**番外長編:ミレイア外伝
理の裂け目と、約束の消失
異変が起きたのは、季節がひとつ巡り、
ミレイアとレヴィアンが“理論研究班”として学内でも評価され始めた頃だった。
授業中、突然、学園の結界に異常が走った。
「魔力圧、急激な低下!? こんな数値、今までに──」
「地下封印層に空間の歪みを確認! 歪み率、規格外です!」
教員たちが慌ただしく走り回り、生徒は避難誘導のために講義棟に集められる。
ミレイアも、ほかの生徒と同じように待機命令を受けた。
しかし、ただ待っていることなどできる性格ではない。
「……“理の断裂反応”……?」
緊急報告に混じって聞こえた単語が、ミレイアの耳を捉えた。
理。
それは彼女とレヴィアンが追い続けてきた、“世界の根っこ”の仮称でもある。
嫌な予感がした。
その直後、耳元で聞き慣れた声がした。
「ミレイア」
「レヴィアン!?」
いつの間にかすぐそばに来ていた彼は、
避難用の魔導陣には目もくれず、逆方向──地の底へ続く階段を見ていた。
「地下封印層に歪みが出てる。……行くぞ」
「行く!? ダメよ、学生が勝手なことを──!」
「君、いつからそんなおとなしい子になったんだ?」
笑い混じりの声に、ミレイアは言葉を詰まらせる。
「俺たち、こういう時のために勉強してるんじゃないのか?
“理の変調”をいち早く解析できるのは、きっと今は俺たちだけだ」
「それは、そうかもしれないけど……!」
「大丈夫。俺が前に立つ。君は、隣で式を見ててくれ」
迷いのない目だった。
その瞳に、ミレイアは鼓動が早くなるのを感じた。
(怖い。けど……この人は、きっと行ってしまう)
だったら、自分が隣に立つしかない。
二人は人目を盗んで避難列を抜け出し、地下へと続く階段を駆け降りた。
湿った空気。封印層特有の重たい魔力。
その奥で──確かに何かが“きしんでいる”。
封印層の最深部に辿り着いたとき、
ミレイアは息を呑んだ。
そこには、空間そのものが裂けたような“黒い亀裂”が浮かんでいたのだ。
「……これは……」
光を吸い込み、音を殺し、
近づくだけで肌の内側がざわめくような感覚。
レヴィアンが小さく息を吐く。
「これが、俺たちが追ってきた“理の断面”かもしれないな」
「冗談を言ってる場合じゃないわ。これは……世界の基盤が、えぐられかけている……!」
ミレイアは即座に解析魔法を展開した。
無数の式が空中に並び、亀裂の周囲を取り巻く。
そこに浮かび上がった値は、どれも見たことのない“不定形”。
既存の理論では説明できない、名もなき情報の羅列。
「……“未定義”……?」
すべての数値が、指標から外れている。
「ミレイア」
隣でレヴィアンが、真剣な声で呼んだ。
「この亀裂、放っておいたら多分……“無”が溢れる」
「無……?」
「存在の外側。世界じゃないもの。
本来なら、理が境界線になってるはずなんだ。
でも今は、境界が破れてる。誰かが“塞ぎに行かなきゃ”いけない」
それは、あまりにも無茶な話だった。
「そんなの、どうやって──」
「さっき、君が見せてくれた式」
レヴィアンはミレイアの魔導ノートを指さす。
「“自分自身を媒介にして、理に直接干渉する”やつ。
まだ未完成だけど──“穴を塞ぐ楔”にはなれるかもしれない」
「それを使うっていうの? 自分の身体を、理に捧げるつもりで?」
「身体どころか、魂ごと、な」
レヴィアンは、いつものように笑った。
その笑顔が、ひどく脆く見えた。
「馬鹿言わないで! それはまだ机上の仮説よ! 成功率なんて、計算できてない!」
「でも、誰かがやらなきゃ世界が壊れる」
ミレイアは首を振った。
「世界なんてどうでもいいわ! あなたが消える方が──」
言いかけて、言葉が喉に貼りついた。
(世界なんてどうでもいい……?)
(本当に、そう?)
そんなことを本気で思えるほど、彼女は無責任ではなかった。
それを誰より知っているのは、他ならぬレヴィアンだ。
「ミレイア」
そっと、彼女の肩に手が置かれる。
「君は、“誰かの未来を守るために理を学ぶ”って言ってただろ」
「それは……!」
「だったら、今がその時だ。
俺は、“今ここで世界が壊れる未来”を見たくない。
君が泣く世界も、見たくない。
だから──」
レヴィアンは、ミレイアの手を取った。
温かくて、少し汗ばんでいて、でも震えてはいない。
「責任、押しつけさせてくれ」
「……レヴィアン……」
「俺は向こう側に行く。
君はこっち側で、俺が戻ってくる“理由”でいてくれ」
それは、告白にも似ていた。
約束の言葉だった。
「……そんなの、ずるい……」
涙がにじむ視界の向こうで、レヴィアンは笑っていた。
「ずるいのは昔からだろ? 俺は」
次の瞬間、彼はミレイアの手をそっと離し、
黒い亀裂へと、一歩──踏み込んだ。
「──レヴィアン!!!」
叫びは、轟音にかき消された。
亀裂が一気に開き、闇と光が爆発する。
魔力の奔流が封印層を吹き飛ばし、ミレイアは吹き飛ばされながらも必死に結界を張った。
歪む空間の中で、彼の姿が遠ざかっていく。
その直前、確かに聞こえた。
『ありがとう、ミレイア──』
次の瞬間、闇は閉じた。
理の裂け目は、何事もなかったかのように消えていた。
世界は救われた。
ただ一人の犠牲の上に。




