くだらない男
「あなたって、最低なのね。」
『12月23日…』
お前に使う金なんてもうないから、さっさとこの世から消えてくれ。わかっているよな投薬治療もしたくないと言えば先生もそうしてくれるだろう。本人がそう言っているのだからな、あ、でも母さんには伝えないでくれとちゃんと言えよ。そんなのがバレたら母さんが悲しむからな。
『あ、12月24日…』そう娘の声が入ってから男の罵倒が入っている。その期間およそ五か月分。
「なんでこんな・・・捏造を?娘が?」
「これをあの子が作ったっていうのね。あなたは。」
軽蔑のまなざしに、胸がドキリとした。まるで自分に向けられたかと思ってしまったリチャードはその強いまなざしを、それでも美しく感じてしまった。
「さいていだわ。」
そう言って部屋にこもってしまった妻を、しかしそのうち出てくるだろうとそっとしておいたのが悪かった。娘が亡くなって一カ月。家で静かに過ごしながら妻を旅行に誘おうと部屋を久しぶりノックした。
もぬけの殻だった。
リチャードもその部屋に驚いた。まさかいなくなるなんて思わなかった。部屋にあった緑の紙を見て、しばし呆然とした後連絡を取るべくスマホの妻の名前をタップした。しかし繋がれど出ない。
そこまで怒るほどのことだろうか。言い方が悪かったにせよ、余命少なくなった人に、諦めろということが。その時リチャードは気が付いてしまった。
この男と自分は、思考回路が似ているのではないか?
鳥肌が足先からぞわぞわと上がってきた。このひどくくだらない愚かな男と。
「お前は昔から自分の娘にきつく当たっていた。だから大学はこちらから通えばいいと言ったんだ。従兄弟がいるから迷惑はかけられないと言っていたが、あの時無理にでもうちから通わせていれば・・・。死にはしなかったかもしれない。」
男の父親は吐き捨てるように言った。しかし男には優先すべきことがあった。
「そんなことはもうどうでもいいんだ。それよりそっちに妻は行っていないか?離婚届を置いてどこかに行ってしまったんだ。何でもいいから教えてくれよ。心配なんだ。」
何も得られずに電話を切られた。
妻の実家に、職場に、しかし妻の居場所は分からなかった。みんな妻をかばっていた。
男の味方はいなかった。
一人きりで家にいる時ほど、孤独を感じたときはない。生臭い匂いに眉間にしわが寄って、娘と妻が面倒を見ていた水槽に目をやった。赤い琉金が一匹入っていたはずだ。フィルターだけが回り、そこに金魚の姿はなかった。水に浮いてもいない。妻が、連れて行ったのだ。
金魚でさえ連れて行ったのに。男はおいて行かれた。
リチャードはその男の人生に最後まで付き合っていた。長い夢だった。
離婚を拒否し続け調停になり、そしてとうとう男有責で別れさせられた。興信所を使って元妻の居場所を突き止め、ストーカー行為により一度刑務所まで行った。仕事が手に付かずやめて小さなアパートで時間を浪費していた。それほど男にとって妻がすべてだった。
ある日両親が訪ねてきて彼女が再婚すると聞いた。だから諦めろと言いたかったのだろう。小さなパーティで結婚報告をしていた会場を調べ上げ、乗り込んで刃物を振り回し逮捕された。二度目の刑務所に両親もあきれ果てさじを投げた。
後の人生は淡々と、日々を過ごしていた。そして刑務所を出たその日に首を吊って終わったのだ。
この男の人生にリチャードは、自分の将来を見た気がした。諦めの悪い男と、モニカを諦めきれない自分が重なって見えた。
「しゃれにならない。」
そう呟いて目を開けた。長い夢だった。明らかにこの世界ではない奇妙なところの男の一生。思考回路が似ていると気が付いてからは冷や汗をかきっぱなしの後味の悪い話だ。一つ良かった点を言えば、モニカ似の美しい人を見られたことくらいだった。溜息をついて学園への準備をした。
その日の放課後のことだった。レオンは護衛任務から外れて生徒会の仕事を、ロイはちょうど学園長に呼び止められて、珍しくリチャードは一人で執務室に向かって歩いていた時だった。モニカが5,6人の女子生徒に囲まれていた。グリーン侯爵令嬢など、モニカの噂を広めていた厄介令嬢がちらほら確認できたので、躊躇なく割り込んだ。
「モニカちょっと来てくれ。」
そういうや否やさっさとモニカとその場を離れた。顔色が急速に悪くなったモニカに気が付かないままリチャードは大股で腕を引いた。モニカを連れ出せたことに満足して、執務室のあるほうに速足で歩きだしていた。1階の階段前にはロイの部下が二人配置され警備をしていた。2階の廊下に差し掛かった時、急に腕が重くなった。後ろを向けばモニカが下を向いていた。そろそろ影が長くでき始めていた。肩で息をしていた。
「はあ、はあ、痛い、です。」
小さくそう聞こえたが、手を離すのが惜しく、放さなかった。
「もう少しだ。中で話を聞く。」
「申し訳ありません。ご報告できることが、ございません。」
まだ整っていない息で、無理やりに話す彼女がなんとも哀れで、とにかく座らせてやりたかった。また、腕を引いた。
「座って話そう。」
「いた…あの、痛いので、放してください。本当に、痛いのです。」
そんなに力は入れていないが、モニカの懇願を受け仕方なく放した。モニカが勢い余って3歩後ろに下がった。そしてその腕を守るように胸に抱いていた。いまだ慌ただしい呼吸に、落ち着かせようとモニカに近づいたとき、また彼女は一歩後ろに下がった。なぜそんなに距離を取ろうとするのか意味が分からなかった。




