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怪奇!知らない世界の人々  作者: ずび
第八話 肝試し
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8−14 地獄からの尖兵

 森の中は恐ろしく静かであった。風の音も、虫の声も、木枝のざわめきも、何も聞こえない。耳が痛くなりそうな不気味な静寂に、ただ雲海の焦燥に駆られた足音と荒い呼吸だけが小さく響くだけだ。

 森の様子がおかしい。

 平常でないのは当然と言えば当然。この森はそもそもカマイタチの縄張り。風のない日は、少なくともこの森の中ではない筈だった。それに、まだまだこの辺りには妖怪がいてもおかしくはない筈なのに。

 生き物の影も形も、妖怪の影も形も見当たらない。この世に一人だけ取り残されているような孤独感を味わう。

 この静寂は非常だ。

 それとも、夜恵が全ての妖怪を回収したとでも言うのだろうか。だが、最後の連絡が来てから、まだ十分と経っていない。小森には電話をかけ続けている。圏外ではない。なのに、出てくれない。


「クソっ!」


 苛立ちのあまり携帯電話を投げ捨てそうになるのを、必死で堪えた。より一層焦らされる。最悪の事態しか思い浮かばない。

 妖怪が居ない。小森も居ない。神隠しか。人食い妖怪か。どちらもか。

 雲海は、妖怪に殺された人間を知らない。だが、岩武は知っていた。そして、雲海にも語った事はある。心を喰い尽くされて抜け殻と化した人。体を喰い尽くされて、骨も残らなかった人。そんな人間は五万と存在する。

 逃げ惑う小森が、抵抗虚しく牙を剥く妖怪に噛み付かれる。そんな懸念とも妄想とも付かぬ図が、どうしても拭えない。


「頼む……頼むから、電話に……!」

『もしもしっ!』


 声がした。

 だが、小森の声とは違う。薫だ。耳元の携帯電話は、未だに呼び出し音をならし続けている。表示も『発信中』のままだ。

 耳から携帯電話をゆっくりと離してみる。薫の声は、未だ途切れていなかった。


『もしもしっ! クーちゃん、聞こえてる!?』

「これは……聞こえているっちゃぁ聞こえているが……」

『あー……良かった、繋がったかぁ……』


 頭の中に直接声が響き渡るかのような独特の感覚は、雲海は既に体験済みだった。


「……精神感応か?」

『そうだよ。クーちゃんの電話ずっと通話中なんだもん! まどろっこしいからこっちにしたの! 遠隔透視と併用してるからかな、頭が真っ二つに割れそうなくらい超痛いけど、全然平気!』

「いやそれ全っ然平気じゃないから! 家の電話かけ直すからそっちに出ろ!」


 薫は、側に居る人の気も知らずに、いやもしかしたら知っている上で、平気で無茶をやる人間だった。雲海は薫が心配である。少しは自分を大切にしないと、いつかとんでもない事が起こりかねない。この超能力だってそうだ。絶対安全な力とは言い切れない。

 大き過ぎる力は、相応のリスクが伴う。半妖と化した夜恵しかり、血で術を使った雲海しかり。頭が痛くなると言う事は、脳に普通ではないストレスがかかっているのだろう。この事件が収束したら、しばらく超能力は自粛させた方が良いのではないか。

 雲海はそんな事を考えながら電話をかけ直すと、薫は二秒で出た。


『……少し楽になったかも』

「いい加減、無茶は止めてくれよ。ぶっ倒れられたらかなわんぜ」

『ごめんごめん。それで……天心くんから聞いたんだけど、美紀ちゃんを探してるんでしょ? 大丈夫、さっき無事を確認した!』

「ホント便利な能力だよなそれ……」


 冷静になってみると、始めから薫が戻ってくるのを待てば何の問題もなかったのではないか。いくらなんでも少々慌て過ぎだ。また父に怒られる理由が出来てしまった。


「で、小森さんはどの辺りに?」

『コースからちょっと外れてるみたい。でも、そこからそんなに遠くない。えっと……こっちが西だから……北、じゃないや、やっぱ東……うん? あ、ごめんごめん、その逆』


 何故か薫が混乱している。雲海も忘れかけていたのだが、薫は元々は極度の方向音痴だったのだ。遠隔透視の利用によって迷わず目的地に至る事は出来るようになったものの、根本的な部分では治っていないらしい。


『あ、違う。えっとね、右側右側。あ、クーちゃんから見てじゃなくて、私から見てだから……ええっと』

「あー……もういいよ」


 薫のチンプンカンプンなナビゲーションを当てにしていたら、きっと朝まで雲海は碌に動けないだろう。それに加えて。


「今、見つけた。電話切るぞ」

『はいはいりょーかいー。パッと見、周りにも怪しい奴は居ないと思うけど、早めに戻って来てねー』

「ん、じゃぁまた」


 雲海は嘆息しながら携帯電話を甚平のポケットに突っ込んだ。先程、遠くの木の影の隙間で揺れ動く、緑色の光が一瞬だけ見えたのだ。ぼやけたような、しかし十分な光量をもつその光には、文字通り右往左往と迷走中である。一見すると人魂にも見えなくないが、しかし幸いにも雲海には見覚えのある光だった。薫が発火能力で灯した提灯の火だ。


