リチャードの見た夢
※自分の娘を虐待する描写があります。苦手な人はご注意ください。
夢を見た。
くだらない男の夢だった。
その男は幼少期から特に練習しなくても何でもできた。勉強も運動も特に苦手なものはなく、学校では常に友人に囲まれていた。テストでは常に満点を取っていた。リチャードはそのあたりには少しばかり親近感を感じた。
その男には兄がいた。何をしてもうまくできず、家でずっと勉強しているにもかかわらず80点が限界で、運動も得意でない、できのいいとは言えない兄だった。しかし両親は兄が、テストで少しいい点を取っただけでほめていたし、去年よりもプールで泳げるようになればそれも喜んでいた。
それが、その男には不満だった。自分は100点を取ってもそこまで喜んでもらえないのに、兄ばかり褒められているような気になった。少しばかりその男には同情した。確かにあまり努力しているようには見えなかったかもしれないが、結果を出しているのは弟のほうだ。この両親の教育方針には胸に残る不平等感があった。
兄は控えめで、友人は一人か二人だった。その少ない彼らを大切にしていた。
ふと、気になることができた。この友人が兄からいなくなったら、兄は落ち込むのだろうか。中学1年の時、たまたまを装って友人たちと本屋にいた兄に合流した。あえて出入り口で鳴るタイプの商品を、兄のカバンに忍ばせた。もちろん監視カメラの写っていないところで、だ。そして男の想定通り、何も知らない兄はレジをしませ、店を出て捕まった。しかしその商品を最後に持ったのは兄ではなく弟で、兄は持ち前の素直さで全く気が付かなかったと店の人に謝罪し、大事にはならなかった。兄の友人たちも一様に兄を信じて揺らがなかった。普段の真面目さが現れた事件だった。
男はそれが面白くなかった。何をやっても自分に勝てないはずのダメな兄は、実のところそこまでダメではなかったのだ。
リチャードには人望に厚く、真面目で努力家の、いい兄に見えた。その兄を嵌めようとしたこの男には嫌悪感さえ湧いてきた。その後もちょくちょく兄に嫌がらせをしては、いたずらだったと両親をごまかしていた。高校を卒業後、都会の大学に行くまでそれは続いた。
大学に行ってその男は、ある女性と知り合った。
リチャードもその人を見たときにドキリと胸が鳴った。真っ直ぐの黒髪に、眼鏡をかけていて、切りそろえられた前髪、少し小柄の可愛らしいひとだった。
モニカだ。そう、直感的に思った。
授業中も熱心に勉強しており、教授に積極的に質問するなど精力的な人だった。モニカも仕事のことになると多弁になったし、集中している時の横顔が美しかった。
その男はあっという間に彼女の虜になり、口説き落としていた。付き合うことになり、卒業後は結婚することを約束して、男にしては誠実にその彼女に尽くしていた。彼女との時間が何よりも大事だった男は、定時に退社できるが給料がそこそこいい会社に就職した。彼女はなりたかった看護師になり、充実した日々を送っていた。約束通り結婚し、子供は仕事が安定してからにしようと、数年間二人で穏やかに過ごしていた。その男にとっては最高に幸せな時だった。
これでこの男もようやくまっとうになるのかと、そう安堵していた時だった。二人の間に子供ができた。看護師である彼女は大喜びして、男に報告した。男もその報告に大喜びした。しかしその喜びもつかの間、妊娠した彼女は体がつらく、大変そうだった。
その男の腹の下に、少しずつ黒い感情が溜まっていった。それはすべて、彼女の胎の中にいる、自分の子供に向かって行った。
母子ともに健康で、ようやく生まれた我が子を娘を、この男は可愛らしいとは思えなかった。ただ、もう彼女が苦しまなくてもよくなると、やっと出てきたとそう考えていた。
それからも娘に対して黒い感情が溜まっていった。
彼女の手を煩わせる娘が心底憎かった。だから自分が娘の世話をよくした。夜泣きに疲れた彼女を助けるために自分が育休を取って世話をした。彼女を助けたくてやったことがすべて、子煩悩な父親、という違う評価をもらった。
しかしあえてそれを訂正などしなかった。彼女はそれを喜んでくれたし、自慢の夫だと言ってくれたのだ。彼女がそう言ってくれればそれだけでよかった。
娘のことなどどうでもよかった。むしろ憎かった。
妻と水入らずの時間が減ったのか確実にこの娘が邪魔だったせいだ。二人暮らしの生活に戻りたくて、わざとベビーベッドの柵を開けておいたり、妻が見ていないときに事故に見せかけて何度か病院送りにしたのだが、そうすると妻が病院に泊りがけに行ってしまって、より一緒にいられなかった。
自分の娘にここまで憎悪を持てるこの男に、リチャードは背筋に冷たいものを感じた。妻には見せない冷たい瞳で娘を見下ろし、ため息をついて距離を取る。もしや、自分の母も、王妃も兄のクリスに対してこんな顔をしていたのだろうか。だったら側におらず、近づかなかった分、王妃はマシだったとまで思ってしまった。
娘が物心つく頃にはそういうのが常態化していた。妻が仕事に復帰し、娘が保育園に預けられると、送り迎えが男の仕事になった。いつもありがとう。妻がそう言ってくれなかったらきっと男は娘のことなど投げ出しただろう。妻の仕事と男の仕事は、休日が合わなかった。子育てをするには都合がよい。しかし妻と一緒にいたかった男にとってはよくなかった。
少しずつ大きくなる娘に、積もりゆく憎悪。
