かぐやでみかど!
連載しようかと思ったけどやる気が出なかったからやめたやつ
第一話部分のみ短編
「竹取物語」
それは、今より1000年前。はるか平安の時代において「物語の出で来始めの祖」と呼ばれた、日本最古の物語である。
其の内容は複雑繊細だが、しかし現代日本に広く知られるあらすじは、こう。
「竹から生まれたかぐや姫は大層美しく、多くの貴公子に求婚されながらも、其の全てを断った。彼女は自分が月のものだと明かすと、求婚者だった帝に不老不死の薬を託し、月へと帰っていってしまったとさ────」
そして、その後は帝が不死の薬を富士山で焼きその煙は今も昇っている、と記して、この壮大な物語は幕を閉じる。これが日本人ならば誰もが知る、俗に「かぐや姫」と呼ばれる物語のあらすじである。
さて、勿論皆様の知る通り、これは全て作り話………つまり非現実フィクションだ。月に人などいるはずがなく、況んや不老不死をや。事実、現代の富士山からは煙など出ていない。こんなものは平安時代でも摩訶不思議、まして科学の発展した今時では、赤子すら信じない話である。「竹取物語」は、どこまでも作り物語に過ぎないのだ。
────だが、果たして本当にそうだろうか?
果たしてこの物語は、本当に御伽噺に過ぎないのだろうか?
この科学世紀の到来が叫ばれる地球には、斯様な神秘は最早存在し得ないのだろうか?
かぐや姫は、不老不死の薬は、存在してはいけないものなのだろうか?
………もし、仮に。もしもそれでも、この話が現実だと信じるならば────
果たして、人は不老不死を手放せるのだろうか?
◆◇◆◇◆
「────ごめんねぇ神夜くん、今日も雑用押し付けちゃって」
「いやいや、いいですよ、別に搬入手伝いくらいならなんてことないんで! それに、蓬から頼まれましたから!」
今俺が両手に抱えているのは、「みかん」印のダンボール。アニメとかなんやらでよく見るあれ。それが縦に積み上がること計五箱。なんでも店主の藤原おじさんが腰をやったとかで、代わりに運んでやっている。
大したことない、とは言ったものの、持ち上げれば結構な重みがあって、確かにこれをおじさんがとなると腰の一つや二つはやってもおかしくはない。
「おじさんももう60過ぎていい年なんだから、無理するのはやめたほうがいいですよ。年齢ってのはそんな甘く見ていいもんじゃないんですから。だれか、バイトくらい雇ってもいいじゃないですか」
そう言って、俺はおじさんに注意する。だが、おじさんはカウンター椅子の上でぐりぐりと腰の湿布を触りながら呻き声を漏らすばかり。こちらの目も見ずに、明らかに誤魔化してますよ風を吹かしている。
もう何度目かも分からないやりとりだった。
(……娘が出てっちゃった分、孫娘には店継いで欲しいって気持ちもわかるけど、それで体壊してちゃ意味ないし。いい加減後継者は探すべきだと思うんだけどなぁ……)
一応誰か知り合いに手伝いを掛け合ってみようか、なんて、錆びついた「八百屋」の看板を見ながら俺はぼんやり考える。
けど、そんな都合よくいい人なんているはずもない。俺はひとつため息を落とし、そして同時に荷物も運び終えたのだった。
「いやー、ありがとうねホント! 毎度毎度なんかある度仕事任せちゃってて、さすがに申し訳なくなってくるなー……」
報告を済ませると、おじさんは申し訳なさそうに笑って、これお駄賃ね、と一枚、鈍色に輝く硬貨を差し出す。100円玉だ。
俺はありがとうございます、と遠慮がちに言って、それを財布へとしまう。
こんな二、三分で済む楽な仕事で、なんて思いもあるにはあるけれど、断っても聞く人じゃないのは今までの経験からわかっている。そんなわけで、俺は割りのいいバイトだと思って割り切ることにしていた。
「それじゃ、おじさんも頑張ってくださいね」
「おう、神夜くんも、気をつけてなー」
なんて他愛もない挨拶をして、俺は店を後にした。
◇
そうして俺は今、半ばシャッター街なこの「月野商店街」を歩いていた。カラフルな屋根板は剥がれ落ち壁はペンキが禿げ、「月野市の生活基盤」と言われたかつての繁栄は見る影もない。だが、これでも幼き日の思い出が詰まった大事な地元である。
