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怪奇!知らない世界の人々  作者: ずび
第一話 口裂け女
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1−7 茶を啜る住職

 妖山市のはずれにある憂山(うれいやま)と言う山の裾野に、一軒の寺が建っている。明治の初め頃に建造されて以来、幾度も改築を繰り返すその寺の名は据膳寺(すえぜんじ)と言う。平安の頃の本地垂迹説による神仏習合の名残が今なお息づく、他の寺院とは一線を画していた。碌な檀家も居ないのに明治の廃仏毀釈を乗り越えて、今なお据膳寺は平安当時の教えを守り続けている。何の理由も無しにその教えを貫いている訳ではないが、それは後述される。

 流石に平安当時程の厳しい戒律はもう存在せず、当代の住職である空峰(そらみね) 岩武(いわたけ)は厳しいながらも優しさを合わせ持った、評判の良い男であった。顔は岩石のように筋張っており、普段は穏やかな顔をしているが、一度怒ればその名が示す通りの厳めしい男となる。そんな坊主を実の親父とする男子高校生、空峰雲海は、寺裏の居住スペースの畳敷きの和室で、何故かちゃぶ台を挟んで父親と対面していた。茶を啜って緩んだ表情を浮かべる父親は、息子の分の茶も入れてやりながら煎餅に手を伸ばす。


「父さん。今日は一体どうしたんです?」


 実の父であるが、雲海は岩武に敬語を使う。使わなければ叱られてしまうのだ。一度スイッチが入ってしまえば、彼は延々と雲海に説教を垂れる。口の利き方がなっていない、と言うネタがあれば一時間の説教はまず覚悟せねばならない。岩武は火口からマグマが溢れる寸前の火山の様な男であり、雲海はその事を熟知していた。生まれてからずっとその調子であるため、雲海が前に父に怒られたのは二ヶ月も前の話だった。そして、今のこの父親が正面に座る状況は、その二ヶ月前の説教と同じである。叱られるような案件ではない筈だ、と雲海は省みつつ、父の機嫌を窺う。


「うむ。ちと、な。一先ず、茶でも飲め」


 岩武は言い淀みながら、煎茶入りの息子の湯呑みを差し出した。煮え切らない言葉を吐くのはいかにも父らしくなく、雲海はそれだけで不審感を募らせた。しかし渋々ながらそれを受け取って、一口啜って、再び父の言葉を待つ。岩武も茶を一口飲んでから息をついて、黒一色の袈裟の懐に手を突っ込む。そして一枚の茶封筒を取り出して、ちゃぶ台の上に置く。


「実は……内閣情報調査室が妖山市の市長を通じて、一報をよこした。『仕事』の依頼だ」

「……どなたかお偉いさんがお亡くなりに?」

「いや、その仕事ではない」


 そう言ったきり、岩武は封筒を雲海に差し出す。封は既に切られていたが、中身の手紙はきれいに折り畳まれていた。父さんも律義なもんだ、と手紙を取り出して、文を読む。


『前略

 近々の谷潟県の市町村大型吸収合併によって、『彼奴ら』の縄張りも大きく変化した。

 それにより住処を追われた彼奴らが、県内の町中にて何度か目撃されている。

 貴殿らの負担は増すであろうが、これまでに続き、その役目に従事して頂きたい。

 空峰の担当区分は妖山市全域であるが、近年は彼奴らの活動も活発化してきている。

 有事の際には、少々遠方まで足を伸ばす可能性も考慮しておいて頂きたい。

 どうかよろしくお願い申し上げる』


 手紙はそこで終わっていた。同窓会のはがきのような返信用の封筒はないらしい。えらく一方的な報せだ、と雲海は溜め息をついて、封筒に手紙を戻す。


「雲海、我が据膳寺が何故に今なお平安の頃よりの教えを守り、明治政府の神仏分離令を乗り越えたか……。

 幼い時分より幾度となく説いたのだ、分かるな」

「裏で時の政府と繋がっていた事によります。その役目は」


 雲海が小さい頃から耳にタコができる程言い聞かされてきた、据膳寺の寺院として、とは別の仕事。それどころか近年、こんな山奥の寺を頼る者はめっきり減ってしまった為に坊主としての仕事はすっかり寂れてしまっているため、その別口の仕事こそがこの寺の主な収入源であった。その仕事をこなす為の修行も、雲海は幼少の頃から父親には付けられている。そちらの仕事ぶりも何度か目の当たりにしてきた雲海は、父親の稼業を正確に理解出来ていた。そして、肝心のその仕事とは。