小学校にあがったころからその憎悪は発散のほうへと舵を切った。男は完璧を娘に求めた。自身がそうだったように、テストでは満点を求め、スポーツでも完璧を求めた。妻と休みがかぶらない休日は朝から娘の勉強を見て、公園で走らせた。満点でなかったときは娘ができるまで勉強させていた。
近所からは教育熱心で子煩悩な良いパパと言われるようになった。
少しばかり、リチャードはこの娘がうらやましかった。父親と交流の少ない王宮で育った自分には、ここまで構ってくれる父は理想であった。
それであるのに、娘の表情は暗かった。もともと笑わない子であったが、母親がいなければいつも感情を表に出さないような子供だった。テストで満点をとれなかった時は真っ青な顔で家に帰ってきた。96点で、一問間違ったそのテストを父に見せると、まず溜息から始まる。その次に不勉強への叱責。そしてなぜ間違ったのか、なぜできなかったか。それを父が納得するまで問われ続けた。
この娘はそこまで要領の良い子ではなかった。どちらかと言えば、男の兄に似ていた。しかし兄と違ったところもあった。娘は学校でも一人で過ごしていた。友人と呼べる人はついぞできなかった。定時に退社してくる父が帰ってくるまでが、門限だった娘には、周りと遊ぶ時間など無く、高圧的な父と過ごす時間が長いため、人付き合いもやり方が分からなかった。いつも人の顔色をうかがい、自分の意見を言うことが何より苦手だった。門限を切れば叱責と罵倒が母の帰宅まで続くときもあるのだ。その門限は高校に行くまで続いた。
この娘を育てるのは骨が折れる。リチャードはそう思った。自分であったらもう少し要領よくこの男と付き合っていけだろう。相性の悪い組み合わせだな、と感じた。男も相当手を焼いているように見えた。
妻がそれでも娘を可愛がっていたのが、男がこの娘を切り捨てられなかった原因だった。サラサラの黒髪をなびかせて、娘と手をつないで歩く妻の後ろ姿が何より美しかった。聖母のような慈愛の微笑みで娘を見つめる視線を、見られるならと我慢していた。
その美しい妻から生まれた筈なのに、娘は癖の強い髪に、全く似ていない顔。なんでお前は妻に似ていない不細工なんだと何度も不思議に思い、娘に問いかけた。その度に帰ってくるのはごめんなさいという意味不明な謝罪だった。この娘は二言目には謝罪を言う。何か言いたいことがあるのなら言えばいい。それが何よりうっとうしかった。
その対応に、身に覚えがあった。モニカもそういえば二言目には謝罪を言っていた。しかしモニカはもっとはっきりと言葉を紡ぐ。何か不満があったら誰であろうと意見できる。
高校から大学に進学したいと言った娘に、お前には無理だとはっきり言った。行けたとしても大したところに行けるほど、成績は良くない。それでも行きたいところがあると言ったが、その男はそんな無駄をするほど娘に関心がなかった。
正直リチャードもその男に賛成だった。それほど娘に期待できなかった。成績が付いて来ていないのに大学に行って学ぶのは時間と労力の無駄に見えた。だったらどこか近くの企業に就職してくれたほうが、実家から通えるし心配事が少ない。
しかし娘は本気だったようで、大学のある地方が男の故郷だったため祖父母に直談判して、家の近くから通わせてくれと言った。祖父母は二つ返事で了承した。そこまでいって、やっと妻に相談すると、行けばいいと娘を応援し始めた。なんでもっと早く私に言ってくれなかったのかという始末だった。娘が目指しているのは妻と同じく看護師で、それも妻が喜んで背中を押した理由だった。しかし娘がこの素晴らしい妻と同じになんてなれるわけがないと思った。こんなできの悪い娘の浪費に大事な妻が、時間を犠牲にして作った貯金を使われるのは癪だった。
大学に合格した娘の学費を払うのは、本当に嫌だった。払った振りをしてダメになればいいのにと無視をしていたら、いつの間にか支払われていて、それから男は学費に関してノータッチだった。娘が家を出て行って、また妻と二人の日々に戻った。男の毎日はそれはそれは光り輝いて、楽しく過ごしていたが、妻の顔色は優れなかった。娘のことが気がかりだったためだ。妻の口から出るのは娘の名前ばかりで、面白くなかった。
そのうち、娘は体を壊した。余命は1年と診断された。
ほら、言わんこっちゃない。リチャードはそう思ってしまった。その男と同じだった。
学費と生活費をバイトでカバーしていた。無茶な生活でついに体が耐え切れなかった。
その時初めて妻に責められた。
「私が貴方に渡したあの子の学費はどうしたの?!一緒に振り込んでって言った生活費は?!あの子の口座に入れてって言ったわよね?なんで・・・?」
「おかしいな、ちゃんと俺は振り込んだよ。娘名義の通帳だろ?」
そう言って、娘には渡していない通帳を見せた。悪びれることもなく堂々と、しかし胸の内は悪意に満ちて笑っていた。
「それじゃないわよ・・・もう一つのほうよ。」
脱力して座り込んでしまった妻を支えるいい夫。この男はそれを演じ続けていた。嫌がる娘をこちらの病院に転院させ、妻が通いやすいようにした。男も仕事帰りに病院に通って、今までの恨み言を吐いていた。
そして1年も、もたずに娘が死んだ。
男は歓喜に打ちひしがれながら最後の演技を始めた。
娘の葬式を眺めながら、リチャードはこの後はどうなるのか考えていた。正直言って気分の悪い話だ。この男はとうとう邪魔な娘を排除してしまったのだ。俯いてどうしてもニヤつく口元を隠しながら、これから妻と何をしようかと考えている男の背中を見ていた。




