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第5話 思いがけない来客

パン屋を開いてから三週間が経ち、ようやく日常のリズムが掴めてきた。


目が覚める。イースト菌を召喚する。生地を捏ねる。パンを焼く。冒険者に売る。倒れる。繰り返す。


派手じゃない。世界征服でもない。でも、なぜか……うまくいっている。


<システム通知>


日次集計

本日の販売数:24斤

接客数:18名

売上:銀貨24枚

実存的危機の回数:2回(自己新記録!)


「たったの二回?」呟く。「俺、成長してるな」


リラは、相変わらずお気に入りのベンチに座り、今朝三個目のシナモンロールを貪っていた。


「また独り言?」


「システムとの会話だ」


「システムは会話相手にならないよ」


「人生の選択をジャッジしてくる時は十分会話になるけどな」


彼女は鼻で笑った。「まあ、それはそうか。ところで、もうすぐ銀貨100枚だな。それって……結構な金額だぞ。買い物できるじゃん。ただの小麦粉とかイースト菌だけじゃなくて、ちゃんとした物が」


捏ねていた手が止まる。


「例えば?」


「知らないよ。ベッドとか? ちゃんとした家具とか? 『ダンジョン・シック』じゃない装飾品とか?」彼女は石の壁を指差す。「マジで、この場所、色が欲しいよな。観葉植物とか。生きている物がさ」


「俺は魔王だ。植物なんて扱わない」


「植物は『魔王の仕事』じゃなくて、『洞窟に住んでませんアピール』だよ」彼女はもう一口かじる。「信じろ。ちょっとした緑が効果てきめんだ」


言い返そうとした、その時――


<システム通知>


警告! 未確認生命体が接近中!

分類:???

危険度:不明

推奨行動:パニックになれ


固まる。


「あの、リラ?」


「何?」


「何か来る」


彼女は一瞬で立ち上がり、手を剣の柄に置いた。「魔物? 冒険者? 何が来るんだ?」


「わからない! システムがただ――」


ダンジョンの入り口が暗くなった。


そして、俺はそれを見た。


スライムだ。


小さなスライムじゃない。可愛いスライムじゃない。巨大な、ゼラチン質の、ぼんやりと紫色の塊が、入り口いっぱいに広がっている。それは湿ったぐちゃっという音を立ててパン屋に流れ込み、粘液の跡を残した。


リラが剣を抜いた。「下がってろ! 俺が――」


スライムが声を発した。


ぶるるるん?


それは……問いかけている? 好奇心? ゼラチン質の体が、困惑した子犬のように柔らかく脈動している。


<システム通知>


新規顧客検出!

種族:ダンジョンスライム

名称:???(仮称募集中)

空腹度:中程度

意図:非敵対的おそらく


俺は通知を見つめる。


「スライムだ」無表情で言う。「スライムがパンを買いたいらしい」


リラがゆっくりと剣を下ろした。「それって……可能なのか?」


「知らん。『スライム接客マニュアル』なんて魔王学校で習ってない」


スライムが再び脈動する。ぶるるるん? カウンターの方に近づき、光る跡を残す。


そして、それは予想外の行動を取った。


指さした。


本体から伸ばした小さな疑似足で、スライムはシナモンロールを指さしたのだ。


「今の……」リラが息を呑む。「今の、注文したのか?」


スライムは彼女の方に向き、嬉しそうに脈動した。ぶるるるん!


俺はリラを見た。リラは俺を見た。スライムはシナモンロールを見つめている。


<システム通知>


クエスト更新:評判は広がる

ボーナス目標:非人間種族の客にサービスせよ。

状況:進行中

警告:スライムへの接客方法がわかりません。がんばって。


「よし」ゆっくりと言う。「よし、できる。接客は慣れてる。ただ……普通のお客さんと同じように接すればいい」


リラが眉を上げる。「スライムだぞ」


「金を払う客だ」訂正する。おそらく。たぶん。


シナモンロールを一つ取り、スライムに差し出す。


「どうぞ。シナモンロールです。お値段……ええと……銀貨一枚?」


スライムが脈動した。ぶるるるん!


