8−13 鈍感のツケ
時刻は既に、午後九時を回っている。
夜恵の満面笑顔のダブルピースと、まるでその背後霊かと思う程不気味な、白目を剥いて失神しているカップル二人の蒼白顔面の写メールが送られてきて、雲海は複雑な心境に陥った。
「……夜恵さんは救出終了か」
任務達成と任務終了は、意味が違う。雲海はそれを噛み締めた。
肉体的な負傷が免れれば、取りあえずは善しとしよう。心的外傷などがあったら……それは肝試しに来た自己責任で。正直、そこまで面倒見切れない訳だし。
そして。
『あ、クーちゃん?』
頭の奥底に僅かなかゆみを感じた直後、突如女の声が思考の中に割り込んでくる。
薫の声だった。この奇妙な精神感応の感覚は既に何度も味わっている。
便利ではあるが、慣れて段々と動揺しなくなっている自分もどうなのだろうと雲海は心の奥底で考える。
「……どうだ、真見ちゃんと神部さん、怪我はないか?」
『蚊に喰われてすらいないよ。んじゃ、今送るからね』
そしてそのほんの五秒後。何の前触れもなく緑の光が部屋全体を包み込んだかと思うと、テーブルの上に徐々に人間の輪郭が浮かび上がってきた。
瞬間移動で送ってもらった事は過去に一度だけあったが、実際に目の前に人が現れる様を見るのは初めてだった。
「まぶしっ……!」
軍用の馬鹿でかい懐中電灯でも向けられているのではないかと思う程の凄まじい光量である。
あまりの眩しさに目をつむっていた雲海は、やがて光が収まると同時に眼を開けても尚、残像が残る程であった。
しばらく瞬かせてからようやくテーブルの上を見やると、そこには相川と神部が座り込んでいた。
二人ともタオルで目隠しをしており、落ち着かぬ様子で耳を澄ませてみたり、嗅いでみたりと挙動不審だ。
「ねーカオリンー? スーパーイリュージョンってまだなの?」
「そうだぞ、香田薫。いい加減目隠しをとらせてくれ」
この場にいない薫に話しかける二人は、少し不安そうである。
大方、薫が超能力使用の現場を見られるのをマズいと判断し、こうして目隠しを施したのだろう。
女二人が目にタオルを巻かれてテーブルの上に座り込む、実にシュールな光景だが、薫の判断は理に適っている。
「……あー、二人とも? もう目隠しをとってもいいぞ?」
「その声は!」
「空峰雲海っ!」
勢いよく目隠しを取って立ち上がる二人。
そして今自分達の立っている場所に気がつき、目を皿のように丸くした。
「……え!? あれ!? ここ、どこ?」
「つい先程まで森の中に居たはずなのだが……空峰雲海、コレは一体なんなんだ?」
「スーパーイリュージョン、大成功って事さ。香田さんは天才手品師の素質があるね」
ひとまず、胸を撫で下ろす。
後は父の岩武が無事霊魂を追い払い、間もなく到着する筈の天心がここに辿り着けば、作戦終了だ。
「香田さんから聞いただろうけど、肝試しは中止になった。悪いね」
「そっかー……河童とか人魂とか超リアルで楽しかったんだけどなー」
「うむ。恐るべき特殊メイクと特殊効果だった。一体どのようにやったのか、後で詳細を尋ねたい。文化祭の参考になる」
神部の眼鏡が好奇心に光るのを見て、雲海は冷や汗を垂らした。
詳細も何も、全部本物なのだ。ここの幽霊の正体は枯れ尾花ではない。
雲海は曖昧に微笑んで、誤魔化した。
「……ともかく二人とも。残りの参加者が帰ってくるまで、寺の方で待っててくれ」
「うん、了解」
相川はこういう時、あまり事態の詳細に首を突っ込んでは来ない。
新聞部の記者故か、かつて大きな痛手を負った経験があるのだそうで、以来座右の銘は『好奇心は猫を殺す』なのだとか。
未だに納得出来ずに唸る神部の手を引いて寺の方に向かう最中に、相川は一度だけ雲海を振り返った。
「そう言えばクーちゃん。ミキティはどうしてる?」
「小森さん?」
彼女ならばそう言えば、今日肝試し開始の時には見かけた。
肝試しコースを一緒に回ろうと誘われたが、運営の仕事があるが故に断ったのだ。
そして……、
「……あれ?」
一度声をかけられて、それからどうしただろうか。
いつの間にやらその場からいなくなってしまい、その後は夜恵との連絡が途絶えてしまったためにバタバタしてて……。
妖怪達が暴れ出してから、寺の本堂に参加者達を避難させていた時、彼女を見かけたか?
見てはいない……しかし、人数は確かに合っていた筈だ。数え間違いがないように、何度も何度も確認した。
だが……あの場に小森は居ただろうか。
いや、居たのだったら声はかける筈だし、いくらヘソを曲げていても、肝試し中止の理由を尋ねてくるだろう。
居なかった。小森はその場に、居なかった!
しかし人数は……人数は間違っていなかった筈なのに!
「……いや」
今はそんな事で混乱している場合ではない。
小森が一体何処に行ったのか。それが大事だ。
怒って早々に帰宅したのであれば、まだ良い。それがむしろ最良だ。
だがもしも……何かまかり間違って、今森の中に彼女が居たとしたら、どうなる。
森の中にはまだまだ妖怪が溢れかえっているのだ。そんな場所に、普通の女の子が一人で足を踏み入れたとしたら……。
「ただいまー……っと」
聞き慣れた声がする。救出を終えて帰ってきた天心だった。
連れてきた兄弟達は既に本堂の方に避難させた後らしく、安堵の表情で額の汗を拭っていた。
そんな彼に、雲海は鬼気迫る表情で駆け寄る。
「天心! お前、小森さんを見なかったか!?」
「え? 誰だっけ、それ?」
「あーっと……髪をこう、二つに結んでる女子高生で……」
「髪を二つに……」
それならば、森の中で見た。
参加者の怪我やその他に対応すべく森の中に送り込まれ、その対応が終わった直後。
森の中に雲海の言う特徴に合致する、負のオーラを蒔き散らす女が居た。
訳の分からぬ事を大声で叫んで天心に当たり散らした後、そのまま森の奥に消えていったのだ。
天心のその説明を聞けば聞く程に、雲海の顔色は悪くなっていく。
甚平の袂から携帯電話を取り出して、小森に電話をかける。
……出ない。
「……すまん、天心。ちょっと出てくる」
「え? 何処に?」
「すぐに戻る。父さんには上手い言い訳を頼む。あと寺の本堂に居る人達に、お茶でも振る舞っておいてくれ」
「え? え? 何で? 今ってどう言う状況?」
「頼んだぞ!」
すっかり混乱した様子の天心を置いて、雲海は押し入れの中から懐中電灯を取り出したかと思うとすぐさま縁側から飛び出し、雪駄の渇いた足音を立てながら、あっという間に森の方に消えていってしまった。
天心は突然いきり立った雲海の背中を首を傾げながら見送ったが、やがて茶の準備にとりかかるために台所に遅い足取りで向かっていった。