さて、折角の日曜日なのに初っ端は労働に消えてしまったが、まだまだ日は南で、休日は始まったばかり。とりあえずはお昼ご飯を食べるとして、次は何して過ごそうか、なんて、俺は想像を膨らませる。
「明日の予習………はまあ夜にやるか。じゃゲームでもやろっかな。最近買ったヤツまだ終わってなかったし。あ、それか蓬に会いに行くのもいいな。折角外着になったから」
誰に聞かせるでもない独り言が街へと溶けていく。
春先の暖かな陽気と、其の隙間を吹き抜け頬を撫でる軽やかな風が心地よい。手持ち無沙汰なこの時間も、忙しない毎日の少しの癒しのように感じられる。
何ということはない、これは俺、つまりは男子高校生宮古神夜の、ごく普通な日常だ。
そこにはイレギュラーなんてもの起こりようがなく、いつも通りの日々が恙無くこなされていく。
そして、俺はひとまず家に戻ろうとして、手前の路地を右に曲が─────
「カネェ! カネはどこじゃあ!! カネェェェェェ!!!!」
よし訂正。今日は厄日だ。少なくとも俺の日常に妖怪カネ男が登場したことはない。
そして、俺はこの路地を立ち寄ったことを心の底から後悔した。
………序でに、さらに最悪な事実を述べるとするならば。
あの、ゴミ箱に頭を突っ込んで、身につけた白Tシャツを汚しながらある訳もない金を醜く追い求めている人間擬きは、残念なことに────非常に残念なことに!
………俺の、知り合いであった。
◇
ことの始まりは今からひと月ほど前。高校一年生としての終わりを感じさせる、冬とも春ともつかない温さのある日だった。桜も梅も中途半端な時期で、何をして過ごせばいいのやら、と自宅で暇を持て余していたのを覚えている。
そんなある日の昼下がり、奴は突如やってきた。
「やあどうも、私が帝だ。金欠につき今日からここに住むことになった。よろしく」
「てわけだからよろしくしてやれよ、神夜」
「は?」
わけがわからなかった。
受け入れるのが当然みたいな顔して突っ立ってる父親は頭おかしいと思った。つかミカドってなに。
「………? え、いや、え?? なんで……っていうか誰それ、ていうか………え?? なんで?????」
もちろん俺は困惑した。知らんやつが急に上がり込んできて「同居する」なんて言われ、それでもなお落ち着いていられるやつなどいないだろう。いるとしたら俺はそいつとは友達にはなれそうにない。
「へー、じゃあ明日から作る夜ご飯の量増えちゃうのかしら? ちょっとめんどくさいわね」
「ああ、この人ご飯食べなくていいらしいから、そう言う気遣いはいらないって」
「ああ、なんだよかったぁ。燃費いいのね」
「な、すごいよなー」
どうやら両親に俺の友達たる資格はなかったらしい。俺は悲しかった。
「おいおい落ち着け神夜、なんか顔すごいことになってるぞ」
父親が途方に暮れる俺の肩を叩く。
「ははは、アホ面〜」
一方、謎の男は途方に暮れる俺を笑った。
「……お前これから世話になる相手によくその態度取れるな」
俺は謎の男に対し怒りを覚えた。誰がこんなやつと住むか、と結構本気で怒った。怒ったのでとりあえず一発頭を叩いてみると、結構いい音が鳴って男はうずくまる。……あんまり強く叩いてないはずなんだが、この男は相当耐久がミジンコらしい。
それからついでに根本の原因である父親にも怒った。何度となく繰り返される父親の奇行(月一ペースで父は何かやらかす)について猛抗議した。そのままこいつにも一発、と思ったがそれは完璧な読みによって躱された。くそう。
その後10分ほど俺は健闘したが、結局両親の賛成とゴリ押しにより彼の居候は認められることとなる。
我が家の家庭内カーストがよくわかる瞬間だった。回想終わり。
◇
「で、何やってんのお前」
「見ればわかるだろ、金を探しているんだ」
「だからなんで金を探し漁ってんだっつってんだよ!」
そう、その時の男がコイツである。この野郎、この現代に堂々と居候するメンタルから分かりきっていたが、やはりとんでもない狂人であったのだ。家の中で繰り返される奇行は数知れず、両親もなかなかネジが外れているので俺一人にツッコミ役は一任され、すでに過労死寸前だ。正直早く自立して家から出てって欲しい。
てかさっきから「ははは、言わせるなって」とかなんとか言って体くねらせてるし。キッモ。
