1.
この作品は、4話で完結する短編です。
冨塚堅人は、小さいころから、泣かないことで有名だった。
眠いときもお腹が空いたときも、転んだときも泣かなかった。
欲しいおもちゃを買ってもらえないときだって、泣いて駄々を捏ねるような真似は決してしなかった。
でも、何よりみんなを驚かせたのは遠足で逸れたときだ。
お弁当休みの時間に珍しい蝶を見つけた堅人は、友達ふたりと一緒に蝶を追いかけた。そして捕まえようと深追いし、山中に入り、迷子になった。
夜になった。
それでも堅人は泣かなかった。
でも友達ふたりは違った。
ギャン泣きした。
でもその結果、捜索に出ていた大人に見つけてもらえたのだ。堅人ひとりだったらどうなっていたことか……。
でもまあ、そんなこともあって『あいつはどんなときも冷静だ、強い』と思ってくれたお陰で、意地悪してくる奴はいなかったし、女子からもまあまあモテた。
よかったよかった。
……と喜んでいられたのも大学に進むまでだ。
堅人が大学二年になったとき、問題が発生した。
どっかのバカ研究者が余計なものを発明したのだ。それが “心情振幅測定器” である。この測定器を使うと焦りや罪悪感、感受性や共感性を数値化することができた。
しばらくして、焦りや罪悪感の測定機能は分離され、新型のウソ発見器になった。
一方、感受性や共感性の測定機能は、当初、誰にも用途が思いつかなかった。
だがあるとき、この測定値があるレベルに達すると人は泣く、ということが発見されて以降、俄かに注目されるようになった。
人が涙を流す測定値は、涙臨界点と名付けられた。そして、一定期間に何回涙を流したかの記録が涙ログと名付けられ、人の性質を判断する指標となった。
測定器は常時携行できるよう徹底的に小型化された。その最終形がスマートウォッチに似ていたことから、この測定器は、涙時計と呼ばれるようになった。
涙ログはあらゆる場面で活用されるようになった。
この値が低い人は『冷たい人間』であり、逆に涙ログの値が多い人、つまりよく泣く人は『情に厚く優しい人』で『積極的に人に寄り添うことができる人』と評価された。
ならば、そういう人が評価され、活躍する社会になれば治安はよくなり、人に優しい社会が実現するのではないか、と考えられた。
さっそく法律が整備され、すべての国民は、涙時計の二十四時間装着が義務化された。今や涙ログは人生の節目において必ず確認され、判断基準にされる。
ね、まったくもって大きなお世話。
でしょ?
☆
時は流れた。
周りの連中は就職を決めるなり大学院に進むなり、次々に進路を確定させていた。
そんなころ。
銀座のバー、光の雫でのことだ。ハイランドモルトのハイボールを傾けていた多賀野瑞奈が、ふいにこちらを向いて聞いてきた。
「ケン君は内定いくつもらってるの?」
付き合い始めて四年と五ヶ月になる瑞奈は、二年前に大学を卒業して、今、社会人二年生だ。就職した会社はグローバル企業で、給料の基本はスポーツ選手と同じ年俸制だが、歩合の比率が大きい。なので、優秀な瑞奈は入社二年目にしてけっこうな高給を取っている。
今日、連れてこられたこのバーも、堅人の小遣いで入れる格ではない。
そもそも会員制だし……。
堅人は「ん~内定?」と言って苦笑いを作り、親指と人差し指でゼロの形を作ったものの、すぐに恥ずかしくなって指を解いた。
ロックグラスの氷をカラカラと回して、いつものように心を整える。
まったく。
毎回、奢られてるだけでも心苦しいのにさ……。
でも、今日の瑞奈は赦してくれそうになかった。