「近隣に住まう魑魅魍魎、化生を調伏する事です」

「その通りだ」


 一字一句間違えずに述べた雲海を見て、岩武は満足そうに頷いた。


「有史以前より日本各地に残る妖怪の伝承や怨霊の怪談……あれらは御伽噺などではない。

 化生は実際に存在し、その恐るべき力によってときに人を助け、ときに人を喰らう。

 表沙汰にされてはいないが、人間の歴史はそれらの化生の者達との戦いの歴史でもある。

 平安の時代も彼奴らは妖怪と呼ばれ、しばしば京を襲い、人間の生活を脅かしていた。

 しかし、そこに一筋の希望が現れた。

 ……山気(やまき) 光明(こうめい)は平安京の国博士として天皇に仕える傍ら、陰陽道を修めた高僧でもあった。

 陰陽道とは本来、自然科学と呪術を融合した当時の最新鋭の技術であるが、彼はその研究を続けるうちに、人々の脅威であった化生と渡り合う為の呪法を開発した。

 以来光明は歴史の表舞台から姿を消し、妖怪達から京を守る陰陽師を生業としてきた。

 彼の死後も、その役割は光明の子孫へと受け継がれていく。

 子孫達は日本全土に散らばり、今なお彼の使命を全うしている。

 我が空峰一族も、光明の血を引いた、陰陽道を修める資質を有した由緒正しき家系なのだ」


 父親は長々と家系のルーツを述べて、茶を一口。舌の根を潤した後再び話を始めた。


「現在では科学の発展と人間の繁栄によって、妖怪は住処を追われたが、滅びた訳ではない。

 今なお人々の目の届かぬ場所で息を潜めている。或いは人間に化けて生き延びている者もいる。

 世間一般にはその存在を認識されていないものの、今現在も人間の脅威となる妖怪が日本の何処かに居る事は確かである。

 故に」

「我々一族は今日も化生との戦いに備え、日々陰陽師としての修行を積んでいるのである」

「……ん」


 〆の一言を息子に先取られて、岩武は少し顔を顰めたのだが、すぐに思い直して微笑んだ。太い眉に寄っていた皺が緩んだのを見て、余計な口を挟んだかと懸念していた雲海も胸を撫で下ろす。


「雲海にも自覚が出てきたか。我が一族の使命の重大さが」

「生まれた時から聞いています故。何より父さんの仕事は、いつも側で見てましたから」


 岩武が夜な夜な、対妖怪用の呪具を手に裏山に向かうのに、雲海は何度か付いていった事はある。実際に妖怪を調伏すると言っても、派手な火花が飛び散るような激しいぶつかり合いをする訳ではない。妖怪と言葉を交わし、説得して相互理解と言う平和的解決を望む。それでダメなら呪具を用いて妖怪に簡単な懲罰を下し、それでおしまいだ。そんな日常は、雲海としては最早常識の範疇であった。妖怪がこの世に居る事、それを追い払う陰陽道と言う奇妙な技法がある事。そして自分が将来的にその役割も担わざるを得ないらしい、という事も。


「それで父さん。何故僕に今、その話を?」


 今更聞き直すような事柄でもないのに、岩武が改めて息子に家業の話をしたのには当然理由があった。少し言い惑っている様子だが、湯呑みの中身を空にして、岩武は雲海を睨む様な目で凝視する。


「恐らく、お前の耳にも入っているだろう。一週間前の口裂け女の目撃談が」

「……えぇ、それはまぁ」


 相川がその調査をしていた折、雲海も成果の程を彼女から聞いていた。彼女が事件性すらない眉唾もいいとこのオカルト話だったとか嘆いていたのは、つい先日の事だ。


「その事については僕の友達も調べていました。

 しかし、被害者の女性の目撃証言はあやふやです。口裂け女が実在するか確証はありません」

「確かにそうだ。儂もそう考えていた」


 嘆息してみせた岩武は、顔を伏せて目を瞑る。胸の前で腕を組んで、少し身体を反らす。


「しかし……実は目撃情報はその一件だけではない」

「え?」

「この一週間でもう二回も、どちらも妖山市内で事件が起きている。

 公にはされていないが、被害者はいずれも女性で、外傷はないが目撃した日から体調を崩している。

 そして今日の昼過ぎに、市の方から正式な依頼が舞い込んだ」


 岩武は頷き、もう一度懐に手を突っ込み、先程とは別の封筒を取り出した。


「これが依頼状だ。口裂け女事件に付いて調査を願う、とな。

 依頼料も前払いで振り込まれておる。市の方も早期解決を望んでいるらしい。

 こうなった以上、儂も本腰を入れて調査に踏み切らねばならん。そこで、だ」


 雲海を睨みつける岩武。雲海は再び背筋を伸ばして、岩武を見つめ返した。品定めをする様な岩武の視線から目を逸らすのを我慢しつつ、雲海は緊張によって段々と脈を早める胸を押さえたくなった。


「そろそろ良い頃合だろう。

 雲海、今日からお前にも仕事を手伝ってもらう」

「何ですって?」


 雲海は己の耳を疑う。そして、父の言動を疑う。手伝えとは、つまり口裂け女の調伏に手を貸せと言う事だろうか。


「そんな……父さん、僕はまだ実際に妖怪と戦った経験がありません。

 父さんの初仕事って卒業後、でしょう? 僕にはまだ早過ぎませんか?」

「初めは誰だってそうに決まっとるわ。儂も初の実戦の折には緊張したものよ。

 初仕事は畑を荒らす河童を懲らしめるだけだったが、いやぁ、あれは苦労したものだ」


 岩武は雲海の脅えた顔を見て笑い声を上げた。朗らかな笑い声が雲海には憎かったが、ここで文句を言えばまた妙な叱りを喰らうに違いない。雲海は我慢した。


「安心せい。お前は気づいておらぬかも分からんが、お前には十分な力量と技巧が備わっている。

 真面目に修行してきたお前に足りぬのは、唯一つ。経験だけだ。もっと自信を持て」


 父親が手放しに自分を賞讃した事なんて一度もないのに、と雲海は疑心を深くする。岩武は座布団から腰を上げて、部屋の掛け時計に目をやる。五時半を少し過ぎた位の時間であった。


「……さてと、まだ時間があるな。九時までに支度せい。

 深夜までかかるやも知れぬから、今日の他の用事は早めに済ませておけ」

「は、はい!」

「あと、出発までにお前が普段、修行で使っている呪具を手入れしておく事。

 あれらはそのまま実戦に用いる事が出来るからな」


 雲海は首肯して腰を上げて、自室に足を向けた。せめて今日出た宿題くらいは、ちゃんとやっておくべきだろう。心の準備を整える時間は出来るだけ長めに取りたい雲海は、まだ晩飯前だと言うのに早々に準備に取りかかった。

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