「あ、おいそこ! 今私のこと見下しただろ! 不敬だぞこの帝に向かって!!」
「お前なんかが帝名乗ってる方が百倍不敬だわ」
「ぶぶー。いいんですー、私が帝なのは事実だから問題ありません〜。今時の若者って品もなければ教養もないんやねぇ、いややねぇ」
「こ、コイツ………」
やばい頭の血管捩じ切れそう。なんでコイツこんなに人をむかつかせるのが上手いんだろう。前世は漫才師だったのかな。
俺は頭の中で「なんでやねん!」と突っ込まれているコイツを想像した。目の前の男も全く同じポーズだったので多分コイツは漫才師が天職なんだと思う。面白くないから路頭に迷うだろうけど。
「やれやれ、最近の若者は天皇家への敬意が欠けてて困るね………私の在位時代なら処刑だぞ?」
「いつだよ」
「……1000年前?」
懐古厨にしても古すぎる。
俺は白い目でこの男を見る。しかし、帝(自称)は「いや、もしかしてそろそろ1100……?」とかなんとか言って震えており、まったく気にする様子がない。
これ以上この茶番に付き合うと本格的に俺の心の中のナニカが大爆発してしまいそうなので、俺は早く家に帰るべくさっさと踵を返す。
「あ、こら待て。私を置いていくな宮古の長男。折角会ったんだからお前も一緒に金を探せ」
「ほざけ」
俺は肩に乗せられた手を即座に払いのける。だがコイツもしつこくて、歩く俺の後ろにピタリと張り付いて延々「金金金」と呪詛を吐き続けてきた。妖怪?
「ていうか、なんでそんな金が欲しいんだよ。いいだろどうせ暮らしには困ってないんだから」
俺は呆れながら、後ろのアホには一瞥もくれずにそう言った。勿論、「養ってやってるのは自分たちだぞ」という意味を込めた皮肉である。
だが、予想通りこの男にそんなものを理解するだけの常識は存在せず。「よくない!」と癇癪を起こした子供のように駄々をこね始めた。
そして、無理やりに俺の前へと躍り出ると、そのままの勢いで俺の目の前にずいと手を突き出して。
「いいか、何度も言っているだろう! 私はそんな個人的な煩悩の為に金銭を求めているのではなくて、もっと崇高な────そう、愛のために動いてるのだ! 月に行きかぐやと再会するという『愛』のために、な!!」
「はいはい………………」
そう。コイツについて、一つだけ絶対に説明しておかなければいけないことがある。
先ほどからコイツは帝だなんだとずっと騒ぎ立てているが、それは何一つ嘘ではない。言動の下品さ故に信じ難いが、コイツは本当に帝なのだ。それも、あの竹取物語の────
◇◇◇
不老不死、という言葉がある。
昔から神だとか仙人だとか魔法使いだとか、そんな人智を超えた存在によく付与される属性の一つで、世界に生きる全ての存在の夢。「死」という絶対の理に抗うことのできる、唯一の力。水銀、仙桃、アンブロシアにエリクサー。古今東西、不老不死の伝説には事欠かない。だがしかし、そのいずれもが、今日まで欺瞞のレッテルを貼られ続けてきた。
そう、この「帝」が現れるまでは。
コイツは俺の家に上がり込んだその日、俺たち家族に対して、その身の上を説明した。
曰く、自分は竹取物語のモデルになった、千年前に実在した天皇なのだと。そして、月の住人から不老不死の妙薬を手に入れ、それを服薬し現代まで生きながらえているのだと。
当然、俺も最初はそんな話信じなかった。狂人の妄言だろうとタカを括っていた。
だが、この男はその証拠だと言わんばかりに、俺たちの前でいくつも不可解な技を披露して見せたのである。
古い歌や詩を当然のようにそらんじ、
専門家でなければわからないような何百年も前の知識を事細かに並べたて、
指をナイフで切りつけた直後、その傷をたちどころに癒して見せ、
そして果てには、今日まで一切の飲食をしていないにも関わらず、こうして健康に生きている。
そこまでされては、さすがの俺も納得せざるを得ない。
というかそもそも、男子高校生なんて大体が自分は特別だと信じ込んで非日常という名の物語に巻き込まれるのを今か今かと待っているものなので、そんなに抗おうともしてなかったが。
つまり、コイツは、この帝は。
正真正銘、本物の「不老不死」である。
◇◇◇
で。
