8−11 急ごしらえの救助隊Ⅱ
相川と神部は、既に肝試しコースに入って久しい。タイムテーブル的には本来なら折り返し地点に至る辺りであるが……。
「あの二人がどうかしたのか?」
「口で言うよりこっちが早いや。クーちゃん、ちょっと頭貸して」
そう言って薫は雲海に顔を近づけ、そっと額同士を触れ合わせる。精神感応でお互いの思考を共有するのに、わざわざ額を付ける必要はないのだが、この方が負担が少なくて楽なのだ。……される側の雲海は、急に同い年の少女が顔を近づけてくる上、鼻が触れ合わんばかりの距離で止まるのだから、心の負担は大きくなるのだが。
今はそんな煩悩に塗れている場合じゃない、と雲海も心を落ち着けて、目を瞑る。
薫から、思念と記憶が渦を巻いて流れ込んでくる。
つい先程、遠隔透視で相川と神部の二人を眺めていた時の記憶だ。二人は何故か、肝試しのコースを大きく外れて、しかしそれには全く気がつかぬままどんどん寺から遠ざかる方向に歩いている。現在進行形で。
「……なんだこりゃ、いくらなんでも遠過ぎるだろ」
「そうなのよ……これ、もしかして妖怪の仕業なんじゃないのかな」
「断定は出来ないけど……な。古今東西、道を惑わす妖怪なんて数え切れないくらいいる。君、この二人はずっと観察してたよな?」
「最初に天心君を瞬間移動させた時に一度目を離したけど……」
「何分くらい?」
「五分も間は空いてない……はずだよ」
五分で二キロも三キロも遠い所にはまず行けまい。明らかに妖怪の仕業だ。二人同時に道に迷わせるのだから、それなりに力のある妖怪なのだろう。こちらも、放っておく訳にはいかなくなった。
「……目を離す前はどの辺りに居たか、覚えてるか?」
「確か、河童の所で脅かされてたような……」
「利休か……アイツは今どこに?」
「探す?」
「いや、電話する」
額を離して立ち上がった雲海は、甚平のポケットから携帯電話を取り出す。
利休は常日頃から背負っている甲羅の中に、様々な物品を忍ばせている。スマートフォンを所持しているのも確認済みだ。家のコンセントを勝手に使って充電している事も良くあるので、それなりに使いこなしているのだろう。一体何と連絡を取り合っているのかは、知りたくないような知りたいような。そもそも、契約はどうなっているのだろう。本人曰く拾ったものらしいのだが、何故か解約はされていないらしい。不思議である。
閑話休題。
とにもかくにも、妖怪が携帯電話を持っていると言うのは非常に妙な事態であるのだが、こういう時はありがたい。
「もしもし、利休」
『うぃー……なんだ、雲海かよ。何の用だ?』
利休は退屈そうな声で雲海を迎えた。
「すまん利休。緊急事態だ、肝試しは中止になった」
『ハッ、マジかよ! まだ使ってないネタ一杯あんのによぉー』
肝試し前、実は彼はそれ程乗り気ではなかったのだが。やってるうちにテンションが上がって、ノリが良くなってしまうタイプなのだろう。雲海が呑気に考察をしている間、急に利休が、
『……で? 一体、何があったんだよ、この森に』
雲海の背筋が冷たくなる程鋭い声を発する。切り替えが早過ぎて付いていけない。
「あー……夜恵さんがな、やらかした」
『なるほどねぇ……そいつぁ良いザマってか』
利休はそれだけで察したのか、悪どく笑い声を上げた。偽悪的なものではなく、本心からそう思っているようだ。岩武といい利休といい、夜恵はあまり周囲に良い感情を持たれてはいないらしい。とんだ嫌われ者である。
『こちとら森の中がリアルスプラッターハウス状態だぜ。お前も来いよ、雲海。一プレイ百円だ』
「生憎、こっちはそんな余裕はなくてな……それで、利休。お前に聞きたいんだが、女の子二人組をさっき脅かしただろ?」
『Sっ気ありそうな眼鏡の女と、若干Mっ気ある髪の短い女?』
「SとMは知らんが、多分そうだ。彼女らが森の、エラく外れた場所に居るんだが、何か知っているか?」
『さぁね? 妖怪を頼られても困るな』
言葉とともに、大きく息を吐く音がした。キセルを吸っているのだろう、と雲海は見当をつける。本当に利休は呑気な様子だ。雲海は苛立ちを募らせるも、必死に堪える。
『俺様が脅かした後、泣きながら走っていっちまったよ。その二人がどうかしたか?』
「二人ともコースを大きく外れている。二キロも三キロも遠くを歩いているみたいなんだが……何か知ってるか?」
『……なーんも、知らないね? まぁ、妖怪だって嘘くらいつくだろうがな』
まるで他人事の様に飄々と言い出す利休。雲海は途端に脱力を感じた。無駄に遠回しな自白宣言だ。
『そんだけ遠くにいりゃ妖怪達も手ぇ出さねえだろ。ラッキーじゃねえの? 逃がしてくれた親切な妖怪さんにゃぁ感謝だねぇ、雲海君』
利休は、押し殺したような笑い声を上げた。