そして、それはシナモンロールを吸収した。


そのまま、体の中に。菓子が紫色の塊の中に消え、一瞬、何も起こらなかった。


するとスライムは……少し茶色くなった。渦を巻くように。シナモンが全身に混ざり合ったかのように。


もう一度脈動した。今度は、恍惚としか表現できないような様子で。


ぶるるるるるん!


「それって良い音か?」リラが尋ねる。「嬉しい音なのか? 俺にはスライムの感情は読めないぞ」


「俺にもわからん!」


スライムが前に出て、銀貨をカウンターに置いた。どういう仕組みか。体の中から。銀貨を出して、そこに残した。


そして、入り口の方に戻り、立ち止まり、最後にもう一度脈動して(ぶるるん!)、ダンジョンの深みへと消えていった。


静寂。


俺とリラは、空っぽの入り口を見つめていた。


「今の、現実か?」彼女が言う。


「……現実っぽい」


「スライムにシナモンロールを売ったのか」


「そうみたいだ」


<システム通知>


クエスト達成:評判は広がる

ボーナス目標:非人間種族の客にサービスせよ。

状況:達成!


報酬解放:???

詳細はアイテムボックスを確認。


すぐにアイテムボックスを開く。


そこにあった。新しいアイテム。


アイテム解放:スライムトークン

説明:満足したスライム客からもらった、小さなゼラチン質の硬貨。

効果:ダンジョン内のスライムたちがあなたのパン屋を知った。彼らはまた来るかもしれない。

解説:「一匹のスライムが別のスライムに伝え、今やあなたは問題を抱えている。あるいはチャンスを。時が経てばわかるだろう」


「スライムトークンだ」言う。「スライムトークンを手に入れた」


リラは大笑いした。「あんた、史上最高に変な魔王だな。自覚あるか?」


トークンを見る。小さく、紫色で、わずかに震えている。


それからシナモンロールを見る。


スライムが消えた入り口を見る。


「なあ」ゆっくりと言う。「これも悪くないかもな」


その一時間後、さらに奇妙なことが起きた。


二匹目のスライムが現れた。


次に三匹目。


夕方までに、俺は七匹のスライムに接客していた。七匹だ! 紫、青、緑、一匹は怪しくピンク色――どれも同じことをした。菓子を指さす。吸収する。嬉しそうに脈動する。硬貨を置く。去っていく。


リラは笑うのをやめ、メモを取り始めた。


「正気じゃない」彼女は小さなノートに書きながら呟く。「スライムはこういう生き物じゃない。スライムは冒険者を襲う。スライムには知能がないはずだ。こいつらには……好みがある。意見がある。プレーンよりシナモンが好きみたいだ」


「どうしてわかる?」


「ピンクの奴、プレーンなパンを無視して真っ先にシナモンロールに行った。ピンクのスライムには味覚があるんだ」


<システム通知>


新規実績解除:スライムソムリエ

10匹以上のスライム客に接客しました。

報酬:+50 EXP、称号「スライムの友」


称号効果:スライムがあなたを攻撃する確率が25%低下する。

解説:「餌をくれる手は噛まない。ただ……そっと吸収するだけだ」


称号を見つめる。


スライムの友。


一週間前、俺は目的もない魔王だった。今はパン屋だ。小規模事業主だ。ゼラチン質の生き物たちの友だ。


人生は奇妙だ。


その夜、最後のスライムが去り、リラが地上に戻った後、俺は新しい机に一人で座っていた。


銀貨の入った財布はかつてないほど重い。評判は広がっている。常連客もできた――人間型も、そうでないものも。


それ以上に、俺は予想もしなかったものを手に入れていた。


居場所を。


奇妙で、馬鹿げていて、粉だらけの場所。冒険者もスライムもドワーフもエルフも一緒に座って、世界征服どころか人の胃袋すら征服できていない魔王が焼いたパンを楽しめる場所。


<システム通知>


新規クエスト解放:競争相手

あなたのパン屋の噂が地上に届いた。他の店舗が注目している。

目標:最初の……競争の波を乗り切れ?


警告:魔王がパン屋で成功していることを快く思わない者もいる。


瞬く。


競争? 何の競争だ? 誰がダンジョンのパン屋と競争するんだ?


そして、気づいた。


地上のパン屋。

酒場。

宿屋。


冒険者が町をスキップして、魔王からパンを買っているのを、快く思っていない者たちがいるはずだ。


「……やばい」呟いた。



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