「うおおおおおお!! かぐやーーーー!!! 待っててくれよーー、今私が迎えに行くからなーーーー!!!!」
「────せっかくの不老不死なのに、なったのストーカーかぁ……」
何の涙か、顔面をぐちょぐちょにしながら空の白い月に愛の告白(音量MAX)を叫ぶ帝を見て、俺は心の底から、渾身のため息をついた。
というか、姫と俺で名前が被ってるからなんか嫌。俺が呼ばれてるみたいで鳥肌立つ。
「なんだ、私が不老不死で何が不満なんだ、私は帝だぞ。この国で一番貴い血を持っているんだぞ。私以外に誰がこの最高の力を得るべきだというんだ!」
「我が国の主権者にして最も尊重されるべき国民たちのうちのだれか」
「(笑)」
「お前今近代国家の最高理念鼻で笑ったか?」
少なくともコレが現代の為政者でなくて良かった、と俺は思った。そして遥か平安の時代にはこんなんがトップだった時代もあるという事実に思い至り、そこで犠牲になった人々のことを思い密かに涙を流した。現代の平等な世の中は先人たちの苦労によって成り立っているのだ。ありがとう、次の日本史のテスト頑張ります。
「というわけで俺は勉強のために家に帰る。金漁りは一人でやっててくれ」
「待て、踵を返すな! 愛し合う私とかぐやの為だと思ってそこをなんとか!!」
いやお前かぐや姫には振られてるだろ。勝手な妄想を展開するな。
俺は腰に縋り付いてくる帝の頭で8のビートを刻みつつ、日頃から思っていた疑問を帝にぶつける。
「というかお前、仮にも帝なんだろ。なんかこう……ないのかよ? 脈々と受け継がれる秘宝的なやつは。それ売ればいいじゃん」
「そういうのは脈々と受け継がれた結果今は宮内庁保管だ」
正論だった。まあ、そんな自由にできる宝があったらこんな人口くらいしか取り柄のない東京の郊外の市をうろついてないよな。
無地の白Tにジーパンというデフォの3Dモデルみたいな帝の格好を見て、俺は一人納得する。
「じゃあもう真面目に働けよ。少なくとも路傍のあぶく銭よりはまともな額にはなるだ、ろ!」
「ぐわーーーーー!!」
渾身の蹴りだった。別にスポーツとかはやってないが、それでもなんとなく、結構いいとこ入ったなと思った。
その直感は当たっていたようで、体のど真ん中から真上に打ち上げられた帝は俺の体を離れ見事に天空を錐揉み回転。その回転の激しさは、さながら空を貫いていくかのような。多分アニメだったらスローモーション入ってたと思う。
尚、その様子を陰から見ていたある一人の科学者が、後にここから着想を得た新型のボーリング装置を開発。それにより日本の考古学は百年分の大躍進を遂げることとなるのだが、それはまた別のお話。
「ひでぶっ!」
空中300メートル(目測)からの自由落下の果て、帝がどこぞのヒャッハーみたいな声と共に顔面から地面に激突する。痛そうだな、と俺は思った。
「あ、100円みっけ」
なお、その数秒後に帝は何事もなかったかのように立ち上がった。当然、体は傷ひとつない。多分この一瞬で治したのだろう。不老不死の力と言うやつだ。帝の体にはいかなる傷も残らない。
とはいえ、痛いは痛いはずなのに、ノーリアクションなのがかえって怖かった。
俺が理外の力に顔を青くしている横で、帝は何食わぬ顔で100円玉をポケットにしまいこんだ。当然犯罪である。なお、中から金属のこすれあう音がしたので、おそらく初犯ではない。あと小銭をポケットに直で入れるな。
それからしばらくの間俺が服についた小石を手で払い落としている帝を白い眼で眺めていると、ふと、帝は今までより少しばかり神妙な表情を浮かべた。
「まっとうに働け、か────まあ、おまえの言うことも尤もなのだが、そうもいかんのだ。身元を証明できるものもないし、不老不死だなんだと騒ぐ変人なんて、まともな会社はどこも雇ってくれないんだよ」
それに、いつまでも同じ見た目でいられると気味悪がられてしまうしな、と。ぐにぐにと頬を弄りながら笑う帝。
「ああ、そっか……戸籍か」
そのシワひとつない白い肌を見て、俺はポンと手を打った。
なるほど、確かに不老不死ではまともな戸籍、住民票他エトセトラは作れまい。市役所で騒いでいるところを警官隊に無理やり取り押さえられているこいつの姿が、ありありと想像できる。