「おーい、小森さん!」


 揺れていた提灯が雲海の大声に急停止する。反応した。雲海は安堵の溜め息を吐きながら、光に向かって薮を掻き分けていく。その先では、今にも泣きそうな顔をした小森が雲海を見つめていた。見た所怪我もないようだが、顔色が酷く悪い。

 体調不良ならば一大事だ、と雲海は駆け出した。


「ちょっと待ってろ! 今そっちに行く!」

「……助けて」

「ん?」


 生暖かい空気に差し込まれた小森の呟きは、温度をもっていなかった。小森が手にした提灯は、彼女の手の震えによって上下左右に大きく振れている。小森の蒼白の頬が、一筋落ちた涙に濡れた。それを目で追って、やがて小森の足元に目を落とすと、そこから。

 ヘドロのようにぎらつく黒い液状の何かが、地面からゆっくりと滲み出るように沸き出してきた。それはやがて天に伸び始め、甲虫の節足のような、節くれ立った奇妙な形の腕へと姿を変える。一本や二本ではない。やがて数えるのも諦める。それは、何故か夜恵の蠢く髪の毛を彷彿とさせた。


「助けてええぇぇ!」


 小森の絶叫が雲海の肌を逆撫でにする。

 ドス黒い無数の腕が弾かれるように地面から吹き出し、一目散に雲海に飛びかかった。広げられた六本指の墨の様に黒い、無数の手が、雲海を掴み掛からんと襲いかかってくる。咄嗟に身を翻して腕の突進を避ける。

 瞬く間に第二の腕の軍勢が飛びかかってきた。雲海は一足大きく飛び退いて距離を取らざるを得なかった。それでも執念深く食らいついてくる、一本の黒い腕。


「ちぃっ!」


 雲海が咄嗟に蹴り飛ばすと、腐った果物が潰れるような音を立てながら腕は容易く千切れ飛んだ。


「なんだよこれ!」

「分かんないよ! 分かんないけど……さっきからずっと足元でウロウロしてて……!」


 小森の足元の周囲に蠢く黒いヘドロは、決して小森には襲いかかろうとはしない。腕の先は、全て雲海に向けられている。そして弾かれるように、一直線に雲海に向かってくる。まるで飢えた猛獣の様に、脇目も振らず。分かりやすい軌道は、どれだけ速度があろうとも避けやすい。雲海は身を屈めてそれらを潜り抜けた後、手刀でそれを払いのけた。見るからに汚らしい黒い水が切り口から吹き出す。肉の腐ったような、目が痛くなる強烈な異臭がした。


「少なくとも、妖怪には違いないが……」

『待ってクーちゃん!』


 突如、頭の中で絹を裂くような女声が反響した。薫の精神感応だ。慌てようから考えて、また遠隔透視と併用しているのだろう。無茶は止めろと言ったのに。


「香田さんか!? おい、頭痛いんだったらもう止めろってさっき」

『んな事言ってる場合じゃないよ!』


 薫は切迫している。そう言えば彼女は先程も、突然取り乱していなかっただろうか。そう、夜恵を襲い、そして一度は彼女を殺害した妖怪の話をした時に。その妖怪の特徴と言えば、確か……


「黒くてデカくて泥団子みたいで、脚が沢山生えた妖怪……」


 小森の足元から沸き出してきていた黒いヘドロは、やがて小森を押しのけて膨れ上がり、人の背丈程の丸い塊と化した。

 そして瞬く間にその全身から節足を伸ばし……まるで足の多い蜘蛛のような怪物がその全容を現した。

 夜恵から教わった妖怪の特徴に合致している。

 汚水を絶えず滴らせる黒くぎらつく不定形の肉塊を、毛深い昆虫のような節足の先に生えた六本指の無数の手が支えている。体のあちこちに空いた小さな穴から時折絞り出すような呼吸音を伴って、吐き気を催す程の臭気をまき散らしていた。正面の、一際大きく開いた穴……口からはナメクジの様にぬめった巨大な舌がゆらゆらと左右に振れている。放たれる得体の知れぬ不気味な気配、圧力、そして腐臭。雲海が知っている妖怪という存在からは、どれもかけ離れている。

 妖怪と言う神秘的存在、もっと言えば畏怖の対象として括る事さえも躊躇してしまう。

 余りにも異様。余りにも剣呑。存在そのものから本能的に眼を背けたくなる程の、圧倒的な嫌悪感を喚起させる妖怪。

 そしてそのおぞましい存在と、今雲海は対峙しなければならないのだ。

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