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第1話 史上最も残念な魔王

魔王として目覚めるなら、もっとこう――ドラマチックな展開を期待していた。


暗い神殿。不気味なBGM。何千もの手下がひれ伏し、恐怖に震えながら名前を叫ぶ――そんなイメージだ。


現実はというと、冷たい石の床にうつ伏せで目が覚めた。髪の毛には何かベタベタしたものが絡まっている。


「うぐぅ…」


うつ伏せから仰向けになり、天井を見上げる。どう見てもダンジョンだ。嫌な予感しかしない。


最後に覚えているのは…何もない。ただの暗闇。それから変な声が頭の中で「おめでとうございます」「新しい人生です」「運命的な冒険です」とか言っていた気がする。典型的な転生ものだ。ラノベを読み漁ってきた俺にはすぐにわかった。


ゆっくり起き上がり、自分の体を確認する。うん、間違いなく前の体じゃない。なんか顔面の造形がレベル高すぎる。耳、尖ってるし。それに――


<システム通知>


おめでとうございます、ヴァルス様!

あなたは無事に魔王として転生しました!

専用のダンジョンが生成されました!

初期スキルが付与されました!

長く恐ろしい統治をお祈りしております!


「うおおお!マジかよ!」


思わず笑みがこぼれる。立ち上がり、どんなダークでカッコいい能力を手に入れたのかワクワクしながら確認しようとする。ファイアボール?闇魔法?洗脳?可能性は無限大だ!


「ステータス、オープン!」


目の前に青いホログラム画面が浮かび上がる。


名前: ヴァルス

種族: デーモン(アバター)

クラス: 魔王

称号: 焼きたて(変更可)


スキル:


イースト菌召喚(Lv.1)

 説明:新鮮で高品質なパン用イースト菌を1d10単位召喚する。パン作りに最適。世界征服には絶望的に向かない。


画面を凝視する。


画面も凝視し返してくる。


「……は?」


目をこする。もう一度読む。


やっぱり「イースト菌召喚」と書いてある。


「待て」と自分に言い聞かせる。「これは……ジョークスキル的なやつだ。きっと後で本物が解放される。他のスキルを見てみよう」


2. オーブン温度調節(Lv.1)

 説明:半径10メートル以内のあらゆるオーブンの温度を正確に調節できる。ベーキングに最適。村を焼き払うのには役に立たない。


目がピクピクし始める。


3. 完璧な捏ね上げ技術パッシブ

 説明:あなたの両手は理想的なリズムと圧力で生地を捏ね上げる。あなたが作ったパンは常にふわふわ。敵は威圧されない。


4. アロマテラピーオーラ(パッシブ)

 説明:焼きたてのパンの香りが常に体から漂う。半径5メートル以内の生物は落ち着き、少し空腹になる。


俺は再び冷たい石の床に座り込んだ。


しばらくの間、ただ壁を見つめる。


「俺は魔王だ」無感情な声で呟く。「主力戦術が……パン作り」


<システム通知>


クエスト追加:最初の一週間を生き延びろ

あなたのダンジョンには食料も手下も戦闘スキルもありません。何とかしろ、チャンプ。


「ふざけんな!!」


立ち上がり、狭い部屋を歩き回る。どうやらここが「玉座の間」らしい。あまりに悲しい。いや、悲しすぎる。木製の椅子が一つ。とても玉座とは呼べない。壁には頼りない松明が一本。そして、どこかに続いているらしい扉。


手下はいない。宝物はない。怖いゴシック建築もない。


ただ俺と、バカみたいなイースト菌召喚スキルだけ。そして、涙が出そうなほどの虚無感。


「……落ち着け。考えるんだ、ヴァルス」深く息を吸う。「俺は魔王だ。ダンジョンもある。……スキルも、まあ、ある。何とかする方法はあるはずだ」


扉をくぐると、より広い部屋に出る。ここも空っぽだ。しかし、壁には暖炉が埋め込まれている。古びて埃をかぶった、一度も使われた形跡のない暖炉が。


オーブン付きで。


「……もちろんオーブンがあるよな」呟く。「ないわけがないよな」


しばらく暖炉を見つめる。そして、ゆっくりと一つのアイデアが形になり始める。バカげたアイデアだ。自慢の魔王なら絶対に考えないような、トンデモないアイデア。


しかし、よく考えろ。俺の唯一の力はパン作りなんだぞ。


「イースト菌召喚」


手をかざす。


小さな煙と共に、五つの完璧なイースト菌のパックが手のひらに落ちてきた。


イースト菌を見る。


オーブンを見る。


空虚で、寒くて、陰気なこのダンジョンを見る。悪の要塞であるはずのこの場所を。


「……人生がイーストをくれるなら」


俺はため息をついた。


三十分後、ダンジョンの中は驚くほどいい香りに包まれていた。


何故か宝箱から小麦粉が出てきた(聞くな)。戸棚から塩が出てきた(誰がこんなダンジョンをストックしたんだ)。水も何とか確保できた。


完璧な捏ね上げ技術は、認めざるを得ないが、本当に完璧だった。生地は柔らかく、弾力があり、まさに理想的な状態。


オーブン温度調節のおかげで、火力も完璧だ。


そして今、ダンジョン中が焼きたてパンの香りに包まれている。


居心地いい。


魔王のダンジョンにあるまじき光景だ。


最初の一斤をオーブンから取り出した瞬間だった。美しいきつね色、サクサクのクラスト、完璧な焼き上がり。


その時、聞こえた。


足音。


入口のトンネルから近づいてくる。


「……まさか」


やばいやばいやばいやばい。


冒険者だ。絶対に冒険者だ。初日から、手下も罠も悪の reputation もないのに、よりによって冒険者がダンジョンを「浄化」しに来たのか?


慌てて隠れる場所を探す。ない。この大部屋と、例のバカみたいな木の椅子があるだけだ。それに――


バンッ!


扉が勢いよく開く。


革の鎧を身にまとった若い女戦士が、剣を抜いて飛び込んできた。顔には強い決意の表情が浮かんでいる。


「怯えるな、市民たちよ!」誰もいないのに高らかに宣言する。「我こそはリラ・ザ・ブレイブ!このダンジョンの悪を浄化し――」


彼女は止まった。


鼻をひくつかせる。


その視線が、オーブンの前に立つ俺に注がれる。粉まみれのローブを着て、焼きたてのパンを抱えたままの俺に。


「……やあ」


リラ・ザ・ブレイブは剣を下ろした。戦闘モードから、深い困惑へと表情が切り替わる。


「それ……パン?」


手の中のパンを見下ろす。彼女を見る。


「……うん?」


彼女は俺を凝視する。


俺は彼女を凝視する。


パンはただそこに、温かく、無垢なままだ。


「……一口、いい?」


そしてこうして、史上最も恐ろしい魔王が最初の友人を得たのだった。


続く





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