相変わらず胡散臭い物言いをする奴だ。眉間に皺が寄る。所詮人間は人間、妖怪は妖怪。利休は人間がどうなろうと、知ったこっちゃない。そう言うスタンスを崩そうとしないのに、なんだかんだ言いつつも、利休は人間に協力を惜しまない。
素直に礼を言った所で突っぱねられるだけなので、雲海は代わりに溜め息を漏らした。
「……まぁいい。兎に角、お前も戻ってこい、利休」
『いや……もうちょっとここで一服していくわ。なんか疲れたし、な……』
夜恵を殺害した妖怪が、実際に森の中にいる。森の中に居続けるのは危険を伴うが……利休は普段は呑気であるが、実際はかなり敏い妖怪だ。コイツには滅多な事なんて起こらないだろう。雲海は少し安心した。
「そんな呑気な……ったく、勝手にしろ。じゃぁな」
『あぁ、待て待て雲海』
利休が雲海を引き止める。雲海は早く会話を区切って、今後の対策を練らなければならないのだが、利休の声はどことなく真剣味を帯びている気がして、雲海は無視出来なかった。
『お前、術は使えるのか?』
問いの意味がわからない事と、雲海が一番気にしている事。
雲海は二つの事に対して、不快な気分にさせられる。
「答える必要はない」
『大事なことだろ、オイ。これからお前もお仕事しなきゃならないんだからよ』
「……お前が思っているとおりだ」
『ヘッ、情けねぇ』
嫌がらせにでも目覚めたのだろうか、この河童は。ある意味いつも通りではあるが。雲海は聞き返すのも面倒で、ゆっくりと携帯電話を耳から離すと、それを察したかの様に利休がなおも呼び止める。
何故か、少し必死だったように思えた。
『雲海!』
「……なんだよ、もう切るぞ」
『式神ってのは、元を辿れば妖怪と同じ起源に行き着く。テメェや岩武が使ってる式神も、実際は妖怪と同じようなもんだ。だから、怖がっちゃいけねぇ。調子に乗らせたら、ますます言うことを訊かなくなるぜ』
利休のアドバイスは、まるで今雲海が抱えている症状を知っているかの様に的確である。それに違和感を覚えはしたが、雲海は素直に従っておく事にする。
「なんだか分からんが、肝に命じておく」
『おうおう、随分素直になったなぁ雲海。俺様ぁ嬉しいぜ。イッちゃいそうだわ』
「……おいっ!」
『ハッ、ジョークだよジョーク。精々気張れや、クソガキめ』
「……もういい。また後でな、利休」
『アディオス、アミーゴ!』
雲海は電話を切る。
相川達の情報を聞き出すだけのつもりだったのに、結局は何故か励まされてしまった。利休の様子が変なのは、本人の言う通り今に始まった事ではない。しかしわざわざアドバイスを送るとは……雲海の症状はそれ程酷いものなのだろうか。
唸り続ける雲海に痺れを切らしたのか、薫が彼の肩を叩いた。
「クーちゃん、どうだったの?」
「香田さん……真見ちゃん達の周囲に、妖怪は居るか?」
「え? さっきは何もいなかったと思うけど……」
「そうか……」
利休の目論みは正しかったようだ。どうやら、彼にはやはり礼を言わねばならないだろう。どんな風に茶化されるのか、今から少し憂鬱になる雲海であった。
「……真見ちゃん達には連絡を入れなきゃな。肝試しは中止、その場で救出を待つよう伝えてくれ」
「クーちゃんが行くの?」
「場所も遠いし、妖怪に襲われるような気配もない。僕が行っても問題ないだろう」
「それなら、私の方が適任じゃない?」
薫は既に立ち上がっていた。
「私なら道に迷う事はないし、迎えに行ったその場で瞬間移動を使えば、すぐに寺に送り届けられるじゃん」
「……山道は危険だろう」
「どうせ歩かないし、大丈夫。空に障害物はないもん。二分で行けるわよ?」
立ち上がっていた筈の薫は、いつの間にか体を宙にふわふわと浮かせて、得意げに微笑んでみせた。いつの間に空中浮遊まで習得したのだろうか、と聞けば、念動力で自分の身体を持ち上げているだけらしい。緑色の光に包まれた浴衣姿の彼女は、端から見る分にはとてもシュールである。
「便利なもんだな、超能力」
「ま、人が見てない時にしか出来ないけど。……ってな訳で、ちょっと行ってくるから」
「くれぐれも、無茶は控えてくれよ。あと、妖怪と出くわしたら、全力で逃げる事。それから、いくら障害物はないと言ってもこの暗さだ。周辺の状況には注意して」
「分かってるって! お母さんみたいな事言わないで下さい! じゃ、また後で!」
しつこい雲海を振り切って、薫はそのまま猛スピードで縁側を飛び出して、緑の光の尾を引きながら、夜の空を駆け抜けていく。その速度はまさしく風の如く。二分で行けると言うのも、恐らくは嘘ではないのだろう。それを眺めていると、どうにも自分が情けない存在に思えてならない。
元々の元々……肝試しの発端まで辿っていけば、今回のこの事態は自分が撒いた種なのだ。
それ故、このまま役立たずでいるのは我慢ならない。自分が術を使えていればこんな思いはしないで済んだと言うのに。
「自分の罪ぐらい、自分で償わせてくれよ……」
雲海の呟きは、誰にも聞かれる事はなかった。