気の抜けた雹裡とユリアンとは違い、岩武はむしろ余計に気を引き締めている。


「早々に発見せねばなるまいが……しかし所在が掴めぬのでは、如何ともし難いな」

「見た事もない妖怪ですしねぇ。案外、つい先日誕生したばかりの新生妖怪だったりして」

「それも有り得ますの。と言うか……Agree with you、ヒョーリ」


 ユリアンはいつになく真剣な表情をしていた。どこか生き生きとしているように思えるのは、自分の得意分野の話だからなのだろう。


「我ら土玉家の妖怪Sensorの性能を舐めてもらっちゃぁ困りますゼ、皆の衆」

「センサーって、市境に配置してある結界の事か?」


 雹裡の問いに、ユリアンは深々と頷く。妖怪達が大規模に距離を移動している場合それを陰陽師が把握するために、谷潟県の市境には土玉家が張り巡らせた簡易的な結界が張られている。障子紙のように呆気なく破れる結界ではあるが、破れてしまえばそれは妖怪の移動があったと言う事になるのだ。


「肝試しがあったのは八月二十九日。そこから一週間以上遡ってみても、新たな妖怪がこの辺りに侵入した形跡はNothing……」

「それより前は?」

「流石に手が回らんのやな……調べるのも大変なんすわ。今、我が父ゲンマーイがLogを辿っとるが……正直、意味があるかどうか。他の妖怪を喰っちまう程の力強い妖怪がSensorに反応すりゃ、その時に対処する筈でんがな。だから……つい最近ここで生まれたか、もしくは遥か昔からこの地で眠っていた妖怪が、何らかの外的要因で復活した、か」


 ユリアンは岩武を険しい瞳で見つめながら言葉を続けた。


「そして……この妖山市から出ていった様子も、未だに無いですぞ」

「まだ身近な所におる可能性もある、と」

「むしろ、それが高いと思われます故。イワタケ、寺の結界をもう少し補強した方がええで」


 怪物についての話を整理すると以下のようになる。何処から現れたのかは不明。森の中に突然現れたと、利休は言う。そして、人間は襲わずに妖怪を喰らう存在である。現在の所在は不明であるが、妖山市を出ていった様子は確認されていない。

 大した新事実は、この会合では発見出来なかった。


「一先ず、今後は結界の揺らぎや崩壊には特に気を配る事。それから……周辺区域に住まう妖怪達の所在を確認しておく事。こちらも能動的に探してはみるが……利休の水鏡でこの体たらくでは、恐らく希望は薄いだろう」

「後手に回らざるを得ない、と」

「……むぅぅ……歯痒い」


 とうとう最後まで泣き喚いたりふて腐れたりと子供のように振る舞った夜恵が、立ち上がって首を鳴らした。次いでユリアンと雹裡もそれを追うように立ち上がり、続々と帰り支度を開始する。


「皆、忙しい所をすまんかったの。大したもてなしも出来ず、申し訳ない」

「Huh、No big dealダヨー。困ったときはお互い様やん?」


 朗らかに笑うユリアンはどうも心の底から言っているようだが、雹裡などは完全に作った愛想笑いであるし、夜恵に至っては振り返りすらしない。皆それぞれ、自分の仕事を抱えているのだ。無駄な話し合いに費やす時間はない。

 岩武は丁寧に頭を下げて、利休とともに去っていった最後の雹裡の背中が見えなくなるまで見送った。


「……岩武。頭を冷やしに一局どうだい」


 利休は肩の力が抜けたとばかりに足を伸ばして、指の先で王将を回しながら呟いた。

 岩武は無言で立ち上がる。険しい表情はまさしく岩の如く凝り固まっており、これはしばらく崩せないなと利休は溜め息を吐いた。本堂を出て角を曲がって、その姿が見えなくなっても、利休は岩武が古びた寺板がリズム良く鳴らして歩く音に耳を傾ける。

 不機嫌な足音だった。怒った子供が足を踏み鳴らすようにさえ、利休には聞こえていた。息子の事、未知の妖怪の事、苛立つのは無理はないかもしれないが、それを妖怪に悟られてしまうのは実に良くない。

 空峰岩武。彼もまだまだ、未熟である。利休は退屈そうに一つ欠伸をした後、駒を自分の背中の甲羅に放り込み、その場に寝転んだ。


「青いなぁ……どいつもこいつも。こんなんじゃ不安になるだろうが」


 利休は鼻で笑いながら、天井をぼんやりと眺めている。その目は、黒い淀みと嘲りに満ちた喜色が滲んでいた。


「……ったく、どうしてこうなっちまったんだか」


 口元の笑みに浮かんだ意図は果たして……。

 第八話は肝試し、と題しました。どうしてこうなった。しつこいですねはい。

 はてさて「肝試しなんてやった事はない」と仰る方はまず居ないでしょう。

 それくらい現代世界ではポピュラーな夏の納涼イベントとして知られています。

 その形態も様々であり、劇中のように様々な仕込みが存在するお化け屋敷のようなタイプの他、天然の(?)心霊スポット……墓地や廃屋やらでひたすら肝の冷える雰囲気を味わうタイプ等、肝を試す方法は様々です。

 しかしどのような場合であっても、開催場所にはくれぐれもご注意を。

 廃墟への不法侵入は勿論犯罪ですし、散乱した廃材での怪我の他、床が抜けたり壁が倒壊する危険があります。

 不安定な山道などでも、転倒や転落の恐れ等によって命に関わる事故が発生する可能性も。肝試しの最中に行方不明になった、事故に遭ったと言う事例は決して少なくないのです。もしかしたら本当に霊に憑かれることもあるやも……?

 出来る限り、身の安全を確保出来る場所で行なうようにしたいものですね。

 他ならぬ貴方によって、その場所を”本物の霊が出る心霊スポット”にしないためにも……。


 ※次話の完成には少々時間がかかりそうですので、またしばらく更新が停止します。ご了承を。

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