身元不明、正体不明、学歴住所一切なし。そりゃ路頭に迷うわけである。
「───なんか、大変だったんだなお前。悪かったよ、軽々しく働けとか言っちゃって」
俺は頭を掻きつつ頭を下げる。すると、帝はようやくわかったか、とでも言いたげな顔でうなずいて。
「そうそう、大変だったんだ。おまえの父親が見る目のある人で助かったよ。私の奥底に眠る高貴な血筋を感じ取ったんだろう。いやあ、宮廷より長く離れていても、わかる者にはわかるのだなぁ」
「いや、そういうことではないと思うけど…………」
だってあの人、昔俺が誕生日プレゼントにお菓子一年分って冗談で言ったらガチでバニラアイス一年分持って帰ってきたような人だからな。しかも、その理由もテレビのでかい大会の優勝賞品で見つけて「そういえば神夜がそんなこといってたな」と思い出したからちょっととってきた! とかだし。絶対面白半分ノリ半分で拾ってきただけだろう。
「俺が家族の前で冗談を言えなくなったのは、あの時からだったな…………」
3食全てに強制でついてきたあのクリーム色……今も思い出すと舌の上がひんやりしてくる。もはや軽くトラウマだ。
「……………なんか、おまえも大変だったんだな」
肩に優しく乗せられた腕を見て、俺の目尻に小さな雫が浮かんだ。
ありがとう。お前もその「大変」の一部分だけどな。
指で涙を拭いつつ、俺は帝の方へ向き直る。
帝がその狐のような糸目で不思議そうに俺の顔を覗き込んでいる。
実は、先ほどの話を聞いて一つだけ、俺には閃いたことがあった。
「────なあ帝。つまりさ、おまえ、働く気自体はあるってことなんだよな?」
「ん? まあ、そうだな。金が手に入るならなんでもいい」
「働かない理由は、雇ってくれるとこがないってだけ?」
「ああ」
「じゃあ、もし俺がいいとこ紹介してやるって言ったら、働いてくれるか?」
「ああ、そりゃもちろ………………待て、紹介してくれるのか!?」
「ああ、まあな」
どっちかというと、お前を入れるよりも「雇うかどうか」の説得の方がめんどくさそうだけど、と。俺は来た道の方を振り返る。
その視線の先には、相変わらず赤錆でボロついた「月野商店街」の看板が掛けられていた。
◇◇◇
「そいえばおじさーん。蓬はー?」
「ああ、蓬は今隣駅の方に買い物行ってるよ! あいしゃどー? が切れたんだとさ。ま1時間も待ってりゃ帰ってくるからそこで待ってな」
「はーい」
そう言って、俺は手元に視線を戻す。ペラ、とめくるのは、日本史の用語集。進級の時に買わされたばかりだというのにもう大分皺くちゃになっているのは、カバンに入れっぱなしの男子高校生クオリティだ。
指先にこの単語帳特有の柔らかな紙質を感じながら、俺は色のついた重要単語を頭の中で何度も復唱すr───「ヘイらっしゃいらっしゃい通りの皆様! こちら月野の藤原屋、天下無双の八百屋にござい! その商品の絶品たるや誰でも一度は食わねばならぬ! でなきゃ人生きっての大損! 帝も愛用、世界の正道、妙見菩薩も照覧あれと、我らが自慢の草片一つ、そのお手元にご入用ではござりませぬか!!?」
………うん。元気で何より。
と、いうことで。
色々と協議・調整の結果、帝はおじさんの八百屋で働くことになった。
その理由は、おじさんと俺は家族絡みの付き合いもあるので帝の身元がこっちで保証できるから、と言うのが一つ。
そして、かねてから俺がいい加減おじさんも誰かバイトを雇うべきだと思っていたから、と言うのが一つ。
最後に、帝が意外と弁が回るということに気づいたから、というのが一つ。
「芸人だけじゃなく客寄せの方も天職だったか……」
「……? なんか言ったか?」
「べっつにー」
ひらひらと手を揺らして帝の問いかけに返事をすると、俺はそのまま単語帳のページをめくった。
とりあえず蓬が帰って来るまではここにいて帝の様子でも見守っていよう。そのあとは俺と蓬でどっか遊びに行くとして、帝の方は───まあ、なるようになるだろう。ちょっと頭はおかしいが、帝だっていい歳(約1000歳)した大人なんだし、変な騒ぎは起こすまい。
早速若者大好きの奥様方に囲まれいい気になっていそうな帝を横目に、俺は春の陽気を浴びていた。




