憧れの新婚生活?
彼は仕事終わりに会社から少し離れた喫茶店の奥の席に、私を案内すると言った。
「僕はね、昔ピットと名付けた鳥を飼っていたんだ。ピットは僕のペットであり、友達でありパートナーでも あった。」
「?」
「つまり、そのお‥‥ゴメン。上手く言えないけど、君にピットのような存在になってほしいんだ」
(な、何言ってるのこの人? 私に鳥になって欲しい? なんだか変な話だけど。でもエリート営業マンが、必死で言葉を繋いでる。それが何だか可笑しいような嬉しいような気持ちになる)
「け、け、結婚して欲しいんだ」
「ええー‼ け、けっ、結婚⁈ 」思わず大きな声がでていた。
周りにいた数人の客が、私の声に振り向いた。
さっきまでの地獄に落ちた気分が、目の前の天使に180度気持ちが翻されていった。
「も、も、もちろん。こんな私で良ければ」憧れの健人様と結婚‥夢のような話である。この際、鳥に似てようがかまわない。
この健人様のプロポーズにのっかかろう。
それからは、夢見心地で時が経った。
そして彼の親から受け継いだ、1軒家での夫婦生活が始まろうとしていた。
「ここが、ピットちゃんの部屋にしたよ」私に家を案内しながら、健人は言った。
彼は私のことをそう呼ぶようになっていた。
健人がその部屋の鍵を開けると6畳間ぐらいの広さだろうか。
(鍵がかかっているの?)
コンクリートの壁がむき出しになっている部屋の中には、簡素なパイプベッドとが見えていた。
ちょっと奥には安ぽっいビニールカーテンが下がっていて、それ以外は何もなかった。上方には半透明の小さな窓があり唯一の光が差し込んでいた。
(えっ、なんなのこの部屋⁈)
「まあ、くつろいでいて。荷物は、僕が適当に持ってくるから」と言うと、外から鍵をかけて行ってしまった。
「まっ、待って」と言った声は届かなかった。
「えっ、信じられない!この部屋に閉じ込められた⁈ 」愛莉は わけがわからない恐怖に怯えていた。
おかれた現状をやっと理解した時、ドアを思い切り叩いていた。
『な、何かの冗談でしょう? おね がい 早く出して』
何度も戸を叩いているうちに手が痛くなり、皮が剥けはじめ血が滲みでていた。
窓からの薄暗さが、時間の経過をものがたっていた。
絶望的になって床に座りこんだ時、外から『ガチャガチャ』と、音がしていた。
「この部屋、気にいってくれた?あっ、手から血が出ているじゃないか。大丈夫か?手当てするものをすぐ持ってくるよ」
「待って、正気なの?私にここで、これからずっと暮らせというの?」
「君は、僕のプロポーズを嬉しそうに受けたじゃないか」
(そう、でもこんな こんなこと、想像出来るわけないじゃない)
「僕は君を愛してるんだ。だから君を手放さない。まあ、いいさ。そのうちここの暮らしにもなれるだろう」
「‥‥」
そしてそれからは果てしない孤独と、後悔とともに日々が過ぎて行った。
時計と電気がない部屋で、小さな窓明かりだけが一日の移りかわりを教えてくれていた。
彼 健人は仕事に行っている時以外は毎日二人分の朝食と夕食を持ち、この部屋に現れる。
休みの日は、半日は一緒にこの部屋で過ごす。
パイプが軋むベッドで交わり、そしてカーテンで仕切られただけの奥の狭いシャワー室で、身体を洗い流す。
(私は、考えていた。こういう生活を幸せというのか?愛されてるのだろうか)
もう考えることさえ疲れはてたある時、聞き覚えのある音が鳴っていた。
(えっ、どこ?どこ?)
健人が持ってきた旅行バックの中で携帯電話が鳴っていた。
「も、もしもし」
「もしもし、私 好美よー元気してた? 会社辞めてから、気になってたんだよ。でも社内一のモテ男と結婚したから、しばらく遠慮してたんだ」
キビキビとした印象が声にも表れている。
好美先輩からだった。
「よ、好美先輩、せんぱーい。た、助けて うっうっ」懐かしい声だ。救世主だと思った。ち、ちゃんと言わなきゃと思えば思うほど、込み上げる嗚咽が止まらなかった。
「ど、どうしたの?」
「た、助けて」絞り出した声。次の言葉を言おうとした時。
ツーツ・・・ツー
「もしもし もしもし」切れた、充電切れだった。
(ああ、これで最後の望みも失われたのね)
いつまでも未練がましく携帯を持っていたが 、もう奇跡はおこらなかった。
彼が置いてったバックの荷物は、ほとんど手つかずのままだった。そこに紛れていたんだろう。