2.
この短編は4話で完結します。
「この時期にゼロって。さすがに危機感なさすぎでしょ。」
まあ、確かに。
堅人の危機感はキキカンって片仮名に予測返還されるくらいに希薄だ。なぜって、どんなときも冷静で強い男、堅人だから。
「ケン君なら初年度からポルシェが買えるくらいの年俸だっていけるのに、もったいない」
横睨みの目が、今日はなんだか怖い。
堅人も別に、考えていないわけではなかった。
一年前にゼミの課題として開発した情報処理アプリは、教授の評価を受けたあとも個人的にバージョンアップを重ねている。このあいだWeb上で試験運転を公開してからは、企業からの問い合わせも入っている。
「オレさ、起業しようと思ってんだよね」
「起業って、資金は大丈夫なの、あとほら、信用だって」
そこが痛いところだ。
アプリをビジネスベースに乗せるには、まだ、もう一段階の開発が必要で、それには処理能力が二桁上のコンピューターと優秀なエンジニアが必要になる。つまり、人財も運転資金も要るっていうこと。
「そこはさ、産業開発機構のスタートアップ助成金に申し込もうと思って……」
瑞奈が小さなため息を吐いて黙った。
はいはい、言いたいことはわかってます。
「じゃあ、本気で涙対策を考えなきゃ、ダメじゃない」
そうなのだ。
涙時計に一年以上涙ログが記録されていない人間は、借金なんて絶望的だし、就職試験や婚姻届けも無理。出生届けや肉親の死亡届けすら涙ログ値が優秀な保証人を立てないと受理してもらえない。涙ひとつ流せないような薄情な人間は信用できない、ということだ。
「でもなぁ、オレ、ちっちゃいころから泣かないんで有名だったからさぁ」
「それはそうかもだけど……。あ、こないだ貸したげた本、読んだ?」
「ああ、あれ。読んだけど。膵臓がどうしたとかってあれでしょ? だめだった。ヘぇ~って感じ」
「信じらんない。住野よるの “君の膵臓が食べたい” だよ。あれ読んで泣けない人って、もはや人間じゃないから」
じゃあなんなんだ、という突っ込みは入れないでおく。
瑞奈は本気で心配してくれているのだ。
なにしろ、このまま就職も起業もできなければ、卒業と同時に社会の底辺確定だ。
瑞奈とは別れたくない。
どうしても。
でもこのまま付き合い続けたら堅人の立場はヒモ、ということになる。そんな状況はこっちだって避けたい。
それに。
ここまで涙ログ値が悪いダメ男をカレシとして認めてくれる女性なんて世界中に瑞奈しかいない、瑞奈しか……、と気持ちを泣くモードに持っていこうと頑張ったけれど、ダメだった。
瑞奈が、深いため息と共に読書体験を述べた。
「あたしなんて、あれ、三回読んで四回号泣したのに」
ん、一回多いぞ、という突っ込みを入れる元気は、今、ない。




